全體を讀むと、「ネイティヴのプログラム」とは「ネイティヴのWindowsアプリ」、良い interface とは「Windows風のGUI」であるとの前提をもとに、「複數のOS上で動作」しようがすまいが、GUI は Windows のそれにあはせるべきだと、主張してゐるのだと分かつてある意味納得。但し、後味の惡さは殘る。
(1) 白い program も、黒い program も、「インタフェイスの作りが惡い」program は、皆、惡い program であり、(2) program の interface の良し惡しと、multi-platforms 對應云々は相關關係にない、(3) 1, 2 のいづれも common sense である、との思ひ込みがあるから、「けれども」がどうつながるのかがわからない。
htttp://www.ariakeseika.co.jpになつてゐるのだが、何うしたものだらうか。
正しい日本語を決めるのは誰なのか?――誰でもない、歴史です。歴史が基準です。だから「歴史的假名遣が正しい」と言つてゐる訣です。
中国の当用漢字は制限的な意味じゃなくて、民衆教育の一つの段階として、ここまではおぼえたがよいといって教えるのです。
日本語のはそうじゃなくて、活字まで全部鋳つぶしてしまう。あれは秦の始皇帝みたいなやり方で、これでは、いやでも応でも当用漢字のわくのなかに閉じこめられるほかはない。東京元々社版・東京ライフ社刊の宇宙科学小説シリーズが各三百圓。各と言つても二册しか出てゐない。グルフ・コンクリン『宇宙恐怖物語』。F・マッコーマス『時間と空間との冒険』。福田恆存「ホレイショー日記」を掲載した雜誌『季刊 作品』VOL.3、1949年・春號。目次で「ホレーショ日記」と誤植。
Opera 9.x の ja.lng を正字正假名化しました。
外国語教育方法のスタンダードではないよ。何處からさう云ふ發想が出て來たのか知らないが、漢文教育は日本語教育にほかならない。日本語の表現が漢文とその訓讀に多くの恩惠を受けてゐる事は否定出來ない。今、漢文訓讀調の文章が書かれないからと言つて、或は、現代的な外國語教育の方法論と一致しないからと言つて、安易に漢文を排除しようとしても、その結果は現代の日本語を日本語の源流から切離す結果に終るだけだ。そして實際、漢文の授業時間は減少させられてゐて、それで生徒の國語力や、或は外國語の能力が向上したかと言ふと、そんな事はない、寧ろどんどん低下してゐる。
こんな学習を続けること自体、国家的な損失である。若い才能を無駄にしてゐるのである。同時に国力の育成を阻んでゐるのである。
中国語とは完全に袂を分かつことになつてしまつた、と書いてゐる。漢文は日本語の表記を生んだのである。
天然地形、陸続きでない、交流の持てない奇妙さがこんなものを生んだのである。さうして、いまだに過去の遺物とならないで、いまも生き残つて、幽霊のやうに蠢いてゐるのである。
本来なら、漢文は歴史学の一分野だ。と云ふ事で、漢文を切捨てろ、と言ふ。けれども、では、ただ漢文なる物だけを切捨てれば、それで十分なのか。漢文の訓讀から生れた漢字假名交じりと云ふ
奇妙な表記、これもまた「切捨てる」必要が「ある」事になつてしまふのではないか。
幽霊とか
歴史学の一分野とか云ふ事に「されてしまひ兼ねない」んだよ? 歴史を歴史學に押込めてしまふ――それは過去の歴史を現在から切離し、歴史を切捨てるのと同義だ。それを批判する立場が歴史的假名遣を支持する人間の立場ではないのか。
普遍文法なんて都合のよい、夢のやうな便利なものはある筈ない。AさんがBさんになり得ないやうに、ことばも、固有のひとつのことばなのだ。だから言語教育もそのことばをそのことばとして学ぶやうに切替へなければならない。ことばは人間同様置換不能である。他のことばに置き換へられない。ことばとは本来さういふものである。一時も早く悪夢から目覚めないと。
固有のひとつのことばとなつてゐる。漢文訓讀は日本人だけのものだ。そして、漢文訓讀と云ふ基礎の上に現代の日本語は成立つてゐる。若し漢文を訓讀しなかつたら、日本人は漢字假名交じりなんて「奇妙な表記」を成立させる事は出來なかつただらう。だから日本人は漢文を捨ててはならない。現代の外國語教育のあり方と、歴史的な外國文化の受容の形態とを、混同してはならない。
