公開
2000-08-13

「科學的」「歴史的」と云ふスローガン

「科學的社会主義」は科學と何のかかはりもなかったし、「史的唯物論」は歴史と何の關係もなかつた。

左翼の言ふ「科學的」「歴史的」等のスローガンはまやかしである。ただ彼等は、自らの望む方向へ世の中を誘導する爲に、科學や歴史の假面を被るのである。

今でも、「南京虐殺捏造屋」の連中は、自分達の主張を通す爲に「科學」や「歴史」と云ふ權威を利用する。彼等が度し難い權威主義者である事は、彼等の傲慢な口吻からして明かである。殊更に彼等は敵を嘲笑し、愚弄して快を貪る。彼等は選民思想に侵されてゐるからである。

ユダヤ教が「復讐の宗教」であり、選民思想であつた事は論を俟たない。キリストがユダヤ教の限界を打破り、「愛の宗教」を打ち樹てた事は、D.H.ロレンスの指摘するところである。しかしロレンスは、「ヨハネ默示録」にユダヤ教以來の「復讐の宗教」が顏を出してゐる事も指摘してゐる。(『默示録論(『現代人は愛しうるか』中公文庫)』參照の事)

マルクス主義は、「虐げられた階級」の「復讐の思想」である。プロレタリアートの選民思想である。マルクスは「宗教は民衆の阿片である」と言つた。マルクスの見てゐた「宗教」とは「キリスト教」以外の何物でもない。マルクスは、キリスト教に代る「民衆の阿片」として「マルクス主義」を創始した。そして、宗教の代用品である「マルクス主義」は、宗教でないと言逃れをする爲に、自ら「科學的社會主義」を名乘つたのである。

今、左翼が「日本の戰爭犯罪」を裁く爲に「歴史」とか「科學」とか云ふ「根據」を持出すのは、マルクス主義以來の傳統に從つたものである。彼等が本當に從ふものは、科學でも歴史でもなく、左翼イデオロギー或は「テーゼ」である。

かつて共産黨が暴力革命路線をとつて支持を失ひ、やむなく「平和主義」路線に乘換へたのは事實である。左翼が現在「平和主義」の假面を被つてゐるのは、支持を集める爲の方便である。

日本人にはスローガンを言出すと自分で勝手に信じ込む惡癖があるから、日本の左翼が心から「平和主義」を信じてゐるかのやうなものの言ひ方をするのは當り前である。だが、左翼で「平和主義者」のomegatribesが掲示板荒しのzak_kを賞讃したやうに、左翼は本質的に暴力を愛する人間である。

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