ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.92)
- 武田(清子)
- 日本の近代化の問題として考えさせられることなのですが、さきほど、高坂先生もいわれましたように、日本は非常な速度で西洋の文化を取入れて行った。それが果して日本を本当の意味で近代化したかということに関しまして、私は竹内好さんが指摘しておられる中国の問題を考えさせられます。同じく中国の近代化、言いかえれば個人の独立と自我の覚醒のために働こうとした人たちの中で、胡適や林語堂のような人たちは、西洋のものはすべて価値あるものとして、ヨーロッパ的近代をそのまま中国に移しうえようとした。つまり西洋の生み出したものを借りることによって中国を近代化しよう、中国人の意識を近代化しようとした。ところが魯迅は、救済を他に求めるのは奴隷の道徳だという考えに立って、外から来るものによる上つらだけのていさいのいい近代化には徹底的に抵抗しつづけ、むしろ自分の中にある阿Q的要素といいますか、醜悪な現実そのものを眼を蔽わずに見つめ、それと取組みそこからその殻を破って歩み出して行こうとしました。それはただ単に排他主義とか、排外思想というのではなくて、借りものによって間にあわせることを許さない自我、東洋の土の中に内在しながら、そのかたい土を自ら破って芽を出してゆこうとする泥くさい自我の発芽へのもがきが、そこには見出せるように思います。こうした自我の抵抗を通して、近代思想やマルキシズムなどの最も重要な要素を学びとりもしたといわれておりますね。胡適によって示される態度にも勿論大切な点はありますが、アジアの人間の真の主体性の確立の問題として、私は魯迅から非常に重要な問題を提起されていると思います。こういう点において、日本はどうだったのか、皆さんの御意見を伺いたいと思うのです。
ここで現代思想としてのカトリシズムについてのべるに先立って、それにたいする異議や否定論をできるだけ正確かつ説得的な形で再現しようとつとめているのは、じつは中世のスコラ学者の慣習にしたがっているのである。十二世紀のアベラールがいろいろな神学上の見解を肯定(sic)と否定(non)とに分類したのに始まって、スコラ学者たちは神学問題について自分の考えをのべる際には、まず反対論を徹底的に吟味するという方法をしだいに完成させていった。その方法とは、自分の立場を説得的なものにするために反対論を単純化したり、あるいは歪めたり、戯画化したりする修辞法とはまったく無縁であって、むしろ反対論をそのもとの形よりはより論理的で、説得的なものとして再現した上で、それと対決しようとするものであった。この論争の倫理はあいてをベスト・コンディションにおいた上で、試合をいどむ騎士道的精神に一脈通じるものであったといえよう。論理的にいえば、この方法は反対論が主張するところを論理的に明確なものたらしめ、結論をぎりぎりの形までおしつめていくことによって、そこにふくまれている矛盾をあかるみにだそうとするものであった。自分の見解は反対論が自己矛盾におちいることによって、そこからいわば必然的に要求されるものなのである。すくなくともこの方法に関するかぎり、創造力にとぼしく、静止的な宇宙観にとりつかれていたと評される中世のスコラ学者は、動的で弁証法的な思考方法を実践していたのであり、その意味ではおどろくほど「現代的」だったといえよう。
はじめに率直に尋ねてみたい。一般に或ることがらを信仰をもって受けいれて探求をはじめることは、その探求の道を平たんで容易なものにするであろうか。一見したところ答は明白であるように思われる。それは解答つきの問題集をやっている子供のようなものだ。たどりつくところはわかっているのだから、そこへ通じている道もかなり見当がつく。いよいよとなったら途中はごまかすか、なんとかつじつまをつけて解答にゆきつくようにしておけばいいのだ……。だがはたしてそうだろうか。たとえば、或る人が「殺してはならない」という道徳律を神の掟であると確信していることによって、かれの道徳生活はそれだけ困難や悩みのすくないものになるだろうか。むしろ事実はその逆なのではないか。むしろ「殺してはならない」という神の掟は、目先の利害のみを考えて安易な解決をはかろうとする人の前に立ちふさがる「否」ではないか。それは確かに正しい解決への方向を示してくれるかも知れない。しかしそれによって解決への道が決して容易になるわけではない。羅針盤があっても嵐をのりきることがそれだけ簡単になるのではない。同じようなことが正・不正の絶対的な基準である自然法を受けいれている法学者や裁判官についてもいえる。