かすかな風の流れに乗って、雪は舞う。街灯の白い光に照らされて、夜の公園の上に渦巻模様が描かれる。
積った雪を踏んで、蜜子は現れた。
黒いブラウス。黒いパンツ。黒いロングヘア──闇の中でサングラスは色を失っている。
鋭い視線がぶらんこに腰を下ろし、地面を見つめている川崎公路の姿を捉えた。
「何をいまさら呼出したりしたの。お前みたいな男とは話もしたくないのに」
感情の籠らない声。
「私は君に、何も言えないからな──いや、誰にも私は語るべき言葉を持たない。人に憂鬱を感じさせるのが私の役目だからな」
公路の目は虚ろだった──白に染まりゆく地面を眺めている。蜜子はそれをぼんやりと見つめた。ただうんざりしていた。
二人は雪の降りしきる狭い公園で、ただ一緒にいただけだった。間に何らかの意味で人間同士の関り合いというべきものは、存在しなかった。二人がその場に留まったのは、単に別れるべき理由が無かったからに過ぎなかった。
「ただ出会い、その場に留まり、何かを言い訳にして別れる──確かに我々の宿命とは人の生のシンボルなんだが……虚しいものだな」
「そう、虚しいの……」
「言葉、言葉、言葉……ハムレットの台詞だよ。だがね、彼自身その台詞が自らを否定しさるものだと気づいていたのかどうか……多分気づいていたんだろうな」
「そう」
「馬鹿らしいだろう──蘊蓄を垂れたから会話が成立するものではない。君には私の言葉を聞く気がないばかりじゃない──私には君に話すべきことがないんだ。いや、話をする意味なんて全くないんだ。意思の疎通──そんなレヴェルじゃない。私たち同士の間に何らかの意味のある繋がりはないんだからな」
「たしかに」
「私には人の記憶を呼び覚ます仕事がある。それは善い事だと思う。しかし私は常に疑っている──内面の、もう一人の自分という奴が、だ。私はこのもう一人の私を育て過ぎた──いや、違うな。内面の私がこの私自身なんだ。そして表面的な私の姿が、あの二人の妹たちとなった。今やあの二人が私のなすべき事をはじめている」
「……」
「私は君がうらやましいよ、インタフェイサー。君はそこに存在すべくして存在している。君が君自身をいかにうとんじ、君のやり場のない怒りが君を無意味な行動に走らせるとしても、君は人の最後の希望なんだからな」
「最初の絶望かもよ」
蜜子は詰らなそうに言った。
「そうかね」
公路は目を閉じた。
二人とももはや一言も発しえなかった。
雪は降り続いていた。表通りの車の音は絶え、ひたすらに闇は暗さを増していった。
「何をしているの。何を黙っているの。なぜ意味もなくそこにいるの。なぜ──なぜ──なぜ」
いつしか淡い緑のコートをまとつたぜなが微笑んでいた。
ぶらんこを軽く搖すりながら地面の雪を見つめている公路と、植え込みの前につっ立っている蜜子を交互に眺める。
「馬鹿な話。意味がないって──それこそナンセンスよ。あたしが公路の真の姿だって。くだらない。あたしたちは──あたしたちよ。そうね、雰囲気ね、二人とも永遠に子供である宿命を与えられている、永遠の老人。あたしたちとは違うんだもの」
ぜなの横に並んでたつざな。ざなは目のさめるようなオレンジ色のコートだ。
「関係ない。あたしと公路の間に人としての繋がりがないからといって、あんたたちの出る幕じゃない。拒絶──雰囲気──ナンセンス──何とでも言うがいい。言ってどうするのかしら。言いたきゃ言いなさい──宿命──さだめ、って。下らない。ナンセンス!」
ぷいと横を向く蜜子。薄いブラウスの肩に白く積った雪がこぼれ落ちる。
「長々と喋ったがね、私は自分の言葉に意味があると思っても、蜜子には意味がなかった。こんなんじゃ、断ち切りたいものだ──さだめというものを。私と蜜子の繋がりが切れたらいいのだ。それこそすっきりして、二人ともその存在意義を消失して、無に帰る──いやまた長台詞になった」
顔を上げて、闇を見つめる公路に、妹たちは歩み寄った。
「放っておけ──私なんか。ぜな、ざな、お前たちは私を慰めたいんだろう。やめてくれ。私は孤独になりたいんだ──それが楽だから」
ぜなは、叫びながらもじっと動かない公路に近寄り、肩に手をかけた。公路は当然のようにその手を振り払わなかった。
「甘えてるのよ、公路は。あたしはわかる」
ぜなは優しく言った。
「私は公路が好きでも嫌いでもない──ただ興味が持てない。詰らない。だから公路は私にとって人ではない」
淡々と事実を述べるように言う蜜子──蜜子は腰から拳銃を取り出した。
「あたしにとって人じゃないのは公路だけじゃない。ぜな、ざな──あんたをあたしは憎まない。ただその存在が邪魔なだけ」
ざなに向かって拳銃を発射した。音はなかった。しかし銃弾は無言のざなを消滅させた。
「あの──人を冷たく眺める目。あの娘はただ人を眺めるばかり──公路、あんたはあんな女を内に飼っていたのよ」
「ざなは消えなかったわ。それに言っておくけど、あの子はあなたのミラーよ、蜜子。公路の影や本体ではないわ」
ぜなはゆっくり蜜子に歩み寄ると、口付けして──溶けるように消え失せた。
「なんなのかしらね──あの女ども。一体何が起きているのだろう──ああ、いい、答えなくて。独り言だから」
「私も独り言を言うんだ──硬直した古きリマインダーとインタフェイサーはもう用ずみなのかもしれないな。そして今の時代にふさわしい新たなる存在を、シンボライザは要求した──それがぜなとざななのかもしれない」
「嫌な話」
二人は再び黙った。リマインダーは意味もなくぶらんこを搖すり、インタフェイサーは体を微塵も動かさない。
気づくと──雪が止んでいた。
「私は行くよ、どこかへ」
「そう、あたしも行くわ、どこかへ」
二人は近づくと、抱きしめあって、反対方向へと歩み去った。