西丸四方の『異常性格の世界』(創元社)によると
大川周明の精神病は、むかし感染した梅毒による慢性腦炎の刑務所内での偶然の發病と見るべきで、敗戰や入獄や死刑の恐れとは何の關係もないものと考へられるが、では、いつ梅毒にかかつたのかと詮索したところ、意外なことがわかつてきた。大川夫人によると、大川周明は全くの陰萎で、夫人とは兄と妹の關係でしかなかつたといふのである。
……云々とあります。また西丸は大川が「幻のマホメットの命令でコーランの立派な飜譯を成し遂げたこと」を述べてをります。大川は『發狂したふり」をした譯ではなく、本當に發狂してゐたのであります。
ところが、大川周明はかつて日米戦争を東西文明対抗史観の構図で描いた将来に、イスラム文明による世界統一のごときヴィジョンを漠然と想定していた、とおもわれる。この点について、竹内好は一九六九年におこなった「大川周明のアジア研究」と題した講演で、次のように指摘していた。「……イスラムは、歴史的事実としても、戦争を媒介にして東西を融合させるのに大きな要因となってきた宗教であります。超越的であってしかも現世的であり、活気にみちて未来性がある。イスラムによる世界征服というヴィジョンが大川にはあるような気がします。
この竹内好の、イスラム革命(一九八一年)に十数年先立つ大川周明論については、いま批評をさしひかえる。ただ、大川の東西文明対抗史観のなかに「イスラム文明」が大きな影を落していることだけは、竹内の指摘するとおりのような気がする。ちなみに、大川は日本で最初の(あるいは二番目の)イスラム研究者であった。