自然法は或る具体的な事件について正しい解決を見出すための思考努力を無用にするものではなく、かえって「客観的に」正しい解決があることを前提とするだけに、相対主義や主観主義の立場に退いた場合よりも、一そうの思考努力をかたむけるように要求するのである。またテイヤールは「宇宙には二つの頭はありえないし……神学の学説において証明された宇宙の中心としてのキリスト、人類完成のために仮定される普遍的な宇宙の中心という二つの焦点は同じものでなければならない」という信仰から出発したのであるが、それはかれの数十年にわたる科学的探求の道をけっして平坦なものにはしなかった、ということも付言しておきたい。
現代カトリック神学が無神論に対してとっている態度を見ると、カトリシズムが自己と現代世界との問題をどのように理解しているかをはっきりと読みとることができる。なによりもまず、無神論が現代のもっとも重大な課題の一つに数えられ、真剣に検討すべきものとされていること自体が意義深い。なぜなら伝統的な神学においては、無神論は、あからさまにいってしまえば、理解力の不足か、あるいは良心をいつわる邪悪さか、そのいずれかに帰着するとされていたからである。すなわち、神の存在は、神が自ら創ったものを通じて弁解の余地がない程あきらかに示していることを前提とするかぎり(ロマ、1・19-20)、それを否定する者はよほど愚かであるか、あるいはそれと認めてもわざと否定している邪悪な心の持主と考えられざるをえないであろう。じっさい従来のカトリック神学は、通常の成人において積極的な無神論が長期間にわたって保持されている場合、そこにはなんらかの個人的な罪過がなければならない、と主張したのである。しかしこんにちのカトリック神学は無神論をこのように審くことで満足してはいない。というよりは、それがあたかも自らにかかわりないことであるかのように、無神論を審判できるとは考えていないのである。
カトリック神学が、全世界的な規模の、社会学的事実として確立され、しかも戦闘的であるような無神論と直面する以前には、無神論は最終的にいって個人の罪過に帰せられるべきものだとして、これを審判しようとする態度をとってもよかったかもしれない。しかしこんにちでは教会の公式文書において、事態はまったく一変したことが確認されている。「宗教の実践から離れてゆく群集の数はますますふえてゆく。過去の時代と違って、神と宗教の否定もしくは無視は、もはや例外的、個人的な事がらではなくなった。すなわちこんにちでは、それは科学的進歩もしくは新しいヒューマニズムの必然的要請とされることが少くない」(「現代世界憲章」7)。いいかえると、科学的進歩や新しいヒューマニズムによって強く印象づけられた現代人にとっては、無神論の方がむしろ自然な考え方として受けいれられるものだ、というのである。じっさい右の文書の他の個所では「現代文明そのものが……しばしば神への接近をいっそう困難にすることがありうる」と明言している。これはカトリック神学における大きな変化であるといえよう。もうひとつの意義深い変化は、信仰者自身が無神論の発展にたいして責任があること、そのことの自覚の強まりである。無神論の発生およびその発展の一つのきっかけは、キリスト教にたいする批判的反応であることは否定できない。信仰者自身が自らの信仰について誤った理解をもち、また実践においても信仰を裏切ることがあれば、「神と宗教の真の姿を示すよりは、かえって隠すのであり」(「現代世界憲章」19)、無神論に存在理由を与えるのである。あからさまにいえば、そのような「信仰者」はじつは無神論者なのであって、無神論はそれをはっきりと、言いのがれのできない仕方で表現にうつしたものにほかならない。いいかえると、信仰を正しく理解せず、また実践しない「信仰者」たちは、無神論者のうちに鏡にうつった自分自身の姿を見なければならないのである。
こんにちのカトリック神学は、有神論者あるいは信仰者自身が無神論の成立と発展にたいして責任がある、という自覚から出発する。神を否定する無神論者を審くのではなく、自らが神を認め、信ずるということの意味をあらためて深くさぐることによって、進んで無神論者との対話を開こうとするのである。神とは人間が自らの実存の測りがたい根源、その秘義をさしていう名前であるが、現代世界のうちで有神論者自身、どのようにしてこの秘義に近づいてゆくことができるのか。かれはこれまでそれをあまりに自明のこととして前提してきたのではないのか。有神論者はまず自らのうちなる無神論と対決することが必要であり、その後はじめて無神論者との対話に入ることができる。こんにちのカトリック神学が無神論にたいしてとっている新しい態度はこのようなものであるといえるであろう。
