闇黒日記


平成十六年十月三十一日
http://www.h4.dion.ne.jp/~tomonigo/column/tetu/tetu21.htm
鉄ちゃんのつぶや記 NO 21 旅先で出会った悲しい駅員
一介の鉄道ファンの文章を裝つてゐるが、實は共闘会議なる左翼のサイトの一記事。
「全国JR“迷”駅員コンテスト」を開いたとしたら、まず優勝間違いなしと記事の筆者が呼ぶやうな驛員だが、国鉄時代にはもつと低レヴェルで――或は、レヴェルは低くない筈なのに低レヴェルのサーヴィスしか提供しようとしない惡質な驛員が、全國各地に存在した。今、JRの職員の態度はかなり良いが、かつて国鉄職員と言へば態度が惡い事で有名だつた。さう言ふ嫌な驛員を養成したのは、この「共闘会議」の母體である舊国労・舊動労であつた。
この記事の筆者である自稱「鉄ちゃん」は、さう云ふ事實を、知つてゐて匿してゐるのだらうか。それとも、知らないで書いてゐるのだらうか。いづれにしても、「自分の事は棚に上げ」の態度であり、嫌らしい。
平成十六年十月三十一日
Φなる・あぷろーち、名作だとは口が裂けても言はないが、取敢ず自棄に面白いと言つておかう。全然御奬めはしない。
平成十六年十月三十一日
訓練を受けてゐない民間人がいきなり動かせるガンダムつて何だ。
2004-10-31T22:30:00+09:00追記。http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20041031#gdm
平成十六年十月三十一日
また、私の事が憎くて堪らない犯罪者の「義」が、各地で犯罪を繰返してゐる模樣。へろへろな状況の西尾掲示板に野嵜の文章を勝手に轉載して煽つてみたり、花ごよみの大和田スレに無職が何うのと「」相手なら大荒れ必至の書込みを某氏を騙つてしてみたり。
右にしても左にしてもさうだが、どつちでもない人間であつても、日本人には、かう云ふ理性的ならざる行動をとつて、「だがそれがいい」と考へる人が結構ゐる。だが、それは困つた事なのである。
と言ふか、無職ネタはにじうらへ。
平成十六年十月三十一日
讀賣新聞が朝刊一面で「遺體は別人」と報じたけれども、既に深夜には更に別の遺體が發見されてゐて香田氏死亡確認。
かう云ふテロリストにしても、「義」にしても、暴力で主義を主張する人間である訣だが、この種の人間に説得と云ふ手段は通じない。ならば、暴力に對するに暴力をもつてするのは當然の事だ。
ただし、國内法で、個人が個人に對して私刑を行ふのは禁じられてゐる。だから、「義」相手には國内法に基いた刑法・民法による訴訟に據る懲罰の請求のみが可能である。
一方、國際的なテロリストの場合、國内法で處罰する事は出來ない。アメリカならば、「テロリストに對する戰爭」を起す事も辭さない筈である。
そして、對イラク戰爭について、アメリカは「テロリストに對する戰爭」として開戰した。その際、「大義」として「大量破壊兵器」の問題を持出したが、それが今になつて「事實でない」としてアメリカ大統領ブッシュ氏の責任問題となつてゐるのは、戰爭が泥沼化したからである。
平成十六年十月三十一日
テロリスト相手には「交渉」が行はれる。人質の生命を、交渉によつて救へるならば、救ふ爲である。しかし、救へなければ救はない。まともな國家は、窮極的には「テロリストには屈しない」ものだ。
だが、交渉するにしても、交渉が失敗した時、報復する手段がある事をもつて、國家は交渉するものだ。漫然と「話し合い」をしたところで、テロリストは御人好し許りではない。
小泉總理大臣は、「テロリストには屈しない」と述べた。しかし、屈しないのならば何をする積りだつたか。交渉をして人質をとり返す努力をする積りだつたらしいが、テロリストはさつさと人質を殺してしまつた。テロリストにしてみれば、最初から交渉する氣は無く、單に脅迫しただけである。テロリストに人命尊重の觀念はない。日本流の交渉をして、話が通ずる相手ではない。
テロリストは、國際テロ組織であるらしいが、今囘のやうにイラクにゐる日本人だけでなく、今後は日本の本土にゐる日本人も狙ふ可能性がある。之に對して、日本の政府は「テロリストには屈しない」と言ふだけで濟ませる訣にも行くまいと思はれる。が、では、具體的に何をするのか。
小泉氏のテロリストに對する挑發的な態度は、根據のない挑發であり、テロリストを刺戟するだけの效果しかなかつた、とする意見もある。その通りである。が、では、テロリストを刺戟しない態度をとつてゐれば良かつたのか。さうでもあるまい。どつちみち、日本政府に出來た事はない。何かあつたら、自衞隊に命じてテロリストを攻撃するぞとか、そんな事は言へない。實力的に、壓倒的にテロリストが有利な状況である。
その邊の事を、あの變人首相は、ひよつとしてわかつてゐて、それで敢て問題になるやうな事を言つたのではないか――と云ふ推測は、臆測以上のものではない。そこまで私は小泉氏を買つてゐないので、それを敢て「事實」と強辯する積りはない。とにかく、「實力も無いのに大きな事を言つても、テロリストは恐がらない」と云ふ事實は認めるべきであらう。ならば、「日本は實力を持つべきである」――さう云ふ方向に、議論は進むべきである。が、例へば、奇魂の高坂さんは、反米の信念にとり憑かれてゐるから、反米で共通するテロリストに共感を覺えて自衞隊の撤退を期待する事しかしない。高坂さんの缺點は、現實から遊離した觀念主義に陷つてゐる事で、今囘のイラク戰爭に關しても、戰爭における「大義」だの何だのに拘り、觀念的な筋を通すと云ふ、どちらかと言ふとやくざの世界の「義理」の話に近いやうな議論しか、高坂さんがしてゐないのは、困つた事だと思つてゐる。と言ふか、女子供を中心とした民間人不当な侵略によつて殺されたのである、と、反戰主義者か左翼のやうな事を高坂さんは言つてゐる。反米主義と反戰主義とが、高坂さんの頭の中で、手を結んでゐるのである。「テロリストとの戰爭」と云ふ9・11以來のブッシュ大統領のスローガンと、「大量破壊兵器」製造・保有云々と云ふ對イラク開戰理由との齟齬は、開戰當初は問題とされず、戰爭が泥沼化した今になつて問題となつてゐるのだが、それはアメリカの問題であり、「アメリカに追隨せねばならない」と云ふのが至上命令である日本とは直截的な關係がない。さう云ふ事を考へれば、ブッシュの正義とかアメリカの大義とかを疑つて、日本がアメリカから離反する妥當性の議論を出來る訣がないのだが、それが高坂さんには解らない。「アメリカに追隨するのは如何なものか」と云ふ反米主義も、小泉氏の「テロリストには屈しない」發言も、實力を伴はない強がりである、と云ふ點で共通するのだが、その強がりである事を、小泉氏が恐らくは自覺してゐないだらうし、一方の高坂さんは確信犯として認めてゐる。觀念的な「強がり」では駄目で、實際に強くあらねばならないのだが、その邊の事が、小泉氏も高坂さんも氣附いてゐない。小泉氏の場合は自覺が無いのだが、高坂さんの方は何うも精神主義の氣がある。精神主義では駄目だと云ふ事は、かの軍國主義の失敗で日本人は肝に銘じてゐて良い筈なのだけれども、民主主義の御代にも相變らず精神主義は横行してゐるのである。「生延びる」事――政治の領域に屬する問題では、精神主義によつて物事を決定する意見を警戒すべき事である。
個人的に、小泉氏の發言が、その邊の矛盾を衝いた、意圖的な「煽り」である事を希望するのだが、世間は「實力を缺いた強がりの意見」の表明を競つてゐる状況である。

