闇黒日記

國語問題協議會 第七十五囘講演會 案内
日時
平成十六年十一月二十日(土)午後二時より
會場
日本倶樂部 大會議室 (有樂町 國際ビル八階)千代田區丸の内三―一―一(電話 〇三−三二一一−二五一一)
講演會
午後二時から四時半まで
四十五周年を迎へて
本會會長 東京大學名譽教授 宇野 精一
福田恆存と國語問題
東京大學名譽教授 小堀 桂一郎
福田恆存の思ひ出
早稻田大學名譽教授 松原 正
懇親會
講演會終了後、同所にて午後五時から七時まで
會費
講演會參加費一千圓、懇親會費六千圓。
準備の都合上、十一月十日までに出缺を葉書または電送にて御返事下さい。會場定員を超過した場合、お斷りすることもあります。また、會場は日本工業倶樂部ではありませんので御注意ください。國際ビルは帝劇のビルです。
福田恆存歿後十年記念―講演とシンポジアム
日時
平成十六年十一月二十日(土) 午後二時三十分開演(開場は三十分前)
會場
科學技術館サイエンスホール(地下鐵東西線 竹橋驛下車七分)
特別公開
福田恆存未發表講演テープ「近代人の資格」(昭和四十八年講演)
講演
山田太一「一讀者として」、西尾幹二「福田恆存の哲學」
シンポジアム
西尾幹二、由紀草一、佐藤松男
參加費
二千圓(※電話またはメールで事前にお申し込み下さい))
主催
現代文化会議
電話
〇三−五二六一−二七五三(午後五時〜午後十時)
メール
bunkakaigi@u01.gate01.com(氏名、住所、電話番號、年齢を明記)

平成十六年十一月十九日
「癡呆」が差別用語として認定されたらしいですよ。「認知症」に言換へられる事になるらしい。
「ぼけ」なんて言つたら怒られる時代なんですね(赤肩)。「馬鹿」もそろそろ「論理的思考症」とか言換へなければ駄目ですか。
平成十六年十一月十九日
「赤肩な」の意味と読み方が分りません。
思はず「半年POMれ」とか訣のわからないレスを附けようとして我に返つた。
平成十六年十一月十九日
ますます分りません。
思はず「そこは流せ」とか以下略。げんしけん、まだ觀てない。
平成十六年十一月十九日
にじうら事典、消えてるし。
赤肩隊
装甲騎兵ボトムズのレッドショルダー隊から。にじうらでは常に遲刻して來る奴ら。轉じて、既に過去の話題、遲れた話題となつてゐる事を今更蒸返す事を「赤肩」と云々。
掲示板のジャーゴンなので讀みは適當でよろしいかと。
平成十六年十一月十九日
今期の視聽中あにめリスト。
流星戦隊ムスメット
世間的には評判が惡いやうだけれども、それなりに觀られるよ? よくわからない理由で續いてゐた鬱展開がやつと終つた。
舞-HiME
世間的にも評判がよろしいやうだけれども、慥かに面白い。いろいろな作品のパッチワークなのだが。
ローゼンメイデン
にじうら的には評判がよろしいのだけれども、今一つかつたるい感じ。まあまあ面白いけれども、DearSの方がSFとして「なつてゐる」やうに思はれる。
うた∽かた
鬱展開がえんえん續いてゐる。一往視聽繼續中。
神無月の巫女
第一話で一度觀るのを止めたのだけれども、話の展開が亂暴過ぎるのを氣にしなければそれなりに面白い感じもしないでもない。三十分我慢して觀ないのもアレなので氣が向いたら視聽。
W〜ウイッシュ〜
第一話で(r。投げやりな氣分で觀るとそれなりに。
Φなる・あぷろーち
今期の途轍もない大穴。
吟遊黙示録マイネリーベ
ANIMAXで放送されてゐる真下。まあまあ。
ファンタジックチルドレン、月詠、サムライガン、スクールランブル、遥かなる時空の中で 〜八葉抄〜、tactics、双恋、BECK、りりかるなのは、げんしけん、アムドライバー、マ王、学園アリス、ブリーチ、KURAU、グレネーダー、ぴちぴちピッチピュア、プリキュア、ファスナーは取敢ず録畫繼續中。再放送のナディア、ゼンダマンも録畫。
CS。北へDDD、天使のしっぽ、DearS、ボトムズ、どれみ、バルディオスは、保存の爲、録畫中。
平成十六年十一月十九日
何でこんなに變なミスをするんだらう俺。そろそろ死ぬのか。
平成十六年十一月十九日
舞-HiME、なんか鬱展開に……。

平成十六年十一月十八日
激しく赤肩な話題だが、昔のDr.スランプのOp.とEd.は水森亜土が手掛けてゐたのですねー。

平成十六年十一月十七日
BOOK TOWN 神田 タウン情報 東京堂書店
改裝前の店内の寫眞が。なつかしい。
平成十六年十一月十七日
http://esu.oresama.org/200411b.html#20041116_s0
VirtualPCでえろげ
DOS/V初期の頃、ゲームを樂しむよりも、ゲームを動かす事それ自體を樂しんでゐたのを思ひ出した。當時はconfig.sysとautoexec.batを弄らないと起動しないゲームが結構あつた。ゲームはあんまり面白くないフライトシミュレータの類が殆どで、遊びやうがなかつたので、起動したら遊びは終り。OS/2でも、DOS/V版プリメ2とかSimCity2000を動かさうとしたりして遊んだ。SimCity2000は結局OS/2では起動しなかつた。Windows95では何の苦勞もせずに動作して嬉しかつたが、動いてしまつたら最う遊ばないのでHDDの肥やし。
今ではその手の「遊び」は飽きました。2.4のカーネルを使つてゐるVineLinux 3.0にサウンド關係のドライヴァを導入するのは苦痛。と言ふか音ならないよ。殺す。

平成十六年十一月十六日
100選投票結果発表
中學生向けだよ、このリストは。元氣の良い中學一年生邊が通學の電車の中で頑張つて讀むと良い。
三木清が入つてゐるのはちよつと謎。そんなにメジャー?
平成十六年十一月十六日
數箇月前に拾つた世界ノンフィクション全集を二册持歸り。第一卷所收のA・チェリー=ガラード「世界最悪の旅」を讀み始めたら面白いので明日も通勤の電車の中で頑張つて讀む積り。

平成十六年十一月十五日
マイネリーベ第二話。退屈な話だが、意外と味がある。
平成十六年十一月十五日
なんか今、にじうらに正字使ひの人がゐる。
平成十六年十一月十五日
なんか今、にじうらに正かな使ひの人がゐる。

平成十六年十一月十四日
土曜日深夜恒例のTVK糞あにめタイム終了。糞とか言つてゐるけれども、それはそれとして覺悟してゐればそれなりに觀られる。
Φなる・あぷろーちがなぜか今囘はいきなり「いい話」になつてゐるし。
平成十六年十一月十四日
虹裏で、「幽靈が出た」と横浜の「」がスレを立ててゐるが、住所を晒すのは何うかと。

平成十六年十一月十三日
ガンダムSEED DESTINYがあと三十分で始まるのだけれども、今週は何が起るのでせうか。本當に何か起きて放送中止になつたら神。
ちなみに、あにめの内容には期待してゐない。
平成十六年十一月十三日
何事もなく終了。
音聲を聽きながら、にじうらを見てゐたのだけれども、非道い脚本だなーと思つた。