右に紹介した現代無神論の系譜についてのマリタンの考えは、われわれに現代無神論という問題の広がりと複雑さ、およびその根の深さをあらためて思いしらせてくれる。わたくしはここでは、無神論のうちに含まれている神の肯定、有神論のうちにしのびこんでいる神の否定、という観点から問題の解明をこころみよう。まず第一の点から見てゆくと、さきに現代人が神へと接近するのを妨げる原因として科学の進歩と新しいヒューマニズムとが指摘されたが、この二つ、つまり科学的無神論とヒューマニズム的無神論は、じつは深い意味における神の肯定をふくんでいるように思われるのである。科学的無神論は、科学によって解明された自然世界において神は不在であることを主張する。かつては自然は神を語る書物であるといわれたが、科学によってくまなくあきらかにされてゆく世界は、神についてはまったく沈黙している。また、かつては「上なる」神、「天上の」神というイメージがなんの疑問もなく受けいれられたが、こんにちではこのような階層的宇宙像はよりどころを失い、それにともなって神も宇宙から追放されてしまった、といわれる。
これにたいして、そもそも科学的な自然探求や自然理解を可能ならしめたものは、キリスト教的な神観あるいは創造観であった、という主張に注意をよびおこしておきたい。キリスト教は、神がかれによって創造された自然界からあくまで超越的であることを主張することによって、自然界を「世俗化」(Entnuminisierung)した。つまり自然界はそれ自体において聖なるものではなく、むしろ人間による自由な探求と支配とにゆだねられている、という主張であり、これによってはじめて科学的な自然理解が可能になった、というのである。この説の当否はしばらくおいて、科学によって解明された世界における神の不在は、ラーナーもいっているように、「真実の、そして力づよい経験」としてこれを肯定することができる。問題はその解釈である。無神論者はこの経験を神の非存在を示すものと解釈したのであるが、むしろそれは神の超越性を意味するものと解釈できるのではなかろうか。裏からいえば、無神論者は世界の或る側面と結びついていた「神々」を否定しているのであって、そのことはじつは世界を超越する真の神の肯定にほかならないのではないか。ヒューマニズム的無神論についても同様のことがいえる。新しいヒューマニズム――たとえばサルトルの実存主義的ヒューマニズムや、マルクス主義者の説くヒューマニズム――は人間の全面的な自由、絶対的な独立、自律を強調する。それは人間が人格たることの真実の経験であり、力強い肯定と見ることができる。そして、このような人間の認識、あるいは自己理解についても、それを可能にしたのはじつはキリスト教の福音ではなかったか、と反省してみることができるであろう。しかし、そのことは別にしても、無神論者が主張するように人間の自由や自律は神の存在を排除すると考えることはかならずしも不可避ではなく、また神を拒否することが人間の成熟のしるしであるとはかならずしもいえない。むしろ、超越的な神のみに従うことを決意することにより、世界とそのいっさいの拘束から自由になるという道も可能である。ここにおいても無神論者は人間の根源的な自由あるいは人格性についての真実の経験を、性急に神否定の方向に解釈したといえるのではなかろうか。 しかし、ヒューマニズム的無神論は、神を人間以外のところで捉えようとするこころみをすべて拒否しているかぎりにおいて、真の神の肯定をふくんでいる。キリスト教は神がそのかぎりない愛のゆえに人間となった、と教える。とすれば、人間が神と出会う道は、真に人間となることを追求してゆく、という以外のところには見出されないのではないか。さきにのべたように、人間が自らの実存の根源をたずね、その秘義と直面することを通じてのみ、神へと近づくことが可能となる。したがって、ヒューマニズム的無神論は、人間を自己から疎外させ、非人間化するいっさいの条件を拒否する運動であるかぎりにおいて、そこに真の神にたいする力強い肯定がひめられているのである。