平成十六年十月三十日
天皇陛下の御發言については、「困つたものです」とか「如何なものか」とか、例の決り文句を想起していただければと。
平成十六年十月三十日
http://www.cc.rim.or.jp/~iiii/main/past.cgi?d=200410301
民主主義と立憲君主制とは矛盾しない。民主主義國日本の君主は天皇だ。「天皇萬歳」と言つたら即軍國主義、と云ふ紋切型の短絡思考は非論理的であるし、非論理的な思考は寧ろ非民主主義的である。レッテル貼りのどこが民主主義だ。
かつて大日本帝國軍が掲げてゐた侵掠の旗日の丸が、現在民主主義の日本國の旗である事に、何の問題があるのか。ある訣がない。天皇の長壽と祖國の永遠を祈念する歌である君が代を教育の場で齋唱するやう定める事に、何の問題があるのか。ある訣が無い。愛國心の涵養は人爲的に行はれるべきものだ。國家と言ふものは人爲的に作られたものだから、人爲的に維持するのは當り前の事だ。一々咎め立てする必要はない。それを咎め立てする人間は、アナーキストか。鷹澤氏はアナーキストか。もちろんさうではない。單に、深く物事を考へない日本人であるだけである。鷹澤氏は、論理的な妥當性と云ふ事を考慮せず、イメージで語つてゐるに過ぎない。そして、さう云ふ風にして世の中を動かして行かうとするのは、デマや風聞で世の中を動かして行かうとする事であり、民主主義を擁護するやうで、却つて民主主義を破壞する行爲である。その邊を鷹澤氏は全く自覺してゐない。面白い事言うねえイシハラは。等と言つて、鷹澤氏は、石原氏を揶揄つて――と言ふより、揶揄つた積りになつて、好い氣になつてゐる。かう云ふ好い加減な態度で物を語る輩は、思想的に信用出來ないルーズな人間である。そして、「ルーズで良い」と思ひ込んでゐるから、處置ナシである。
石原氏も、堂々と「強制だ、強制の何が惡い」と開き直れば良い。わざわざ左翼に迎合する必要はない。そして、迎合的であるのは天皇陛下も同じである。俺は、今の天皇陛下は駄目だと思つてゐるし、同じ人間だから「駄目」と評して構はないと思つてゐる。そして、同じ人間であつても、日本では人間が神樣になるのだから、天皇が現人神であつて全然構はないと思つてゐる。ただ、この天皇が、今の代の天皇だが、時としてルーズになるから、困つたものだと。
平成十六年十月三十日
今晩は。某さんの講話を聞いて參りました。聞けばなるほどと云ふ話なのですが、民間人(含俺)には知らない事多數。世間にもこの邊の事から話を始めるべきなのでは。
平成十六年十月三十日
歸宅時、大雨でびしよ濡れ。
平成十六年十月三十日
今週のガンダム種運命は第三話が無事放送されたやうで、めでたいやうなめでたくないやうな。

平成十六年十月二十九日
http://d.hatena.ne.jp/faerie/20041028#1098974774
「あのみデモ」。Opera 7.54で動作するのを確認。
平成十六年十月二十九日
三時半まで何も起きませんやうに。
平成十六年十月二十九日
舞-HiMEスタッフに「」がゐる事は判つた。よしなに。
平成十六年十月二十九日
ローゼンメイデン、來週はギャグの囘らしい。
あと提供が。
平成十六年十月二十九日
New URL spoofing bug in Microsoft Internet Explorer
http://www.st.ryukoku.ac.jp/~kjm/security/memo/2004/10.html#20041029_URL
IE URL spoof test
インライン要素のaの中にブロックレヴェル要素のtableが入る訣がない。だから、ブラウザはtableの直前に</a>を補ふべきで、それをやらないできたから變なセキュリティホールが生れてゐる。と云ふ話だと解釋した。
平成十六年十月二十九日
この間、びしよ濡れで萌え萌えだつた時枝誠記『増訂版 古典解釈のための日本文法』だが、餘りに切ないので、古本祭の出店に出てゐたのを改めて買つて來た。
ほかに『シンポジウム 弥生文化と日本語』(角川書店)、T・S・エリオット『詩の用と批評の用』(増進堂)を買つた。切ない。

