初出
Yahoo!掲示板
公開
1999-05-25
最終改訂
2001-06-02

日本人の道徳について

天皇制の可否について、Yahoo!掲示板で左翼と論争した時に、「天皇を戴いた日本人の道徳とはどういふものか」と質問されたので書いたレポート。

參考
松原正『天皇を戴く商人国家』(地球社)「祭祀無くして眞摯なし」

1

左翼が期待し右翼がそれに應へて述べる「日本人的道徳」とはかういふものである。

右翼ならこのやうな事を述べるだらう、と云ふ事を推測して書いたものなので、上記の項目は私の意見ではない。

2

私はまづ、天皇に限らないで、日本人の道徳一般について述べたい。我々日本人が過去、どの樣に道徳的にふるまつたか、についてである。

畠山勇子

明治24年5月、ロシアのニコライ皇太子を津田三蔵巡査が斬つた時、畠山勇子といふ27歳の女性が京都府廳の門前で、眞つ白な布を敷き、細紐で膝を嚴しく結はへて坐り、頸動脈を切つて自害した。ロシア政府への遺書には「この事件を理由に日本を攻撃するやうな事をしないで頂きたい、死んで御詫びをする」と書いてあつた。この頃の日本はロシアに對して甚だ弱い立場であつたが、その弱い日本の獨立を維持するために天皇から一市民、一女性に至るまで必死だつた。

方だより

敗戰直後、「方だより」と題されて『婦人公論』昭和25年2月號に載つた或戰爭未亡人の文章である。彼女は夫が戰死して後も再婚せず、時々夫に手紙を書いた。

河田さんのことを今日は思ひ切つてお知らせ致します。お怒りにならないできいてちやうだい。その方は同じ學校内に奉職してゐる中學の先生で、家が同じ方なので時々一緒の電車になり色々お話をいたします。(中略)先日長年病気だつた奥様が亡くなられ、お氣の毒な方です。その河田さんが、この間雨に濡れて居た私を驛から家まで送つて下さいました。私はこの夜、今まで久しく味はつたことのない不思議な愉しい氣分になつて、家がもつと遠いといいのになんて思ひました。家の前から引返された後、私は別れたくないやうな、なんだか苦しいやうないらいらした氣持ちでした。(中略)本当にはしたない女だとお怒りになるでせうが、ときに誰かに甘えてみたいといふ氣持ちになるのをどうすることも出來ません。(中略)私は「貞婦二夫にまみえず」なんていふことを、金科玉條のやうに死守しようといふほどに意志が強くもなささうだし、あなたが靖国神社で神樣になつてみていらつしやるとも思つてゐません。私の人生は、たつたあの二年間で終つてしまつたなんて餘りに殘酷です。(中略)第二、第三の河田さんにめぐり合つた時、「老いらくの戀」に花を咲かせないと斷言する自信もありません。こんな厚かましいことをぬけぬけと書くところがもうどうかしてゐるのかしら、でも……本當に女獨りでゐるとこんな時もありますのよ。

そして數日後、彼女はかう書いてゐる。

先日はジメジメしたお便りでごめんなさい。あなたといふ錘りがなくなつてからは、文字通り風の中の羽のやうにフハフハしてゐる女心です。その代り今日はもう颱風一過、晴々しい日曜の朝です。春になつたので私もブラウスを一枚新調して、パーマもかけました。とても若返つたやうで何となく浮々し、メリーウイドーを口遊びながら今掃除をしたところ。なんだかあなたが寢坊をして二階から降りていらつしやるやうな錯覺さへ致します。道夫が學年末に賞状を貰つたのを大變喜んで、自分で佛壇に供へてゐます。まだ道夫のことを餘りお知らせ致しませんでしたわね。あなたが征かれた時は二歳でしたが、早いもので八歳になりました。あなたに似てゐるところは少し弱々しい體格と、やさしいが氣の弱いところと目尻にしわをよせて笑ふところ。頭腦の方は斷然私に似て惡い方ぢやないわ。(なんて失禮、ごめん遊ばせ)それにつけても、この子が大きくなるまでは元氣で働かうと思ひます。

自由とか平等とか愛國心とか国を憂へるとか言つてゐる手合に、これほど見事な道徳的文章を綴ることは出來ない。私もまた彼女ほどに立派な文章を逆立ちしても書けない。

この女性を襃めて、松原正氏はかう書いてゐる。

人間は神樣でも天使でもないのだから、してはならぬ事をしたいと思ふ。けれども、してはならぬ事をしたいと思ひながら、なほそれをせぬ事、それこそが道徳的な見事なのである。それにしてもブラウスを一枚新調してパーマをかけた位の事で、彼女は「浮々」してレハールのワルツを口遊むのだが、これはまた何とあはれで、ささやかな、けれどもなんと充實した幸福であらうか。

貧しい時、逆境にある時、日本人はまこと見事に振舞ふのである。物質的に貧しい時代、政治的に弱い時代に、日本人は大變立派にふるまつた。彼女の文章について、天皇云々といふのは野暮であり、私も言はない。だが物質的に滿たされ、民主主義や自由や平等が「常識」になつた今の日本國で、道徳的に見事だ、といふ事はどれほどあるだらうか。