時として信ずることはそのまま安息、確実性、慰めであり、不安や疑惑をまったく排除するかのように考えられているが、現代のカトリック思想家は信仰における確実さと不確実さ、休息と動揺の二極性を強調する。じつはアウグスチヌスが信仰を簡潔に「断乎として肯定しつつ、思いなやむこと」(cum assensione cogitare)と表現したとき、信仰のこのような二極性をいみじくもいいあてていたのである。ピーパーは右の表現におけるcogitare, cogitatioは「思考の動揺」(Denk-Unruhe)の意味に解すべきであるという。すなわち、一方において語られた言葉が真理であるというゆるぎなき肯定があるにもかかわらず、そこで語られていることは人間の理解をこえるものであるため、たえず疑惑や動揺をおさえることができない。
信仰はこのような不確実さや動揺を排除するものではなく、じつはそれらとたえず対決し、それらにうちかってゆくことにおいて信仰は成立する。不確実さや動揺の克服を通じて信仰はあらたにされるのであり、そして信仰はつねにあらたにされることによってのみ存在する。つねにあらたにされ、成長してゆかない信仰は、いわゆる自己執着的な「この世の知識」によっておしのけられてしまうであろう。グァルディニの表現をかりると、信仰とはおのれの疑いにたえてゆく能力であり、おのれが発する問いかけと共に生きてゆくことができるほど、それほど強く信ずることである。疑惑がおこるのは神の道とおのれの道とのくいちがいが意識されるときであり、そのときに、おのれの道をしりぞけて神の道を肯定することが信仰である。したがって、あえて誤解をおそれずにいえば、疑惑を知らない信仰は信仰ではない、といえよう。おそらく、そこで信じられているのは神の道ではなく、おのれの道ではなかろうか。それは自己に安住する信仰であり、それゆえに信仰ではない。
信仰はさきにのべたように、人間に語りかけ、招く神にたいする、人間の自由な応答である。この応答は全面的でなければならず、そこにいささかでも留保があれば信仰とはいえない。絶対的に信頼するか、それとも信頼しないかである。しかし信仰者が自らの信仰をふりかえるとき、この応答がいまだ全面的ではなく、部分的であること、そのかぎりにおいて自分が信じていないことを認めざるをえない。かれは信者にして非信者(simul fidelis et infidelis)なのである。いうまでもなく信仰者のうちなるこの不信は、かれの信仰を否定するものではない。むしろそれは信仰が成立するために不可欠の契機であり、信仰の人間的条件であるといえるであろう。いいかえると信仰における不確実さや不信は、信仰の絶対性や確実さを弱めるものではなく、それをまさしく信仰の絶対的確実さ、たらしめるものであるといえる。裏からいえば、疑惑や不信を見過してしまった信仰は、信仰というよりは空虚で安易な自己満足にすぎないのではなかろうか。
正義の問題はつねに人類を苦しいジレンマにおとしいれてきた。それはカントが『純粋理性批判』の冒頭で、人間の理性をつねに困惑させてきたところの形而上学の問題について語った言葉を思いださせる。カントによると、形而上学の諸問題は理性そのものの本性からして理性に課せられるのであるから拒むことはできず、しかも理性のあらゆる能力をこえているからそれに答えることはできない。同じように、正義の実現への要求は人間のもっとも奥深い願望であるからこれを否定することはできず、しかも万人が納得するような正義の基準を確立することは不可能である。正義思想の歴史は、正義実現への要求と基準確立の困難とのジレンマに直面して、人々がとってきたさまざまの態度を反映している。 ところで、現代世界における正義への要求が過去のいかなる時代よりも緊急で世界的規模のものになっていることはあきらかであろう。ここでは人種的正義と、南北問題として知られている、経済的先進国と後進国との間に実現されるべき経済的正義を指摘しておこう。この二つは密接に結びついている。人種差別の被害者たる有色人種のほとんどが、同時に経済的後進国に属しているからである。この二つを「皮ふの色の革命」という名前で呼んでいる論者もある(マレイディー『自由への熱望」中央出版社)。
現代の正義問題の特徴は、正義実現のための戦いが全世界的な連帯をもって戦われているということであり、それがどのように進展するかによって、世界は人々がたがいに兄弟として抱擁しあう和解の平原となることもできるし、有史いらい最大の血なまぐさい争いの場となることも可能である。「時は迫っている」という表現は、この場合誇張なしにあてはまる。現代世界の危機は、人類を絶滅させうるほどの強大な破壊力をもった核兵器の出現、という技術的な面で捉えることもできるであろう。しかし、その解決のためには、まず「皮ふの色の革命」がつきつけている正義の問題と取りくんで、人々の間に相互信頼を回復することが先決問題である。技術の問題の根底には倫理の問題があり、そのなかでもっとも緊急なのが正義の問題である。
