制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
初出
「闇黒日記」2000-10-28
公開
2001-06-21
改訂
2008-11-18

同じ玉子でも

子供が熱を出した時、玉子を買ひに行つたきだみのるに、オコン姐はただで笊一杯の玉子を渡してかう言つた。困つたときはお互ひさまだものなあ。

それから数箇月後、おかずが無くてオムレツでも作るから玉子を賣つて呉れと言つたきだに、オコン姐は最高の闇値を要求した。

これで卵買ひに行つたとき、オコン姐が用途に關し質問した理由が解つた。ぼくの部落では卵に二つの値段があるからだ。だがどうして卵に二つの値段があるのか。食ふのが病氣の四つの子供である時と、榮養保持のため健康な大人が食ふときと、オコン姐の卵が自家生産であつても卵自體は商品であるので一つの値段しか持てない筈だ。

卵に二つの値段のある原因は卵とは別なところにある。それは同じ卵ながら、前の卵と後の卵とは違つた世界に結ばれてゐるからだ。

前者をきだは、直接に部落の傳統或は集團起源の反射行動に從つた行動だと言つてゐる。後者は個人的な損得思考であり、そこに集團性反射は介在しない。言換へれば、日本人の良心とは自分の中の人目である。

オコン姐は、なあ、おれら部落の者の心にはお互ひに他人である二つの流れがあらあ。一つは損得を考へねえ流れと、も一つは自分の損得だけしか考へねえ自分慾一點張りの流れと。と言つたさうである。


日本人は、甚だセンチメンタルで涙もろい一面を持つ。同時に、人目を氣にする、甚だ計算高い一面を持つ。

戰後、日本には民主主義が定着したと言はれるが、何うだらう。政治のシステムは民主的なものに整備されたが、さうした政治を動かす日本人自身は依然として民主化以前の精神状態を保つてゐる事が多いのでないか。

先日、どこだかの市議が部落の中で村八分に遭つて慰謝料を請求した事件の裁判があり、市議が勝訴したとの報道があつた。

日本人は今でも民主主義以前の世界に住んでゐる。

民主主義の發達した歐米諸國で、人々は、民主主義が不完全である事を意識するとともに、それゆゑに衆愚政に陷るべからざる事もまた強く意識してゐる。もちろん、人は全て欲望を持ち、自己の利益を追求したいと願ふものである――が、一方で、社會の向上には正義と眞理を愛する精神が必要であり、民主主義の實現にはさうした精神的向上が缺かせない。

しかし、日本人は、頭が良いから、「民主主義は不完全である」と云ふ歐米先進諸國の人々の發見を、自分に都合良く利用しようとする。率先して「反民主主義的」な行動を取つて、自己の利益或は快樂を追究しようとする。ウェブでも、さう云ふ人は、氣に入らない事を言つてゐる人間に對して、非道い嫌がらせや陰險な粘着行爲を行ふ。

斯うした状況が「ある」訣だけれども、一方で日本人は民主主義でやつて行くしかない現實がある。「建前」と「本音」の二本立てが日本人の特色であるとしても、これは非道い。我々が民主主義の體制を維持して行く積りであるならば、我々日本人は未だに殘る「民主化以前」の精神を反省し、積極的に精神的な向上を圖つて行くべきでないか。

民主主義は、近代の産物であり、近代の價値觀が疑はれるやうになつた今、當然のやうに疑はれるやうになつてゐる。が、單に「疑ふ」だけでは、アンチであり、「反近代の思想」に過ぎない。重要なのは近代を乘越える事――近代の超克であり、「超近代の思想」こそが求められてゐる。

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