『忘れ得ぬことども』

辰野隆と日夏耿之介の対談より

……(前略)

辰野
わしはネ、(飲む)日本はいいものを持つてると思ふんだよ。ところがネ、このごろ新かなづかひなんていふものをやつてる。戦争に敗けたから国語まで敗けなければ相すまぬなんて、これあ目茶ですよ。鵞鳥のアホダラ経で、オケラの三下(さんさが)りだ。(しきりに啖べ飲む)
日夏
あの連中はだナ、老も若きも小説家も英学者もだナ、戦争中に軍部にオベッカばかり使つてたから、どうかして自分達の不利な立場を胡麻化さうと思つて、いち早く国語国字伝統形式問題などで衆目をひいてゐようてえんだ。あの手合は皆君すべて、「路傍の石」なんていふほどのしをらしい資格もない。ただの磊々たる「便所の踏石」で沢山だよ。伝統を破壊して何が今残る。代用食の糞しか残るまい。
辰野
「国語のばけもの出ず」と書いたら、ばけものが出るのか、出ないのか……。全く結構な改革でござるでござるなァ! とにかくイギリスとノルウェー、ドイツ、ああいふのは機械的にみれば、すぐ一つの言葉になれるんだけれども絶対にならないや、フランスとルーマニア、スペイン、イタリア、これもすぐ一緒になるべきものなんだが絶対にならない。いかに国語といふもの、マザー・ラングエージといふものが宿命的なものか、よく判るね。国語を簡単にすれば文化が進むと思ふ。その頭の悪さ……。あれには敗けた者の卑屈な魂が入つてる。自殺も出来ないから、国語でもいぢらうか……。下々の下だ。ほんとにやるなら、二十年、三十年かかつて、みんなで日本語を正しく美しくするといふなら賛成なんだ。後世の鏡を作りたいナ。今こそ日本に、マレルブとボアローが必要なのだ。
日夏
ぼくも無論さう思ふんだ。昔鴎外さんがはつきりいつてるぢやないか。明治四十年の昔にね。そんなものすら読まねえんだらう。参議院議員の山本アリゾウ君は、通俗な教養人格の好紳士? かも知らんが、文士としては下等な通俗小説屋の長老たるにすぎん。職業代表の意味からはもつと最高級文人を参議院議員に選ぶべきで、彼に投票した三十万人は不明を天下に謝すべき義務がある。阿部真乃助といふ人がラジオで代議士ども二、三人を相手にして、いろいろ話をしとつた。最後に、国語の問題は一番重大な国家的問題ですぞ、と見得を切つたんだけれども、連中にはよく意味がわからないらしいんだナ。ウンともスンとも返事をせんかつた。あの問題の重大性がわからぬ徒ありとせば、議会で小便してれあいい奴だらう。(笑)安南がなぜ亡びたか考へてもらひたい。
辰野
国語の重要なことがわからない奴らは仕様がない。美濃部達吉先生が、今度の憲法は昔のかな使ひになつてる。せめてそれだけがおれは嬉しい、といつたつてね。