昨年の春、読者の要望にこたえて「当用漢字物語」(上巻)を刊行したところ、予想以上の好評と支持をえました。いままで漢字といえば、もう時代おくれの固苦しいものであるとの早合点から、敬遠されていたものも、やさしく漢字の一つ一つの誕生までを知って、共鳴してもらったからでしょう。とある。漢字惡玉論を葬り去つたのは國字改革の功績であると、先日紹介した國字改革の功罪を論ずる座談會で、改革を賞賛する「功績論者」が言つてゐた事だ。しかし、きちんと説明すれば解つて貰へると云ふのなら、別に文字の字劃を減らして「整理」する必要はなかつた訣だ)。雜誌『日本諸學』第二號。「文藝春秋」昭和二十五年十一月號(桶谷繁雄「ソ聯製の平和(マロニエ通信・7)」所收)。和辻哲郎『原典批評の方法について』(岩波講座 世界文學)。「早稲田学報」一九六二年四月号(時枝誠記「学問と延命長寿の法」所收)、同一九六四年五月号(藤田圭雄・千種達夫・時枝誠記「座談会 国語問題とその政策」所收。千種は當時東京高裁判事で國字改革支持の立場の人。國字改革を強制したと言つて国語審議会を批判する輩がゐるけれども、その人は勘違ひしてゐる、審議会はただ漢字表や假名遣を提案しただけで強制などしてゐない、告示したのは内閣だ(大意)、と述べ、「頭の惡い改革反對派」をせせら笑つてゐる。時枝氏が
国語審議会は内容にだけは責任を負うけれども、あとそれが、どういうふうに実施されようと責任はないというのは、法律的に正しいのですか。と突込むと、嬉しさうに千種が
正しいです。そりゃ正しいです。(笑)と答へ、藤田氏が堪り兼ねて
法律家というのはひじょうに考え方が冷めたい(笑)と苦情を言つてゐる)。
ATOKで快適に歴史的仮名遣ひをタイプする方法
漫畫を下して見るつて何ですか。
韓国を下して見るつて何ですか。
下して見るつて言葉が「ある」とは聞いた事がない。ぐぐつてみたけれども十六件引掛かるのみ。
再新記事つて何ですか。「最新」なら聞いた事があるけれども。ぐぐつてみると八件引掛かる。
なお、現行の国語施策として示されている「常用漢字表」「送り仮名の付け方」「現代仮名遣」等は、当然のことながら、国民の言語生活全般を拘束するものではなく、また、それ以外のものが日本語として全て間違いであるとしているものでもありません。しかし、社会生活を円滑に進めていくためには、法令・公用文書・新聞・雑誌・放送等の公共性の高い分野では、標準的な表記のための目安やよりどころを定めておく必要があるというのが、国語審議会の答申及びそれに基づく国語施策の趣旨であります。
したがって、本書に掲げられている問答の答えも、国語施策の示すところに従って文章を書くとすれば、こうなるであろうというものを中心としており、本書の趣旨も国民の言語生活について規範を示そうとするよりも、むしろ人々が日本語について考えたり話し合ったりするきっかけとなり、参考となるものであることをねらいとしております。
過去二十年にわたって発行された原本の発行期間中に、次のような国語施策の改定が行なわれた。
「常用漢字表(昭和56年・内閣告示)」「現代仮名遣い(昭和61年・内閣告示)」「外来語の表記(平成3年・内閣告示)」
右の改定以前に発行されたものは、当然ながら旧施策をよりどころとして解説されている。しかし、その解説中にあらわれる「当用漢字表」と「当用漢字字体表」は「常用漢字表」に、「当用漢字音訓表」は「常用漢字表の音訓欄」に、また「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」にと、それぞれ現行の施策に読み替えていただければ、内容的には、現在でもそのまま適用できるものである。
原文における表記の基準は、漢字の字種・音訓・字体については、「当用漢字表」(昭和55年まで)及び「常用漢字表」(昭和56年以降)、仮名遣いについては、「現代かなづかい」(昭和60年まで)及び「現代仮名遣い」(昭和61年以降)、また、用字用語は「文部省用字用語例」、送り仮名は「文部省公用文送り仮名用例集」に基本的に従っている。これら国語施策の改定の前後で、若干表記の仕方の異なる部分があるが、本書にはあえて原本の表記のまま収録することとした。
- 編集部
- アメリカでは、大学生が英語の表現法についてのレッスンを受けさせられるという話を聞いたんですが、ヨーロッパではどうなんですか。