平成十六年十一月十二日
中共の潛水艦が出没する話は以前からあつて、例の東シナ海のガス資源のみならず、沖繩近海の資源まで連中は調査をしてゐるとの事。
資源調査もさうだが、太平洋へ出る海路を調査する事も、潛水艦のやつて來る目的。
平成十六年十一月十二日
「福田恆存の後繼者は君だ」と福田氏が西部邁に言つたと云ふ傳説があつて、某兄弟の弟の方が信じてゐたやうだけれども、都市傳説である。實際は、「福田恆存の後繼者は君だ」と言つて貰ひたくて、西部が病床にある福田氏を訪れた、と云ふ處だつたらしい。そんな訣だから、福田氏の西部氏に對する印象は惡い。
鰻を御馳走された西部氏が「おいしい」と感想を述べたところ、「そんな女の言葉を男が使ふものではない。男なら『うまい』と言へ」と福田氏に叱られたさうである。
福田邱から歸つた西部氏は、西部事務所で福田氏の惡口を散々言つて、聽いてゐる方が氣分を惡くする程だつたと言ふ。
平成十六年十一月十二日
aozora blog: 人名用漢字 2004年9月27日改正から生じる疑問
何うして正字正かな派の人逹は、かう云ふ場で全然發言しないのでせうか。俺は最近ミスが多いから、頭の良い他の方が、かう云ふ時には口を出すべきで云々。
掩護射撃していただいた「さなぎ」さんには感謝。

平成十六年十一月十一日
ITmedia エンタープライズ:みんな、Firefoxを褒め過ぎだ (1/3)
John Carroll氏の文章の飜譯。
外人さんは日本人が日本語で叩いても氣にしないだらうしねえ。
Firefox, bah humbug | Tech News on ZDNet
平成十六年十一月十一日
田村書店の無料本を大量に囘收。
時枝誠記『日本文學教養講座十四 古典解釋のための日本文法』至文堂
泉鏡花『照葉狂言』養徳叢書6
『古典解釋のための日本文法』は、僅の間に三册集つた。
平成十六年十一月十一日
某所にて會合。いろいろと話し合つたけれども内容は秘密。某さんはいろいろと大變らしい。ので、一部引繼ぐ。豫定。

平成十六年十一月十日
本日の買物。
石原藤夫『靖國神社一問一答』展転社
江藤淳・小堀桂一郎編『新版靖國論集』近代出版社
庄本光政『改訂増補神道教化概説』神社新報社
編集解説臼井吉見『現代教養全集十三 日本の近代』筑摩書房
平成十六年十一月十日
神保町の交叉點で「戰爭反對」を叫んで署名活動をしてゐたをばさん逹は、「アメリカはイラクで民間人を虐殺してゐる、許せない」とか言つてゐたのですが、なぜかアメリカ軍の攻撃對象であるイラクの武裝勢力の存在については一言も觸れませんでした。なぜなのでせうね。一方的にアメリカだけを惡者にしてゐるのですが、さう言ふ不公平な態度をとる事が「平和主義」なのでせうか。
なんか日本が憲法第九條を守ると世界が平和になるみたいな事を言つてゐるし。

平成十六年十一月九日
なんか闇黒日記を止めろと言はれてゐるのだけれども、止めた方が良いと思ふ人は擧手。
取敢ず、「闇黒日記は全てネタ」等とは絶對に認めない。逆に、どんなネタにも眞理の斷片を紛れ込ませるくらゐの事はしてゐるとすら俺は言ふ。
「解つて貰へるやうに努力すべきだ」と云ふのには同意。だが、日記は日記であり、下書き以上のものではない。だから、日記の記事を何うにかする積りは全くない。そもそも、解らん奴は、どんな風に言はれても解らん。だが、解る人には解るやうに書いてゐる積りだ。
冷静さを身につける氣は全く無い。それをやつたらアレクセイと同じになる。
あと、人を石原や古舘と一緒にするな。「見てゐない」と言つてゐるが、一往内容は知つてゐる。連中とうちとを一緒くたにするやうなのがうちの讀者だとは情けないとしか言ひやうが無い。そんな事を言はれるのなら、俺はろりこん小説を書かない。
以上。
平成十六年十一月九日
と言ふか、止めるのなら本當に完全に止めて、にじうらの一介の「」になつても俺は全然構はない。どうせ俺一人が何をやつても、世間の大勢は變らない。

平成十六年十一月八日
http://d.hatena.ne.jp/strange/20041106
「法的根拠に基づかない個人情報の開示」っていうのは、警察が任意にうんぬんというやつが話のメインではない。どこかのソーシャルハッキング好きのひとが巧みに個人情報を引き出そうとするのに対処できるのか(これは2番の運営面の能力ともからむけど)。毎日毎日甲高い声でクレーム電話をかけてくるババァの応対をしても個人情報を開示しないのか。右翼が街宣かけてきても個人情報をホイホイ出さないか。とまあ、そういう面が一番あやういとおれは思います。
個人情報が右翼に漏れると利用される、と云ふのは過去に實例がある。東京都のミスで手に入れたメールリスト鐵扇會が使つてスパムメールを送つた事件。
鐵扇會スパム事件
上の俺の文章、文章がかなりアレだけれども、とにかくそんな事件が過去にあつたのだと云ふ事は判つて貰へるかと。
と言ふか、未だに鐵扇會、自分の耻を平氣で晒し續けてゐるので、そちらを見ていただければと。鐵扇會と東京都総務局人権部とのやりとり東京都総務局人権部長、鐵扇會に謝罪す!なんて言つてゐるけれども、鐵扇會が謝罪して然るべきだよ。全く、鐵扇會は、元氣な初心者なんてDQNを會長に戴いてゐるから駄目なんだ。
平成十六年十一月八日
で、まあ、こんな昔の事件を持出して語つたりする邊、俺もネット年寄と化しつつあるなーと感じたのだが、實際、既に二、三年、ウェブで俺は何ら「實績を擧げてゐない」訣で、書いてゐるのはこの日記のみ、流石に何うかと思つてゐるのだが、この世に面白い事等さうさうあるのではないのであつて、それにしても「拔け殼」とは我ながら良く言つたものだと。云々。
平成十六年十一月八日
反體制派や「反米」の人を衝き動かすものつて何だらう、と考へた時に、やはりトラウマとかコンプレックス以外に無いのだな、と思ふ。問題に對する正當な解決を放棄してゐると言ふか。まさしく、負の暗示、ですが。
しかし、匿名・假名で人を愚弄・嘲笑して、「義」とか名乘つてゐるのは御笑ひ種だね。ブッシュと變らないよ。
――この項の記述、はてなダイアリー - devil’s haircutの五日と六日の發言を參考にしました。
人の動機を極附ける人がゐるけれども、極附けられたその動機なるものは、得てして極附けた人自身の動機にほかならなかつたりする。
平成十六年十一月八日
平和主義と云ふ「崇高な理想」を語る人の中に、時としてとんでもなく低俗・下劣なやり方で氣に入らない相手を侮辱し捲つてゐる人がゐるのだけれども、何なのだらう。「武器を用ゐて人を殺さなければ何をしても良い」と思つてゐるのだらうか。「他人の生命を否定するのは惡い、しかし、他人の人格を否定する事は良い」と考へてゐる平和主義者を、俺は斷じて認めない。と言ふか、上の某惡魔氏だとか、町山氏だとかの事を言つてゐる訣だが。
平和主義者なら、敵を作るな、敵を憎むな。他人と鬪爭する積りなら、平和主義なんて放棄すべきだ。敵の存在を認めた瞬間に、人は戰ふ事を認めた事になり、戰爭を認めた事になる。そして、俺は、敵の存在を認める事も、戰爭も認めてゐる。正義を信ずるならば、どちらも避けられない事だからだ。だが、戰ふべき相手の存在をはつきり表明し、露骨に敵意を示してゐるにもかかはらず、「戰爭は良くない」と言ひ、「戰爭主義者」を罵倒してゐる輩がゐて、彼等は「平和主義者」を自稱してゐるのだけれども、それは二枚舌を使つてゐる事だと思ふ。その二枚舌が俺は氣に入らない。
平成十六年十一月八日
吟遊黙示録 マイネリーベを觀た。氛圍氣は腐女子向けマリみてだが、野郎同士の話なのでぎすぎすしてゐる。おつさんキャラが真下らしい。
登場人物の人氣投票のコーナ、他の投稿者への人格攻撃をしてはいけませんとか中傷記事はいけませんとか、注意事項が書かれてゐる。
平和主義者にしてもやおいの人にしても、他人を中傷するのは良い事だと信じてゐる人が結構澤山ゐるやうで、困つたものです。
コメントの内容が正しくても削除する事があると。「空氣讀め」と云ふ事らしい。まあ、平和主義者にしてもやおいの人にしても以下略。
平成十六年十一月八日
小宮山の外のワゴンで『私の國語教室』を見附けたので保護。「特別奉仕版」で定價五十圓。古書價百圓。
平成十六年十一月八日
合間合間に蜜柑を貼るんだ。
と云ふ訣で、蜜柑を戴いたので食べるのである。
平成十六年十一月八日
古舘 v.s. 石原の愉快な番組があつたらしいが見損ねた。