しかるに正義の基準の探求という問題に目をうつすと、事態はほとんど絶望的である。こんにち、いっぱんに正義は相対的なものと考えられており、最終的には恣意的なものだと主張する者もある。また一部の人々の間では正義のイデオロギー性や階級性が安易に説かれている。他方、正義が相対性や恣意性におちこむのをさけるために、その意味を合法性とか適法性とかいうことに限ってしまおうとする試みも有力である。もともと正義とは、人々の間の利害の対立や争いを、たんなる力に訴えるのでなく、理性にかなった仕方で解決しようとする試みをさすものであった。しかるに現代では正義そのものが恣意的なものだという議論が広い支持をえているのである。これはわれわれが正義の基準を探求してゆくにあたって、道を大きくふみはずしたことを示すものではないだろうか。このように現代世界においては、正義への要求はかつてなかったほど強まっているのにたいして、正義の基準の探求はゆきづまっている、という最悪の事態が見られる。この苦境から脱出する道があるだろうか。
カトリック正義論によると、現代の正義問題のゆきづまりは、正義をめぐる議論から共同体あるいは共通善の次元が姿を消したことに端を発するものである。このため正義の末端にのみ注意がむけられて、正義を正義たらしめる根拠が見失われてしまった。たとえば「目には目を、歯には歯を」という要求は、もっとも厳格な正義の要求と映るかもしれない。じじつカントはそれを正義の典型と考えた。しかし、すこし立入って考えると、そこでは正義はきわめて不完全にしか実現されえないことがわかる。「目には目を……」という定式は、報復の行過ぎをいましめる点では正義への道を示すものといえよう。しかしながら、積極的な意味では正義の実現にはほとんど寄与していない。加害者の目を奪っても、被害者の失われた目は回復されないからである。 ではどうしたら真の正義が実現されるのか。右の例でいうと、失われた目を回復することは不可能であり、残された道はそれと等価的なものを要求することであろう。しかし、等価的なものの確定にあたっては当の人間が蒙った損害、苦痛だけを考慮するだけではたりない。それに加えて、当の犯罪がひきおこした社会的動揺、またこうした犯罪にたいする処置が将来において持つ抑止効果、などをふくめて複雑な共同体の諸問題を考慮に入れなけれぼならないのである。そのような点を無視して行なわれる解決は、たとえ当事者の復讐本能にはけ口を与えるものであっても、正義の名にはあたいしないといわざるをえない。 たしかに「目には目を」という定式は、そこで交換されるものが同一であるとの意味で、一見きわめて厳格である。同じことが、借りたものを過不足なしに返す、商品を定価の通りに売る、賃金を約束通りに支払う、法律に定められているところにしたがって刑罰を科する、などの事例についていえるであろう。これらはすべて、いわゆる交換正義に属するものであり、われわれにはもっとも理解しやすい正義である。しかし、さきにのべたように、これは正義の末端にすぎず、これが正義の全体あるいは中心であると考えたならば、いちじるしい不正が生ずる。「正義の極みは不正の極み」ということわざがぴったりするのはこの場合である。たとえば価値や賃金の決定にあたっての最高原則は自由取引、および相互の自由な合意であるとする立場がそれにあたる。カトリック社会思想は、この意味での自由主義あるいは個人主義をはっきりと斥ける。すなわち、取引や契約の当事者たちのおかれている条件の違いや、共同体の全体としての福祉が無視される場合には、形の上では自由な取引、契約であっても、実質的には一方的なおしつけであり、とうてい正義が実現されているとはいえないのである。 したがって、いわゆる交換正義が真の正義であるためには、それが共同体あるいは共通善の観点から規制されることを要する。このことは現実には共通善にかなった法律や制度をつくりだしてゆく、ということを通じて行なわれる。それがじつは配分正義の仕事なのである。配分正義というと、賃金の支払いとか仕事の分担の決定、などが頭にうかぶのであるが、じっさいの配分は交換正義にしたがって行なわれるのであって、配分正義に固有の課題はむしろ配分の原則あるいはルールの確立であることに注意しなければならない。そして原則やルールの確立はつねに共同体の福祉を念頭において行なわれるべきものである。このように共同体の福祉、およびそれとの関係においてそれぞれの人が占めている地位や役割などを考慮しつつ、価格や賃金を決定してゆくべきことを主張するのが社会正義にほかならない。
