表紙に「日本の将来」シリーズと謳はなくなつた以後の高木書房の單行本。。
ベストセラーとなつた「日本の将来」シリーズの既刊『新聞のすべて』は對談を纏めたものであつたが、讀者からは個人の論文形式を求める意見が出版者に寄せられた。本書は、そうした要望に應へる形で、個人の視點から改めて新聞の問題を論じたものである。
既刊の新聞批判に對する讀者からの各種意見を紹介し、賛否の兩論について分析を試みてゐるほか、著者の辻村氏が雜誌・新聞に發表した新聞の問題に關する論文・記事を集めてゐる。
『新聞のすべて』に對する批判――(1)「右より」の知識人による(2)新聞批判に「偏つてゐる」との批判――について第一章で著者は述べて、(1)既存の主要な新聞が左翼よりである事への批判が必要である事と、(2)當事者と批判者との直接對話が極めて困難である事とを指摘してゐる。
最近私は、新聞批判の原稿を書くことが多いが、その直接的なきっかけは沖縄返還問題であった。私は一九六六年(昭和四十一年)、および六七年の二年間、沖縄で本土復帰意識の世論調査をおこなった。まだ復帰前のことで、沖縄での世論調査は、地元の琉球大学や新聞社が部分的におこなっていたにすぎない。沖縄本島全体からランダム・サンプルをとって、組織的な世論調査をおこなったのは、憚りながらわれわれの東大調査が最初であった。そして当時は朝日新聞もときどきは私にも原稿依頼をしてきたし、私も朝日の特別モニターをひきうけて、毎月、紙面についての感想や批評をレポートとして提出する間柄にあった。そうしたとき、われわれの沖縄調査をいち早くキャッチした朝日が、独占的に大きく発表したいので、他社には洩らさないようにしてほしいと申し入れてきたのである。日本で最大の部数と最高の権威を誇る朝日に、研究成果が大きく発表されることに異論のあろうはずはない。私はこの申し入れを受けいれ、調査結果は一九六七年四月十九日の紙面に大きく掲載された(第二年度目の調査結果については、一九六八年三月二十六日の紙面に発表された)。
ところがわれわれの調査結果は、沖縄の世論が意外に現実主義的であって、当時の進歩的な新聞や雑誌が伝える雰囲気とは大分違っていたのである。進歩的なジャーナリズムからわれわれがうけていた印象は、沖縄の世論は一日も早い本土復帰を熱心に望んでいること、沖縄の世論は反米一辺倒で固まっていることなどであった。ところがわれわれの調査結果によると、沖縄には本土に対する特別な屈折した意識があって、本土で考えているほど、熱心に本土復帰を考えてはいないこと、また意外に親米的な態度ももっており、しかもそうした意識が若い世代ほど顕著に見られたのである。そのような結果をまとめた原稿に対して、朝日新聞は「離れゆく沖縄の心」という大見出しをつけてくれた。誰がつけたのか知らないが、もちろん整理部のつけたものであろう。ゲラ刷りを見に朝日に出向いた折、当時の社会部の担当デスクで、私の高等学校の後輩である深代惇郎氏(後に「天声人語」執筆者になり、先達て惜しくも亡くなった)、および社会部デスクで、私と大学時代の同級生であった岡並木氏(現在編集委員、交通問題専門記者)と雑談しながら、何だか「離れゆく女の心」みたいだなと苦笑したものである。しかし私はなかなかいい見出しだと満足していた。
この見出しと内容は大きな反響を呼び、翌日の拙宅の電話は一日中鳴り放しで、沖縄の世論はそんなはずはない、東大調査はインチキだ、といった抗議の声が続いた。朝日本社にも当然抗議の電話や投書が殺到したことであろう。その結果であるかどうか、朝日としても他人に調査を任せてはおけないと考えたのであろう。みずから沖縄に出張して世論調査をおこなうようになり、第一回調査はわれわれの調査から半年遅れて、一九六七年十月十七日に発表された。毎日も読売もまた朝日に後れをとるまいと、頻繁に世論調査をおこなうようになっていった。毎日の調査は一九六七年十月三日に発表され、読売の最初の調査は一九六七年十月二十三日に発表になっている。こうして、いわば沖縄世論調査の全盛時代がくるのであるが、いずれもわれわれの東大調査を否定しようという姿勢で共通していた(拙稿「沖縄の世論」『潮』一九六七年十一月号および「新聞・世論・政府」『中央公論』一九六八年二月号参照)。
この一件を転機として、私は新聞社のおこなう世論調査に根本的な疑問を抱くようになった。新聞社のおこなう世論調査は、最初から新聞社の主張や立場があって、それを世論が支持していることを証明せんがためにおこなう傾向がみられるのである。そうすると、質問文の作り方から結果の解釈に至るまで、新聞社の立場に都合のいい形でおこなわれる危険性があり、世論調査のやり方としては邪道なのである。また新聞社は言論機関として、世論形成や世論指導の重要な任務をもっている以上、その当事者がみずから世論調査をおこなうことは、論理的にも倫理的にも矛盾してくるのである。なぜならば、世論指導をおこなった結果、本当に世論が新聞社の意見に同調するようになったかどうかは、第三者が調査すべきものであって、みずからが調査するのはおかしいからであr.そんなことをすれば、ちょうど世論調査という鏡に自分の姿を映して、自分の姿に惚れ込んでいるようなものである。世論調査の客観性を保つためには、第三者に委ねなければならないのであって、言論機関である新聞社自身がおこなうべきものではない。そんなわけで、私の新聞批判は新聞社のおこなう世論調査に対する批判からはじまっていった。
このような問題意識をもって、その後、新聞一般の活動に注意を払っていると、新聞が世論からいかに大きくズレているかというだけでなく、大新聞社は正義の味方のようなポーズをとりながらも、自分自身の利益を擁護するためには、言論統制さえも敢えて辞さないということもわかってきた。世間の常識では、新聞は常に世論の味方であり、民衆の代弁者だと考えられてきたが、必ずしもそうではないことも多いのである。
ところで、本書に集めた論考のすべてに共通した特徴は、新聞がしばしば世論から遊離することの指摘である。その意味で第四権力といわれる新聞も萬能ではないのであって、余り大きな顔はしなさんな、という意味合いをこめて、『新聞よ驕るなかれ』という題名にした。国を誤らせないためにも、是非とも新聞に考えて貰わなければならないし、善意で気のつかないこともあるだろうから、できるだけ多くの新聞批判が、一般読者の間から盛り上がってくることが望ましいのである。本書がその刺激となれば望外の喜びである。