平成十六年十一月七日
いただきもの。どうもありがたうございます。早速使つてをります。
平成十六年十一月七日
例のなぜかそのまゝ動いたWindowsXP機、結局をかしいので、諦めてLinux入れた。Vine。音が出ないよ、未サポートだつて。それにしてもLinuxつて使ひ辛いですね。昔のOS/2みたい。良く解つてゐる人でないと全然解らない處が辛い。
ネットワークの設定をGUIのツールでやつたら/etc/network/のファイルに變な文字列を書込んで呉れてをかしくなつたので、諦めてviで修正。
あと、Operaを入れたけれども、マウスの中ボタンの設定をうつかりしてしまつたものだから、Page barを中ボタンでクリックして新しいぺーじを開く時、コピーした文字列が勝手にアドレス欄に入つてしまつて鬱陶しい事この上ないが修正の方法が全く解らない。あと、デフォルトのフォントがふぁんきーなものになつてしまつてゐるが、何とかして下さい。
あと日本語入力の設定も、調べなければ出來ないし。Linuxつて難しいですね。
やつぱり今のLinux、OS/2並の環境だよ。一般人にはおすすめできない。
平成十六年十一月七日
切込隊長BLOG(ブログ) 〜俺様キングダム: 「はてな」から再びスパムがやってきた
前も書いたかもしれないが、個人的には、はてなの今回の個人情報騒ぎは別の動機があるのではないかと思う。ただ、はてな単体で見ると公称16万人、実数たぶん5万人の会員を抱えて運営していく組織が備わっていないのだろうというのはまず確実に分かる。より使い勝手のよいサービス、より多くの来訪者をと願う気持ちは貴重だし、それがベンチャーだとは思うので素直に応援したいところではあるが、近頃の近藤氏のインタビューなどを見るとだんだん話の内容が横柄になっている。具体的に言うと、行っているサービスの機能と、それに伴うビジネスの話がメインに来て客のほうに顔が向いていない。一年前のはてなならこんなヘマはしなかったと思う。
客が増えたので舞い上がっちゃったか、アフィリエイト広告導入で有利な商談でもまとめて早くやりたくて焦っているか知らないが、客を呼べる書き手の流出はそのまま成長のピークを意味するので、近藤氏とその周辺はさっさと初心に帰るように。そこにしか、はてなを支える客はいないんだから。
俺様キングダムなんて名乘る切込隊長氏が、他人樣を横柄だと罵る。「〜するように」なる命令も如何なものかと。
平成十六年十一月七日
http://www.hyuki.com/diary/200411#i20041104143551(自分が「はてな」の利用を停止する理由を考える 2004年11月4日 14:35 @ [2004年11月 - 結城浩の日記])
おそらく私は自分からはてなのidを削除することはせず、 プライベートモードにしたまま放置するだろう。 ということは使えなくなるまで、 虚偽の住所を入力したまま使ってればよいという考え方もある。 でも、それはちょっといやだと思った。 虚偽の住所で使い続けることがいやなのではなく、 いつ「ふっとなくなる」かわからないようなURLに、自分のコストを使うことがいやなのだ。
うん、そのあたりが私の感覚の正直なところかな。 自分が何がしかの時間をかけて小さなノアスフィアを開墾し、Web上に自分の空間を拓く。 私は、便利な機能、面白いサービスを試してみたい気持ちは旺盛だから、 あちこちに首を突っ込む。で、そこに自分のリソースを(わずかなりとも)注ぐ。 たとえばgenpaku.org, aozora.gr.jp, kanshin.com, ... 私の主戦場は自分の書く書籍にあると思っているから、 Web上の活動は趣味といえば趣味だ。 でも、自分のリソースを注ぐ、とても大切な場所だ。
クリスチャンの結城氏だが、感覺はとても日本人的だ。歐米の強烈な正義の觀念と、正邪に關する内的葛藤は、結城氏には無い。結城氏は基本的に我々と同じく感性の人である。結城氏も「神道の信者」なのである。
平成十六年十一月七日
http://d.hatena.ne.jp/doroyamada/20041104#1099572362(2004/11/04 ■ [hatena]住所登録についていろいろ 21:46)
今回の件であちこち見て回った(といってもあまり積極的ではないけど)なかでいちばんびっくりしたのは、偽名で登録していることをカミングアウトしている人がけっこういること。偽名で登録って、きみら、それは詐称ってやつやで。無料サービスやからって、詐称していいなんて理屈はどこにもないで。
http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20041105#assume(2004年11月05日金曜日 ■ [はてな]極めて重要な指摘)
さう、その通りなのだ。こんな簡単なことすら、「個人情報の保護」といふ名目の前ではいとも容易く忘れ去られてしまふ。
勝手にmutronixさんの表現を借りますれば*1、これは「フェアネス」の問題ではないのかなと思ひます。
平成十六年十一月七日
http://d.hatena.ne.jp/bmp/20041104#1099526309(2004 11/04 ■ はてなに関して)
まぁどっちにしろ不正に必要なのは/「公正」であって「住所」ではないことくらい/馬鹿でも理解できる、できるからこそ/何故それが必要なのか、わからん/わからん事を強制させるために/まずおいしそうな餌で誘導したと/で、釣ったのがバレたので/背景*1を説明して弁解するって話かな
http://d.hatena.ne.jp/strange/20041106(2004/11/06 いつか来た道)
今回は、ちゃんと事情を説明して「住所登録を必須にします」といえばいいものを「キャンペーン」とか言い出したのが、対応としてまずかったんじゃないのかなとは思う。「キャンペーンでオトクとかいっとけばホイホイと個人情報を出しそうな、どこぞのブログユーザーとは違うんだぜ!」とでも無意識にでも思っている、はてなユーザーの無駄な選民意識を刺激したに違いない(笑)
http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20041106#p1(041106(Sat) ■ [murmur]「フェア」を成り立たせている価値観みたいのがむしろなんっていうか向こうの土俵っていうか…
でも、その前提になってる、契約によって何かの価値をを交換してるっていう考え方が、他のいろんなこと言いたい人の立脚点になってるのではないか、とも、思う。
たとえば、「個人情報漏れたらいくらほしい?」とかいう質問。Y!BBの前例に乗っかって冗談めかしているんだと思うけど、なんというか、設問にこう、品がないというか、結局そういうものなの? って思うんですねぇ。
平成十六年十一月七日
正直言つて「はてな」は何うでも良いと思つてゐるので適當。
平成十六年十一月七日
私見・偏見(2004年)
最近知つたことだが、日本には最早A級戦犯と称すべき人はゐないのださうである。/といふのは、日本では戦犯はすべて恩赦されてをり、先の戦争に関して非難されるべき人は一人もゐないからである。つまり、日本人にとつては、もはや東条英機は戦犯ではないのである。
「東京裁判」は、國内法に基いた裁判ではないから、「A級戦犯」は最初から國内法的な犯罪者ではありません。
平成十六年十一月七日
http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20041107#link
平成十六年十一月七日
「はてなの住所登録指令は、はてながトラブルを避けたいが爲だけにやつた事だらう?」と言つてゐる人が多いのだけれども、トラブルを避けたいのは當り前の話で、文句を言ふべき事ではないだらう。
平素匿名なり假名なりで氣樂に他人を罵つてゐる人は氣附かないものなのだけれども、それを自分がやられたらどんな氣分であるか。素性を匿して物を言ふ事の價値を諄々と説く人が非常に多いのだけれども、さう云ふ人は所詮、匿名で他人を罵倒して好い氣になる快を貪りたいだけなのではないか、と俺は思つてゐる。