しかし、これまでの議論は正義の核心あるいは根拠にふれるところまでは達していない。なぜなら、真の正義は共同体や共通善を考慮に入れることなしには実現されないことが指摘されたけれども、正義との関連で共通善はどのようにして実現されるのか、という点はまだ解明されていないからである。ここで姿をあらわすのがカトリック正義論独特の共通善正義の観念である。共通善正義とは文字通り、共通善を固有の対象とする正義であり、古くは法的正義の名で呼ばれていた。共通善の追求・実現までも正義の課題のうちにふくめるのは、正義の観念をあまりにも拡大し、曖味にするものと思われるかもしれない。しかし、この根拠にもとついてはじめて配分正義や交換正義が成立するのであってみれば、それを正義からきりはなすことはできないであろう。
だが共通善正義が正義を固有の対象として追求し、実現するというのは、どのような意味においてであろうか。きわめて平凡ないい方であるが、それは結局のところ人間が自己を人格として完成してゆくことに帰着する。つまり、人間が自らによって所有されるような善に執着せず、万人にたいして開かれているところの、普遍的な善を追求するとき、かれはそのまま共通善実現への道を進んでいるといえる。なぜなら、さきにのべたように、共通善は普遍的な善をその第一の内容とするものだからである。
このような共通善正義の観念にたいしては、それは「正しい」ということと「倫理的完全性」とを同一視するものであって、正義と倫理的な善一般との区別を無視するものだという批判がむけられるかもしれない。しかしわれわれはかえって、われわれ自身がいだいている倫理的完全性の観念があまりに個人主義的で私的なものになっていないかどうか、ふりかえってみる必要があるのではなかろうか。現代の正義理論のゆきづまりを打開するためには、こうした平凡な問題についての根本的反省が要求されているように思われる。
これまでのべたところから、社会正義は共通善正義なしには成立しえないことがあきらかになったと思う。ところで共通善正義は現実には共通善にたいする愛つまり自己に固有の私的な善よりも共通善を優先させるという態度を予想するものであり、後者なしにはありえない。ここでアリストテレスが「正義の最たるものは親愛的なそれ」(『ニコマコス倫理学』1155 a 28)であるとのべ、「たとえ法が自分に有利であっても過小にとる傾向のひと」(同、1138 a 1)がより完全な意味で正義の人である、といっているのを想起する。われわれが正義の根拠をたずねてゆくと、ついには正義と親愛とがわかちがたく結びついているところに到りつく。いいかえると社会正義と社会愛とは結局のところ一体であり、前者は後者をはなれて成立しない。
このような考え方にたいしては、それは正義と愛、あるいは法と道徳とを混同するものである、という批判や、われわれが求めるのは正義であって、愛ではない、という抗議が予想される。後者についていうと、もちろん「要求」の対象になりうるのは正義であり、愛を「要求」したり「強制」したりするのは無意味である。しかし、そこには愛についての大きな誤解もあるように思われる。ここでいう愛は正義の代用品としての感傷的なまやかしの愛ではない。それは正義を超える愛であり、正義よりもはるかに厳しい要請をふくんでいる。福音書の富める青年のたとえはこのことを物語るものである。幼少の頃から掟を忠実に守ってきた(正義)という青年にたいして、イエスは自分にしたがいたいなら持物をすべて売って貧者に施せとつげた。この厳しい愛の呼びかけに応じきれなかった青年は悲しげに去った、と記されている。愛が正義の根拠であるということは、われわれが正義を行なうためには一種の回心が必要である、という意味に解することができよう。それはマルセル流にいうなら「所有」の秩序から「存在」の秩序への回心である。たしかに、より多く所有することが自己の存在を完成することだ、という幻想をたちきらないかぎり、正義の核心にふれることはできないであろう。
