第七話 イニシエーション

プロローグ

 カルチェラタン。季節は秋。さらさらとプラタナスの落葉が街路を転がっていく。

 夕陽が街を赤に染める。

「やはりヨーロッパでは、漢詩は生まれ得なかったんだなあ」

 立止って、溜め息をつく青年。

 両手に抱えた本は皆、横文字の並ぶ革の表紙――セーヌ川の岸に並ぶ露店の古本屋で買込んだものだった。

「我々日本人にとっては、横文字である事もそうだが、革の表紙である事も、これらの古本に違和感を覚える理由なのではないだろうか」

「そうよ。日本人にとって、本なんてものは舶来品に過ぎないの」

 何の脈絡もなく掛けられた声に、青年は、びくっと震えた。

「好きになれないのならば、執着するのはおやめなさい。その方が、その本達も喜ぶ」

 いつの間にか青年の前には、和服の女性が立っていた。青年は、何でこんな所にこんな人が……、と戸惑った。

「私は日本には帰れない。でも、あなたは留学生――帰りなんいざ、日本へ。あなたの求める書物は、あなたの生まれ故郷にあるのでしょう?」

「……いや、違うんだ」

「?」

「違うんだ。私の求めるものは……漢文だ!」

 青年は、両の拳を握り締め、力強く叫んだ。あっという間に古本を押しつけられていた女性は、唖然として青年を見守った。

「私は漢文の世界で生きたいのだ!」

「……じゃあ、なんでフランスに留学したのよ?」

 女のつっこみに、青年のこめかみから汗が流れた。

 さらさらとプラタナスの落葉が街路を転がっていく。

 フェード・アウト。

タイトルロゴ

鋼鉄面皮デカイオー

op

例の主題歌。

CM

セイカのぬりえ。

本編

 今の今まで忘れていたのだが、パリって、このレースには全然関係のない街だったんだよな。何しろ第五回は半年前に書いた話なので、そこで何を書いたのか、すっかり忘れてしまっていたのだ。でもまあ、ロンドンからカイロに向う途中、真木博士がつい昔を思い出して酔ってみたくなった、もとい、寄ってみたくなったのだとでも言い訳すれば、まあいいか。


 前回のお終いで明かなように(謎)、デカイオーはパリにさしかかっていた。

「おお、懐かしのパリよ。わしは若き日に、このパリで熱き青春を送ったのだ」

「へえ、先生、パリにいらっしゃった事なんてあったんですか」

 聞きようによっては微妙に失礼な質問である。

「そうだ。わしはこのパリに、留学していたのだ」

 真木の目にも涙――いや、真木は鬼みたいな性格の人間ではないが。もっとも、「鬼のように」は常に冷酷非情を意味するのではなく、無意味に語を強調するのにも使われる――関係ないけど。

「パリに留学ですか。やっぱり、漢文のお勉強で?」

「いや、そうではない。若き日のわしはあまりにも浅はかであった……」

「話、長くなります?」

「ああ、なる」

「じゃあ、回想モードに移行しますね。会話で話を進めるには、作者が苦しくなってきてますから」

「そうだな。いづみくんには済まないが、わしの一人称形式で、がんがん話を進める事にするよ」

「構いません。つっこみを入れたくなったら、適当に入れますから」

「微妙にキャラクターが変わってきてないか、いづみくん?」

「当然じゃないですか。作者に半年もほったらかしにされていたんですから。キャラクターだってぐれます」

「……」


 若き日のわしは、このパリに西欧哲学の神髄を見出すべく留学したのだった。ベルグソン、ヴァレリイ、サント・ブウヴ、アラン……これら哲学者の名前をわしは小林秀雄の評論でききかじった。彼等には好い加減な思い入れを持っていたに過ぎなかったのだが、若き日のわしは、おのれの興味・関心が本物であるか偽物であるか、それを判別する事ができなかった。

 ある日の事――わしは古本屋でフランスの哲学者の書いた本を買込んで歩いていた。それまでずっと、毎日わしは古本屋を巡り、哲学書を買い捲っていた。古本屋巡りは日課のようなものだった。その日も、日課をこなしていたようなものだったのだ。だが、わしはその日、日課である古本漁りに、空疎な感覚を覚えていた。