古株の人に、匿名の罵倒を平氣でやらかしたり、匿名の罵倒を支持したりする傾向が案外あるのだが、どうも、昔の「パソコン通信」の頃の惡習を引きずつてゐるやうにしか思はれない。インターネットが失敗したのは、身許を明かして發言する習慣を定着させられなかつた事だ。そして、匿名をうたつたサーヴィスを最初に大々的にやつたのはYahoo!で、だから俺はYahoo!がインターネットを殺したと思つてゐる。そして、そのYahoo!が無料を賣りにしたサーヴィスを定着させた、と云ふ事も考へてみる必要がある。
平成十六年十一月七日
また掲示板荒しがやつて來たので削除。嫌がらせも大概にして貰ひたい。そんなに無職を馬鹿にしたければ虹裏に行けば良いだらう。無職だから何だつて言ふんだ。無職と言ふと人が怒るものだから面白がつてゐるのだらうが、人が嫌がる事はするなと教へられなかつたのか? 「人の嫌がる事は率先してしろ」なる言葉を曲解してゐるのではないか?
人の事を「穀潰し」だの「無職は社會の害惡」だのと罵る連中だが、人を小馬鹿にした態度をとつてゐて何樣の積りだらうと思ふ。
そして、かう云ふ「人を小馬鹿にした態度をとつて見せるのは良い事だ」と思つてゐる連中に限つて、「匿名や假名には意義がある」と主張してやまないし、權威筋を罵倒・嘲弄して好い氣になるのである。
はてなの住所登録について變な勘繰りをしたり、ブッシュ氏や小泉氏に「死ね」と言つたりして、喜んでゐる連中は、「義」の仲間である。
かう云ふ手合の言論は規制されるべきだ。
現在、筋が通つた意見であつても、言ひ方だの何だのが良くなければ、或は、受容れられなければ、價値が無い、とする傾向や氛圍氣が日本にはある。が、筋が通つた意見は、筋が通つてゐるがゆゑに通るべきである。
今、俺は社會正義の話をしてゐるのだし、政治の話をしてゐる。それに對して、「無職」は何うの斯うの、と次元の異る話をして、人を默らせようとしてゐる。が、もし「次元の異る話を持出して默らせる事は許される」と云ふ理不盡を認めるのならば、「義」は當然「國家權力が理不盡な言論彈壓を行ふ事も許される」と主張しなければならない。それでは困るのである。或は、「人の人格を信ずるからその人の意見は信用できるのだ」と主張するのであれば、池田大作先生の人格を信用して創價學會の會員になつた人や、麻原を信じてオウムの信者となつた人を、「義」は馬鹿に出來ない事になる。しかし、「義」のやうなタイプの人に限つて、創價學會やオウムを小馬鹿にして、それで十分批判になつてゐると思ひ込むのである。そして、それは、はてなの住所登録に反對する人にしても、「反米保守」にしても、同じである。
平成十六年十一月七日
かつて唯物論を主張し、既成の道徳觀念である宗教を「民衆の阿片」と極附けた共産主義は、勞働價値説を唱へてエリート主義を取り、獨裁者の出現を許した。かかる歴史上の失敗を目の當りにしながら、學ばないのが「義」等である。
平成十六年十一月七日
そもそも俺は「君には忠、親には孝」のやうな「封建的道徳」を説いてゐない。徳目を絶對の眞理として押附けるやうな事を俺はしてゐないのである。
一方の「義」は、押附けをやつてゐる。それが俺には堪らなく嫌らしいものに見える。
某高橋氏が「天皇主義者」呼ばはりしたけれども、俺は保守反動の主義主張や徳目を「アプリオリの眞實である」と言つた事はない。日の丸にしても君が代にしても「歴史的に國旗であり國歌であつたから拒絶する事はない」と言つてゐるのだし、天皇にしてもやはり「歴史的に君主であつたから拒絶する必要はない」と言つてゐるに過ぎない。國語の表記についても同じ。そして、教育勅語を奉ずる右翼に對しては隨分批判をしたものだし、あれに書かれてゐる徳目は所詮「戸締り用心火の用心」の類でしかないと言つてゐる。そして、さう言ふ薄つぺらい「道徳觀」に基いてゐるから、波江究一のいろはもどきの「実作」を非難した。さう云ふ事が「義」等には解つてゐない。
平成十六年十一月七日
「匿名の論理」が大概をかしい事は、アレクセイの一聯の言動がをかしいのを見れば解る事だ。
あと、「名前を出して言つてゐるのだから匿名の人間に良いやうに馬鹿にされるのは當り前だ」と言つて俺を嘲笑した日本たばこ産業勤務のYahoo!ID「Futakoto_Mikoto_Yokoto」の事を俺は忘れない。そして、さう言ふ根性で匿名・假名を使つて人を馬鹿にしてゐる人間は多いと俺は思つてゐる。
ゴキブリは一匹見掛けたら蔭に三十匹ゐると思へ、と言はれてゐる。アレクセイやFMYのやうな人間は、世間に澤山ゐる事だらう。さう言ふ事を全く問題にしないで匿名や假名の問題を論ずる手合を俺は信用しない。
平成十六年十一月七日
徳保氏が携帶電話の番號を晒してゐるが、携帶電話の番號は身の證にならない。だから木村さんも講演會實施に當つて携帶電話を契約し、番號を公開した。
電話番號が身の證にならないのだから、住所を身の證にする、と云ふのは當然の發想で、だからはてなは住所を登録しろ、と言つたのである。批判者・反對者は、はてなは言ひ方が拙かつた、と言ふのだが、しかし、その言ひ方に拘るのは「揚げ足取り」と言はないか。「言つてゐる事は正しいが、お前の言ひ方が氣に入らない」では困る。
平成十六年十一月七日
ARTIFACT ―人工事実― | はてなの削除基準から。
はてなダイアリー - 町山智浩アメリカ日記
1997年みうらじゅん賞受賞。東京生まれ東京育ち、現在カリフォルニア州オークランドで生活する映画評論家 町山智浩の日記です。
二千四年十月三十日の記述を讀んで思つたのだが。
「みうらじゅん賞の審査の過程において不正が無かつたと云ふ證據は無い」「町山氏がみうら氏に附け屆けをした可能性は否定出來ない」「町山氏の文章を見ると何らかの賞を授賞するに値しない」「町山氏がみうらじゅん賞を受賞したのは不正に據るのである」と云ふ極附けに據る非難は可能ではないか? そして、さう云ふ極附けを「根據」と言張つて、町山氏のコラ畫像を公開する事も可能ではないか? ブッシュ氏の當選を「不正」と極附け、コラ畫像を公開してゐる町山氏には、自分に對するその種の攻撃を止める事は出來ない。町山氏は、それで良いのだらうか?
平成十六年十一月七日
個人情報の流出と絡めてはてなの住所登録問題が論じられてゐるけれども、本當に個人情報流出を恐れてゐるならば、そもそもウェブでの發言を控へるべきではないか。「はてなが個人情報を流出させるのではないか」「はてなから個人情報が流出するかも知れないではないか」と云ふ意見は、ウェブ全體の問題である「個人情報の傳播の問題」の責任を、はてなに全ておつ被せるものではないか。「そつとしておいて貰ふ權利」であるプライヴァシーの權利を主張したければ――と言ふよりも、權利の主張等をおほつぴらでしてゐる時點で既にプライヴァシーなんてものは無いのである。他人からそつとしておいて貰ひたければ、ウェブで物を言ふのは一切やめるべきだ。何故そんなにまでして安全に物を言ひたがるのだらうか。ウェブつてのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。コメント附けた奴といつ喧嘩が始まつてもをかしくない、刺すか刺されるか、そんな雰圍氣がいいんぢやねーか。女子供は、すつこんでろ。云々。
平成十六年十一月七日
「はてなの住所登録させようとした最初のやり方が氣に入らない」と主張する人々が、屡々ブッシュ氏や小泉氏や(その他)を嘲笑するのは如何なものか。他人の口の利き方を注意する人間の物の言ひ方があんまりなものであるのは、何うかと思ふのである。
平成十六年十一月七日
蜜柑が美味しい季節になつたのであります。
平成十六年十一月七日
關係者各位。remote-host「p8154-ipadfx01maru.tokyo.ocn.ne.jp」による投稿は「義」のものです。また人の文章を勝手に轉載して煽らうとするでせうが、例によつて「義」です。何かあつたら通報よろしく。
平成十六年十一月七日
石井勲氏が四日に死去との事。享年八十五。