平成十六年十月二十八日
ええと、イラクにはアルカイーダがゐたと。

平成十六年十月二十七日
諸事情に據りおねティを繰返し觀てゐるのだが、「前に進む」事が果して本當に「良い事」なのかと。「前向きな姿勢」「ポジティヴシンキング」の類は、就職の際には要求される事だ。だが、それらのスローガンを高らかに叫ぶ者を、常識として人は氣持惡がる。新興宗教。自己啓發セミナー。然るに、かかる「前向きの姿勢」を要求するのが屡々「保守反動」として非難される企業であり、一方、新興宗教や自己啓發セミナーを非難し、「保守反動」の企業を非難するのが屡々、進歩主義と云ふあからさまに「前向き」の思想を奉ずる左翼・革新の人である。
人は時として、何かを止める時にすら「前向き」である。嫌な事を經驗したとしても「勉強になつた」「樂しかつた」と「前向き」の態度を表明して見せる。
だが――嫌な思ひ出は嫌なものだよ。プラスとマイナスは、掛合はせればマイナスになる。嫌で哀しい思ひをしても仕合せだ、と云ふ事はあり得ない。おねティは夢物語だよ。そして、夢物語は道徳的に淫猥であり、不潔である。アニメにしても漫畫にしても、道徳的な不潔さを免れ得たものは幾らもない。だから所詮、あにめはあにめだし、漫畫は漫畫だと。
そして、「停滯」は、現實にはあり得ない「病氣」に過ぎない。現實の人生は、不潔になり得ないものだ。或は、現實は事實として、慫容として受容れるしかない。
平成十六年十月二十七日
藝術は、不幸な人生の慰めとなつてはいけないし、人生の方が幾らか増しと感じさせるものであってもならない。
不幸な主人公が幸福を掴んでも、不幸のまゝに終つても、省みて自分は……となつては困る。
が、さう言ふ「自省」を促す作品ばかりが、日本では作られ續けてゐるやうに思はれる。
平成十六年十月二十七日
桜田ジュンは姉・のりの優しさに氣附いてゐないとローゼンメイデンの真紅は指摘した。そこに視聽者への「省みて自分は何うか?」と云ふメッセージを讀取る事が可能である。そして、制作者の「視聽者よ、君は家族の優しさに氣附いてゐないのではないか?」と云ふメッセージを讀取つた時、「あゝさうだ」と感ずる視聽者は、日本には多いだらう。「だが……」と俺は思ふのである。以上、てれびあにめ「ローゼンメイデン」について。
平成十六年十月二十七日
閲覧者の希望と情報の公開コスト
利益不利益とかの問題ではないんだよなーと思つた。何でも損得勘定で考へるものではない。
と言ふか、ベストセラーと一緒で、大人氣のものは大概、見る價値無いよ。
ちなみに、閉鎖する前に考えてほしいことの議論の背景には、どうも俺が書いたサイトの死の存在が見え隱れしてゐるやうな氣がするのだが……。
平成十六年十月二十七日
「源氏物語」は、日本の最高の文藝作品であると言へるだらうか。
日本人は、政治、エロ、花鳥風月を愛でる事、の何れかにしか關心を持たない――と、松原氏は指摘してゐる。そして、「源氏物語」は、これらの事柄にしか關はつてゐない。
その點、確かに「源氏物語」は、現代小説的である、と言ふ事が出來る。
が、それは、逆の見方をすれば、「源氏物語」が「現代小説程度の價値をしか持たない」事を意味するのではないか。
「源氏物語」において、微妙な感覺を正確に表現する爲、紫式部は多數の形容詞を創造してゐる。しかし、思想を正確に表現する事に、紫式部が關心を持つてゐたとは思はれない。「源氏物語」は、理知的ではなく、主情的である。
http://esu.oresama.org/200410c.html#20041026_s1
と言ふか、俺、8th Lightnovels Enquete - Entry List(2004)の中で『結界師のフーガ』しか讀んでゐないのだが、何うよ? 好感度は「良い」に決つてゐる。
ライトノヴェルの「讀み易さ」「讀み難さ」については、ジャンルとして總體として評價してしまつて良いものなのか、と云ふ疑問が。古橋秀之と阿智太郎とが一緒くたに論じられるんだぜ? 本人も言つてゐて良く解らない指摘。
平成十六年十月二十七日
ええと、昨夜は八葉抄の録畫が始まつてしまつたので書くのを中斷したのですけれども。
サイトの死つて、「良いサイトを作らうと思ふ制作者向け」と云ふ大前提がある訣で。
閉鎖するということ:INUさいとは、どうもうちのテキストを參考にしたらしき氛圍氣がするのだが、しかし當方と違つて、「サイトを作る制作者一般」の話になつてゐて、一般論に話がずれてゐる。それで閉鎖するということについて2リンクする自由、アンリンクする自由と同じように開局する自由、閉鎖する自由は無いのでしょうか。なる發言に繋がつて來るのだと當方は理解したのだが、その邊の事を「いいかげん」にしてゐる徳保氏の「批判」(この人の「批判」には鍵括弧を附けさせて貰ふ)が例によつてあやふやになつてゐる。(閉鎖する前に考えてほしいこと)で、受益者負担の原則閲覧者の希望と情報の公開コストでも、一般論・「他人の目」による批判、の形を徳保氏がとつてゐて、そこで「利益」なる話が出て來てゐるのだが、さうではないだらうと。
何と言ふか、「サイトは消すべきでない」と云ふテーゼがアプリオリの眞實と化して獨り歩きしてゐる氣がしてならない訣だ。例の「ValidなHTMLで書くべきだ」の議論と同樣、「より良いものを求めるならば」と云ふ前提があるのだが、その前提が忘却されて、「人は一般に」の話になつてしまふ傾向が見られる。その結果、議論がややこしくなつてゐるやうに思はれる。そして、「より良いものを求める」事を是とし、正義の存在を認める野嵜ならばともかく、「絶對的に正しいものはない」として「いいかげん」の立場をとる徳保氏が、「より良いものを求める」事を認める立場を前提とする議論に介入し、その立場から物を言つてゐるところに、今囘の議論のをかしさを當方、感じた訣だ。
と言ふか、何うでも良いのなら、徳保氏は、別に他人が何うしようが放置すれば良いのであつて、サイトの閉鎖を批判したり、サイトの閉鎖を認めて貰ひたいサイト制作者を批判したりするのは止めるべきである。氣に入つたサイトがあるならば、徳保氏は、サイトをローカルにコピーすれば良い。それは勝手にして良い事だ。だが、オープンの場で閉鎖されたサイトをコピーして公開するのならば、理論なり理窟なりを一貫させて、他人を納得させられるやうにしなければならない。「いいかげん」を「一貫する」等と云ふ詭辯でごまかすのは良くない。
サーバの負荷と人気サイト管理者の責任にしても、「人気サイトの制作者」の話であつて、「より良いサイトを作りたい制作者」の話になつてゐない。が、そこに「責任」なる語を持込んで、「より良いものを志向する態度」に類似した何かを、徳保氏は作り出してしまつてゐる。それは氛圍氣なのだけれども、良く考へてみれば、「人気サイトの制作者の責任」なるものが一概に成立するものではない。責任が生ずるとしたら、「人気サイトを作らうとして作つた人」にのみ生ずる。で、要するに人気サイトになるつもりなら忍者システムの無料Webは使えない、って解釈でいいのかな、これな。に對する意見として、徳保氏がさて、私は柊さんとは逆の感想を持っていて、人気サイトが無料だったりβ版だったり安価だったりするホスティングサービスをメインで利用することに不快感を覚えます。と述べてゐて、「なるつもり」が「である」の話にずらされてしまつてゐる。それが、「なるつもり」の制作者の話とごつちやにされて、徳保氏の「いいかげんな理窟」は展開して行く。
平成十六年十月二十七日
徳保氏にしてみれば、「いいかげん」である事は「バランス感覚」の積りなのだらうけれども、それは如何なものか。兩極端を突詰めた上でのバランスとりなら結構だけれども、曖昧でいいかげんである事を「バランス感覚」と稱する事によつて、時として極端をつきぬけた獨斷に行つてしまふ事があり得るよ。
平成十六年十月二十七日
新潟で地震 [2004年10月23日の湾岸日記 その12]
この邊のネタがにじうらではリアルタイムで出てきた。
にじうらみたいに、大量の人間が寄つてたかつてリアルタイムに情報を上げ、しかもそれに大量にコメントが附け續けていく掲示板を見てゐると、この手の「ニュースサイト」的な「ブログ」の存在價値を、どうしても疑問に思つてしまふ。灣岸日記を貶す積りはありません。當然の事ながら、この闇黒日記に對しても突附けられるべき疑問であると。掲示板に於いては情報が垂れ流しであつても、量が多ければ、整理された纏めサイトとしてのブログよりも餘程「面白い」と云ふ事になり兼ねない。
「ブログ」を疑問視するのは、利用者が少く、情報も少い、と云ふ状況で、あんなてんこ盛りのツールを使ふのは、可笑しい、と云ふ理由からだ。
serial experiments lainで、陰口だの噂話だののろくでもない情報がえんえん垂れ流されて行くワイアードの世界を玲音が「何が面白いの?」と非難したのに對し、「神樣」が「面白くないかい?」と答へたのは、質問に質問で返したからアレだけれども、實際、「面白い」「面白くない」のレヴェルで議論したら、「神樣」の勝ちである。
で、lain的アレな情報だだもれワイアードと極めて類似したものがにじうらであると俺は見てゐる。で、にじうらが極端に中毒性が高い事は論ずるまでもないとして、それは即時性と即應性が極端に高いレヴェルでにじうらでは實現してゐるからだ。しかし、ならば、インタラクションを魅力としてゐる筈の「ブログ」とにじうら的掲示板とは、同次元で比較する事が可能ではないか。となると、例へば徳保氏が「ブログ」の效能を推奬する一方で、野嵜としては「ブログ」の意義を疑問視したいのである。
平成十六年十月二十七日
で、にじうらには某ニフティ方面や2ちゃんねる方面をはるかに凌ぐ内輪受けのジャーゴンが存在し、某ねとらんが指摘するやうに閉鎖性が高いのだが、しかし、そのにじうらのやうな掲示板こそが(lainで提示されたネットワークの一側面としての)ワイアード的であり、或意味、純粹なネットワーク社會(ネットワーク社會のイデア的な存在)であると言得るとしたら、ネットワーク社會は批判の對象として妥當であるのではないか。
平成十六年十月二十七日
「投稿型ブログ」だと手許にHTML文書が殘らないからなーとか言つてみる。やつぱりHTML文書は、自分の目で見てきちんとオーサリングしたいもの。テキストを投げて適當に整形して貰ふ、と云ふのは何うも。
平成十六年十月二十七日
がくえんゆーとぴあ まなびストレート! -ホームページ-

平成十六年十月二十六日
あれを見ろ。セーラー服だ。ブルマよ。スク水だ。いや、ムスメットだ。下らねえなー。/// 流星戦隊ムスメット第四話終つた。正義は相對的なんだよ。云々。
平成十六年十月二十六日
めーるを送つたのだけれども返信がなくて不安なのでここに書きます。
勉強會と懇親會と、兩方參加と云ふ事で、御願ひします。
平成十六年十月二十六日
ITmedia ライフスタイル:ブルーレイは大好きだがコピーワンスは大嫌い
はてなダイアリー - 妹D・V・D( ・ω・) : 2004-10-06 麻倉先生、怒りの鉄拳
ななこだかあやのだかは何うでも良いが(違)、録画制限のコピーワンスはユーザーにとって非常に迷惑。と云ふ意見には激しく同意。
J-COMのデジタル放送がコピーワンスなので、仕方なく、ゴーストとかノイズとかが乘るけれどもコピーし放題の地上波版と、アニマックス・キッズステーション・AT-Xの(そこそこ)高畫質版とを、わざわざ重複して録畫したりしてゐるのだが、二度手間三度手間で、めどいです。
平成十六年十月二十六日
オーサリングしたワンダバのDVD-Rをデバッグの積りで觀てゐると、畫面がぶれるのに氣附いた。フィールドオーダーの設定だかインタレース解除をさぼつたのだかがよろしくなかつたらしい。わんだばだばだば。
平成十六年十月二十六日
「萌える」が「燃える」に由來する事は明かだけれども、ヲタ用語としての「燃える」(「燃える展開」の類)を最初に使つたのは誰なのだらうね。伊東岳彦が『宇宙英雄物語』で「うおおこれは燃える」の類の科白をキャラクタに連發させたけれども?
もつとも、もともと「燃える」には「情熱が高まる」の意味があるので、ヲタ的な用法も、必ずしも「誤」とは言へない。ただ、「これは燃える」といきなり言ふ用法はヲタの用法で、もともとは無かつたと思はれる。「向学心に燃える」「燃える思ひ」と云ふやうに「燃えるもの」は明示されるべきものだつた筈。
平成十六年十月二十六日
Google 検索: ファスナー
もしかして: ファフナーつてぐぐるさんあんたねえ。

