公開
1998-12-18
最終改訂
1998-12-20

なぜか反米はやる

かつて左翼が安保反対やベトナム戦争反対を叫び、反米闘争に必死になつたことがある。ところが最近は、なぜか右翼が反米的な言辞を呈することが多くなつてゐる。

結論からいへば、どちらの場合も、非現実的で観念的な──あるいは自分の主義主張に目を曇らせた結果の直情径行的な行動・発言にすぎない。前者はマルクス主義の敵として、後者は国粋主義的立場から、アメリカを憎んでゐる──あるいは憎まうとしてゐる。では、マルクス主義者と国粋主義者は仲がよいのかといふと、さうでもない。お互ひ憎み合つてゐる。

私はマルクス主義でも国粋主義でもないから、彼らの発言を見て、本気で怒つたり微笑んだりすることなどない。ただ嗤ふのみである。馬鹿が何をほざいてゐるか、さう思つて嗤ふのである。両者はアメリカを憎むが、憎んでどうする──アメリカを敵に回すのか。共産党にしても国粋主義者にしても、日本国は再軍備すべきだと考へてゐる。私もさう考へてゐる。しかし私と彼らの違ひは──私は現在日本が再軍備することが不可能であることを悟つてをり、彼らは可能だと思ひ込んでゐる──といふ点にある。日本が再軍備し、国民から尊敬される軍隊をもつには、日本国憲法の破棄──戦争=悪といふ観念の放棄──が必要であり、(法的には現在も有効である筈の)大日本帝国憲法の「復活」とその現代的な改正が必要である。

少し解説をしておくと、日本国憲法は大日本帝国憲法の改訂版ではない──大日本帝国憲法に定められた憲法改正手続きにしたがつて制定されたものではないので、法的に無効であるといふことを認めなければならない。天皇不可侵の条項を象徴天皇制の条項に改正することは論理的に矛盾がある。法律は法的な一貫性がないかぎり、認められるものではない。しかしさういふ常識が通用しない日本国で、軍人は尊敬されるものであるといふ常識も通用しないのは当然である。

軍人がなぜ尊敬されるべきかといふと、自分が死ぬかもしれないが彼(あるいは彼女)は戦争に行くことにより国民を守るからである。誰だつて死ぬのは嫌で、それは名誉とかお金で報はれるものではない。しかしせめて守られる側は守る側である軍人を尊敬することで報いるべきなのである。軍人を「人殺し」と呼ぶ者がゐるが、彼らの論理が正しいとすると、軍人によつて守られる国民は間接的な「人殺し」であることになる。否、国民は守られてゐない、戦争は軍人が勝手にするものだ、といふのは詭弁である。シビリアンコントロールといふが、国民が選んだ政治家による政治が行詰まつたときに、軍人は他の手段を以て政治を継続するのである。

1998年12月16日、アメリカ・イギリスはイラクを空爆した。「砂漠の狐作戦」である。クリントン大統領が、自らへの弾劾決議を避けるために行つたものとする、あさはかな考への連中がやたらにゐるが、それは反米「主義」から反射的にいふ悪口である。思ひつきの捨て台詞である。あるいは彼らには想像力がないのである。クリントン大統領がスキャンダルをごまかす──自分の都合で軍隊を動かすといふことはありえないからである。

クリントン大統領は軍隊──同じアメリカ国民である──に、それにより死ぬかもしれない任務を命じたのである。軍人を尊敬するまともな国の大統領なのだ、自分の命令が軍人(国民)を殺すことになるかもしれないことは想像できる筈である。できない様な馬鹿な大統領を、逆に国民は選ばない。クリントン大統領の人気があるのは、共和党のやり方がまづかつたのでなく、大統領がよい政治をしてゐると国民が判断したからである。

たしかに政治は道徳と無縁である。クリントン大統領は、スキャンダルにより弾劾されようが、よい政治をしてゐる限りよい大統領である。しかし大統領も人だから、人に死ぬのを命じる事に悩まないでよい筈がないし、当然悩むだらう。しかしマルクス主義者も国粋主義者も、悩まないでよいと主張する──彼らは道徳よりも政治が大事なのである。おぞましい事である。

そもそも政治と道徳をごつちやにする不道徳を悟らずに、政治と道徳を分かつ道徳的な国アメリカを馬鹿にするのは馬鹿である──私はさういふ連中を軽蔑する。日本人が、アメリカは道徳的に墮落した、などといふのは噴飯ものなのだ。それに下半身の問題で人を責めるのは野暮といふもの、しかも日本人が心配する問題ではない。

日本人は自分の頭の蠅を追へ──再軍備と軍人への尊敬を持つ事は日本人の課題である。しかし理想を持つのはよい事だが、現実も見るべきである。再軍備など日本では夢のまた夢、それが今すぐに実現すると思ひこむべきではない。

追記

酒を飲んだ勢ひからか、論旨がわかりづらい文章を書いた。

もちろん、今の日本国がアメリカのイラク空爆を非難して支持しなかつたら、アメリカは日本を守る気持ちをなくすのではないか──さうしたら、今、北朝鮮が日本に攻めてきたらどうするのか──さういふ議論をすれば簡単なのである。しかし私はそれだけでこの話を終らせたくなかつた。アメリカ・ヨーロッパの国の国民が、「信義の民」であることを忘れるべきでないといふことを言ひたかつた。森鴎外が明治の昔に言つたことを平成の日本人が理解しようとしないのは──要は鴎外に比べて今の日本人がものをよく考へないだけなのである。

inserted by FC2 system