平成十六年十一月六日
ブッシュ氏の功罪について、「イラク戰爭」と云ふ觀點しかない議論が多過ぎる。
ケリー氏が當選した場合、貿易摩擦の問題が再燃する可能性があつた。アメリカには對日貿易赤字の大問題がある。日本の自動車メーカは現地生産をかなりの程度行つてをり、ブッシュ大統領は前の任期中、問題視しないで來た。それがケリー氏に代つたら、改めて問題にされる可能性があつた。その爲、日本の自動車産業は、ケリー氏ではなくブッシュ氏が勝利する事を期待してゐた。
さう云ふ事は、ウェブでもマスコミでも無視されてゐたやうに思はれる。
しかし、平素、經濟の事には觸れないで來た俺がかう云ふ指摘をしなければならない日本の状況と言ふのも相當異常だと思ふが如何。いや、その程度の事、常識だ、と言はれれば反論できませんが、かの高坂氏ですら、當り前のやうに、イラク戰爭だけを根據に「反米」「反ブッシュ」の發言を續けてゐる訣で。
平成十六年十一月六日
ゴッゴルの結末?
平成十六年十一月六日
http://d.hatena.ne.jp/kanou/20041106#p1
少しだけ浅田彰氏を見直したが多分讀まないと思ふ。閑話休題。
http://deztec.jp/design/04/11/000514.html
……なんて反論は簡単なわけで、結局、それぞれの価値観に照らして「そう思うかどうか」が争点となったりするのだろう。
だから「義」の誹謗を「そう思う」人が出て來るのは正しい事であり、「義」が誹謗中傷を各地の掲示板に書込んで廻つて「そう思う」人を増やさうとするのは正しい事だと徳保氏が涼しい顏で言ふとしたら、俺は徳保氏を憎む。
で、そんな徳保氏が、こんな事を書いてゐる。
信者/宗教/HTML
世間に多いのは、いわゆる(?)「不思議マークアップ」「とほほ HTML」の亜流に属する方々。教祖様のそのまた教祖様をたどっていくと、結局、すべての道は W3C に通じているのだけれど、途中で異教と融合したらしくて不思議な変貌を遂げています。末端信者とか、支部長クラス(中には数万人の信徒を抱えている大物も)になると「HTML というのはホームページを作るためのプログラミング言語」だったりして、面白いですね。
さうやつて他人を嗤ひたければ、自分は一貫して正しい事をやつてゐなければ――少くとも、やらうとしてゐなければならない。
徳保氏の問題點は、「見方は人それぞれ」と言つておきながら、「人それぞれ」である筈の或種の「見方」を、正義に基いて平氣で斬る事だ。否、徳保氏は致命的な缺陷を抱へてゐる。
徳保氏は、冷めていれば「放っておけばいいんだ」と気付くのですが、燃えているときはなかなか……。と述べてゐるが、徳保氏の立場から言へば「放つておかなければならない」のであつて「放っておけばいい」のではない。「いや、そこで俺は一貫しないんだ。だが、それがいい」と徳保氏は、水戸黄門の印籠を持出すやうに例の宣言を持出す。しかし、「徳保氏が『一貫しない事で一貫する』事を『正しい』と思ふのは、徳保氏の價値觀に過ぎない。そんな價値觀を俺は認めない」或はもつと端的に言へば「俺はさう思はない」と批判する事が可能である。そして、さう云ふ批判に徳保氏は反論出來ない。
さて、反論できなければ本來、默らなければならないのだが、「一貫しない點で一貫する」徳保氏は、それでも平氣で物を言ふ。だが、最早「一貫するしない」の詭辯で話をごまかす事は不可能である。徳保氏は「面の皮が厚い」と看做されるのべきである。が、それは「ルース」であり、知的怠惰なのである。
さて、例によつて徳保氏は、今囘の指摘も無視するか、受流すかして、好い加減な態度を取りつゝ、相變らず他人を斬り續ける事だらう。しかし、「見方は人それぞれ」と言ふのならば、「自分が人から何う見られるか」を少しは氣にしたら良いのである。