- 桶谷
- 私の知っている例を言いますと、文章を書くこと、それを言葉として表現すること、これが昔に比べて非常に劣って来たという事実があるんですね。たとえば、ポリテクニックという有名な学校、そこでフランス語の作文をやらせているんですが、フランス語が支離滅裂だ。これじゃフランス語が衰亡の一途をたどるから、大いに高等学校あたりでそういう点をよくしなければならない――ということを言っているくらいで、言葉の乱れは世界共通じゃないかと思います。……
- 緒方
- 世界共通ですよ。アメリカはアメリカで猛烈に悩んでいるんですよ。「イギリスがうらやましい」という。ところが、イギリスに行くと、また、「乱れてる」と言ってるんで、まったく世界共通ですよ。桶谷君の言うとおり。……
言葉の乱れは世界共通と云ふ桶谷氏の發言を
至言であろう、と評してゐる。ところが、この對談を扱つた章を、金田一は以下のやうに結んでゐる。第二篇 外国でも国語は乱れている 第五章 結び――言葉の乱れは各国軒なみ
おそらくこの「言葉の乱れは世界共通」というのが至言であろう。菊池寛氏の『時の氏神』に出てくる話であるが、ある人が戸山が原へ行って、芝生に腰をおろそうと思って足もとを見たら、自分のいるところは芝生が薄くてきたない。二、三間むこうは、それにひきかえ、いかにもよく芝が茂ってきれいである。で、そこまで歩いて行って腰をおろそうとすると、そこも真上から見ると、前のところと同じようにまばらにしか生えていない。しかも、そこから前いた方を見ると、今度は前にいたところの方が、よく茂っていてきれいに見えた、という。
言葉の乱れもちょうど同じようで、日本人が日本語を特別に乱れていると思うのは、日本語を一番よく知っているからではないか。決して、日本語が特に乱れているのではなく、これが生きた言語の常態であるのではないか。言いかえれば、日本語は「乱れていない」言語だと見ることもできるのではなかろうか。
日本人が日本語を特別に乱れていると思う、と――わざと「特別に」を入れて――言つてゐる。「特別に」なら、「何も特別には思はないで良いのだよ」と言つてやれる訣だ。讀者は誰もが自然にさう思ふ。金田一はそこに附け込む。金田一は「特別に」を拔かして「何も思はないで良いのだよ」に話を摩り替へてしまふ。實に微妙な話のすり替へで、讀者は金田一のすり替へに氣附けない。擧句、「言いかえれば」である。何も言換へになつてゐないのだが、ぼーっと讀んでゐる讀者は金田一のこの種の話術に騙される。金田一は、幾つも詭辯を積重ねてゐる。この種の詭辯を利用する人間は、信用してはならないのだが、金田一は「偉い學者」だから、多くの日本人が騙される。
私のモノサシと言つてゐるが、さう云ふ
私のモノサシで「国語の乱れ具合」を計るのは「正しい」と思つてゐる。
私のモノサシを認められる訣がない。「いや、認められる!」と、案外多くの日本人が考へるのでないかと思ふのだが、認められる訣がないではないか。大體、「自然な言語の状態」としての「言葉の乱れ」を論じて來たのに、いきなり「言葉の乱れ」を計る
モノサシが「人の定めた基準」にすりかはつてゐるのである。金田一の言つてゐる事は詭辯も良いところだ。ところが多くの日本人が金田一の詭辯を見拔けない。やつぱり、「偉い學者」が言つてゐる事だからと、權威主義的な發想で、進んで騙されてしまふのだらう。
……昭和三十八年の秋、『読売新聞』の夕刊で「日本語の乱れ」という題で、五、六人の人がかわるがわる一千字ぐらいずつの短文を執筆していたが、中で福田恆存氏は、はっきり例をあげて、自分は「見られる」を「見れる」というように言うのを乱れていると言うのだと言って、さすがにすじが通っていた。これはこれなりによかった。それから、池田弥三郎氏は、一体「乱れている」、「乱れている」と言って、どこがどう乱れているんだ、と開きなおっており、これはもっとよかった。……
私は、ここで根本的な疑問を提出する。たとえば、福田恆存氏のような人は、現在の日本語を乱れていると見て、筆をとればその乱れを嘆いておられる。乱れがおさまることを願うような口調である。が、ほんとうのところはどうなのであろうか。