しかし正義を超える愛という言葉が、はたして最少限の正義さえ無視されがちな現実の人間社会で意味を持ちうるであろうか。それはいわば「英雄的な」卓越性への呼びかけであり、実現の可能性はほとんどないのではないか。しかし、われわれが人間の社会的本性を肯定するかぎり、現実はかならずしも絶望的ではない。社会的本性はいいかえると自然本性的な社会愛であり、それを完成したものがここでいう卓越した社会愛なのである。ところでカトリック社会思想は、この社会愛がさらにたかめられたものが神愛であるという。神愛というときわめて個人的な信心や慈善事業が連想されるかもしれないが、その本質は深く社会愛と結びついている。つまり自らの満足や悦楽のために、排他的・独占的な仕方で神を愛するのでなく、万人に開かれた共通善として神を愛するのが神愛にほかならない。いいかえると、それが同時に隣人愛であるような仕方で神を愛するのが神愛である。このような神愛によって力づけられるとき、英雄的努力を要求するかに見える社会愛の実行も可能になるのではないだろうか。最終的にいって、このような神愛の経験がカトリック正義論の根底にあるように思われる。
近世初期に於ける假名遣研究の意義が、假名遣の別を通して古語の意味を識別することに存し、進んで、夫々の語は、それに相當する正しい假名遣によつてのみ、その意味の完全な標識とすることが出來るといふ考から、後世の文献の假名遣を、夫々正しいと考へられる假名遣に書き改め、更に歌文の記載に於いては、語をその正しい假名遣によつて記載して意味の傳逹に混亂を惹起こさぬ様にしようとする規範意義が加へられる樣になつた。假名遣は、古典註釋の目的の上から、文献の本文制定の上から、又完全な記載の爲から研究されたのであつた。そしてこの各々の假名遣研究の根底には、假名遣は、それぞれの語義を標識するものであるといふ語義の標識としての假名遣觀の存在することは注意すべきことである。
然るに此の假名遣觀は、本期に至つて根本的に變改を受けざるを得なくなつた。本期に於いても、假名遣の別が、古語の意味の理解識別に根據を與へる、古典の内部的徴證の一であるといふ考方は從來と相違はなかつた。宣長に於いても、楫取魚彦に於いても、富士谷成章に於いても、石塚龍麿に於いても、皆同樣に假名遣の識別が古典註釋に必要なものであることを認めて居る。併し乍ら、假名遣は、如何なる理由に基いたものであるかに就いての考、即ち假名遣觀は根本的に改められた。契沖は、混亂し易い假名、おを、いゐ、えゑ等は、同音の異形文字であり、語義に從つてその用途を異にしたものであると解釋したが、本期の學者は、是等の同音異形文字は、元、音韻上の差別に基いたものであり、之を混同して記載する樣になつたのは、音韻そのものの變遷に基くものであるといふ風に考へる樣になつた。さて、音韻の差別に基いて出來た假名の使別を、何故に音韻の變遷した後世に於いても之を遵法せねばならないのか。復古假名遣が主張せられる第一の理由は、假名遣は古語の意味を識別する手懸として重要であるからである。若し假名遣を混同したならば、如何なる結果になるか、成章はいふ、
「いにしへをしたひ、ことをさだめむ人、なにゝよりてか、言のこゝろをもわきまへまし」(北邊隨筆卷三、音の存亡)たとへ音韻の別によつて成立したものでも、今日に於いて之を混ずることは、語義理解の道を絶つことになると成章は考へた。
こゝに於いて、假名記載の上古に於ける原則と、古典の假名をそのまゝ遵法すべきであるといふ復古假名遣の主張とは、何ら混同せられることなく、明に別の見地から論ぜられたのであつた。そこに、明治以後、古典の假名記載の原則、即ち表音主義の假名遣を、そのまゝ現代の假名遣の原則に移さうとする假名遣改訂説と相違する點を見出すことが出來るのである。
ポーランドのストライキから学ばなくてはならぬことは、ソ連の力の限界や自由は死なず、ということではない。国民の瞬間の迷いが、国家社会を退化させることがあるということである。一夜、明ければ、社会は確実に一歩前進しているというものではないということでもある。われわれの選択において誤まりがあれば、国家社会は一挙に数十年も逆行するという証明はあるが、逆行をとりもどすためには数十年で十分であるという歴史的証明を人類はいまだ手にしていない。……。
社会主義とは私有財産制度に何等かの変革を加えようとする思想である。何等かの変革の種類及び程度により、社会主義に分派があるが、之を総称して社会主義と云う。「社会主義の起源は遠く古代の霧の中に失われ、人類の貧と涙とが生じたる時、既に社会主義が始まった」とは伊太利の学者の云う所である。断片的な社会主義でなく、稍系統的の社会主義の文献としては、プラトーの「共和国」に始まり、次いで中世では社会主義の思想が説かれたのみならず、基督教の信仰の下に、僧院に於て実行されたこともある。近世になってから社会主義は、トーマス・モーアを始めとして、ベーコン、カンパネラ、ハリントン、マーブリー、モルリー等の人々により唱えられたが、就中最も著名なるはモーアであり、其の著「ユートピア」は代表的文献と云われている。次いで仏蘭西革命後に、仏にサン・シモン、フーリェー、ルイ・ブラン、カペー等あり、英国にロバート・オーウェンあり、独逸にワイトリングあり、哲学者フィヒテも亦「封鎖商業国家」の中に社会主義を説いている。以上述べた人々は所謂空想的社会主義者と云われる人々で、プラトーの「共和国」、モーアの「ユートピア」、フィヒテの「封鎖商業国家」は、代表的の著作として、我が国にも早くから紹介され、夫々飜訳が出版されている。
