鉄ちゃんのつぶや記 NO 21 旅先で出会った悲しい駅員
「全国JR“迷”駅員コンテスト」を開いたとしたら、まず優勝間違いなしと記事の筆者が呼ぶやうな驛員だが、国鉄時代にはもつと低レヴェルで――或は、レヴェルは低くない筈なのに低レヴェルのサーヴィスしか提供しようとしない惡質な驛員が、全國各地に存在した。今、JRの職員の態度はかなり良いが、かつて国鉄職員と言へば態度が惡い事で有名だつた。さう言ふ嫌な驛員を養成したのは、この「共闘会議」の母體である舊国労・舊動労であつた。
女子供を中心とした民間人が
不当な侵略によつて殺されたのである、と、反戰主義者か左翼のやうな事を高坂さんは言つてゐる。反米主義と反戰主義とが、高坂さんの頭の中で、手を結んでゐるのである。「テロリストとの戰爭」と云ふ9・11以來のブッシュ大統領のスローガンと、「大量破壊兵器」製造・保有云々と云ふ對イラク開戰理由との齟齬は、開戰當初は問題とされず、戰爭が泥沼化した今になつて問題となつてゐるのだが、それはアメリカの問題であり、「アメリカに追隨せねばならない」と云ふのが至上命令である日本とは直截的な關係がない。さう云ふ事を考へれば、ブッシュの正義とかアメリカの大義とかを疑つて、日本がアメリカから離反する妥當性の議論を出來る訣がないのだが、それが高坂さんには解らない。「アメリカに追隨するのは如何なものか」と云ふ反米主義も、小泉氏の「テロリストには屈しない」發言も、實力を伴はない強がりである、と云ふ點で共通するのだが、その強がりである事を、小泉氏が恐らくは自覺してゐないだらうし、一方の高坂さんは確信犯として認めてゐる。觀念的な「強がり」では駄目で、實際に強くあらねばならないのだが、その邊の事が、小泉氏も高坂さんも氣附いてゐない。小泉氏の場合は自覺が無いのだが、高坂さんの方は何うも精神主義の氣がある。精神主義では駄目だと云ふ事は、かの軍國主義の失敗で日本人は肝に銘じてゐて良い筈なのだけれども、民主主義の御代にも相變らず精神主義は横行してゐるのである。「生延びる」事――政治の領域に屬する問題では、精神主義によつて物事を決定する意見を警戒すべき事である。
面白い事言うねえイシハラは。等と言つて、鷹澤氏は、石原氏を揶揄つて――と言ふより、揶揄つた積りになつて、好い氣になつてゐる。かう云ふ好い加減な態度で物を語る輩は、思想的に信用出來ないルーズな人間である。そして、「ルーズで良い」と思ひ込んでゐるから、處置ナシである。
リンクする自由、アンリンクする自由と同じように開局する自由、閉鎖する自由は無いのでしょうか。なる發言に繋がつて來るのだと當方は理解したのだが、その邊の事を「いいかげん」にしてゐる徳保氏の「批判」(この人の「批判」には鍵括弧を附けさせて貰ふ)が例によつてあやふやになつてゐる。(閉鎖する前に考えてほしいこと)で、受益者負担の原則、閲覧者の希望と情報の公開コストでも、一般論・「他人の目」による批判、の形を徳保氏がとつてゐて、そこで「利益」なる話が出て來てゐるのだが、さうではないだらうと。
要するに人気サイトになるつもりなら忍者システムの無料Webは使えない、って解釈でいいのかな、これな。に對する意見として、徳保氏が
さて、私は柊さんとは逆の感想を持っていて、人気サイトが無料だったりβ版だったり安価だったりするホスティングサービスをメインで利用することに不快感を覚えます。と述べてゐて、「なるつもり」が「である」の話にずらされてしまつてゐる。それが、「なるつもり」の制作者の話とごつちやにされて、徳保氏の「いいかげんな理窟」は展開して行く。
あれを見ろ。セーラー服だ。ブルマよ。スク水だ。いや、ムスメットだ。下らねえなー。/// 流星戦隊ムスメット第四話終つた。正義は相對的なんだよ。云々。
録画制限のコピーワンスはユーザーにとって非常に迷惑。と云ふ意見には激しく同意。
もしかして: ファフナーつてぐぐるさんあんたねえ。
上で莫迦考察して何ですが、神戸在住の地震経験者とゐたしましては、今回の地震が今の時期――秋の入り頃で良かつたと思ふのですよ。
哀さんに召喚されてXULで拡張機能を作る方法をお教え。おぺらーなのにFirefox用の拡張を作る哀さん萌へ。
「実は、転職をしやうと思ひまして、家に籠もつて勉強してゐたんです」
シンプルなスタイルなのに実際以上にごちやごちやして見へるのは何故?
