葛藤

 黒田と舟木が会内誌を出すんなら、ぼくも同人誌を出すよ──加藤はそう言った。加藤に頼まれたおれは小説を書いた。原稿を渡しておいたのだが、黒田たちの雑誌を見ておれはあわてて加藤に、原稿を返せといったのだが、面白いじゃんか、とか言ってそのまま印刷して出しやがった。

 おれは愛書会の幹事長をやっている佐々木だ。いつもは落ち着いていて好人物ということになっている。だが、おれだって人間だ。驚くことぐらいある。怒ることだってある──何でおれがつくったキャラクターを、舟木が使っているんだ。

 おれのキャラクターを黒田に教えた加藤と、新入生におれのキャラクターを使わせた黒田のやつは許せない。舟木もちょっと常識がない。

 ……と、おれはラウンジにいた加藤と黒田に食ってかかったのだが、二人ともきょとんとしていた。ちなみに愛書会は、大学のラウンジをたまり場にしている。

「なに言ってんの、幹事長」

 加藤はめがねのうしろの大きな目をぐりぐり動かした。にやついているのは癖だろうが、少し戸惑っているようだ。黒田はいつものように、ちょっとおびえたように否定した。黒田はてきとうなことを言うことがたまにあるから信用できないが、嘘はついていないようだ。

「じゃ、なにか。おれの小説を加藤は黒田に知らせなかったし、黒田もぜんぜん知らなかった、って言うのか」

「そりゃそうだよ。ぼく、自分の雑誌の内容、黒田に教えるつもりなかったもん」

 加藤がにこにこする。黒田は加藤を見て苦笑する。

「このやろう、秘密、秘密ってばかり言いやがるんだ」

 たしかにこの二人は、仲がいいんだか悪いんだかよくわからないが、互いにライバル意識を持っている。相手とつるんでなにかしようなんて──絶対思う訳がないよな。

「黒田さん! ……あ、加藤さん、佐々木さん。こんにちは」

 舟木がやってきた。

 おれ達とは少し離れた場所に席をとろうとする。黒田が手招きする。

「いいですか、こっちで」

「いや、ちょっと久子ちゃんも話に加わってほしいんだ」

 舟木を横に座らせた黒田は、簡単に事情を彼女に説明した。

「佐々木さんも、蜜子のことを知っていたんですか」

「知っていた、というか……だって、書いちまったんだからしかたがないだろう、小説を」

「え、佐々木さんも小説書くんですか」

「……」

 おれは黙って、加藤の編集した雑誌をさしだした。競馬場の絵が表紙だ。なぜか馬と一緒に蛮族が走っている。ちなみに黒田の雑誌は、表紙にうさぎ耳の少女が剣を構える絵が載っていた──森がちゃんとしたのを描くとか言っていたが、〆切までに出来なかったので、前に貰っておいた「習作」を使ったらしい。電車の中で読めないから、絵なんかなくていいのに。

「『蜜子と嵐』……」

 目次の文字を見た舟木が、こちらを見上げた。

「実はだな、佐々木。ぼくも久子ちゃんが小説持って来たとき、題名見てびっくりしたんだ」

 黒田の言葉に、おれはあの雑誌に載っていた舟木の小説を思い出した──「夏の蜜子」という題に、おれは仰天したのだ。

「加藤は知らねえよな、蜜子なんて名前」

「ぼく、知ってたよ」

 しれっと言う。

「なに!」「本当ですか!」

「知ってるもなにも、ぼく漫研──漫画研究会の方も行ってるんだけど、そっちの雑誌に蜜子の漫画、前書いたことあるよ」

「なんでそういうこと、黙っているんだよ」

 おれは加藤の頭をはたく真似をした。加藤は、きゃっ、とか言って逃げた。

「でも、今、その雑誌……持ってるわけねえよな」

「当り前さ。でも、漫研の部室にならあるよ──一部五百円」

「おれ達に売る気か!」


 おれ達は、漫研から雑誌を持って加藤が帰ってくるのを待つ間、なんとなく気が滅入って黙り込んでしまった。

 先輩が買ってきたポテトチップスをみんなパリパリかじっている。

「おい、黒田──ビール買ってこいよ。飲もうぜ」

 おれは鬱陶しい雰囲気を払おうと、怒鳴った。

「あ、わたしも行きます。黒田さんだけじゃ、たいへんでしょうから」

「じゃ、行こう」

 二人は坂の下の酒屋に歩いて行った。

 しばらくおれは、ポテトチップを黙ってつまんだ。

「ねえ君たち。蜜子の話、していたよね」

 留年して今五年生をやっている中里先輩だった。中里先輩はさっきの会話をきいていなかったようだったので、おれはびっくりした。気のなさそうな顔をしていて、どうせ関心なんてないんだろうと思っていた。