中略

野嵜注
コミュニズムの話やら河上肇、小泉信三らの品定めやらをしつつ両人大酔。このあたり面白いのだが略す。
日夏
──ああ、大分陶然といい気持ちになつた。悠然として命が延びた。
辰野
うん、命が延びるよ。(と盛んに盃をとる)酒に真理あり、イン・ヴィノ・ヴェリタスだ!
日夏
社会学をやつてたぼくの叔父が死んで、一周忌の帰りに赤坂の待合へ叔父の長男の東宝の樋口正美といつて飲んだんだ。飲んだくれだがいい奴よ。小林一三の姪が女房に来てるんだが、この女房がまたいい奴よ。それで、けふはすばらしくいい声の妓をよぶから聴いてくださいッていふからね、うん、なんでも皆よんでこい……。さうしたら一人来てね、初めに謠つたのが都々逸。ヘタだ、ダメだ。次に佐渡おけさをやつた。それがすばらしい哀婉きはまる佐渡おけさだ。その次にぼくの自作の字余り都々逸をやらかした。かういふ都々逸だよ、まあきけ。(目をつぶり、やがて謠ひ出す)薄なさけエ、かけた羽織をサラリとぬいで、積る恨みを伊勢音頭……。
辰野
明治式にチェースト──と叫ばうか。(拍手)
日夏
ところが、これも(手をあげて裁断を下すやうに)ダメ。佐渡おけさだけ、うまいんだ。その妓女が、誰かおもはん、春の日の後の小唄の勝太郎だつた。今唄つた字余りをその勝太郎が書いてくれといふから、鼻紙に書いてやつたら、それが赤坂で一しきり大いに流行してね。しかも最も好んで愛唱したのが、ぼくの当代最も好まざる人物菊池寛君だつたさうだ。かげで修養をはげむところはさすがに寛君だけあるよ。
辰野
たいへんな因縁があるんだナ。一体ああいふ連中は地方の女だね。
日夏
さうだよ。市丸は信州の伊那郡、勝太郎は越後だ。日夏耿之介は反対に飯田から江戸へ落ち延びたエミグレ(移民)だ。さァ一杯。
辰野
東京の娘は何をしとるか、といひたくなるね。さうパンパンいひなさんなか、アッハッハ。
日夏
江戸生れのいい芸妓なんて、もう殆どゐないだらう。カマクラ万ちやんの芝屋ン中ぐらゐなもんさ。さあ一杯。
辰野
もう二十年以来、花柳界は、日夏君ならヒーサンていふだらう? あんなバカな話はないね。悪趣味中の悪趣味だね。
日夏
うん侮辱してる。日夏先生を侮辱するものだ。(大酔と見ゆ)
辰野
むかしは「こちら」とか「旦那」とかいつたもんだ。少くともチャンとした芸妓はそんなヒーサンだのターサンなんていはなかつたナ。自分でいつただけでも酒がにがくなる。ターサン! 厭だなア。
日夏
おれは一番初めにヒーサンといはれた時は思はずムッとした。いやにこのエミグレを下に置きやがつて……。第一にちつとも美しくない言ひ方だよ。ニュアンスがねえよ。なア辰野、一体、日本人ていふのは敗けたといへども、古来、美のカテゴリー(範疇)だけは持つてるんだ。ただそれを論理化するだけの頭の発達がなかつたんだ。僕にいはせると、僕は王朝末期だけに真実のウル・ジャパン型美のカテゴリーを発見してるんだ。そら、その屏風(とコタツの脇の小屏風をさす)の鷹司房輔が色紙に書いた「人住まぬ須磨の関屋の板ひさし、荒れにしあとはただ秋の風」、これが新古今集の最も代表的な神品だとぼくは考へてゐるんだ。王朝時代末期のデカダンス期の美のカテゴリーの代表的なものが、この鎌倉初期のアントロジー(詞華集)の代表品だ。それでゐてついにそれから芸術学、美学として十分まとまつたものが出来なかつたのが日本人の宿命なんだ。……あ、酔つたよ、美に酔つたよ。
辰野
それは文花の中心とは遠かつたからかナ。カトリックとプロテスタントの宗教戦争もなかつたんだ、日本には。それがあるとないとで決るんぢやないかナ。
日夏
木下杢太郎君もさういつてた。それはさうだ。
辰野
杢ちやんはね、いい勘があるんだ。詩魂もね。ところが、田舎ッぺいの所があるんだ。鴎外のサイエンスも承けてゐるし、近代の新しい感覚も持つてるんだけども、ちよつと気取り過ぎるんでね。その気取り方に田臭があつたね。立派な学者で且ついい詩人だつたが……。
日夏
鴎外さんも偉大なる田舎者さ。鴎外といへばいつかのヰタ・セクスアリス、むく鳥通信などを岩波に頼まれて批判してやつておいたところ、記事が火事で焼けてしまつて一年もたつてちよつとあやまつてきたきり、注文主の岩波某からはハガキ一本来なかつたよ。礼儀の感覚の欠落した道徳的本屋なんて、ラトビア、ヘルツェゴビナへ行つてもないよ。とにかく世界の田舎者日本に五色の酒が初めて出来たときにね、西園寺公と一しよにパリーへ行つた男の開いたメイソン鴻の巣といふ料理屋へいつて、初めて五色の酒を啖べたもんだ。パリ帰りの連中が多かつたね。五色の酒つてヘンなくすりみたやうな酒だと思つたよ。兜町で飲んで鎧橋までいつたら、橋の上で腰を抜かしたね。巡査が見て笑つてゐたよ。

……(後略)

出典

参考

毎日新聞社發行チャーチル『第二次大戰囘顧録』廣告
「心」昭和二十四年六月號 p49
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