福田恆存氏は、日本語の乱れを心配すると言われる一方では、文部省が送りがなの基準を定めたことを攻撃し、また、今、国語審議会で「むずかしい」と「むつかしい」との両形あるのを一つに統一しようとしたりしていることを、つまらぬことだと言われる。しかし、そういう審議会の仕事は、日本語の乱れを改める仕事であることは明らかである。氏は、送りがなの統制のなかった昔をよかったと言い、「むずかしい」「むつかしい」のようなちがいは無視せよと言われる。氏の論を軽率に読むと、文部省というものは、日本語を乱すように乱すように政策を打ちたててきたようにとれる。が、実際は、そうではないこと、上に述べたとおりである。さればこそ、『国語白書』などで、しきりに日本語の乱れを説いているわけで、この点などは、福田氏と文部省とは口うらを合わせているようだ。
福田氏の考えは、私に言わせると、乱れの統制を内閣告示というような形で行なうのがいけない、ということにある。とすると、氏が、無造作に、「日本語は乱れている」と言われることは、誤解を招くおそれが多分にある。氏は、「日本語の乱れ」を心配しているのではない。氏の趣旨は、文部省の新しい国語政策の攻撃にあり、氏の言われる「日本語は乱れている」は、かりて来た錦の御旗である。
「日本語が乱れている」と人びとに警告を発することは悪いことではない。大いにけっこうなことである。これによって人びとは正しい日本語を使おうと気をつけることになる。また、文部省の国語政策に対して、批評することも、けっこうである。たしかに、適当でない政策がいくつかあった。今から改めなければならないところはたくさんある。しかし、それに対して、「日本語が乱された」と言って攻め寄るのは、すじがちがっていた。
そういう審議会の仕事とは、即ち表記の基準を示したりする事であるが、それが
日本語の乱れを改める仕事であると云ふのは全く明かな事實ではない。「むずかしい」「むつかしい」と異る言ひ方がある事を金田一は「国語の乱れ」と稱し、それらの違ひを統一するのを「良い事だ」と信じてゐる。だが、そんな馬鹿な話はない。「むづかしい」「むつかしい」は、歴史的假名遣で書けば明かなやうに、「づ」「つ」の違ひ、濁音であるか清音であるかの違ひでしかない。濁るか澄むかの違ひでしかない。これを統一しようとするのが「つまらない事」である事こそ、日本語の歴史・日本人の感覺を持出すまでもなく「明かな事」だと言へる。
福田氏は、私に言わせれば、むしろ、日本語の乱れを楽しんでいる一人である。と極附けてゐる。この極附けは、逆に金田一の動機を説明してゐる。金田一は、自分が「日本語の乱れを楽しんでいる」から、批判對象である福田氏もさうだらうと思ひ込んでゐるのである。金田一は、
私もある点においては、日本語の乱れを歓迎している。と述べてゐる。「ある点」と金田一が強調するのは、「乱れであっても使いやすいなら良い」「乱れであってもそれが日本語をよくしていくのに役立つなら良い」と云ふ事である。が、どうもかうした一見プラグマティックで合理主義的な發想、安直であるやうに思はれてならない。が、それなら一々「日本語の乱れと言う人」の動機など穿鑿せず、ただ「良い『乱れ』」と「悪い乱れ」を、理由を擧げて述べればそれで良かつたのではないか。金田一はかう述べる。
これを要するに、多くの人は今の日本語に色々不満をもっている。そういう人たちは、その不満があるということを「乱れている」と表現しているのだと思う。
なお、この「日本語は乱れていない」という論は、もともとは私自身への警告のために書いたものである。私は趣味・嗜好の点ではきわめて国粋的・保守的の人間で、机のわきのラジオからエレキ・ギターが聞えてくると、うるさがってスウィッチを切るが、長唄やお箏が聞えてくると、勉強をやめて演奏に聞きほれる方である。だから日本語でも、旧字体・旧仮名に愛着をもつ。「唄」や「箏」が当用漢字にもれたことを悲しく思う。「日本語が乱れている」という叫び声は、そういう私の耳にはきわめてこころよく響く。しかし、そう考えていいものかどうか。それは個人的な感情にもとづくものではないか。そう考え出したら、次から次へ疑問が起こり、それを書き連ねてみたら、このような文章が拙来たというのが実情である。
だから、私は、言語学を専攻する者としては、私の論が論破されないことを願うが、個人としては、私の議論を論破して迷いをさましてくれる人が出ることも望んでいないとは言えない。その意味でも忌憚のない御意見をうかがいたいと思う。