平成十六年十月二十五日
AT-Xで天使のしっぽを鑑賞。///
平成十六年十月二十五日
DVD-RAM再利用計劃を實行中。
ワンダバスタイルをDVD-RAMから拔出してDVD-Rに燒直さうとしたら、RD獨特の480x480の畫面サイズのせゐでそのまゝ燒けなくて再エンコして云々。
おね2のWOWOW本放送直前の豫告編なんてものをDVD-RAMの山の中から發掘してみたり。
平成十六年十月二十五日
上で莫迦考察して何ですが、神戸在住の地震経験者とゐたしましては、今回の地震が今の時期――秋の入り頃で良かつたと思ふのですよ。
「いたす」が正解です。語として「さう書くもの」と決つてゐるので仕方がありません。
ちなみに「いたす(致)」は、もと「いたる(至)」の他動詞。
平成十六年十月二十五日
哀さんに召喚されてXULで拡張機能を作る方法をお教え。おぺらーなのにFirefox用の拡張を作る哀さん萌へ
「萌える」が正解です。文語ではや行下二段活用「萌(も)ゆ」。云々。ただし、文語に「現代語」と言ふかヲタ方面的流行語と同樣の意味で用ゐられた「萌ゆ」があつたとは聞かない。
平成十六年十月二十五日
DVD-RAMに燒いたRDの録畫データを改めてDVD-Rに燒く方法。
720×480、352×480等の畫面サイズでDVD互換となつてゐるデータの場合。TMPGEnc DVD Authorで吸出して、そのまゝ燒けば良い。
レート3.2等の「1クールあにめ專用モード」で録畫した爲、480×480になつてゐる時。RDで再エンコする手もあるが、PCに持つて來てTMPGEncで再エンコする方法もある。ファイルサイズが小さく(て割ときれいな映像に)なるので、うちではPCで再エンコしてゐる。後者の方法をとる場合。先づ、DVD-MovieAlbum附屬のコピーツールでHDDに取込む。次に、TMPGEncがAC3を扱へる場合(Sound Plug-in AC-3導入濟みの場合)なら、取込んだMPEG2ファイルをそのまゝTMPGEncに讀込んで再エンコすれば良いので樂だが、うちはSound Plug-in AC-3を未導入なので出來ない。そこで取敢ず、TMPGEnc 2.5のMPEGツールで映像と音聲とを簡易分離、映像のみ再エンコして720×480にした後、同じMPEGツールで簡易多重化する、と云ふ方法を使つてゐる。
なんか無駄に手間をかけてゐる氣がするけれども、暇人なので問題ない。
平成十六年十月二十五日
最近は、RD→デジタル放送の録畫、PC→地上波アナログの録畫、と遣ひ分けてゐる状態。但し、深夜あにめは屡々かぶるので、適宜、RDとPCで録畫して、あとでデータをどつちかに持つて行つて纏める、と云ふ事をしてゐる。暇人ですね。三つ番組がかぶる時はVHSくん登場。
ちなみに、今期はANIMAXでボトムズをやつてゐるので、録畫豫約の調整が變に面倒になつてゐる。
平成十六年十月二十五日
コピーガードがちがちのデジタル放送、轉けないかなー。コピーし易いと云ふデジタルの最大のメリットを殺して、どうしようと言ふのだらう。
平成十六年十月二十五日
「実は、転職をしやうと思ひまして、家に籠もつて勉強してゐたんです」
助動詞「よう」は「よう」であり「やう」ではありません。云々。
平成十六年十月二十五日
ITmedia エンタープライズ:他のWebブラウザよりも高品質? 「反撃」に出たIE
ブラウザは、「セキュリティ」云々を理由に、「出たら目なマーク附けの贋HTML文書」を「何とかして」「それなりに」解釋するのを止めたら何うか。嚴密にSGMLやXML或はHTMLの仕樣に沿つてエラー訂正しながら仕樣通りに解釋する、と云ふのをやつたら何うか。と適當な事を言つて見る。
平成十六年十月二十五日
新企畫案。「のあとあやのの正かな教室」とか「あなたの正かなの文章をのあたんが添削します」とか今朝二時間しか寢てゐないからてきとー。

平成十六年十月二十四日
Φなる・あぷろーち、普通に面白いな。
おすすめはせんが。
平成十六年十月二十四日
青空ブログで演説。
何うして「絶對正しいなんて事があるのか」と考へてゐる相對主義の日本人が「政策的に正しい表記を決めるべきだ」なんて絶對的な考へ方をするのか、不思議でならない。
或は。
日本語は、話し言葉がベースの言語でなく、書き言葉がベースの言語だから、書き言葉の原理を言語の原理とすべきであり、話し言葉を原理とする表音主義は成立たない。
そして、漢字と假名との組合せ、詞と辭との組合せがあるのだから、その組合せのパターンも複數ある。漢字のみならず假名にも字體が複數ある(あつた)。だから、日本語の表記には劃一的な原則を定められず、或程度の曖昧さも殘しておくのが「正しい」。
戰後の國語政策を「正しい」として認める人、政策的に定められた「標準字體」を必要だとする人は、この邊りの事が「解つてゐない」のである。

平成十六年十月二十三日
ガンダム種運命中斷。呪はれてゐるんぢやないか。と、「」達も申してをります。
平成十六年十月二十三日
小泉は映畫鑑賞中だとか?
あんなに搖れたのに、映寫機囘つてゐるのか? 昔、北海道で大地震が起きた時、澁谷東急ではアラビアのロレンスの上映が中斷したけれども。
平成十六年十月二十三日
テレビ東京が頑張つてゐる。
平成十六年十月二十三日
tvk、MXTVはサッカー中繼繼續中。
平成十六年十月二十三日
小泉首相、流石に公邸に戻つてゐたらしい。
平成十六年十月二十三日
テレ東報道番組に。もう駄目かも知れん。
平成十六年十月二十三日
テレ東復歸。
平成十六年十月二十三日
テレ東「秋の日本列島どんぶり旅」。新潟のパートが地震情報でカット。
平成十六年十月二十三日
イラクの自衞隊宿營地に着彈の模樣。
平成十六年十月二十三日
テレ東アド街でL字。
平成十六年十月二十三日
イラク・サマワの自衞隊宿營地にロケット彈が着彈したが不發。負傷者はナシ。
平成十六年十月二十三日
この状況下で虹裏の畫像リンクの仕樣が變更された模樣。

平成十六年十月二十二日
シンプルなスタイルなのに実際以上にごちやごちやして見へるのは何故?
「見える」が正解です。文語「見ゆ」。口語「見える」。や行下一段活用。
例文。「敵艦見ゆとの警報に接し聯合艦隊は直ちに出動、之を撃滅せんとす/本日天氣晴朗なれども波高し」
何うでも良いのだけれども、「みゆ」を「美夕」としか變換しないうちのWXG云々。
平成十六年十月二十二日
某所で「叩け」と命令されたのだが。
文字で語る
某櫻花さんサイト並に更新が少いとか?
平成十六年十月二十二日
世間のMovable Typeで構築されてゐる「ブログ」のHTML文書が悉くinvalidなのは何うよ?
平成十六年十月二十二日
スーパーRD+VHS+PCキャプチャタイム。
平成十六年十月二十二日
ローゼンメイデン。またイタい話を……。
平成十六年十月二十二日
舞・HiME。また馬鹿な話を……。
平成十六年十月二十二日
洋書會なので、本當は買はない積りだつた。
"Selected Letters 1907-1941 of Ezra Pound"
John Dover Wilson "Shakespeare's Happy Comedies"
同 "The Fortunes of Falstaff"
Arnold Bennett "Literary Taste"
"The Penguin Poets : T. S. Eliot" A Selection by The Author
A. C. Bradley "Shakespearean Tragedy"
Robert Frost "Selected Poems"

平成十六年十月二十一日
田村書店の無料サーヴィスで時枝誠記『増訂版古典解釈のための日本文法』を拾つて來たのだけれどもびしよ濡れ。萌える。

平成十六年十月二十日
Google 検索: ゴッゴモビル

平成十六年十月十九日
煙草を吸ふ人の事ばかりが責められるけれども。煙草による迷惑は、傍迷惑と言つても、都會の迷惑に屬する。
住宅地では「犬を飼つてゐて、散歩する時、人の家の前で糞をさせる飼ひ主」「野良猫に餌をやる人」「夜中、エンジンをかけつぱなしにしたまゝ家の前に車を駐めて休憩するトラック運轉手」の三者ほど迷惑な存在はない。
すみけんさんはまだ猫に餌附けをしてゐるのだらうか。野良猫に餌附けをしてゐる人には、育つた猫が近所の家の庭に入り込んで糞をしたり、夜中にいろいろな理由で鳴いたりして、他人に迷惑をかけてゐる事に氣附いて貰ひたい。云々。
平成十六年十月十九日
笄蛭(コウガイビル)を増やしたら、蛞蝓の跳梁跋扈はをさまつた模樣。
平成十六年十月十九日
大きな螳螂が庭で頑張つてゐる模樣。
平成十六年十月十九日
洗面所の裏の羊齒の森にはとかげが棲んでゐる模樣。
平成十六年十月十九日
ムスメット @ TVK。毎度の事ながら微妙だ。一往、話になつてゐる點は評價したい。
平成十六年十月十九日
地獄の箴言: オフ會
いや別に緊急と言ふやうな話でもないのですが。御暇な方はどうぞ。

