初出
「闇黒日記」平成二十二年一月二十五日
公開
2010-02-28

米軍普天間飛行場移設問題

平成二十二年一月二十五日
米軍普天間飛行場移設問題。名護市長選擧やら何やらで揉めてゐるけれども、「民意の反映」だの「ヘリが落ちて來ると嫌だ」だのといつた低レヴェルな話が全うな話であるかのやうに報道され、防衞の觀點から全く論じられないでゐる。奇怪な事だと思ふ。今民意が反映されれば將來非民主的な國家に侵掠されるかも知れない状況になつてもいいと思つてゐる人とか、ヘリが落ちてこなければ何處ぞの國が攻撃して來ても安全だと思つてゐる人とか、そんな人しかゐないかのやうにNHKのニュースは言つてゐる。
軍の基地は、國家の防衞の爲にあるのであり、地域振興の爲にあるのではないが、「基地が來ると地域の景氣が良くなるから容認する」と云ふ「論理」が罷り通つてゐる。基地は、本當は來て欲しくない、と、沖縄の人は思つてゐるさうだが、金儲けの爲ならば我慢する事もあり得る、と言ふのだ。一方それが我慢できない人もゐて、金儲けできても軍隊は嫌だと、さう主張してゐる。
沖繩の人は、軍隊が嫌ひで、平和が好きだと云ふ話だが、だから自分逹のそばから自分逹の身方の軍隊を遠ざけたいと言ふ。それが結果として敵の軍隊を近附けるかも知れないのだが、その事を一切考へようとしないからこそ、平和主義と云ふものは成立つのだと思ふ。しかし、さう云ふ觀念的な發想が民意に反映されてしまふのは如何なものか。それは感情論なのだ。
一方で、軍隊を「身方」と看做す事すらもできない事實がある。日本人は、軍隊は自分逹の身方ではなく、日本軍或は日本の自衞隊であつても敵であると思つてゐる。少くとも、軍隊は身勝手で、國民の事を考へず、自分逹の利益を追求して行動する連中だと思つてゐる。が、これは、日本國民が、利益追求を最優先に考へる國民である事を示してゐる。日本國民は、金儲けの爲に寄集まつて國家を作つてゐる。だから、金儲けだけが樂しく出來ればそれで良いのであり、金儲け以上の理念なんて事を言ふのは愚かだと多くの日本人が堅く信じてゐる。
けれども、アメリカの國民は自由と民主主義の理念に基いて結集して國家を作つてゐるし、その守り手としてアメリカ軍が存在してゐる。アメリカ人は、アメリカと云ふ國家は正義の爲に存在してゐると信じてゐるし、正義を守り、或は正義を實現する爲にアメリカ軍が存在してゐると信じてゐる。
「春秋に義戰なし」――山本夏彦が隨分愛用してゐたが、山本氏も社長だつたのだなあと思はされる言葉だ。實際のところ、春秋には義戰しか無かつたのである。大義名分を掲げずして戰はれた戰爭は、少くとも戰ひを仕掛けた連中は輕蔑された。
軍隊と云ふものは、國家の命令で、國家を守り、國民の生命を守る爲に戰ふ存在だ。だが、「なぜ國家を守らなければならないのか」「なぜ國民の生命を守らなければならないのか」が、日本國では甚だ曖昧になつてゐる。或は、精々「我々の生命を守り、我々の財産を守つて呉れるなら、それは便利な存在だ」と、その程度に思はれてゐる。日本國は、ただ單に、地理的に近い地域に住んでゐる、同じ言葉を喋る人間が、寄集まつてゐるだけの國家であり、何かの理念を奉じて、同じ價値を信じてゐる人々が結集してゐる國家ではない、だから、自分逹の生命や財産を守るにしても、それは自分逹の利益になるから、と云ふ程度の考へをする事しかできない。
沖縄縣民も、日本人も、同じやうに、ただ、たまたま近い地域に住んでゐる人が、一緒に生活すると便利だから、集つて、共同體を作つてゐるに過ぎない。だから、自分逹にとつて利益になるか何うか、と云ふ、甚だ「唯物的」な觀點から、何でも考へる。そこに一切理念は無い――と言ふより、金儲け以上の理念を想定し、自分の生命以上の價値を信じて行動する存在を、多くの日本人は、感情的に許せない。戰ふ事が日本人は大嫌ひだ。金儲けをする商人は、戰ふ事を好まない。儲からないからだ。戰つてゐる人間の背後で金儲けするのは大好きだが、自分が戰ひに卷込まれるのは願ひ下げだと思つてゐる。
が、金儲けだけが「價値」だと云ふのは、如何なものか。散々非難されたから「如何なものか」程度の表現に留めておくけれども、これでも嫌な氣分になる人は多いだらう。表面的な表現が理由で、私の事を嫌がつてゐるのではないのだ。
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