「感覚を覚える、って、馬から落馬する、みたいな表現ですね」

 いづみのつっこみは的確であった。もちろん真木は、むっとしたりはしなかった。だが……

「そうだな。心の中に空虚な感覚が芽生えた、とでも言換えようか」

 真木は何の気なしにその言葉を呟いた。すると、そんな言葉をいづみは無邪気に賞賛して見せた。

「さすが、哲学的ですね」

 真木は一瞬、言葉に詰まった。

「……そうかね」

「そうです」

「そうか……」

 その時真木は、年老いた自分の中に、相変らず若い頃と同じ感性が居座っている事に驚き、呆れた。ちなみに、読者は、作者の無茶苦茶な文章に呆れていると思う。いや、アニメパロディ的実験小説の筈なのに、妙に重苦しい雰囲気になりつつあるのに、戸惑いを覚えているのではないか。そもそもこの作品が「実験小説」だというのも、所詮、後づけの理屈か文学理論かその類のものに過ぎない。鋭い読者はこの辺りに、この作品のあるべき方向性を見失って、どうやってさっさとけりをつけようか、と迷っている作者の深層心理を見出すかもしれない。というか、そういう事を書いてしまった時点で作者の負け(謎)。

 閑話休題。


 わしはあの日、おのれの日課、おのれの行為――おのれの留学に、疑念を抱いたのだ。いや、疑念を意識したのだ。それは、ある女性との出会いがきっかけだった。


「わかりました。プロローグに出てきた、和服の人ですね」

「……そうだ。しかしいづみくん、きみはなぜ私の回想モードをそんなに邪魔したがるのかね?」

「邪魔って……あたしって、先生にとって、邪魔な存在ですか?」

「……いや、いいんだ。きみは邪魔な存在ではない。わしの失言だ。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなわしが悪いのだ」

「そこまであたし、言ってませんけど」

「いやいや、わしにはわかる」

「閑話休題!」


 そうなのだ。上記の通り、わしは自分が何をしたかったのかを、パリに来てやっと気付いたのだった。

 彼女はわしに教えてくれた。

「学生さん、私はあなたが何でこのパリにやって来てしまったのか、理由は存じません。でも、漢文をやりたくてパリに来る事だけは間違っていると思います」

 実に全うな正論だった。わしには反論出来なかった。


「当り前だと思います」

「黙っていてくれないか、いづみくん」

「はい」


 その女性は、わしが途方に暮れた顔をしているのに気付いた。

「どうしたんです?」

 わしは、自分が露骨に途方に暮れた顔をしていたのに気付いた。

「どうしたもこうしたもあったものではない! わしはこのパリに、フランス文学をやりに来たのだ。しかし今、わしの本当にやりたいものが見つかってしまった。それで途方に暮れているのだ」

「え? どういう事です?」

「わしはこのパリに留学するために、全財産をはたいて日本を発った。だから日本に戻る事も、改めて漢文の勉強のために支那か台湾かに留学する事もできぬのだ」

 わしはその時、涙をこぼした。


「涙?」

「そう。その時、風が吹いて、目にごみが入ったんだ。しかしあれは実に良いタイミングだった」

「タイミング?」

「ああ、お蔭でその女性はかんちがいして、本気で同情してくれてな、わしの学問を全面的にバックアップしてくれることになったのだ」

 真木は急ににこにこし出した。

「……何か、非道いですね」

「何が非道いものか。おかげでわしは、台湾の大学に六年間も留学し、漢文学の奧義を極め、免許皆伝のあかしに扇を貰ったのだ。ちなみに奧義と扇のダジャレを作者は言いたいらしい」

