ヴァレリイはアランと並んで我が國においても有名であるが、どちらかといへば私はヴァレリイのほうが好きだ。私に關係する方面から見ると、ヴァレリイは詩學とか藝術學とかにおいて甚だ獨創的な仕事をしてをり、これを系統的に理解することは新しい美學のために重要である。もちろんヴァレリイの仕事とその意義はこの範圍に局限されるものでなく、彼の全著作は近代の知性の運命ともいふべきものを極めて個性的な仕方で鮮かに表現してゐる。
いつたいこの知性の運命は危機の意識として知られるものであるが、彼はこの精神的危機を昔の豫言者とか哲學者とかとは全く違つた近代的な方法で、つまり近代科學の精神に通ずる實證的で同時に假説的な方法、確率論的といつてもよい方法で觀察し測定してゐる。知性の運命について考へることは自覺的に生きる今日の人間にとつて避け難いことであり、新しい人間といふものもそこから生れてこなければならぬ。
この全集が出ることは我が國の知識人にとつて自己を見る無二の鏡が與へられることである。
- 三木清
D・H・ロレンスは、性を汚れたポルノとしてではなく、逆に、男女の愛の極めて自然な精神的、肉体的表現として復権させるために、ひたむきな情熱を捧げた作家である。
ポルノや売春は、女性を男性の獣欲の支配下に置き、女性が精神と肉体の調和を保つ完全な一つの人格であることを否定する。
ロレンスは、性を闇夜から引きずり出し、昼間の陽光の中に解き放ちたいと願った。ちょうど『人形の家』のノラのように、結婚という因習に束縛されて「家」という殻の中に閉じ込められた女性を解放し、男性と対等な社会的存在としての地位を保証するためには、何よりも性の開放が先決だと考えた。女性がナイーヴな情感と、豊かな精神をもつ独立した存在であることを認めなければ、たとえ結婚していても、それは単なる売春行為にすぎない。本書のヨハンナ(作者ロレンスと駆け落ちしたフリーダ。…)が家を捨てたのもそのためであった。
女性が男性に隷従したり、その逆であってはならないが、それと同時に、男女が互いにその存在を尊重しつつ、自己を主張し、対等の闘争によって初めて男女の平等、性の平等が実現する。この理念が、ロレンスのほぼすべての作品の根底にある。今、我々が手にしている『ミスター・ヌーン』もその例外ではない。
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「音声ブラウザ」「Google」「SEO」。興味がないというから何がそう言わしめたかと思えば、つまらなすぎる。あまりにもつまらなすぎる。どうなってんだ。と文句を言はれてゐる。
十九世紀の中頃に巖の如くに亭立してゐたベンサムの思想體系を、ぢつと目を離さずに諦視してゐた一人の青年學徒があつた。彼は此の體系の中に、己れを牽引するあるものと、己れを反撥させるあるものとを、二つながら感じたのであつた。思索と檢討との幾年を經た後に、彼は遂に此の體系への去就を宣明した。トーマス・ヒル・グリーンが一八六八年「北英評論」誌に掲げた論文、「人生に關する當代流行の哲學」は、グリーンにとつて又英國思想史にとつて、誠に意義深き文獻である。
彼は當時の青年の傾向の特徴として、次の三點を指摘した、曰はく「自由ならんとし、事物を理解せんとし、更に人生を味ははんとすること、之が近代精神の要求である。此の要求は日に日により正確に表現され、日に日にそれ自身がよりよく意識されつゝある」と。私をして註釋を加へしめるならば、「自由ならんとす」とは、社會制度を改革して、あらゆる成員に自由なる地位を與へようとすることを意味するので、當時都市勞働者に選擧權を擴張し、又各種の社會的立法を行ひつゝあるを指すのであらう。