日本の傳統から切りはなされ、フランスの傳統の中で育つた。アテネ・フランセ時代の事をきだは『道徳を否む者』で囘想してゐる。
我々は頻繁に日本的なもののうち秀れたものが農村にあると知識人のいふのを聞かされなかつたであらうか。この言葉は無條件に受けとる前に、どうも一應實際に就いて吟味してみる要がある。
してみると考へる葦は必然的に間違へる葦でもあるのだ。考へるといふことは間違へる特權を含んでゐるのだ。でなかつたら成長とか進歩とかはないであらう。要は正直に考へ正直に間違へる事だ。
部落の生活で根幹的に大切なことは何か。それは部落が何事につけても一つに纏ることだ。これは協調、協同、協力、封建的な言葉でいふと和を豫想する。如何に部落が小さく、お念佛でいふやうに日毎に、そして朝に晩に顏を見上げ見下ろしてゐる親しさの雰圍氣の中にあるといつても、すべての問題にすべての住民がすべての機會に常に同じ意見であり得ないことは明かだ。したがつて部落が一つに纏るには他に對する自發的服從或は自己制限が必要となる。こんな制限を自分におしつける原因理由(モチーフ)はどこにあるのか。この問題は對象の部落も出された課題もともに重要だ。それは人間が集まつて作る一番單純な集團の中で組織はどうして生まれるか、支配と服從はどのやうにして得られるかに關聯してゐるのだから。
1950年 「四ツの島の明暗」をモンタルギュスの假名で文藝春秋に書いたが、誤譯指摘されて中止。