「一つつっこみを入れたいのですが、台湾の大学って、免許皆伝とか奧義とか、そんな事にこだわっているのですか?」

「奧義と扇のダジャレを言うための、嘘に決っているだろうが」

 真木はますます愉快そうに笑った。

「博士……今回の話は、徹頭徹尾嘘、という事にして、次回予告に突入しませんか?」

「そうもいかん、作者は律義に一定の長さを毎回書く事に決めているので、まだ話は終らせられないのだ」

「作者につきあう事はないと思いますけど」

「そうも言っておれん、いつの間にかトミーとマリアンちゃんの方が目立っているし、この辺りで我々も存在感を示しておかないと」

「どうでも良いといえばどうでも良いんですけど、さっぱり地の文がありませんね」

「作者は最近、会話のない、地の文ばかりの小説も並行して書いているから、こっちでは会話だらけになるのだろう」

「まあ、あっちは妙に重苦しい設定ですからね。こっちはどんどんどうでも良い内容になるんじゃないですか」

「最初からこれは、どうでも良いと言えばどうでも良い小説なのだがな」

「fankee_jrが消滅した今、存在する意義が完全に失われた小説なんですけどね」

「え〜と、我々は一体、何の会話をしているのだ?」

「さあ?」

 字数稼ぎではないですか。


 あの女性は、わしが台湾から日本に帰って来ると、空港まで出迎えてくれた。


「むりやり回想シーンに戻そうとしてますね、博士? ほとんど分裂症気味の場面転換ですよ」

「やかましい」


 わしは飛行機から降り立った。

「お帰りなさい、真木。免許皆伝、おめでとう」

 花束を抱えて、彼女はわしを出迎えた。


「え〜と、免許皆伝というのは嘘だって……」

「細かい事は気にするものではない。気にして良い細かいものは、レ点とか一二点とか、その位なものだ」

「はい、さすがは博士ですね」

そうか?


 彼女はその場で、わしに提案をした。

「ねえ、あなた、わたしに手を貸して欲しいの……そのためになら、あなたの望むものはなんでもあげる」

 わしはびっくり仰天した。一瞬、頭の中が空白になった。しかしそこはタラップを降りたすぐそこで、わしのうしろにはやはり飛行機を降りようとしていた乗客がずらっと続いていたから、わしはいつまでも惚けている訳にはいかなかった。というか、背後の乗客が背中をつっつくので、わしは正気に返った。


「そんな所で立話をするものじゃないですよ、博士」

「うむ。いづみくんの意見は、全くもって正論だと思う」


 そんな訳でわしと彼女は場所を移動する事にした。しかしその時、わしには思ってもみなかった災厄が降りかかった。なんと……


「なんと?」


 おみやげを買い過ぎて、税関でひっかかったのだ。


「どんなおみやげだったんですか?」


 もちろん、海賊版DVDとか、あだるとCD-ROMとかだ。


「ひっかかって当然ですよ。でも、博士がそんなもの買いあさっていらっしゃったなんて、ちょっと幻滅です」


 わしだって、聖人君子ではない。何しろ当時、わしは若かった。


「そうおっしゃいながら、後ろにお隠しになったCDは何なのです?」


 細かい事は気にしてはいかん。

 話を戻す。大体、回想シーンにそんなに割込んではいかん。

 驚いた事に、彼女は税関の係官に強い影響力を持っていた。彼女の鶴の一声で、わしは無罪放免となった。その代わり、おみやげの違法CDの類は根こそぎ没収されたが。


「ひょっとして、博士の代りに謝ってくれたのでは?」

「そうとも言う。しかし、彼女の声は確かに鶴の一声だった」

「……なぜです?」

「なぜなら、彼女の名前は、秋本鶴……」

「お母様?! それって、お母様じゃないですか?!」

 いづみは大声をあげた。

「その通りだ。彼女はきみの母君だった。空港ビルの一角、忘れもせん、軽食堂『小百合』でわしらはラーメンをすすりながら、向い合って坐っていた。その場で、秋本鶴は、わしにこう、提案をして来た」


「あなたは四千年の伝統を持つ中国文明の真髄・漢文を体得してきた。あなたと私が手を組めば、世界を手にする事ができる。ねえ、手を組まない?」


「おぼえているよ、わしたちはラーメンをすすっていたのだ」

「で、どうしたんですか?」

「もちろん即座に断った」

「断った?」

「そうだ。ラーメンをすすっているのに、手を組めるか、とな。手を組むのは、歩きながらでなくてはいかん」

 いづみは惚けたように、真木を見詰めた。

「しかし、そう言ったら、彼女は笑い出した。大した女性だとわしは思った。いや、実際、大した女性だったのだがな」

「……え〜と、ギャグだったんですか、博士の言葉は?」

「ギャグなものか。わしはいつでも本気だ。その本気を、彼女は笑ったのだろう」

 明かに、彼女は真木を馬鹿にして笑ったのである。

「とにかく、わしと彼女はそのあと、手を組んで空港を後にした。周囲からじろじろ見られて多少気恥づかしかったが、悪くない気分だった」

「……」

「わしはその後、彼女と共同で、世界を征服出来る最強の漢文ロボ・デカイオーを開発した。今、我々が乗っているこのデカイオーは、わしと秋本鶴との共同製作による最高傑作なのだ」