もはや引き返せない。今さら方向転換はできないと思います。と述べる。
後になってわかったことですが、あそこ(「当用漢字」:野嵜注)で用いられている略字っていうのは、決してあの時になってやったんじゃなくて、大正十二年の常用漢字の時に略字の百五十四字というのが示されて、それを見ると、当用漢字の略字はほとんど常用漢字の時に示されているわけでして、あの時にもっとほかの略字も入っているから、当用漢字を決める時に、もう少し勇気を出してもう一段やさしくすりゃ出来たはずだがなというくらいに思うんですよ。とまで言つてゐる。また、重要な發言として、「当用漢字」は
前文にたまたま「制限」ということばがあるから制限というような感じになったと思うんですけれども、結局、目安として制限していたんだと思うんで、国民が漢字を使う時に、ああ、だいたい、この辺の漢字を使って、この範囲内でやって行ったらいいんだな、というふうに使う目安が出来て、日本語の中での漢字の役割というものがあれでわりと落ちついてきたと思うんです。と云ふものを引用しておく。現在の「常用漢字」も「目安」と言つてゐるが、林の發想からすれば、これも「制限」になりさうだ。
また昔の話になって申しわけないんだけど、当用漢字表をどうしても作らなきゃならんということを、戦後の国語審議会の委員会が承認したのは、占領軍が実行した読み書き能力の調査の結果だったんですよ。「リテラシー」ですね。その結果があんまりひどいんでびっくりしちゃった。こんな調査は占領下でなきゃ出来なかったと思うんですが、その調査結果は、現に東大の出版会から出たと思う。と發言してゐる。前にその調査結果について「闇黒日記」で書いたけれども、實は「国語審議会の委員会」の委員の理解の仕方が異常で、「占領軍の調査」の結果を正しく讀取れる人間の目から見れば、日本人の讀み書き能力は全然非道くなかつた。統計のデータは客觀的なものだが、それを分析し、解釋する人間の主觀で何うとでも利用可能になる。日本の國字改革でも統計データの「分析結果」が惡用されてゐる。そして、何度でも改革の實行者らはその「結果」を用ゐて、自分逹の惡行を正當化する。
新字体の功績は、さきほどもおっしゃったように、その一つは、新字体と称して略字を認めたことですね。と述べる。中島健蔵がそれに便乘して、
ただ正字法という考え方がね、怪しいんですよ。国木田独歩全集をやった時に、塩田良平君が正字主義なんだ。あれは厳密に言えば『康煕字典』的な考えなんですよ。云々と、塩田氏を非難してゐる(擧句、
塩田君も、後で多少反省していた。と附加へる。「塩田氏本人が自らの非を認めた」のだから「塩田氏が間違つてゐた」のは確實、と云ふ印象を人に與へるのが中島の目的である。そして、塩田氏がゐない場所で中島が勝手に「塩田氏が非を認めた」事にしてしまつてゐるのが問題)。さらに中島は、
ぼくなんかでも初めは略字が嫌いで、正字が好きという傾向があった。青年時代っていうのは案外保守的なんですよ。難しい字を書くのがうれしいんだね、正直言うと。
案外、青年時代っていうのは変にペダンティックなとこがあって。と言つて、正字を使ふのは尻の青い愚かな連中が粹がつてする事だ、或は、若氣の至りに過ぎない、と「大人」の立場から極附ける。略字を平氣で使ふのが「大人」なんだよ、と言つて、中島は「敵」を「諭してゐる」。人を馬鹿にした態度で嫌らしい。中島の物の言ひ方では、中島の反對者は「青年」であり「物事が解つてゐないガキ」になつてしまふ、それでは「大人」の中島に反論する事それ自體が「愚かしい事」になつてしまふ。かう云ふ風な「事實上の反論封殺」が中島は得意である。
漢字の場合、当用漢字表がいちばん初めに出来たとき、これは永久に固定しようっていう気は一つもなかった。と述べる。なるほど、それは慥かにさうだらう、だから「当用漢字」と云ふ訣だ。だが、「漢字表」が可變であつても、「漢字表の精神」が不變であつたらどうしやうもないのだ。中島は言ふ。