「ぼくが言うのも変だから、黙ってたんだけど、蜜子の小説とか漫画とか、比べてどうするの」

「え」

「なんかさ、みんな──適当に好きなことを書いているみたいだけど、それがどれも、多分一致してるっていうんだろ。ならさ、蜜子って、ほんとに君たち、会ったこと、ないのかな」

 愛書会の中で中里先輩は、ミステリを読んでいる人だ。おれも、少しはミステリを読んでいるが、この人にはかなわない。

 別にミステリ好きが、こういう謎にかならず興味を持つ訳でもないとは思うのだが、いつも一人で本を読んでいるようなこの先輩が声を掛けてくるとは思わなかった。

「先輩は、蜜子のことはご存じないですよね」

「ぼくの代でも、蜜子の小説、って書いたやつがいるよ──あれ、恵比須っていただろう」

「ええ」

「あいつがさ、会内誌つくったとき、蜜子の小説書いたやつが何人かいてさ、盛り上がったこと、あるよ」

 本当だろうか。昔の愛書会でも、「蜜子事件」があったというのか。

「あ、おれも、蜜子、知ってるよ」

 金田先輩が両手を振り回して言った。この人は古本マニアで、すでに業界でも有名人である。文章をたまに書くが、論理的で、ただ自分で納得してしまって諦めが早いことがある。学年はおれの一つ上だ。学年内では孤立しているらしい。

「おれ達、一年の頃同人誌つくっただろう。あれの中に、蜜子ネタ、たしか三本あったぜ」

「覚えてないな」

 おれは首をひねった。たしかに金田先輩がいう同人誌を、読んだ記憶はあるのだが、中身が思い出せないのだ。

「先輩、その同人誌、まだ持ってますか」

「帰省すれば、蔵の中から見つかるかも」

 実家には蔵があると、金田先輩は前、言っていた。先輩が買った本で一つ、蔵が埋っているという。

「じゃ、すぐには出てきませんね」

「ロッカーに入ってなかったかな、一部くらい」

「こないだのぼやで、ロッカーの中にあった雑誌、みんな駄目になっちゃいましたよ」

 たまにこの大学では、ぼやとか、盗難とか、痴漢事件とか、新興宗教が勢力を拡大中とか、自治会の学生と機動隊が衝突したとか、ろくでもないことが起きる。ほとんどの学生はそんなことには興味がない。一部のミニコミがそれらの事件を、恰好のネタと見て追いかけるくらいである。

「ああ、ぼやね。あった、あった、そんなこと」

 金田先輩は、読みかけの本をたたんで、こっちに来た。

「佐々木もたいへんだよな、こんな訳のわかんないときに、幹事長やらされて」

「そんなことないですよ──まあ、あいつらの陰謀には腹立ちましたけど」

 おれは、同じ学年の連中の陰謀で幹事長にさせられたのだ。愛書会の幹事長は三年から出る。

「いやさ、おれ達んときもさ、幹事長選挙で不正事件が発覚して、面白かったぜ」

「ただいまー」

 黒田と舟木が、缶ビールを抱えて戻ってきた。

「はい、領収書」

「会計に直接渡しといてくれ」

 会計は磯田という巨漢で、柔道部と兼部している。磯田が会計になってから、妙にお金の管理が正確になった。

「おい黒田、駄目だよこれ。この銘柄、まずいんだ」

「悪かったな──しかたないから、ぼくが飲むよ」

「あたしものみます」

 未成年も含めて、大学のラウンジで、宴会がはじまった。乾杯。黒田のやつ、どうもポケットマネーで余分にビールを買い込んできたらしく、すごくいっぱい缶がある。舟木が気を利かせたらしく、コンビニで買ってきたらしいおつまみもあった。

 ラウンジは教授が見回りにきたり、警備員がとがめたりする訳じゃないので──ま、大騒ぎしなければいいだろう。なんとなくくさくさしたみんなの気分が、一気に陽気になる。少しくらいリラックスしなきゃ、こんな「事件」は解決しないのさ。

「おれ達んときの幹事長──野田。あいつさ、幹事長になりたくてしようがなくて、幹事長選挙の前におれ達ひとりひとりに賄賂配ったんだぜ。それがなんだったと思う。書店くじ。けちだろう」