平成十六年十月十八日
データベース化しようにも、數萬册あるからにつちもさつちも。にんにん。
平成十六年十月十八日
結局シノブ伝(@ キッズステーション)→DearS(@ AT-X 但し録畫)の鑑賞が週末と言ふか日曜深夜の日課となりつゝある。
平成十六年十月十八日
GA第四期TV最終囘は超くせ最終囘のパクりとかてきとー。
寢ます。
平成十六年十月十八日
ゴッゴル
カトゆー家とかのめじゃーなニュースサイトが採上げないと、この手の御祭は祭にならんですねー。と言ふか、早速批判サイトでつち上げてゐる俺。最初は批判する積りはなかつたのだが。
平成十六年十月十八日
おねティは、何度見ても「SFの要素いらんなー」と思ふ。と言ふか、かう云ふ「氛圍氣の爲のSF的設定の導入」は、「SFの一般化」なのだらうけれども、良くないよ。
おねティは、SFでありながらSFとしてなつてゐないから不可。おね2は最初からSFでないからまだ良いと思つてゐる。が、SFとしてなつてゐないおねティの續篇なのが致命的な問題。

平成十六年十月十六日
ハルフィルムメーカー+後藤圭二+門之園恵美「うた∽かた」。話はぐだぐだだが、見終つて嫌な後味はない。が、それだけだ。
屑アワー「Φなる・あぷろーち」。屑は屑だが、こんなものと思つて觀れば觀られる。が、それだけだ。
平成十六年十月十六日
ライブドアと楽天の參入が認められない→パリーグ崩潰→プロ野球凋落→野球放送の延長がなくなる→深夜あにめファン萬歳萬歳萬々歳。
と云ふ事で、ライブドアと楽天を應援しない事にした。

平成十六年十月十五日
プロ野球方面では、テレビの11PMは良くて、ウェブのアダルトコンテンツは駄目なのだと。
平成十六年十月十五日
でじこ&ぷちこのローゼンメイデン第二話。微妙。レン&ミゥの舞 -Hime第三話。そこそこ面白いが、ぱくりまくりの印象あり。
平成十六年十月十五日
辰野隆『フランス革命夜話』朝日新聞社
堀米庸三編『生活の世界歴史6 中世の森の中で』河出書房新社
河合榮治郎編『學生と藝術』日本評論社
葦津珍彦『みやびと覇權 ――類纂 天皇論』日本教文社
平泉澄『山河あり』立花書房
福原麟太郎『人生十二の智慧』新潮社一時間文庫12
なんかダブつてゐる臭いのが幾つか。
平成十六年十月十五日
世間ではOperaがやけに不安定らしいですが。
Google Desktop Search BETA - Note @ Temporary-Depot
ためしてみましたけれども。GoogleのツールのインストーラにOpera 7.60p1を終了させても、特に何も問題なし。インストールはさくさく進み、無事完了。
Piroさんのサイトを見ようとすると良く落ちますけれども、その他の状況では特にOpera 7.60p1が惡い事をしたり落ちまくつたりする事は、少くともうちではないです。どうしてOpera許りが責められる。
あと、Googleのツール、そっこうで削除しましたが、何で削除したの? と訊いてきます。入れる氣ないのに、Operaの冤罪の疑ひをはらす爲、ためしにインストール作業をしてみただけ、なんてメッセージを送つても仕方がないので、そつとウィンドウを閉ぢました。
何うでも良いのですが、「そっこうで」とか「さくさく○○する」とかつて言ひ方、嫌ですねえ。

平成十六年十月十四日
今頃になつておねティを見返してゐたり。
平成十六年十月十四日
今頃になつて加藤弘一『絵と文章でわかりやすい! 図解雑学 文字コード』(ナツメ社)を買つて來た。加藤氏の前著は文春新書でメジャーだつたが、こちらはかなりマイナーで、二千二年に出たにもかかはらずその存在を私は今まで知らなかつた。かなりつつこんで「漢字廢止派」を批判してゐるので、國字問題に興味がある人は讀んでおくと良い。
平成十六年十月十四日
天氣が良くなつたので古本屋さんで買物。店頭ワゴンあさり。
中村雄二郎『言語・理性・狂気』晶文社
神社本庁編『神社の教化活動』神社新報社
平成十六年十月十四日
小説を書きはじめてみたり。

平成十六年十月十二日
流星戦隊ムスメットの第二話を觀た。昔、G-onらいだーすと云ふわかつてゐるのかわかつてゐないのか微妙なヲタ向け作品を作つたティー・エヌ・ケーの馬鹿アニメ。
一往、毎囘ちやんとそれつぽい話を作つてゐるので、それなりに見られる。下らないネタも仕込んでゐるので、判る人はそれなりに樂しめる。アレな作品が濫造されてゐる今期のあにめ群の中では、それなりに良く出來てゐる方だと思ふ。
同じティー・エヌ・ケーの神無月の巫女の方は、ちよつと救ひやうがないやうな氣がする。
平成十六年十月十二日
一週間「闇黒日記」を更新しなければ良いのだな!?
平成十六年十月十二日
NHK「クローズアップ現代」で、アフガニスタンの大統領選擧の事を採上げてゐた。アフガニスタンとは「多少の縁」があるので一往。
Google 検索: アフガニスタン
Yahoo!ニュース - アフガニスタン復興
平成十六年十月十二日
PC Japan誌の十一月號が出てゐた。
「休刊」になつた雜誌が復刊する事もあるのですね。

平成十六年十月十一日
波江相手に耻をかいてゐる間にも、なぜか成恵の世界なんかを鑑賞してゐたり。
何と言ふか、ぬるいと言ふか、いろいろと駄目さ加減について言ひたいのだけれども。今期のもえもえあにめの非道さに比べればまだしもと言ふか。一往眞面目に作つてゐるらしき氣配があるので、そんなに貶す氣にはならないと言ふか。云々。
平成十六年十月十一日
波江相手に耻をかいてゐる間にも、なぜかキッズステーションのシノブ伝なんかを鑑賞してゐたり。
TVK放送時には好い加減に見てゐたものだから、今落著いて觀ると、細かいネタを隨分忘れてゐるなと。あと、やつぱりシノブ伝はシリーズ後半の方がよろしいなと。ユーフォーテーブル、かなり眞面目に阿呆な話(かう云ふ時に使ふ紋切型が「褒め言葉」)を作つてゐて、好ましいなと。あと電撃なので貶さないとか。
平成十六年十月十一日
波江相手に耻をかいてゐる間にも(しつこい)、なぜかAT-XのDearSなんかを鑑賞してゐたり。
TVK放映時には流して觀てゐたものだから、今じつくり觀ると、細かい科白をかなり忘れてゐるなと。あと、いろいろ最初からネタを仕込んでゐるなと。いろいろ不器用な處がある作品だけれども、眞面目に作られてゐる感じはするし、何しろ電撃だからやつぱり貶す氣には云々。
平成十六年十月十一日
双恋は貶して良いかも知れん。觀てゐないけれども。
平成十六年十月十一日
イラク戰爭の問題について。
「イラクが大量破壞兵器を開發してゐる疑ひがある」→「イラクは査察を拒んだ」→「強制搜査だ」→「見附かりませんでした」→「強制搜査は暴擧であつた」→「ファッショ的彈壓行爲は取止め、アメリカは謝罪すべきである」
參考:康永官
平成十六年十月十一日
平和主義者のジェームス三木氏が、例のNHKの大河ドラマ「獨眼龍正宗」の頃、インタヴューに應へて、「人は平和を愛好する。が、同時に、戰爭を好むのも人間だ」と云ふ風な事を述べてゐるのを、先日、某社の古い廣報誌を見てゐて發見した。少しだけ三木氏を見直した。
平成十六年十月十一日
関本洋司のblog - 関本洋司個人のb・・・
沖繩問題についての関本氏の發言に、えすさんが怒つてゐる。(http://esu.oresama.org/200410b.html#20041011_s0
沖繩に關してはコメントしないでおきます。平和主義について。
平和主義の人は屡々「平和を實現する具體的な方法」をいろいろ考へて、「平和主義の問題」を素通りする。
この態度は、「英語(印欧語)の正体は漢字です!」の大和田氏が「英語と漢字が『対応』する具體的な事例」をいろいろ擧げる一方で、その「対応」なる概念を恰も「アプリオリの事實」であるかのやうに看做し、他人に押附けるのと似てゐる。
或は、「いろは同工歌」の波江が、「いろはの實作」を他人に押附けつゝ、「いろはもどきの歌で本當に何でも解決するのか」と云ふ疑問を無視するのに似てゐる。
平成十六年十月十一日
御風呂に持込める、完全防水の入力端末つて、ないかなー。と思つた。
平成十六年十月十一日
「ブログ」は「完全に新しい概念」か。
「ブログ」は、實際には、「サイトの所有者しかスレを立てられず、投稿を管理できない掲示板」である。トラックバックやRSSに關する機能は、掲示板閲覽ツールを掲示板サーヴィス提供者側で用意してゐるやうなものである。
平成十六年十月十一日
『罪と罰』の主人公達は、キリスト教の教義に照らして、天國に行くべきであるか、地獄に落ちるべきか。の問題。
平成十六年十月十一日
めも。
百孫朝鮮語学談義 − 菅野裕臣の Autobiografio II
平成十六年十月十一日
めも。
SUZUKI Babel Setu ha sonzai suruka?
平成十六年十月十一日
めも。
日本語学史
平成十六年十月十一日
めもめもと言つてゐるが、めもしたものは當然、忘れてしまふのである。
が、だからと言つてめもしないでゐると、思ひ出す事が出來ないのである。