いわゆる国語白書っていうやつがある。「国語問題要領」ですよ。あれはぼくが原案を起草したんだけど、その時にもそういう考へははっきりしていた。望ましいこととして、難しい漢字をむやみに使うな。同時に、もしも漢字の知識が与えられなければ社会生活が出来ないじゃないか。われわれはその意見だった。中島には、「漢字の字劃を減らす事=漢字を易しくする事」で初めて日本人は日本語を書けるやうになり、社會生活を送れるやうになる、と云ふ發想がある。そんな馬鹿な話はないし、實際、昭和二十年まで、そんな事實はなかつたのだが、事實はなくても中島は理念で現實をねぢ曲げる。そして、理念に盲ひた人間にとつて、強硬な反對者は恨むべき人間となる。中島は言ふ。
ところが頑固だったのは作家だ。舟橋聖一なんぞとは、ぼくは遠い親類なんだけども、当用漢字表を制限としか考えず、国語審議会でけんかのし続けだった。「漢字表を固定する事」と「漢字制限」とは全然別の話の筈だが、なぜか中島の頭の中ではリニアに繋がつてゐる。この邊の中島の發言は目茶苦茶な上に、敵を呪ふ非道いものだが、かう云ふ人物が戰後の国語改革を主導した、と云ふのは全く以て嫌な話である。が、世間の人はさうは思はない、今の国語の表記にして呉れた「恩人」として、中島をマンセーする。
そうですよ。と賛意を表する。
ですから今度の新漢字表っていうのは、当用漢字の延長線上にあるもので、一大改革とか、戦後の方向が変わったものじゃ全然ないとわたしも思っているんですよ。だけど、どうも各紙の報道は、復活派の勝利とか、方向転換……ずっと漢字が減る方向へ方向へと行きつつあったのが、ここで歯止めがかかって、また増える方向に行くんじゃないかというふうな受け取り方をしていますが、あれはおかしい。どこにそういう気配があるんだろうと思ってね。全然そうじゃなくて、当用漢字の千八百五十字という線は、だいたい良い線なんだということを言ってるわけでしょう。ただ個々の字は、もっと適当なものがあるかもしれない。それこそ時代が変わって行けば、字だって種類も変わりますもんね。だから当然二十年ごとぐらいに一部の差し替えということはやって行って、基本は変わらないけども、小部分はいつも変わっている。その点では中島先生のおっしゃるように、三十年も放っといたのがいけないということはありますね。――林大は「常用漢字」以降も國語政策に關はつて來た人物であり、その人物が述べてゐるのだから、現在の「常用漢字表」は「当用漢字表」の「一部の差し替え」でしかなく、國字改革の精神――「正字を使はせない」と云ふ方針――は不變である、と云ふのは、事實である訣だ。
ぼくは以前、漢字はなるベく少なくしたほうがいいとさんざん主張したほうなんですよ。今は変節したわけじゃないけど、現在の程度なら残しといてもいいというふうに変わっちゃった。その時は、理論的には、ぽくはローマ字論者でしたが、ここには、話しことばと書きことばとの混同があった。話しことばを中心に考えれば、いやでも表音主義になる。ところが黙読の場合は形象論が重要になる。今でも、理論的にはなるべく表音にしたほうがいいと思うけれども、自分の習慣として、横書きで全部ローマ字なんていうのは、自分で原稿を書いても早く読めない。ローマ字でタイプで日本語を打ってごらんなさい、打つのは早いけど、自分で読むのに骨が折れてしようがない。(笑)ローマ字では拾い読みになって断片的にしか形象化できないんですね。だからぼくは一生、漢字かなまじり文の右書きのタテ書きで通す。それを製版の時に横組みにしようと、それはかまわないというふうになったんですよ。例の福田氏を散々罵倒した「会長」氏、中島は「変節したわけじゃない」と言つてゐるが、あんたは何う見る? どつちにしろ、こんな考への人が國字改革を主導する立場にあつた、と云ふのは問題でないか。そして、かう云ふ人物に主導された國字改革は、やつぱり間違つてゐたと見るべきでないか。にもかかはらず、既成事實として國字改革は「受容れなければならない」ものか。司会が、
そして漢字で書いたほうが同じ紙面の中に伝える情報量がたくさん入るわけですね。とコメントすると、中島は、
そういうことになる。と受ける。
理屈を言やァいろいろあるでしょうけども、平がなで漢字かなまじり文というのが安定しちゃったんじゃないですかね。