平成十六年十一月五日
舞-HiME。「萌えアニメ」の筈なのに燃える話。良く出來てゐる。色々な要素を詰込んであるのだけれども、ただ詰込んだだけのアニメではなくて、きちんと全體を統合しようとする制作者の意識が感じられる。
問題は今後、擴げた風呂敷を疊めるのか何うかだが?
平成十六年十一月五日
ローゼンメイデン。豫告通り馬鹿話。何だよこれ。笑。面白い。來週は水銀燈樣再登場。
平成十六年十一月五日
眞善美社版『平衡感覺』を購入。
平成十六年十一月五日
「住所と氏名を登録しないとウェブで物を言つてはならない」みたいな法案、出來ないかなー、と、匿名の人物「義」による嫌がらせの被害を受け續けてゐる俺は思ふのである。

平成十六年十一月四日
http://www.cc.rim.or.jp/~iiii/main/past.cgi?d=200411043

ときに、うっかり公の場でブッシュの応援をしちゃって顰蹙を買っていた日本政府の中の人もこれでひと安心だろうね。

これでケリーが当選しちゃおうものなら、今までカネも軍隊もじゃぶじゃぶ献上してアメリカに媚を売っていたのが全部無駄になっちゃうし、アメリカのトップとの繋がりが切れちゃう事になるところだったからね。

そんな事で、ブッシュのケツの穴を舐める日々がこれからも続くわけか…

かう云ふ事を言ふ人間を見ると、ブッシュ氏が當選して良かつたなーと思つたり思はなかつたり。
アメリカに刃向かつて何うやつて生延びると言ふのだらう。「反米」の連中は無責任だ。「反對の爲の反對」しかしない社民党の連中と一緒で「反米の爲の反米」でしかない。この手の連中は、反對するなら代案を出せと言はれても、出せる訣がないし、そもそも出す積りもない。單に氣樂に罵つて好い氣になつてゐるだけである。中傷して喜んでゐる邊は「義」と一緒。
日本はアメリカべつたりで良いんだよ。アメリカの代りはないのだから。
平成十六年十一月四日
ついで。今囘も「まれに見る接戰」と言はれてゐるらしいけれども、二大政黨制なのだから接戰になるのは當り前。
政權が交替し易く、國の政策が一定しない事は、二大政黨制の缺點として屡々指摘される事だ。アメリカが氣紛れなのは、アメリカ人の氣質もさうだが、二大政黨制をとつてゐる事も原因である。
そして、さう言ふ二大政黨制を日本も目指すのださうである。
平成十六年十一月四日
ナポレオン沒落後、反動的なウィーン體制がヨーロッパに成立した。ナポレオン時代、ヨーロッパで爭亂が起きてゐる間に、スペインやポルトガルの植民地であつた中南米の各地では、獨立運動が起り、幾つかの國が成立してゐた。ウィーン體制を主導するメッテルニヒは、これら新興の獨立國を認めず、本國への復歸を命じた。
「自由の國」アメリカは、建國以來、聯邦派と反聯邦派が對立してゐたが、第五代大統領モンローの治下、漸くその對立が解消され、「好意の時代」が出現してゐた。アメリカの國民意識が高まり、國民性が確立されたのである。
メッテルニヒによる中南米諸國への干渉を受けて、モンローは以下のやうな國是を國書の形で宣言した。ヨーロッパの問題に關しては合衆國は何ら干渉の意はないが、ヨーロッパ諸國と合衆國とは根本的に政治組織を異にするものであり、ヨーロッパ列強が自己の政治組織を西半球に向って擴張せんとする企圖は容認しない。西半球のヨーロッパ諸國の植民地は尊重するが、既に獨立を宣し、合衆國が獨立を承認した國家に對してヨーロッパ諸國が干渉するならば、それは合衆國の平和と幸福を危うくするものと考える。所謂「モンロー宣言」である。
當時の状況を考へれば、「アメリカが大西洋の彼岸から此岸へ干渉されるのを防ぐ」と云ふのは、アメリカの自國の防衛と見るのは不自然な事ではない。が、「同じ大西洋の西」であつても、中南米諸國はアメリカ本土ではない。アメリカは、餘所の國の問題に口を出したのである。
そして、かう云ふ「餘所の國の問題への口出し」は、以後、アメリカが「自由」の名の下に屡々行ふ事である。今囘のイラク戰爭も、「モンロー宣言」以來の國是に基いて行はれたものである。
なほ、一方で、アメリカは、孤立主義の傾向も同時に持つてゐる。二大政黨制の常で、干渉主義と孤立主義とを行つたり來たりする癖がある。第一次世界大戰の直後にも、ヴィエトナム戰爭の際にも、アメリカは口出しなり手出しなりをした後、嫌氣がさしていきなり引つ込んでしまつてゐる。そのアメリカの氣紛れな行動のせゐで世界情勢が大きく搖らいだ事は、記憶しておいて良い事である。
ブッシュ氏が「失脚」してケリー氏に政權が移つたとして、イラクに對する政策は基本的に變らないだらうとの觀測がある。けれども、もし今、アメリカの政策が反動的に孤立主義に變つたとしたら、何うなるであらうか。やはり世界の情勢は混亂に陷るだらう。アメリカが中東から手を引いたとしたら、あの地域は相當非道い事になる筈である。アメリカにはがんばつて貰はなければ困るのである。
平成十六年十一月四日
自分が「はてな」の利用を停止する理由を考える 2004年11月4日 14:35 @ [2004年11月 - 結城浩の日記]
クリスチャンの結城さんですらも、はてなの中の人を信用しないらしい。はてなは、それ程信用出來ない會社なのですね?
プライバシーポリシーの見直し、住所登録スケジュールの延期について 19:01 @ [はてなダイアリー - はてなダイアリー日記]なんて記事が出てゐる。

はてなは、これまでユーザーの皆様が自由に情報を発信できるツールとしてご利用頂きたいと考え、各種サービスを提供してまいりました。結果として、現在16万人ものユーザー様にご利用頂くサービスに成長することができました。

その成長の一方で、利用規約に反して他人の権利を侵害する日記などを公開する方が散見されるようになりました。この結果、テレビ局など著作権保有者から著作権侵害に関して少なからぬお問い合わせを頂いております。

はてなは、被害を受けた申立者の方々からお問い合わせを受けるたびに、申立者と日記作者間の調整を行い、日記のプライベート化等の措置を講じ、問題解決を行ってまいりました。今後もこうした被害事例ははてなユーザーの増加に比例する形で増加していくことが予測され、このような措置だけで十分なのかという検討を重ねてまいりました。

この中で現行の法体系の下では、何らかの違法な日記の作者を氏名・住所等で特定することができない場合、ユーザーによる違法行為を教唆・幇助したとして、はてなが法的責任を追及されうることが分かりました。

はてなは、現在はてなのサービスをお使いの方々に対して、また今後はてなを使いたいとお考えの皆様に対して使いやすいサービスを安定して長期にわたり提供していくことが企業の使命と考えております。違法行為の停止と、問題の早期解決を行うために、はてなは個人を特定するのに最低限必要な氏名及び住所を確認させて頂く事にいたしました。

「犯罪が起きた時、本來處罰されるべきユーザに代つて、サーヴィスを提供する會社の方が處罰される事になる。さう云ふのは困る。だから、匿名での使用を御斷りする」と云ふ事。インターネットのサーヴィス會社は犯罪請負の會社ではない。無料でサーヴィスを提供した擧句、犯罪に利用されては浮ばれない。だから今囘の規約改訂、住所・氏名の登録の義務化は、仕方がない話だと思ふが。
平成十六年十一月四日
「ジェンキンスさんに懲役30日と不名誉除隊の判決」だとか。「有罪」なのに「さん」附けです。朝日新聞、毎日新聞、その他。
NHKは「ジェンキンス軍曹 罪認める」。
平成十六年十一月四日
昨夜、筑紫哲也氏がコメントして曰、アメリカ大統領選擧の陰に隠れてしまつて、脱走兵に寛大な判決が出た事はイラクの兵士に傳はらないだらうが、アメリカ政府にとつて好都合な事である。イラクの兵士に「脱走は得である」と云ふ事が傳はらないのは殘念であると言ひたかつたらしい。筑紫氏は、イラクのアメリカ兵に脱走を唆せるものなら唆したいのであらう。さうやつて「反米」鬪爭をやつて、筑紫氏は何をしたいのであらうか。
今更、反體制→體制轉覆→革命でもあるまいに。「とにかく體制を罵れば良い」「體制を弱體化させるのは良い事である」と考へてゐる方々には、反省していただきたいものである。
「アメリカは惡い」→「アメリカを罵れ」式の思考は、短絡思考である。或は。「反米」の方々は、アメリカを弱體化させて、その後の世界情勢の見通しはついてゐるのだらうか。