平成十六年十月十日
http://blue.ap.teacup.com/roha/238.html

カンボジア王国が政治的に見舞われるとたびたび退位の意向を表明してきた。〔AFP=時事〕

とはまるで文章になつてをらぬ。今の日本の国語教育の水準のほどうかがへます。英文で入つた一報を翻訳したのでせうが、英文和訳としても赤点です。

すぐ上に原文がある。見ると、波江が文章の一部を(わざとか何うかは知らないが)省略してゐる事が判る。
国王は現在81歳で、カンボジア王国が政治的に見舞われるとたびたび退位の意向を表明してきた。〔AFP=時事〕
波江は、「カンボジア王国が意向を表明してきた」と理解してゐる。しかし、「意向を表明してきた」にかかる主語は「国王は」である。波江が「なつてをらぬ」と極附けた文章は、波江が「国王は」と云ふ語を省いたから「なつてをらぬ」ものになつたに過ぎない。原文は、日本語の文章として「なつてをる」のである。波江は、自分で對象を歪曲して、をかしなものにしてしまつておいて、「をかしい」「をかしい」と騷ぎ立ててゐる。
波江の頃の國語教育の水準は、今に比べれば高かつたのだらうが、さうだとしても、大した事はなかつたやうだ。と言ふか「波江個人の、國語に關する能力が異常に低い」と考へた方が正しいやうな氣がする。だから、「波江の『いろはもどき歌』説は、無知から出た妄説だ」とは言へるだらうが、一方で、「波江のやうな人間ですら正しく使ひこなせてゐる歴史的假名遣は、とても簡單なものである」と言ふ事も可能だらう。
取敢ず、波江の「実作」が全て「日本語としてなつてをらぬ」ものである事は、事實である。或は、波江が自分の「いろはもどき」の文章を「なつてをらぬ」と言はず、通信社の報道記事の文章を「なつてをらぬ」と極附ける感覺は、一般人の感覺とは正反對である。
平成十六年十月十日
鳴海四郎氏死去。
Google 検索: 鳴海四郎
平成十六年十月十日
武光誠『聖徳太子』(現代教養文庫)を適當に流し讀み中。
某高橋氏をはじめ、多くの「反天皇制」の連中が勘違ひしてゐるが、天皇が獨裁的に國民を支配した事實はない。古代の頃、既に天皇による專制は存在せず――と言ふより、日本では最初から「天皇一人に據る政治的支配」の體制は存在せず、「天皇の名の下に臣下が政治を取仕切る」形式が確立してゐた。と言ふより、天皇は最初から、それほど強い政治的權力を持つてゐなかつた。
天皇家は多くの豪族の中で有力な存在であつただけであり、しかも、絶對的に突出した存在であつた訣ではなかつた。それは聖徳太子の時代にさうである。それ以後の律令體制の時代も、もちろんさうであつた。藤原攝關政治が行はれたのだから、「貴族社會で天皇は支配者であつた」と言ふのは無理がある。平安時代以降、天皇家は完全に政治の中心から外れた。鎌倉幕府以來、江戸時代の末まで、日本の政治は武家が取仕切つてゐた。武家政治において、天皇の権威は認められてゐたが、天皇が政治的支配者であつた時期は殆ど無い。明治時代の初期には「王政復古」が叫ばれ、天皇が元首となつた。しかし、當時でさへも、薩摩・長洲連合をベースとした臣下の人間に據る政治が行はれてゐたのであり、明治天皇が獨裁を布いたものではない。そして、明治憲法發布以來、日本は立憲君主制の國家となつた。帝國議會が開かれて議會政治が行はれるやうになつた以上、天皇に據る天皇の爲の「天皇制」等と云ふものは、存在し得なくなつた。そこで「天皇絶對主義」等と言ひ、「天皇制反對」を叫ぶのは、波江と同じやうに、自分で事實を歪曲して、をかしなものをでつち上げて、「をかしい」「をかしい」と叫ぶ事である、と言へる。大正時代には政黨政治が曲りなりにも行はれてゐた。それを破壞したのは、天皇ではない。軍部は軍部の獨自の判斷で政治に介入したのだが、その介入を阻止出來なかつたのは政黨政治家の責任である。軍部も、ただ天皇の名を利用したに過ぎず、天皇の意嚮を受けて動いたのではない。そして、昭和天皇は、平和主義者であり、大東亞戰爭の開戰には反對であつた。軍部は天皇を裏切つて行動した。そして、最後に軍部は指導力を失ひ、天皇の聖斷によつて戰爭が終らせられた。「天皇制」反對者が言ふのと違つて、昭和天皇が實際に政治に介入して命じた事は「平和の實現」のみである。「天皇制」の理論から言へば、天皇は常に「惡い事」をしてゐなければならない筈だが、さう云ふ事實はない。そして、事實に反した理論は間違つてゐるに決つてゐるのである。
平成十六年十月十日
讀賣新聞朝刊第一面〜第二面に掲載された文章に據ると、トフラー夫妻は、千九百三十七年、南京で日本軍が民間人を虐殺したと云ふのは事實である、と考へてゐるらしい。
かう云ふ文章を編集部が通してしまつたからには、讀賣新聞は會社として、「南京大虐殺」を事實と認めてゐる、と判斷して良いのだらうか。
平成十六年十月十日
アメリカは、大東亞戰爭直前、日本の外交に關する暗號電文を完全に解讀してゐた。その一方、日本が眞珠灣を攻撃する事を豫想もしてをらず、択捉島の單冠灣に終結した日本艦隊がハワイ目指して出撃した事實も知らなかつた。
「情報戰」で、日本は戰術的にはアメリカに勝つてゐた面がある。が、トータルな戰略と云ふ側面から見れば、外務省と軍とが連携を缺いてゐた日本は、アメリカに負けてゐた、と言へる。
軍部が日本を戰爭に引込んだ、と見る事は可能だし、それが一般的な見解でもある。が、完全に軍部が日本全體を掌握してゐた訣でもなく、政治全體を支配してゐた訣でもなかつた。その爲に、軍部だけに戰爭の責任を負はせる事が不可能となつてゐる。かうした中途半端さが日本における「戰爭責任」の議論を混亂させてゐる事は、意識しておいて良いと思ふ。
平成十六年十月十日
既に總力戰の概念が存在したにも拘はらず、局地戰で勝利すれば戰爭に勝てる、と考へた事が、大東亞戰爭における日本軍の誤であつた。
それは、ナチスのドイツ軍も冒した誤であつた、と、林健太郎が指摘してゐる。
平成十六年十月十日
http://blue.ap.teacup.com/roha/238.html
波江の文章だから良く讀まないで非難したが、政治的に見舞われるとが問題なのだと。ならば波江の言ふ通りだ。
が、なぜ政治的に見舞われるとだけでなくたびたび退位の意向を表明してきたまでも變な赤字にしたのだらうか。さらに、自分は省略なく複写し貼り付けて居る。と波江は言つてゐるが、波江はなぜ国王は現在81歳で、を省略したのか。そのせゐでこちらは勘違ひさせられたのである。あの表現では、政治的に見舞われるとは文脈があつて省略されてゐるのだ、と判斷しても仕方がないし、波江がそこを問題視してゐるとも解らない。波江は、ちやんと説明すれば良かつたのである。變なところを變な赤字にするだけで、説明をさぼつてゐるから、話が解りづらくなる。野嵜君は又暗黒日記で下記のごとく騒ぎ立てて居るが、「政治的に見舞われるとたびたびの」「政治的に」と「見舞われる」の間に「危機」を入れればすむ話である。と言つてゐるが、最初からさう言へば解るのに、それを波江は言はないで、人を誤讀させては「ヒステリー」呼ばはりして喜ぶのである。なぜ必要な説明をわざと波江は省いたのだらう。今囘は、波江がちやんと説明しないのが惡いのである。そもそも、波江は普段の行ひが惡い、だから疑はれるのである。と逆切れ。
ついでに言ふと、元記事はOCNとgooとで現在まだ見られる。あと、今の日本の国語教育の水準のほどうかがへます。と云ふ文章はなつてをらぬ。「今の日本の国語教育の水準のほどうかがへます。でなければならぬ。また、「今の日本の国語教育の水準のほど」の「の」の連續もなつてをらぬ。それから暗黒日記ではなく「闇黒日記」である故、波江には原題のまゝ改竄なしに複寫されたし。云々。
平成十六年十月十日
しかし、波江の「いろはもどき」が誤であり、「いろはもどき」の文體が「なつてゐない」と云ふこの真理は揺るがし得ぬカンボヂア王退位の旨告げて消えぬ世迷ひを晴らす頃行方織る瞳も何誘ふ智慧と闇競れりなる「いろはもどき」がナンセンスである事は言ふまでもない。てにをはだの何かの言葉だのを補つても、意味のある文章にはならない。波江も文の巧拙を問題にして居るのではない。意味の通不通が問題なのである。フィーリングで解ればよいといふものではないでせう。とコメント欄で言つてゐるが、當の波江の「いろはもどき」が「フィーリングで解らねばならぬ」ものである以上、波江の「いろは」説は説得力を缺く。と言ふか、波江の「いろはもどき」は、論理でもフィーリングでも解らない。意味の通不通が問題なのであると言ふのなら、波江の「いろはもどき」の意味が通じないのは問題である。
今囘、波江にしてやられたにしても、「いろはもどき」の波江説は間違ひである、と云ふ當方の立場は讓れない。
平成十六年十月十日
国立国語研究所「外来語」委員会
XHTM 1.0 Strict準據で正しく作られてゐる。少し驚いた。

