初出
「闇黒日記」平成13年7月20日
公開
2002-08-11

「戰沒者慰靈墓地」は要らない

靖國神社ではない戰沒者慰靈墓地を作る構想が持上つてゐるのださうで、現代の日本人は戰前のものを戰後流に燒き直すのが大好きだからこの構想も實現するだらう。嫌な話である。

なぜ靖國神社は駄目なのかと云ふと、A級戰犯が祀られてゐるからださうである。A級戰犯を除け者にした戰沒者慰靈墓地ならば、首相も大威張りで參拜出來るから便利なのださうである。祀る側の都合が最優先と云ふ事だ。戰沒者を置去りにした戰沒者慰靈墓地。

多くの同胞を死に致らしめたとして日本人はA級戰犯を憎んでゐる。それはそれで結構だが、日本人を死に致らしめたA級戰犯を憎むのならば、日本人を殺したアメリカ人となぜ仲良くしようとするのだらうか。いやいや、日本人を殺したのはアメリカ人だけではない。ロシア人も中國人もイギリス人も、日本人を殺してゐる。

そもそも、A級戰犯は所詮、政治的に裁かれた人間であるに過ぎない。既に述べた通り、政治的な思想・信條によつて、或人間が道徳的に善人であるか惡人であるかを決定する事は出來ない。A級戰犯の指導した政治が「誤つてゐた」としても、それは道徳的・絶對的な誤りであつた譯ではない。更に言ふならば、A級戰犯が同じ日本人を死に至らしめた事自體、全く咎められるべき事ではない。同じアメリカ人を戰場に送り込んだ當時のアメリカ大統領・ルーズベルトを、殆どのアメリカ人は非難しない。

勝ち負けが問題なのではない。そもそも、政治は時として國民を死に致らしめるものなのである。國家が全體として生延びる事が政治の目的であり、その爲に一部の國民の犠牲は當然の事とされる。政治の世界は相對的なので、死者の多寡は關係ない。政治は個人を救濟しない。個人の救濟は宗教の使命である。

國の爲に死んだ日本人は靖國神社に祀られる。それは大東亞戰爭で日本が負けるまでの日本人の常識であつた。大東亞戰爭で死んだ人々は當然、自分が靖國神社に祀られるものと思つてゐた。死者は戰沒者慰靈墓地に祀られる事等、全く豫期してゐなかつた。

戰死した人々もA級戰犯も、間違ひなく國の事を思つてゐたのであり、でなければ、程度の差はあれ、どちらも自分の身を可愛く思つてゐたに違ひないのであり、それでも兩者は戰爭で死んだ事に變りはないのであつて、ならば同じ死者として差別されるいはれはない。兩者を同じやうに祀る靖國神社の態度は正しい。兩者に差をつけようと考へる人間の方が間違つてゐる。

戰死者とA級戰犯とを差別しようとする人間に尋ねたいが、あなたに死者を裁く權利がなぜあるのかね。

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