日本を斬る
自由主義・民主主義・法治主義
- ミルトンの自由主義
- 2023-02-20
- 法律と日本人
- 2023-02-20
- 明治以來の大方針
- 2017-06-29
- 東京都の性表現規制
- 2017-06-29
- 言葉とコミュニケーション
- 2017-06-22
- 自由主義:メモ
- 2001-09-05
- 2007-01-04
- 「言論の自由」と云ふ事
- 2001-06-24
- 2007-01-04
- 小渕首相解任は違法
- 2000-04-16
- 讀賣新聞の「エロ廣告の掲載を見合せ」を論駮する
- 2000-01-04
- 2008-05-24
政治主義・平和主義
- 司馬遼太郎対談集『日本を考える』より
- 2020-11-28
- 何を考へるべきなのかと云ふ事
- 2019-03-18
- 「日本軍がやつた」と言ふ知的怠惰
- 2019-03-18
- 殺人について
- 2019-03-14
- 平和主義者と反省
- 2017-06-22
- 三島由紀夫の「橋づくし」と「憂國」
- 2017-06-21
- 「それと小僧に忠告しとく」
- 2017-06-21
- 人間でないものは謝罪しない
- 2016-08-04
- 平和主義者の平和的でない批判
- 2011-10-14
- 2017-06-21
- 政黨の原理
- 2011-10-13
- 2011-10-14
- スポーツに熱狂する人々
- 2011-10-13
- 右翼・左翼・政治主義
- 2010-06-23
- 沖縄に關するメモ
- 2002-09-15
- 「戰沒者慰靈墓地」は要らない
- 2002-08-11
- 平和に關するメモ
- 2002-02-03
- 小泉首相の靖國神社參拜は違憲か?
- 2001-11-24
- 2008-05-24
- 政治主義と云ふこと
- 1999-07-11
- 2001-06-01
「反米」なる夜郎自大
- 「反米保守」の政治主義
- 2019-03-18
- 小林よしのりの愚かなスローガン
- 2007-02-09
- 清澤洌に學ぶ――「反米」の不可能なる事
- 2003-05-25
- 「反米の旗手?まさか!仏・独・露の無責任」
- 2003-05-25
- 「反米」なる危險思想
- 2002-12-11
- なぜか反米はやる
- 1998-12-20
右翼と左翼
- マルクスと孔子
- 2019-03-14
- 日本における「現状維持」の位置
- 2017-06-25
- 立場がない人
- 2017-06-25
- 右翼と左翼
- 2017-06-25
右傾化
- 生き甲斐について
- 2019-03-15
- 小渕さんと森さん
- 2001-09-05
- 「大東亞戰爭」と言つた野呂田さん
- 2001-06-21
- 2012-04-23
- 我々だけの日の丸君が代
- 1999-07-24
- 2012-04-23
- 「盜聽法」怖るるに足らず
- 1999-07-17
- 2002-01-15
左翼批評
- 謎の「勤労感謝の日」
- 2019-03-18
- 米軍普天間飛行場移設問題
- 2010-02-28
- 原爆と平和主義
- 2001-09-05
- 「科學的」「歴史的」と云ふスローガン
- 2000-08-13
- 平和主義に對する疑問
- 2000-07-16(kotobaseekより轉載・加筆)
- 2003-05-25
- 本多勝一と中野重治
- 1999-10-20
- 2003-03-01
時事問題その他
教育問題について
- 國旗・國歌と云ふ事
- 2011-07-08
- 「つくる会」の教科書を攻撃する左翼
- 2001-06-24
- 傲慢な大學の先生
- 2001-06-24
- 日本の教育界について
- 1999-10-20
- 「マルクス主義を信奉する日教組」
- 1999-10-20
- 2001-06-02
勞働組合について
- 国鉄の分割民營化について
- 2004-10-30
天皇論
- ホリエモンの天皇論について
- 2023-02-20
- 天皇論:メモ
- 2001-09-05
- 天皇論(NetNewsに投稿した記事)
- 2000-05-25
- 日本人の道徳について(Yahoo!掲示板に投稿した記事)
- 1999-05-25
- 2001-06-02修正
ひとこと
- なんか「野嵜は政治主義を非難してゐるのに、自身は何と政治を論じてゐる。だから野嵜は政治主義者である。これは大變な矛盾だ」等と、をかしな非難をして呉れる人がゐるやうです。「政治で全てが解決出來る」と信じてゐる人が政治至上主義者であり、野嵜はさう云ふ人を非難してゐるに過ぎません。
- 野嵜は、道徳と政治とは全く別のものである、と考へてゐます。前者は個人に對する人格的な關係を扱ふものであり、後者は人の集團に對する大雜把な關係を扱ふものです。兩者の間には嚴然たる區別があります(マルティン・ブーバー『我と汝』等を參照の事)。さうした事實を念頭に置いて、政治と道徳を區別して議論する事は、可能ではないですか。
- 人間は個人として生きるものですから政治に先行する道徳の領域が常に存在します。一方、生存してゐなければ道徳的な生き方もあり得ない訣で、政治を無視・輕蔑すべき理由はありません。
- ただ、「道徳の領域の問題をも政治で解決可能である」と考へるのは如何なものでせうか。政治にのみ興味を抱くのは甚だしい偏向であると言へます。ところが、日本人の間にはさうした政治至上主義が蔓延してゐます。なぜか、政治的な議論に沒頭し、そこで「道徳」と言はうものなら途轍もない激しい勢ひで非難・侮辱を加へて來る人が屡々ゐます。さうした政治至上主義に野嵜は反對してゐるに過ぎません。
- 殊に左翼方面に、或は右翼方面にも、野嵜が道徳の話を始めると途端に猛烈な勢ひで嫌がらせを始める人が存在します。何なのでせうか。さう云ふ人は、常に、野嵜の話を「政治的な改革を妨碍する目的」であると判定し、「何んなに卑怯な方法をとつても封殺しなければならない」と考へてゐるやうです。しかし、そのやうに非人間的な態度をとる政治主義者の政治目的を「善意のもの」と看做すべき理由を、野嵜は最早見出せません。