じゃ片かなを廃止しろというのも反対なんだ。これははっきり変節ですよ。もとは、音表文字は一つにしろ、いやならローマ字をやれとか言ってたんだけど、考えてみると、日本では漢字があるだけでなく、平がながあり、片かながあり、ローマ字があるんですよ。コンピューターが入って来たでしょう。あれは将来四種類みんな記号として使えるんですよ。そういうことを考えると、いたずらにシステムを簡略化するということがいいか悪いか疑問になって来ちゃった。「会長」氏はこの「變節」、認められるか、られないか。しかし、「變節」後が「正しい」としたら、その前の考へ方は誤なのであつて、その誤つた發想に基いてとつた行動は、反省されてしかるべきでないか。もちろん、反省したら、その行動は撤囘するのが普通だらう。なぜ中島は何も反省しないのだらう。なぜ國字改革自體を撤囘しないのだらう。中島は、「この程度の變節は何の問題もない」と思つてゐる。だが、本當に「何の問題もない」のか。俺は「問題がある」と思つてゐる。中島の「變節前」の發想に基いた國字改革は撤囘されるべきだと思つてゐる。
ナウなヤング (死語?) が集まる渋谷。なんて事を言つて「俺は面白い事を言つた!」と思つてゐるやうな「オヤヂ」の人がやるイヴェントだから、最う何うしやうもない。
(死語?)なんて自分で自分の言つてゐる事に「突込み」を入れて何うするんだよ。
「等」に「など」と云う読み方はないと云う話を聞いた。詰り、「膠着語、屈折語、独立語など」を「膠着語、屈折語、独立語等」と書くのは間違いらしい。典拠が分らなかったので、辞書で調べて見た。
しかし、広報紙の記事で使う場合は、住民に対して話しかけるように文章を書くことが望ましいので、「〜など」を使ったほうがいいでしょう。
話しかけるような表現に「なる」と云ふ理窟が全く解らないが、何うしてこの文章を讀んで
これによると、「等」に「など」と云う読みはないらしい。等と解釋出來るのか解らない。
ですが、日本は世界で一番成功した社会主義国家と言えそうです。――譬喩とか揶揄とか或は皮肉を云々。「一番成功した社会主義国家」なる言ひ方は、この場合、「鉤括弧附き」の言ひ方でしかない……。
無茶苦茶儲けると、それだけで警察に捕まる(^^;つて何だ??? 別に「それだけ」で捕まりはしないぞ。かの村上氏や堀江氏だつて、「儲けたから」捕まつたのではなくて、「儲け方が正しくなかつたから」捕まつたのだ。
P・E・モアーの『批評論』を讀むと、その内容は全面的にアーノルド論であるほどにもアーノルドにおいて批評といふことは中心的課題である。逆にまた凡そ批評の問題に關する限り、それほどにもアーノルドは重要なのである。ところでかねがね私の考へてゐることは、わが國において文化の個別的な局面のどこを探しても見つからないものが實は、何でもない批評家といふ一個の職能者であり、ましてそれらの局面の綜合された文化の全局面を洞見するだけの識見に立つ批評家に至つては皆無に近いのではないかと思はれるのである。どの綜合雜誌を開いてみても、その卷頭を飾つてゐるものは或る特定の學問を專攻する學者の講義のノートの一片であつて批評ではない。どの新聞の社説を覗いて見ても特定の技術家の技術的勸告でなければ、いつまでたつても行儀の惡い日本の大人の通俗的訓誡以上の何ものでもない。文壇の批評といへば、どの小説家がこのごろ賣り出し、どの作家が落伍しかかつてゐるか、誰が誰を讚め、誰が誰をけなしたか、どの老大家が老來益々健筆であるかといふ風な文壇樂屋噺がその大部分を占めてゐる。この世界は年齡別、出身別、階級別などによるいくつかの陣營に分たれてをり、文藝活動に何か包括的な理念を導入することは何となく野暮臭い感じを誰もがいだいてゐる。
居酒屋ではどのカストリ醉人もみな批評家だが、その批評はいはば不平の客觀的對應物なので、心中の不平が泡盛りとなつて發散する時刻が批評の消滅する時刻である。一般に日本人はみな批評家であつて、しかも當の批評そのものはみな泡盛り批評であるといへるであらう。デモクラシーの大網が確立されたにも拘らず、巷に溢れる不平不滿は徳川政權の下において落首、落書に求めた表現をカストリに求めてゐるといふだけの進歩に過ぎない。その傍らにおいて雜誌の卷頭を飾る高級言論は思想の技術家の難解にして煩瑣な哲學史の一齣に外ならず、一部の知識人の知識欲を刺戟するだけで、實際社會の進歩と何の係りも持たない認識論や存在論に充ちてゐるといふ批評の日本的性格が反省されなければならないのである。