平成十六年十月九日
メッシュ天気予報が重い。
平成十六年十月九日
2004年10月の戯言 - 駄的HTML改善計画
うちではOperaが落ちるのは、某Piroさんのところくらゐなのだけれども。7.60のPreviewReleaseだから、もつと落ちても仕方のない處である筈だが、案外落ちない。
それから。私は一太郎なんて使ひ辛くて何うしやうもないと思つてゐるのだけれども、世の中には一太郎が使ひ易いと感ずる人もゐるのである。一太郎つてアウトラインモードはないしスタイルシート機能は貧弱だし、Wordの方がずつと良いと思つてゐるのだけれども。
平成十六年十月九日
ガンダム種死をL字にするだけの爲に來たやうな颱風だつたなー。
平成十六年十月九日
一太郎2004にはアウトラインモードがあるのですか。さうですか。Wordみたいに見出しレヴェルときちんと連動してゐるのでせうか。昔の一太郎は、見出し機能をかなり勘違ひしてゐたやうな記憶があるのだけれども。と言ふか落ち着け>俺。
一太郎では、インライン要素とブロックレヴェル要素の事がきちんと考へられてゐないかつたやうな氣がする。段落の中にカーソルを置いて見出しレヴェルを設定しても、段落が見出しにならなかつた記憶がある。段落を見出しにするには、段落全體を選擇しておかなければならなかつた。
行間の設定とか段落のmarginとか(だつけ?)に、昔の一太郎はをかしいところがあつた氣がする。今は改善されてゐるのでせうか。「○字×○行での表示とか印字とかが樂」と云ふ話はあるのだけれども、適當に文字送りをやつて呉れた方が良い時とか、逆に段落の配置の微調整をしたい時とかに、一太郎は言ふ事を聞いて呉れない。昔の一太郎は、たしか、段落の前後のマージンを設定出來なかつた。行間を弄ると、なぜか段落の前後のマージンまでもがをかしくなるので、やたら使ひ辛かつた。一太郎にはブロックレヴェル要素と云ふ風な概念がないから、Wordに比べると、スタイル機能で細かい調整をしづらい傾向があるやうに思ふ。改行なんかで行間を調整する、なんて美しくない事は、したくない訣だが、一太郎だと結構、さう言ふ裏技が必要になる筈。
罫線機能は要らない。罫線で表を作る時にも、行罫線と行間罫線とが違ふ扱ひだとか、複雜な表を作るとをかしくなるとか、昔の一太郎にはいろいろあて、厄介だつた。今は知らないけれども、良くなつてゐるのですか? 昔のWordの「枠」機能は、一貫してゐて良かつたのだけれども、Word 5の時、一太郎の機能を無理矢理移植して來て、破綻してしまつた。
ATOKは、日本語を破壞したい紀田順一郎が辭書を作つてゐるから駄目。キーバインドも、昔のPC-98のキーボードのキー配置を前提にしてゐるし。一太郎のメニュー自體も、DOS時代の古いものとWindows向けの新しいものとがあつて整合性がないし。もともとATOKも一太郎も、PC-98のDOS向けに最適化されてゐたから、PC/ATのWindowsで動かすと違和感が非道い。
一太郎のレンダリングの仕方が、なんかWindows標準つぽくなくて、違和感がある、と云ふのも、個人的には氣に入らない點。Geckoのレンダリングにしてもさうなのだけれども。何と言つたら良いのかなー、Internet Explorerの4のレンダリングの仕方が、Windowsのアプリケーションとしては一番美しかつたやうな氣が。
あと、一太郎の数式エディタとWordの数式エディタではWord附屬の奴の方が良いと思ふ。
と言ふか、一太郎の機能が中途半端にWordに盛込まれて、Wordは死んだ、と思つてゐるのだけれども。昔のWordは本當に良かつた。Word 1.2Aとか。
平成十六年十月九日
所謂「正しいHTML文書の作り方」と、一太郎に據る文書作成方法とは、全然違ふ。けれども、Wordの場合、HTMLの作成法とそんなに變らない。Wordのスタイル機能は、CSSを使ひ慣れてゐれば違和感なく使ひこなせる。
と言ふか、Wordでスタイル機能に全面的に依存した文書の作成方法をとつてゐたから、俺はValidなHTMLとCSSによるスタイル指定と云ふ方法でしか、ウェブ文書のオーサリングはやる氣になれなかつた訣で。もとPC-98ユーザで、一太郎に慣れ切つてしまつてゐる人なんかは、ValidなHTMLもCSSも理解したがらないのではないかとすら俺は思つてゐる。「ホームページでも罫線が使えないとねー」なんて言出しさう。
平成十六年十月九日
サンライズなので放置してゐたけれども、舞-HIMEを今頃になつて觀た。結構面白い。
良く考へてみれば、某センチメンタルジャーニーなんてのを作つてゐるサンライズの「もえもえあにめ」は、期待できない訣ではない筈なのだ。
平成十六年十月九日
例によつて放置してゐた流星戦隊ムスメットを今頃になつて觀たが、そんなに惡くないのではないか。

平成十六年十月八日
下の長文、日附が「七日」なのに「八日」になつてゐるぞとつつこみが。ありがたうございます。と云ふ訣で訂正。
そして。一日早いですがおめでたうございます。と恐らく九割九分九厘の人がわからない私信を書いてみる。
七日附けの雑記で闇黒日記平成十六年十月八日読破記念更新(謎)なんて書かれてゐるし。orz
平成十六年十月八日
SBG:マジ!? ネトランが今度は豪華声優起用のOVA制作!!
發賣日の翌日にはWinnyに流れるんぢやないかな。
平成十六年十月八日
今期はローゼンメイデン以外全部外れと言つてよろしいですか。いやなんかこれもつつこみどころ多いのですが。でじこにぷちこだし。
と言ふか、取敢ず次囘を期待出來るあにめつて今期これだけ。あとなのはもか。
平成十六年十月八日
突っ込まれましたorz
いえいえ、こちらがミスつてゐたのでしてorz。
平成十六年十月八日
本日の買物。
福田恆存『現代作家』新潮社
プラトン『書簡集』近藤書店
『中公バックス世界の名著41 バーク/マルサス』
『失はれし政治 近衞文麿公の手記』朝日新聞社
『河合榮治郎選集第二卷 第一學生生活』日本評論社
安本美典『卑弥呼は日本語を話したか』PHP
安本美典『研究史 邪馬臺國の東遷 大和朝廷誕生の謎を解く』新人物往来社
安本美典『吉野ヶ里「観察」からの報告』毎日新聞社
大石義雄『憲法と日本の将来』時事通信社・時事新書
武藤貞一『改憲か革命か』時事通信社・時事新書
ゐでしげみ『京洛ところどころ』時事通信社・時事新書 ※新村出序文、正假名遣で印刷。戰前出版されたものの復刻。
平成十六年十月八日
更新が少いと御嘆きのあなたに。
言語@談話室
更新イラネとか思つてゐる人は、見なくて良いです。