平成十六年十一月三日
文化なき文化國家の文化の日。
平成十六年十一月三日
「ゴッゴル」でぐぐつてみたらSEO コンテスト - SEO Associationが一番目に出てきてワロタ。
もし主宰者がトップで終つたら、このコンテストの賞品、何うなるのだらうか。と言ふか。
考へてみれば、「ゴッゴル」關係の全てのサイトからリンクされてゐるのだから、SEO コンテスト - SEO Associationが「ゴッゴル」關係で一番プライオリティが高いサイトと看做されるのは當り前の話である。
コンテスト參加サイトががんばればがんばるほど、主宰者のサイトの「ゴッゴル」に關するSEO的な地位が高くなる。これは、SEOが專門の主宰者ならば、SEO的に豫想出來た筈の事態である。となると、このコンテスト、コンテストとしての意味はあつたのだらうか。最初から「出來レース」つぽい感じがするのだが、如何だらうか。

平成十六年十一月二日
今度こそ二日。
平成十六年十一月二日
本を買つたり拾つたり。
買つたもの。
ヤスパース5『佛陀と龍樹』理想社
ジョン・ブレイン『黒い手から』河井書房新社・世界新文学双書
坪内逍遙『わがページェント劇』國本社
拾つたもの。
明治文學刊行會版夏目漱石全集の第二十二卷と第二十三卷。
二十二卷月報に福原麟太郎が書いてゐる。初期の短い小説は『坊つちやん』以外感心しないとか、寧ろ「自轉車日記」等の英國通信に愉快なものがあるとか、『文學論』を讀めば漱石の小説の御手本がジェイン・オースティンである事がわかるとか、小宮豊隆の評傳に出てくる「漱石を氣狂だといつて文部省へ告げ口した」「O君」を岡倉由三郎と見る人があるけれどもそれは間違ひであるとか、短い文章の中に有益な情報を幾つも盛込んでゐる。
平成十六年十一月二日
フランス國旗は有名な赤白青の三色旗。
もともと、赤と青はパリの市の色で、白はブルボン王家の白百合の紋章を表す色である。三部會から國民議會が分かれ、國民議會を國王ルイ十六世軍隊で壓迫しようとした時、パリの下層階級がバスティーユ監獄を襲撃し、フランスに革命が起つた。王は事態の展開に驚き、軍を撤退させると、パリに赴き、市民の行爲に敬意を表した。その際、王は赤白青の帽章を附けた。これが三色旗の三色の由來である。赤白青の帽章が象徴したのは「王冠とパリ市民の結合」であつた。しかし、王が敬意を見せたのは形だけの事であつた。王が王妃とともにギロチンの露と消えた事は有名な史實である。
この三色は革命の象徴となり、フランス國民の旗、共和國を象徴する旗に使はれるやうになる。革命精神である「自由、平等、友愛」の理想を、三色旗の赤白青は意味するやうになつたのである。諸外國の封建勢力は、フランス革命に壓迫を加へ、フランスへ軍隊を侵入させた。之に對してフランス國民は、擧つて義勇軍に参加し、三色旗を掲げ、マルセイエーズを歌ひながら反撃に出た。近代的な「愛國心」の觀念は、フランス革命において初めて出現したのであるが、三色旗とマルセイエーズと云ふ象徴はそれに直結してゐる。侵入軍は撃退され、却つてフランス軍は敵地に進出した。フランス軍の掲げる三色旗は、封建勢力に支配されて來たフランス國外の諸國國民にとつて、希望を感じさせるものであり、憧れであつた。革命精神は、フランス國外へと傳播して行つた。
が、御存じの通り、フランス革命は結局、恐怖政治に陷る。恐怖政治は、ロベスピエールが失脚して終る。が、それは同時に、革命そのものの終焉であつた。その後、執政政府を經て、ナポレオンの獨裁が始まる。ナポレオンは、三色旗を掲げたが、個人的な野心に基く侵掠者であつた。慥かに、幾つかの點でナポレオンは革命精神を繼承してゐた。ナポレオン法典で財産の神聖が認められたのはその一例である。しかし、ナポレオンは征服地で住人に對して支配者として振舞つた。ナポレオンは、侵掠したスペインの王に、自分の兄を立てた。ナポレオンのした事は、封建君主のした事と同じであつた。ナポレオンの軍隊の掲げた三色旗は、ナポレオンに征服された地域では、いまや侵掠の象徴と看做されるやうになつた。ナポレオンはモスクワ遠征に失敗し、沒落した。それととともに、三色旗は一旦、フランスの國旗でなくなつた。三色旗とマルセイエーズが國旗と國歌に復歸するのは、千八百三十年、七月革命以後である。しかし、七月王政は、二月革命で崩潰したが、三色旗が象徴する革命精神を失つてゐた。二月革命で成立した第二共和制は早々と失敗に終り、ナポレオン三世の第二帝政に移行してしまふ。三色旗は再び帝政の象徴となつた。以下略。
現在、三色旗は再び、フランス國旗である。三色旗は「自由、平等、友愛」を意味する、と云ふのが、日本でも常識となつた。しかし、歴史的に見れば、單純に革命の理想をのみ象徴する旗であるとは言へない。それは當り前の話で、綺麗事だけで濟ませられた國家など存在しないのだから、國旗もまた國家の良い面惡い面を全て想起せしめる象徴である。國旗を濫りに變更する事は、過去の歴史を――と言ふより、過去の歴史が存在する事を、單純に否定する行爲である。「あつた事」を「無かつた事」にする行爲である。が、それは「臭いものに蓋をする」やうな行爲に過ぎない。それは、反省ではない。ただ、目を塞いだだけである。
フランスの歴史に關する記述は林健太郎『世界の歩み』(岩波新書)に依つた。
平成十六年十一月二日
小宮山書店のレジスターの中に新札が收まつてゐるのを目撃した。神保町方面では流通し始めてゐるらしい。

平成十六年十一月一日
空更新。
平成十六年十一月一日
西尾幹二のインターネット日録

このあいだ友人とカウンターで酒を飲んでいたら、しきりと私の名を口にする人が少し離れた席にいる。気にしないでいたが、気にならないでもない。1時間ほどしたら、先方がやはり二人づれで、帰ろうと立ち上がる。その拍子に一人とひょいと目が合った。

「西尾先生ですね。」「はい。」「いやあ、さっきからそうだと思っていました。たいてい読んでいます、先生の本は。」「ありがとうございます。もうお帰りですか。」「江東区から来ました。友人のところへ遊びに来たのです。」と、彼は相棒を指さして言った。

それから席を代わってもらって少し話しこんだ。有名な商社――たしか日商岩井――にご勤務のかたである。そのかたが言うには、私には随筆の才能があるそうで、もっとたくさん随筆を書いてくれという。