「事物を理解せんとす」とは、宇宙に於ける一切の事物を不知に放擲することなしに、その原因結果を追求せずんば止まざる科學的精神の横溢してゐることを意味する。「人生を味ははんとす」とは、狹隘な人生を送ることに滿足しないで、詩歌音樂繪畫等の藝術に浸つて、豐かな教養を高めることを云ふのである。ウァーヅウァース、テニソン、ブラウニング等によつて、當時の青年の教養は、十九世紀初期とは比ぶべくもなかつた。社會改革の情熱と、科學的檢討と、廣い視野と高き教養と、之を當時の青年に認めて、グリーンは英國民の進歩の傾向がこゝにあると考へて喜んだのであつた。
然るに一八六〇年代の「當代流行の哲學」は何かと云へば、ベンサム、ミルの自然主義の哲學に外ならない。之によれば認識は感覺より成立し、人はただ自己の快樂苦痛によつてのみ必然的に動くのである。若しその認識論に據れば、科學は當然に崩壞の悲運に逢會するではないか。又その人間觀によれば、人は必然の法則に支配されるが故に、藝術上の美醜の差別は消滅するのではないか。又人は快樂苦痛によつてのみ動くが故に、社會改革も科學的檢討も教養も、皆すべて快樂(言ふまでもなく物質的快樂)の衝動の結果だと云ふこととなり、又更に社會改革者は自己の快樂を犧牲として同胞の爲に圖りつゝあるに拘はらず、それさへ彼自身の快樂の爲だと誣ひられてゐるではないか。彼の喜ぶべき三つの傾向、社會改革の情熱と科學的檢討と高き教養とは、凡そそれとは矛盾し對立し反撥する哲學の基礎の上に置かれてゐる。よき傾向はよくありえざる哲學の上に立ち、人とは惡くあらざるをえぬ哲學の上に、よき傾向が現れてゐる。之こそ正に當代の思想的悲劇にあらずして何であらう。若しあの傾向がよきものであるならば、青年は口にベンサム、ミルを唱へながら、實はそれとは反對の哲學を暗默の裡に援用しつゝあることとなる。又若しベンサム、ミルの哲學が眞に把握されてゐるならば、あのよき傾向はやがて消ゆべき假幻のものでなければならない。英國の哲學界はこの矛盾の前に立たされてゐる。弊害は單に理論的矛盾にのみあるのではない。あのよき傾向は内的に調和した哲学的支持を缺くが故に、情熱を缺き徹底を缺く、一歩を進めつゝ躊躇と逡巡とを伴ひ、やがて枯死するの虞れがある。若し當代青年のよき傾向を永く保持せんとするならば、之とは矛盾するベンサム、ミルの哲學を清算し、その傾向と照應し調和し、之を理論付ける哲學を提示せねばならない。こゝに哲人の使命がある、而してその哲學とは理想主義の哲學を措いて他に求めることは出來ないと。之がグリーンの「人生に關する當代流行の哲學」の要領である。
この一文は彼が自己の未來を語る一篇の宣言書とも云ふべきものであつた。僅に三十餘頁の短いもので、文辭必ずしも平明暢達とは云ひ難い。しかし筆力雄勁にして高邁の氣全篇を貫いてゐる。こゝに時代の動向を把握する炯眼さと、時弊の所在を觀破する明確さと、現實社會に深き關心を持つ志士としての情熱と、當今の課題を新しき哲學に求める哲人の識見とが躍動してゐる。思ひ起す、ジョン・スチュアート・ミルは直覺説を以て保守反動の哲學なりとして排撃したのであつた。然し今や「自由ならんとする」改革者によつて、理想主義は求められてゐる。否理想主義こそ社會改革の哲學として、好個の哲學であり、功利主義こそ保守反動と宿命傍観とに歸結すると唱へられるに至つたのである。社會改革と科學的檢討と高き教養とが、矛盾する哲學の上に立つことは、一八六〇年代の英國のみとは限らない。筆者は十年前、此の一文を讀んで感激に胸を躍らした當時を想起せざるを得ない、私がマルキシズムの哲學に對立するは、全く之と同一の理由によるのである。
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