平成十六年十月七日
さて、ネタがない時に、どれだけ「ネタがない」と云ふネタだけでネタを引張れるか、やつてみようか。そんなものをえんえん引つ張つて、長々と駄文を書いたところで、誰も讀むまいと思ふのだが、なぜか讀む人は讀むらしい。ならば、取敢ず書いてみて、讀む人に讀んで貰つて、反應を見る、と云ふ事は、不可能事ではないのだらう。そんな訣で、書いてはみるのだが、既に苦しくなつて來た。野嵜はかう云ふ長文を書くのが苦手なのだ。否、野嵜はそもそも文章を書くのが苦手である。それが證據に、いつもの闇黒日記の記事は過半がコメントもない状態の「URL投げつぱなし」である。然るに、さう云ふ記事が好評かと言ふと、さうでもなく、大體の場合、無視される。一方、長々と書いた「ねこまたぎ」の記事に「間違ひがあります」の類のつつこみが入つたりする。我ながら讀む氣にならない長文を何時も何時も最後まで通して讀んで下さる讀者と言ふか常連の方々には感謝の言葉もない。が、本人ですら、あの(どの)長文は讀返さないのである。もちろん、短いの極致の「URLだけ」の記事も讀返さないし、そもそも讀返すも糞もあつたものではない。たまにリンク切れになつてゐるのを發見したりするが、別になつたところで所詮は「日記」の過去ログであり、誰も困らないから放置である。と言ふより、過去ログは全てそのまゝほつたらかしにする方針なので、讀返しても仕方がない、だから讀返さない。私は過去を振返らない男である。ええと、この文章は「ネタがない」だけを「ネタ」に適當な事を綴る試みであるからして、この邊の適當な宣言なり何なりは本氣で書いてゐるものではない。さう云ふ訣で、この項の記述は信用しないでいただきたい。が、かつてYahoo!掲示板で、「失言こそ本音であるからつつこみ可、寧ろつつこむ可し、がんがんつつこんで相手がノイローゼになるまでつつこんで嫌がらせす可し」といつた類の主張をして、嫌がらせをして來た人物がゐた訣で、書流しの好い加減なこの駄文を「本音」と見て一々揚げ足を取り、攻撃し、轉載し、誹謗し、中傷し、匿名掲示板で嗤ひものにして獨りで喜ぶ輩が出てきても不思議ではない。と書くと、本當に「義」が反應して來さうなのでこの邊でこの「試み」も御終ひ。と言ふか、意味のない文章を適當に書流すやうな事はしない方が良い。

平成十六年十月六日
本日の買物
こばやし ひでお『言語学通論 改定第5版』三省堂
C・モーガン『鏡に映る影』南雲堂不死鳥選書
『世界教養全集13(クラブント「世界文學三十六講」・G.ミショー「文学とは何か」・A.ベネット「文学――その味わい方」・ヘルマン・ヘッセ「世界文学をどう読むか」・C.デイ.ルイス「詩をよむ若き人々のために」)』平凡社
宮崎市定『日出づる國と日暮るる處』星野書店
こばやし ひでお曰。

第二に、昨年のあき文部省の發表した當用漢字と現代かなづかいとを,わたしわこの本で採用した.漢字制限の方面でわ,多少の不便を感じながらも,極限のワクをはずさないよ〜に努めた.たゞし引用文わ除外した.かなづかいについてわ,文部省案わ不徹底であり,かえって不便なので,發音式をいっそ〜擴大して,テニヲハの「は」と「へ」を,それぞれ「わ」と「え」とし(「を」のみわ,ワカチガキ式をとらぬかぎり,當分そのままにしておく方が便利なので,「お」とわ改めない),長音わ記號「〜」をもって現わすことにした.

こばやし氏の表記は「俺表記」にほかならず、日本語を破壞してゐるものだ。こんなにしてまでこばやし氏はなぜ日本語を使ひたかつたのだらうか。日本語が嫌なら、英語にでも何にでも、乘換へれば良いのに。
乘換へられないと言ふのならば、日本語らしい日本語を書けば良いのだ。獨自に定義した表記、「俺表記」を使ふ事はない。

平成十六年十月四日
二日土曜日の收穫。@ 早稻田。
大類伸「史學概論』共立出版
河合榮治郎『社会思想家評伝』社会思想社
カール・レヴィット論文集『近世哲学の世界概念』未来社
小泉信三『福澤諭吉 ――人と書簡――』創元文庫A-72
田山花袋『小説の作法』明星社
『福澤諭吉』は途中まで讀んだけれども、結構面白い。福澤氏、理を棄て祿を取ること能はずなんて言つてゐる。
花袋のはまだ讀んでゐないけれども、目次を見るとなかなか立派な事を書いてゐる。が、小説の場合、理論と實作の出來とが一致しない場合が屡々あるもので、花袋の小説は詰らない。小林秀雄の創元選書では、小説ではない『東京の三十年』が採られてゐる。
平成十六年十月四日
取敢ずキッズステーションのシノブ伝を觀て寢る。
平成十六年十月四日
http://www.page.sannet.ne.jp/m-shina/talk/2004/10.html#d4-2
http://www.microgroup.co.jp/book/PCM000006.php(『はじめてつくる 萌えるWebサイト』)
出た直後に立讀みして、がつかりして、そのまゝ平臺に放置した事は、言ふまでもありません。
平成十六年十月四日
http://www.remus.dti.ne.jp/~a-satomi/nikki/2004/10a.html#d04n02s02、「カミーノ短所」。
各種の Mozilla / Firefox 用 Extension が使えない。この点だけで「使えネーよソレ」と気色ばむ人多し。本当にその拡張が必要なのかどうか、小一時間胸に手をあて考えれ。
気色ばむ
むっとして怒りを顔にあらわす。
心で思っている事をほのめかす。様子を顔色に出す。転じて、なまめかしい様子をする。気取る。
んー。
平成十六年十月四日
http://d.hatena.ne.jp/kahusi/20041004#1096840881
さて何うしたものか。
Jimmy Walesさんに御伺ひを立ててみたら如何でせうか。

平成十六年十月三日
tvkを零時半から二時まで觀たのだが。樂しい週末の季節は終つたらしい。先週までの「DearS→シノブ伝」は良い流れだつたのだが。
今期のアレな作品の中で、一つくらゐは化けて呉れてもばちは當るまいと思ひつゝ、PCでのキャプチャ繼續。全然期待してゐませんが。
取敢ずRDの録畫データは消した。
平成十六年十月三日
トップをねらえ2!
http://www.gainax.co.jp/anime/top2/
なんだかとつても微妙。

平成十六年十月二日 松原正先生東京講演會
盛會のうちに終了しました。御參加下さつた方へ。どうもありがたうございました。と木村さんに代つて勝手に挨拶。
日時
10月2日(土)午後1時30分受付開始、2時開演
會場
日本キリスト教會舘 6階會議室 東京都新宿區西早稻田2-3-1(早稻田奉仕園内:MAP・構内図)
參加費
2000圓。
懇親會
講演會終了後の午後5時から、同じ階の「フォークトルーム」にて。2時間程度。輕食附。要別途3000圓。
事前豫約は不要です。講演會・懇親會どちらか一方のみの參加も可。
御問合せは「松原正先生を圍む會」事務局・木村氏まで。(地獄の箴言)

平成十六年十月一日
http://www.moe.edu.cn/
中華人民共和国教育部はmoeであるらしい。
平成十六年十月一日
輝け! ブロッコリーキャラクターランキング2004
「」のせゐでババア勝利。18票差つて、俺が毎日投票しなかったらひつくり返つてゐたぢやん。
平成十六年十月一日
livedoor ベースボール
電子投票は役に立たないな。
平成十六年十月一日
本日の買物。
アラン『經濟隨筆』、A.J.エイヤー『言語・眞理・論理』、氷上英廣編『ニーチェ研究』。
新たに店賣りを始めた心願社の表のワゴンにて購入。店の中の棚も結構充實してゐる。

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