公開
2001-06-07加筆

「國語への愛情」

辰野は國語國字改革に反對の立場。機會ある毎に、辰野は國語國字改革を批判してゐる。

『河童隨筆』より

我々が平常用ゐる漢字を制限して、五百字なり、千字なりの柵を結ひまはして、それ以外には一歩も踏み出させぬやうにする。これは老若男女を問はないのだから、思ひきりがいいと言へばこれ程さつぱりした話はなからう。然し、凡そ日本人たるものは何人も頭髮は一分刈りか三分刈りにすべし、といふ法令が出たらどうだらう。ざんぎりの花嫁や反髮の大年増の出現を想像するだけでも我等の好奇心を煽るに足るが、もし夫れ、三分刈りの墨染や政岡が櫻の幹から飛び出したり、まま炊き場で愁嘆したり、一分刈りの定九郎が闇の彈丸を喰らつて悶絶するやうな──伴奏はどうしてもジヤズだ──光景を腦裡に描いて見ると、レヴイユ式の面白みは此處に極まると言つてもいい。敗戰後の生活の單調を破るに、これ程效果的な思ひつきはあるまいと思ふのだが、さて、國語問題となると、なかなかそんな呑氣なことは言つてゐられなくなる。

然し、あまり漢字を制限すると將來の國民は古典が讀めなくなりはせぬか。日本の古典のみならず支那の古典とは一層縁がうすくなることであらう。古典などは讀めなくとも支障ないといふ議論なら話はそれまでである。軍人首相には日本の古典も支那の古典も必要がなかつたことは改めて贅するまでもない、といふ意味は目に一丁字なき匹夫と雖も人類のため君國のために死に得るといふことは何の關係もないのだ。闇屋が玉樓金殿に住んで、古典に詳しい乞食が道路に飢えるやうになつたら文化國家は滅びるに極まつてゐる。

「つれづれなるままに日ぐらし硯に向ひて心に移りゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくればあやしうこそもの狂ほしけれ」といふ古典には、讀みにくい漢字はどこを探しても無いが、この古典を十分に味到するには「子曰く、學びて時に之を習ふ、亦説ばしからずや」といふ古典が完全に解つてゐなければならぬのではなからうか。さらに一歩進んで、我等の祖先は何故に子曰學而時習之不亦説乎をシ・エツ・ガク・シ・ジ・シフ・エキ・セツ・コと棒讀みに音讀して、學で時に之を習へば、あやしうももの狂ほしけれ、と端的に悟らなかつたのであらうか。惟ふに我等の祖先は、その第一歩に於いて支那古典の學び方を誤つた。

が然し、その第一歩を誤つたお蔭で、支那古典が、やがて日本古典となり、我等の血肉となつてしまつた。今更、捩りを元に戻すよりも捩れたままで進んで行つた方が寧ろ得策ではなからうか。……(以下略)

以下要約

古典を踏まへた文章の方が、さうでない文章よりも上等である。漢字制限を主張する人々は、まづおのれの文章の汚さを反省するがよい。間違ひだらけの日本語を喋りながら、日本語を易しくとか言ふ資格はない。

末尾を再度引用

あきばヶ原をあきはばら、壱岐殿坂がいき坂、いもあらひ坂がひとくち坂と改められて、文句一つ言はぬ市民は、改惡する當局とともに日本語を愛撫し、味到し、尊重する資格がない。

解説

「國語の規範を改めれば、日本語は良くなる」と考へた國語改革の實行者の見識が淺薄である事を、辰野は指摘してゐる。軍國主義の指導者層が、かの「棒引假名遣」による教育を受けた年代に當る事は、保田與重郎が指摘してゐる。

近代化の名の下に行はれた國語改革は、日本を西歐諸國のレヴェルに引上げるものではない。寧ろ千年以上かけて築き上げられた日本の文化を否定し、日本を文明以前のレヴェルに引戻すものである。辰野はさう信じて、國語改革を罵つたのである。

辰野はフランス文學者であつた。それだけに、フランス語の背後に、西歐の傳統が控へてゐる事實をしつかり見てとつてゐた。日本の國語の背後にも、當然日本の傳統が控へてゐる。しかし、日本の國語改革の背後にあるのは、西歐の傳統ですらなかつた。改革の實行者は、長い傳統から生れた合理主義と云ふ結果だけを性急に日本に持込まうとしたに過ぎない。國語改革は所詮、近代化の實現ではなく、日本人の輕薄なる精神の發顯に過ぎなかつた、と、辰野は確信してゐた。

しかし、洒脱であるかのやうに見える辰野の態度も、實は輕薄と紙一重である。そこに辰野が偉大な文學者たり得ない理由があるやうに、私には思はれる。

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