制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
1999-09-22
改訂
2010-08-28

福田恆存『日米兩國民に訴へる』

對談集ではなく福田恆存個人の著作。以下は刊行までの經緯(福田全集の年譜に據る)。

昭和四十八年(一九七三)
……
七月 ……
吉田國際教育基金及びアジア財團の援助により臼井善隆と共にアメリカに渡り政財界人、學者、知識人と會談。歸路、イギリスに寄る。
歸國後、「日米兩國民に訴へる」と題しその感想を「文藝春秋」十一月號より翌年一月號まで三囘に亙つて連載。
……
昭和四十九年(一九七四)
……
五月 『日米兩國民に訴へる』に補筆し高木書房より刊行。
……

麗澤大学出版会版福田恆存評論集第十卷に再録されてゐる。

まへがき

一 平和の戰略

戰爭において勝利に不可缺の要因は常に唯一つしかない、それは出來る限り相手の目に自分の姿を曝さず、同時に出來る限り相手方の姿が丸見えになる樣に行動する事である。敵方の兵力は勿論の事、政治、經濟、社會、心理、その他すべての點について、敵方より的確で豐富な情報を持つてゐる側にマルスは微笑を送る。多くの讀者には不愉快な事かも知れぬが、この原理は平和にもそのまま當てはまる。なぜなら絶對平和といふものはあり得ないし、恒久平和も當分の間は先づ望み薄と考へた方がよいばかりでなく、たとへ緊張緩和の時期においても、平和とは咽喉元まで込上げて來る戰爭を胃の腑へ押し返さうとする必死の努力によつて支へられてゐる潛在的戰爭状態の別名に他ならないからである。「冷たい戰爭」の扉が閉ぢられた後、私達の前に開かれた扉には「冷たい平和」といふ文字が書かれてゐる事を忘れてはなるまい。

これは好戰的な思想であり、さういふ考へ方が戰爭を誘發するのだと言ひさうな人に對して、私はここでは一言だけ答へて置く、平和を維持しようとする「必死の努力」を他人任せにし、專ら絶對平和の合唱隊員として平和を浪費する事しか知らぬあなた方こそ、咽喉元まで込上げてゐる戰爭を一氣に吐き出させる役割を演じてゐるのではないかと。好戰家が戰爭を誘發する場合が多いことは確かである。が、その好戰家を驅り出すのが輕信的な平和愛好家であるといふ事も同樣に確かな事實であらう。二國間の平和や友好は平和主義の深い信仰によつて保たれるのではなく、それが如何に破れ易いものかといふ不信感を前提とし、それを克服しようとする相互の不斷の努力によつて維持される。

だが、かういふ考へ方は日米兩國民の大部分にとつて不慣れなものの樣に思はれる。……


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