 金田先輩の話を、つまらねえなとか思いながら、おれは嗤った。みんな床に新聞紙を引いて座り込み、かってに喋っている。

「あれ、みんな何してんの」

 加藤が帰ってきた。

「見てわかるだろ、宴会だよ、宴会」

 おれが喚く。少し酔ったみたいだ。

「何やってんだよー。ぼく、夜、授業あるんだよ」

 とか言いながら、加藤は缶ビールのプルトップを開けた。泡がこぼれる。

「かんぱーい」

 飲む前から酔っぱらっているような口調。

「乾杯はいいから、雑誌はどうした」

「えー。あるよー」

 鞄から汚らしい絵が表紙の、クロス製本された漫研の雑誌を取り出す。馬鹿みたいに金をかけているわりには、品がないので安っぽい。

 床に座り込んで、膝の上に雑誌を抱え込んで、ぺらぺらページをめくっている。

 そのうち訳がわからなくなって目次を開き、何ページ目かを確認してから、目的のタイトルページを開く。

「ほらほら、ここ──四こま漫画『蜜子の日常』ってあるでしょ。これ、ぼくの」

 目をとろんとさせて加藤が指さす。

 酔っぱらいが描いたような奇妙な線で、不条理ドラマが展開する、よくあるタイプの漫画だ。ただ、なぜか主人公の少女だけ、妙にリアルだった。

「ぼく、ロリコンだからさー、蜜子描くときだけ気合入れたんだよね」

 と、舟木の方に向かって言う。舟木は顔を真っ赤にして、黒田によっかかっている。黒田が片手で、しっしっとやる。

「お前はロリコンとか適当なレッテル、自分に貼るくせがあるからな」

「貼って悪いか」

 訳がわからない。宴会をしようと言い出したことを、おれは後悔しはじめた。

「おい、加藤、黒田、舟木、佐々木。それじゃさ、「蜜子事件」と仮に呼ぼうか、それに関してちょっと話し合おうよ」

 中里先輩が黒ビール片手に声を掛けた。先輩、そういえば、お酒飲めないはずじゃ……。

「いいか、ぼく達の代よりも前に、蜜子を知っている先輩はいない、っていうのがヒントだよ。ぼく達の代の『蜜子事件』は今から四年前のことだ。いいか、これがポイントだ」

 なにか中里先輩は知っているのかもしれない。

「どういうことですか」

「いいか、ぼくはよ、単に推理の問題を話しているんだぜ。蜜子はぼくの少し上の先輩──それもめったに出てこないお局様だったのかもしれないじゃないか。多分愛書会でぼくらと会って、ぼくらは強い印象をうけた。それなら蜜子のことをぼく達が知っていてもおかしくないよね。だから何人か、めったに出てこない彼女のことを小説に書いた。そして君たちにも会って、やっぱりそのあと出てこない。だけど君たちの印象には残っているから君たちは小説とか漫画に彼女のことを描いた」

「でも、わたし、高校の頃、蜜子に会っているんです──夢の中で」

「知るかよ。高校の頃から舟木ちゃん、愛書会、来てないだろ」

 中里先輩は続けて、なんだかよくわからないことを言った。相当アルコールが頭に回っているらしい。おれも少しふらっとする。加藤はアニメの主題歌を歌いながらラウンジを一周しはじめたので、あわてて止めた。

「蜜子はさ、多分誰も会ってないんだよ。たとえば、みんな集団で酔っぱらって、幻覚でも見たんじゃないかな──それとも、蜜子のことを書こうって、誰か言い出したんじゃないか……もしかして、おれのことはめようっていう陰謀なんじゃないか」

「佐々木の陰謀説か。こりゃいいや」

 加藤がへらへら嗤う。

「冗談じゃないんだぞ」

 そう言いながら、なんだかどうでもよくなった。

 テーブルの上を見ると、ピーナツの皮やラムネ菓子の包み紙が散乱し、ビールの空き缶がわびしく転がっていた。みんな少しぼうっとなっている。

 もう宴会はおしまいだ。気分が悪くなってきた。何の役にも立たない。ただ、みんなでぼうっとして、それだけだ。みんなが気持ちよくなった──蜜子のことも、楽しんじまえばいいのかもしれない。

 疲れたような声で、おれは宣言した。

「……今日はこれでお開き」

 なぜか三本締めをやって、おれ達は解散した。

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