由來
掲示板に投稿するため書いたが結局未發表のままになつてゐる短文
公開
1999-10-20
最終改訂
2003-03-01

本多勝一と中野重治

1

詩的でよい文章といふと、私は中野重治とか本多勝一の文章を思ひ出します。中野重治は共産主義者ですし、批評などにはろくでもないものもたくさんあります。しかし「梨の花」「むらぎも」など、題名も巧いですが、文章もきれいです。(詩もよいものがいくつもあります。随筆では、盆栽の趣味について書いたものを楽しく読みました)

また、本多にも「はじめての山」といふ、本質的に本多が文章家であることを示すよい随筆があります。中野にしても本多にしても、悪文と呼ぶべきものは政治的でイデオロギー的に偏向した文章なのです。

2

私はジャーナリストとしての或はルポライターとしての本多勝一氏を認めぬ立場の者であります。『中國の旅』などの全ての政治的著作に一切の價値を認めません。

ただ『初めての旅』だけは文學作品として、私はこれを高く評價いたします。ほかの本多氏の山登りの本も見ましたが、これが一番出來がよい。本多氏の、山が好きだ、と云ふ思ひが傳はつてきます。

讀者が右であれ左であれ──思想的立場が違つても──この本の文章の美しさは否定出來ない。もし本多氏がこの『初めての山』しか書かなかつたとしたら、本多氏は今ほど名前は賣れてゐないでせう。しかし『初めての山』は永遠の價値を持つから、本多氏も今の樣に評判を落す事はなかつたでせう。

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