「自由で平等な理想の社會」なるものが實現するのは、惡い事ではないのかも知れないが、そのやうな社會が實現しても道徳が消え失せたら虚しい事である。日本人は、經濟的に貧しくなければ立派に振舞へない。ならば、近代化は日本にとつて、まことに不幸なものではなかつたか。

3

今でも道端には祠があつたりお地蔵樣がゐたりするし、それに手を合せるのは老婆だけでなく若い男女にもある。西歐学問をした知識人は彼らの暗愚を笑ふであらうが、その西歐学問とは即ち「自由や平等の概念への信仰」でしかないのであり、西歐學問の方が老婆の迷信よりも高級であるとは一概に言へまい。

日本の知識人は屡々「西歐は既に内部化」してゐると信じてゐる。しかし「暗愚」な老婆にあつて知識人にないものがありはすまいか。老婆は眞摯であり、知識人は眞摯でないといふ事は屡々あるのではないか。この老婆の眞摯は暗愚などとは無關係なのであつて「正眞正銘の眞摯」すなはち和魂である。日本の知識人は、屡々この「和魂」を失つてゐる。

日本人が神樣に手を合せて祈るのは、「困つた時の神頼み」といふ樣に、「困つた時」である。八百万の神樣は現世利益の神樣である。これは「人はパンのみにて生くるものにはあらず」のキリスト教の神樣とは反對である。だが彼我の文化の優劣を言ふべきではない。確かに日本の神樣よりはキリスト教の神樣の方が強靱で、キリスト教の生んだ自由や平等や民主主義といつた概念は強靱である。

しかし我々は自分の文化を捨てる事は出來ない。人は生れるところを選べないし、育つ國も選べない──文化とは宿命なのである。それに美點と缺點は表裏一體のものであり、一神教の持つ強靱さは狹量と、多神教の寛容は正邪善悪の別に鈍感である事と裏腹である。文化に優劣はありえない。

だが日本人が神樣に祈る時、たとへそれが現世利益を求めての祈りではあつても、眞摯なものたりうる。

皇室祭祀令が廢止された後も、天皇は宮中祭祀を粛々と執り行つてゐる。皇室祭祀令の廢止は政治上の事件にすぎないからである。日本國の天皇として神樣に手を合せるのは今も昔も變りなく大事な事だから、天皇は儀式を止めないのであり、止めるべきでないのである。天皇が、祭祀を止めない限り、日本の道徳は死なない。

4

乃木將軍は明治天皇を慕つて殉死したが、それは天皇制に殉じたものではない。

聯隊長だつた頃、乃木は敵に聯隊旗を奪はれて腹を切らうとしたが、天皇はそれを許さなかつた。また旅順攻略に手間取つた乃木は更迭されようとしたが、天皇は「乃木を替へれば乃木は死ぬ」とて更迭を認めなかつた。さういふ君恩を忘れず、乃木は武士道の型にのつとつて腹を切つた。それは「天皇制に殉じた」等といふ安つぽいものではなかつた。

森鴎外は『興津彌五右衛門の遺書』で總て功利の念を以つて物を視候はば、世の中に尊き物は無くなるべし、と書いた。乃木にとつての明治天皇への敬慕の念も武士道の型もともに「尊き物」である。だが乃木にとつてそれは確乎として存在するものであつた。

先祖の靈がのこのこ歩いてくるから我々は先祖を崇拜するのではなく、先祖を崇拜するから先祖の靈がお盆に家にやつてくるのである。さうした先祖崇拜に功利の念はありえない。

我々は初詣で御賽錢をあげて一年の幸福を願ふが、その効驗があらたかでなかつたからといつて初詣がなくなる事は未来永劫ありえない。少くともこの文章を読んで下さつてゐる方々が神社で祈る時は、功利の念を去つて手を合せるのであらうと私は推測したい。

5

逆に言へば、先祖を祭り續ける限り、日本人は功利の念を超えた道徳的な精神を持續けてゐる事になる。先祖を祭らない日本人は日本人ではない。先祖を祭らぬ天皇は天皇ではないし、天皇が先祖を祭らなくなつたら日本國はもはや日本國ではなくなる。祭祀を執り行つてゐるから天皇は天皇なのであり、天皇が祭祀を執り行ひ續ける限り日本の道徳は生き續ける。

だから、先祖を祭る天皇を日本人は戴き續けなければならない。

鎌倉以降江戸幕府に至るまで、武家の政權である幕府は、朝廷の權威を奪はうとしなかつた。それは、幕府が朝廷の權威をかさに着ようと思つての事では決してなかつた。幕府は「政とは祭事にほかならぬ」と理解してゐたがゆゑに、自分達とは別のレヴェルのものとして、皇室をそつとしておいたのである。いはば「政教分離」を幕府は無意識に行つてゐたのである。

「自由」とか「平等」とか云つた、宗教の代用物を政治に持込んで平氣でゐる現代人よりも、封建時代の御先祖樣は頭が良かつたのかも知れない。

inserted by FC2 system