初出
野嵜健秀 (nozakitakehide) は Twitter を利用しています」2010年06月20日(日)
公開
2011-10-14

平和主義者の平和的でない批判

平和な世界を希求するのは、我々が澤山の事柄についてそれぞれ異る意見を持つてゐても、互ひを許し合へる程、本質的に異らない――言はば均質な意見しか持てないやうになるのを望んでゐる、と云ふ事だ。

自分の意見の正しさを確信してゐる人間がゐる限り、人と人とは異見を對立させ續けるし、窮極的には爭ふ事になる。

「けれども戰爭だけは行けない」と平和主義者は主張する。だが、彼等は屡々「戰爭さへしなければ何をやつても良いのだ」と勘違ひしてしまつてゐる。「戰爭さへしなければ、何んなに陰濕な個人攻撃を仕掛けても良いのである」と多くの平和主義者が信じ――實踐してしまつてゐる。

平和主義者は屡々、議論における「敵」を「戰爭主義者」と認定し、その自分定義の「戰爭主義者」に對して、鄙劣極まる嫌がらせを執拗に續ける。さうして、自分は大變良い事をしてゐるのだ、と本氣で信じ込む。

私の知る限り、氣に入らない人間を潰す目的で嫌がらせを始めるのに、その相手を「人間としてまともでない」と云ふ事にして、自己正當化しようとする人が結構多い。嫌がらせをする時點で當人こそが人間としてまともでないのは自明だが、その手の人間は自分が何んな人間か自覺がない。

「人を批判するのはをかしな人間のする事である」と思つてゐる人が「嫌がらせは立派な人間のする事である」と勘違ひしてゐる事は極めて多い。

「人を批判するのは陰險な人間である」と思つてゐる人が、その批判をしてゐる人に對して陰濕な嫌がらせを仕掛けるのは、不思議な話のやうに思はれるのだが、結構良くある話である。

inserted by FC2 system