カンボジア王国が政治的に見舞われるとたびたび退位の意向を表明してきた。〔AFP=時事〕
とはまるで文章になつてをらぬ。今の日本の国語教育の水準のほどうかがへます。英文で入つた一報を翻訳したのでせうが、英文和訳としても赤点です。
国王は現在81歳で、カンボジア王国が政治的に見舞われるとたびたび退位の意向を表明してきた。〔AFP=時事〕
政治的に見舞われるとが問題なのだと。ならば波江の言ふ通りだ。
政治的に見舞われるとだけでなく
たびたび退位の意向を表明してきたまでも變な赤字にしたのだらうか。さらに、
自分は省略なく複写し貼り付けて居る。と波江は言つてゐるが、波江はなぜ
国王は現在81歳で、を省略したのか。そのせゐでこちらは勘違ひさせられたのである。あの表現では、
政治的に見舞われるとは文脈があつて省略されてゐるのだ、と判斷しても仕方がないし、波江がそこを問題視してゐるとも解らない。波江は、ちやんと説明すれば良かつたのである。變なところを變な赤字にするだけで、説明をさぼつてゐるから、話が解りづらくなる。
野嵜君は又暗黒日記で下記のごとく騒ぎ立てて居るが、「政治的に見舞われるとたびたびの」「政治的に」と「見舞われる」の間に「危機」を入れればすむ話である。と言つてゐるが、最初からさう言へば解るのに、それを波江は言はないで、人を誤讀させては「ヒステリー」呼ばはりして喜ぶのである。なぜ必要な説明をわざと波江は省いたのだらう。今囘は、波江がちやんと説明しないのが惡いのである。そもそも、波江は普段の行ひが惡い、だから疑はれるのである。と逆切れ。
今の日本の国語教育の水準のほどうかがへます。と云ふ文章はなつてをらぬ。「今の日本の国語教育の水準のほどがうかがへます。でなければならぬ。また、「今の日本の国語教育の水準のほど」の「の」の連續もなつてをらぬ。それから
暗黒日記ではなく「闇黒日記」である故、波江には原題のまゝ改竄なしに複寫されたし。云々。
この真理は揺るがし得ぬ。
カンボヂア王退位の旨告げて消えぬ世迷ひを晴らす頃行方織る瞳も何誘ふ智慧と闇競れりなる「いろはもどき」がナンセンスである事は言ふまでもない。てにをはだの何かの言葉だのを補つても、意味のある文章にはならない。波江も
文の巧拙を問題にして居るのではない。意味の通不通が問題なのである。フィーリングで解ればよいといふものではないでせう。とコメント欄で言つてゐるが、當の波江の「いろはもどき」が「フィーリングで解らねばならぬ」ものである以上、波江の「いろは」説は説得力を缺く。と言ふか、波江の「いろはもどき」は、論理でもフィーリングでも解らない。
意味の通不通が問題なのであると言ふのなら、波江の「いろはもどき」の意味が通じないのは問題である。
闇黒日記平成十六年十月八日読破記念更新(謎)なんて書かれてゐるし。orz
突っ込まれましたorz
第二に、昨年のあき文部省の發表した當用漢字と現代かなづかいとを,わたしわこの本で採用した.漢字制限の方面でわ,多少の不便を感じながらも,極限のワクをはずさないよ〜に努めた.たゞし引用文わ除外した.かなづかいについてわ,文部省案わ不徹底であり,かえって不便なので,發音式をいっそ〜擴大して,テニヲハの「は」と「へ」を,それぞれ「わ」と「え」とし(「を」のみわ,ワカチガキ式をとらぬかぎり,當分そのままにしておく方が便利なので,「お」とわ改めない),長音わ記號「〜」をもって現わすことにした.
理を棄て祿を取ること能はずなんて言つてゐる。
各種の Mozilla / Firefox 用 Extension が使えない。この点だけで「使えネーよソレ」と気色ばむ人多し。本当にその拡張が必要なのかどうか、小一時間胸に手をあて考えれ。
- 気色ばむ
- むっとして怒りを顔にあらわす。
- 心で思っている事をほのめかす。様子を顔色に出す。転じて、なまめかしい様子をする。気取る。
さて何うしたものか。