如何なものかと。
平成十六年十一月一日
奇魂掲示板

保守派方面から「さつさと殺されてしまへ」といふ論調も見られましたが、遺族の前で言つてきてもらひたいものですね。

如何なものかと。
高坂さんは、「從軍慰安婦」は「あつた」派と同じ論理を用ゐて、反論を封じようとしてゐる。
平成十六年十一月一日
北朝鮮の拉致問題にしても、イラクのテロリストによる人質問題にしても、一人二人に拘り過ぎ。
政治の領域では、國民全體の安全が優先されるのであつて、その爲には一人や二人、或は數千人・數萬人を見捨てる事も許される。
そして、政治が濟へない少數者が存在するからこそ、文學や宗教や道徳が存在する意義があると福田恆存は述べてゐる。
「おかはいさうに」で政治はやつてゐられない。
平成十六年十一月一日
無職に物を言ふ權利が無くて、ストーカーに人を侮辱する權利がある、と云ふ理窟はをかしい。だが、「義」に理窟は通用しない。
また、物を言ふ資格があらうが無からうが、發言者の人格が陋劣であらうが無からうが、或發言がそれ自體として理に適つてゐるかゐないかは別の問題だ。これは誰も否定出來ない眞實だが、「義」に眞實は理解出來ない。
平成十六年十一月一日
私の言つてゐる事よりも理に適つてゐる反對者の意見があつたならば、それは認めざるを得ない。「義」が正當な事を言へば、それはそれで認めざるを得ない。當り前の話である。事實なり道理なりは、それ自體として認めざるを得ないものである。私は事實や道理をねぢ曲げる氣は全く無い。
之に對して、義は、理に適つてゐるかゐないかは問題とせず、ひたすら「野嵜が言つてゐる」から默らせる、と云ふ事をしてゐる。認めるべき事實や道理を、發言者の人格や職に據つて「認めない」と極附けるのは、事實の歪曲であり、無理を通して道理を引込ませようとする事である。そして、事實や道理を無理矢理引込めさせる爲、壓力を掛けるのは、個人に對する言論封殺である。「義」が行つてゐるのは言論封殺である。
平成十六年十一月一日
もし野嵜を相手にしたら非道い目に遭ふと云ふ事が判つてゐれば、「義」もアレクセイもちよつかいを出さうとはしない。
それと同じで、日本を相手にしたら非道い目に遭ふと判つてゐたならば、テロリストが日本人に手を出す事もない。
だから、テロリスト等から日本人を守る爲には、日本は、精神的に「日本人を守る」と云ふしつかりした氣構へを持つとともに、軍事的にも強い戰力を持つ必要がある。力で脅して平和を維持する――と言ふのは野蠻だ、と言つても、暴力的な傾向が人間にある事は否めない事實だから、野蠻なるレッテルを貼つて非難しても、天に唾すやうなものであつて、自分で自分を否定するものである。
「國民の命を守れ」と言ふのは簡單だが、實際に守り得るだけの力がない政府に期待するのは無駄である。
今の日本政府に、テロリストが日本人に手出しするのを控へる程の力はない。ならば、そこで首相が何を言つても無意味である。
首相が挑發したからテロリストが怒つて報復として香田氏を殺した、と云ふ訣ではあるまい。テロリストにしてみれば、何時までに殺すと言つたからその通り殺したに過ぎない。テロリストは、日本人が自分逹の要求を受容れる事はあるまいと考へてゐた筈である。一方、日本人が人質を救出する爲に何でもする、等とも考へてゐなかつた筈である。最初から、日本人を脅すのがテロリストの目的だつたに違ひない。日本人が當座、目の前の首相に非難を浴びせるのは、八つ當りに過ぎない。
平成十六年十一月一日
今囘のテロリストは、アメリカや日本のみならず、どんなに恐るべき存在を敵にまはしても、信仰の前に恐怖は全く無い、と信じてゐた、と見る見方もある。
かかるテロリストに、暴力的な壓力は效果が無い、と見るのは、それはそれで妥當な見方である。狂信者のテロリストに對して、武力で對抗するのは無意味である。それはさうだらう。武力を彼等テロリストは恐れない。逆に、武力を恐れる人々をテロリストは武力で脅してゐるのである。
が、だからと言つて、ここに平和主義が入り込む餘地はない。平和主義は理性萬能の主義である。損得勘定・打算で動く人間が、理性的に平和主義を選擇する、と云ふのは、觀念的にはあり得る。しかし、人間社會に對押しては、感情や主觀が強い影響力を及ぼす。よつて、平和主義が人間社會で完全に實施される事は、人間が人間でなくならない限り、決してあり得ない。
殊に宗教的な思想に基くテロリストに對して、打算と損得勘定は全くナンセンスである。平和主義はテロリストに對して、何の意味もないものである。テロリストは、平和を價値と認めない。
テロリストに捕まつたら、その時點で絶望である。彼等は、殺して見せる爲に、人質をとつ掴まへるのである。彼等にとつて、信仰を持たない人間は人間ではない。人殺しは彼等にとつて罪ではなく、罪でないならば抑止される理由はない。人間は、罪とされる事によつて、行動を抑止される。
テロリストに據る拉致を防ぐには、事前にテロリストを殲滅するしかない。さうなると、アメリカの掲げた「テロリストに對する戰爭」なる「大義」は、「大義」として「あり得る」ものになる。
さて一方。幾ら平和の價値や效能、利益を説いても、平和を超えた或種の價値を信ずるテロリストには、理解されない。だが、だからと言つて、宗教を容認する人間――それも同じ日本人――を、當座、「平和の敵」として罵つて、テロリストから目を背ける人がゐる。これは、單なる欺瞞である。自己欺瞞は、意味がないばかりでなく、道徳的罪である。自己欺瞞は自己滿足であり、世の爲にも人の爲にもならない。が、さう言ふ自己欺瞞の過を、平和主義者は改めようとしない。平和主義者は、平和主義である時點で、道徳的に善であり、世の中で役に立つてゐるものと思ひ込んでゐる。が、かかる平和主義者に、狂信者との差はあるのか。實は、平和主義者も或種の暴力主義者であると言へるのである。
平成十六年十一月一日
それから。
日本人が、「自分探し」の爲に、自分の國を出て外國に行つてしまふ事の問題は、考へられて良いのではないか。
自分の國の中で自分のルーツなり何なりを見附けられない――自國を自國として受容れられない、自分の居場所として受容れられない、と云ふ事は、「自分探し」における「自分」の所在が、日本以外の外國の何處かに「ある」のではないかと云ふ「期待」に繋がる。それが今囘の香田氏の「自分探し」の動機となつてゐる。
としたら、日本人が日本人として自覺する爲の教育が必要なのではないか、と云ふ疑問が生ずる筈である。そして、傳統の教育、或は國旗・國歌の「強制」も「必要である」のではないか、と考へる必要がある。
日本人は日本人としての意識を持たないでどんどん外國に出て行つて良い。が、日本政府は日本人を全て守るべきである。――さう言ふ機械的な發想が、今の日本を風靡してゐる。が、政府は、人の作るものである。單なるメカニズムではあり得ない。となると、政府に對する國民の意識が問題となつて良いのである。
平成十六年十一月一日
日附を間違へてゐたので訂正。一日得した氣分。毎度御指摘どうもです。
平成十六年十一月一日
堀米庸三『ヨーロッパ歴史紀行』(筑摩叢書273)、宇野浩二『ゴオゴリ』(創元選書3)を購入した。
平成十六年十一月一日
Alertbox: ユーザ教育はセキュリティ問題に対する解決策ではない(2004年10月25日)

關聯リソース

前の記事
日記バックナンバー
2004年10月
「闇黒日記」の關聯サイト
nozaki directory project
言葉 言葉 言葉
PC Tips
櫻花さん番外地
inserted by FC2 system