所謂科学的社会主義は一八四〇年代にマルクス、エンゲルスにより構成された。之が空想的社会主義と異なる点は二つである。一は社会主義を科学的に説明して、社会主義を実現せよと云わずして、社会主義は必然に実現されると説明したこと、第二は社会主義の実現者をプロレタリアートに求めたことである。空想的社会主義は科学的に説明せず、理想として社会主義を実現せよと述べ、実現者を国王、政治家に求めたのである。科学的社会主義はプロレタリアートを実現者としたが、実現の手段に就いては必ずしも始めより明白ではなく、暴力革命の手段を採るか、又は議会の多数決によるか、何れの文献をも引用し得たのであるが、一九一七年の露西亜革命以来、露西亜のマルキシストは、暴力革命主義を採り、之に反してマルキシスト内の一派は議会主義を採り、マルキシスト陣営の中に共産主義と社会民主党とが対立するに至った。
以上は科学的であるか否か、社会主義の実現方法を何れに採るか、と云うことからの区別であるが、此の外に社会主義を区別する標準は、共有さるべき財産を、生産手段のみに置くか、生産・消費手段の両方に置くかと云うことで前者を狭義の社会主義と云い、後者を共産主義と云っていた。所が露西亜革命後に共産主義者と自ら名乗る人人は、共産主義と云う名称を取りながら、又実際は生産・消費両手段の共有を考えていながら、表面に於ては暴力革命と無産者独裁と云う実現方法のみに重要点を置くようになった。蓋し共産主義者(露西亜の)にとって最も固執しなければならないのは、暴力革命と無産者独裁との実現手段であって、之が成功さえすれば何を共有にするかは自己の勝手に出来ることであるから、共有されるのが生産手段のみか、生産・消費両手段かは、彼等にとってはどうでもよいことになるからである。然し生産手段のみを共有にすればよいので、消費手段の共有は必要でないと云う我々狭義の社会主義者にとっては、此の区別を重要視する。
以上の如き社会主義の分派の外に、ここに英国社会主義と云う特殊の分派のあることは従来は多くの人の看過した所であったが、此の派は科学的説明を持つ点に於て空想的社会主義とは異なり、更に議会の多数決により実現を図ろうとする点も異なるから、之は空想的社会主義ではない。さればとて科学的社会主義と同じかと云えばそうではなく、科学的説明の内容が異なること、唯物弁証法の哲学に反対して理想主義を採ること、暴力革命と無産者独裁とに断乎として反対なること、之等の点に於てマルキシズムとも対立する。そして共有すべき財貨は生産手段のみである。英国社会主義のこうした特徴を注意したのは、世界に多くの文献がないので、恐らく私などが極めて少数の一人であろう。私の社会主義は此の社会主義に近いが、此の派の理想主義が体系的でないこと、科学的説明が充分でないことが不満であり、此の二点を補完したのが、私の社会主義の特徴であると思う。
……。先づ始めに擧げられねばならないのは、宗教界に現はれたメソヂスト運動である。十八世紀の英國教會の腐敗は、ルーテル現はれた時の羅馬教會に類似してゐた。こゝにヂョン・ウェスレー、チャールス・ウェスレー兄弟から始まつて、教會の廓清が唱へられた。彼等は從來の教會の空虚な形式に囚はれず、各個人の胸奥の生きたる信仰を重んじた。此の意味に於てやがて來るべき個人主義は、先づ宗教界に第一聲を揚げたのである。次で彼等は信仰を思索瞑想の域に止めずして、弱き者苦しめる者に對する同情を、信仰よりの必然の命令だと解した。慈善慰問は勿論のこと、純潔なる社會改革が彼等から刺戟を受けたことは尠くない。殊に彼等は好んで鑛山地方の勞働者に説教したが、勞働者は彼等よりして聖書を讀まんが爲に文字を教へられ、彼等から人格の權威を説かれた。英國後年の勞働運動は彼等の説教から始まつたと云はれてゐる、こゝに英國の勞働運動と大陸のそれとの差異のあることを、吾々は看過してはならない。
参考出展された際のもの。
1996年5月現在とある。
Windows 3.0専用、プロセスタイプ日本語変換。
WXII+と辞書共有が可能。
ユーティリティの充実した良いIMEだつた。
CPUパフォーマンス比較表。