……もちろん批評家が批評家となる豫件として、有名なアーノルドの定義に示されたやうに、「この世において考へられ、知られた最も善きものを認識する」必要を負はされるといふ點では哲學者の任務と共通點を持つてゐる。結局、認識の問題は最後まで批評の任務として解除されることの出來ない重荷である。……しかしそれと同時に、運命の十字街頭に立つて二者擇一をせまられた場合、單に一方が他方より好ましいといふプレファランスの問題に留まるならば、それは何も批評家の出現を待つまでもなく、われわれ常人が本能的に具へてゐる身體的な分別といふに過ぎない。その際、眞の批評家の眼前に運命的な課題としてのしかかつて來るものは、どの道が好ましいかではなくして、どの道が正しいrighteousかといふ、極めて目標の明確な、決定的な、判斷と決斷の確かさである。このやうな狙ひの確かさといふもの、これのみが批評家を技術的哲學者から分つところの分岐點となる。批評家が必ずしも哲學者たるを要しないといふこと、しかも眞に偉大な批評家といふものがどれだけ稀有であるかといふ理由がここから發生する。何が正しいかを決定するものはその批評家の持參する單なる思想の正しさにあるのではない。思想と運命との交錯點から強要される決斷の確かさである。……。
この「正しさへの感覺」とは單なる正義感ではない。泡盛りの正義感、手盛りの正義感――これは戰前、戰中、戰後を通じて日本人の誰もが最も得意とする正義感なのである。居酒屋の醉人が一人として正義派でない者はないのである。self-righteousでないものはない。またイギリスはこのself-righteousnessを基盤として十七世紀以來「ピュリタニズム」の傳統を築き上げた。しかし眞の批評家における「正しさへの感覺」といふものはこのやうな直接の自己主張の形を以て現はれて來るのではない。誰もが自分の正しさを主張する――つまり、アーノルドが「自由主義」といふ美名からその歴史的光被を剥ぎ取つて、それに代るに(doing as one likes)といふアイロニカルな俗語を以てこれを揶揄した所以は、そのやうな直接的な自己主張に立つ正義感がまさに「教養」の否定としてのアナーキーに結果する必然の成りゆきを見拔いてゐたからである。思想の運命への預言者的洞見を有つてゐたからである。われわれの新聞が、雜誌が、毎日のやうに十年も二十年も凝り性もなく反覆し、發散してゐる正義感が現實には何ものをも建設することなくして、歴史的結果はむしろ意地惡くその反對側にばかり廻つてゐるといふ恐るべき勢力の浪費こそ、アーノルドが「アナーキー」といふ言葉で表現してゐる當のものなのだ。
……「自然的勢力」の優勢が直ちに「正」の場となるのではない。もちろん自然的勢力の場を外にして如何なる「正」も實現されはしない。だから、人類の運命の大勢としてアーノルドはデモクラシイと平等の方向を一刻も見失ふことをしない。しかし一人の人間の思想を直ちに階級的・政治的立場において神格化することと、人類の歴史の傾向としてのデモクラシイと平等とは區別されなければならないのである。……。卑近な例をとるならば、日本の封建時代、明治の議會政治模倣時代、戰後の民主主義時代を通じて、何一つ實質的な政治的進歩の跡が見られないといふことは一體どういふことなのか。それは日本人の心理の習性として、いつまでも「正」の觀念が「自然的勢力」の範疇のなかで考へられてゐるといふことの結果なのである。政黨がいくつ生れても、その各々の政黨が自分免許の獨善を振り被つて、議會を力づくの押し合ひの土俵際と考へることの結果なのである。學生の野球の應援團が「勝つた方がえい!」と叫び、「勝てば官軍、敗ければ賊」といひ、戰爭に敗ければ飛行機が足りなかつたからだと考へ、無事に助かれば「まあよかつた!」と挨拶するその心理が問題なのである。つまり民主主義といふ形で一應「正」の發現場所が用意されたにも拘らず、心理的に未だ'right is not ready'(「正」が用意されてゐない!)ことの結果なのである。
イギリスの議會政治において、「正」は批判の形を以て、現實的に可能な限りにおいて理想的な表現を見出した。しかし、アーノルドの「正しさへの感覺」にとつては實はそれから先が問題なのである。政治の場に用意されたrightは未だ何時でもforceに左右される危險に曝されたrightにすぎない。だからアーノルドは必然に單なる政黨政治の評論家たることに甘んずることが出來ない。アーノルドにとつては政治を含めてのイギリスの文明の在り方が問題なのである。……。