「……冗談の直後に、そういうストーリーの根幹にかかわる重要な設定を明かすのは、狡いですよ」

「何が狡いものか。鶴はもっと狡かったんだぞ。デカイオーが完成した時、鶴は娘だといっていづみくん、きみを紹介したのだ。わしがその時、どれほどのショックを受けたか、わかるか?! いや、いい。きみにそんな話をする積りはなかった」

「……」

 いづみの今度の沈黙は、先程の沈黙と少し雰囲気が違っていた。

「博士は母の事を……」

「いや、もう良いのだ。鶴はあのあとしばらくして、死んでしまった」

「……!」

「ああ、そうか。きみにはまだ、鶴の……きみの母君の最期を、教えていなかったな。鶴……きみの母君は、わしにきみを紹介した後、世界征服組織・FBの手にかかって殺された。殺されたのだ――きみは幼かったからおぼえてはいない、だが、わしは忘れん、鶴を殺したのは……きみの父君・秋本毒太、別名ドクター秋本だ」

「!」


 一方こちらは、相変わらず盗聴癖の抜けないマリアンちゃん。

「……やっパリ」

「ん? なんか言ったかマリアンちゃん?」

「ダジャレを言う積りじゃなかったんだけどね、ボス。やっぱりシリアスな展開には、ギャグメーカとして登場したキャラクタとしては我慢ならない訳よ。その場が、いかに己がアイデンティティと強烈にかかわる場面であったとしても」

「むう、話が急に難しくなっているな」

「あたしもそう思うけれども、やっぱりストーリーを早期に打切るにはこの辺りで風呂敷を疊みはじめる必要があると作者も認識している訳よ。というか、キャラクタにそういう事を言わせるのは非常に物語づくりの上では拙い事だけれども、いいじゃない、どうせこの話、ギャグだし」

「だーかーらー、我が秘書・マリアンちゃん。きみはちょっと、無神経過ぎやしないか。雰囲気を読み玉へ、今、話はかなりシリアスな方向に進みはじめていやしないかね」

「あのねえボス、あたしが一生懸命話を逸らそうと努力している事、わからないの?」

「なぬ? そんな努力をしていたのか、マリアンちゃん。お前が努力をしている光景は、はじめて見たぞ」

「この小説はじまって以来、何度目かわからないけれどもやっぱり出たわねあたしに対する不当な中傷でもいいのあたしは何でもお気楽極楽に考えるギャグメーカとして設定された使い捨てキャラがどういう訳かレギュラーに定着してしまった変なヒロイン」

「ヒロイン?」

「細かい事は気にしちゃいけないの。やっぱり真木の方がボスより頭は良いのかもね。でもいいわ、駄目なボスのために説明してあげる、あたしは真木のアシスタント・いづみの姉」

「姉? いつのまにそんな設定が立っていたんだ?」

「知らないわよ。でもまあ、この手の話じゃ、兄弟姉妹に親子が絡んで、ぐちゃぐちゃの関係がストーリーを盛上げるってのが常道じゃないか知らん?」

「それにしても、無茶な話だな」

 寝袋から抜出すドクター・トミー。寝ていられる状況ではないと悟ったらしい。

「……マリアンちゃん、きみがあの、ドクター秋本の娘だとは」

「あたしはマリアンちゃん、素敵なエセ金髪外人、しかしてその正体は――本名、秋本まりあ。れっきとした日本人よ」

 胸を張るマリアンちゃん。だが、狭いガルベースのコックピット、その胸がトミーの顔にずりずりと当る。少し嬉しそうなトミー。

「でも、何を考えて、真木は母様を殺した父様の主宰するロボットレースに出場なんてしたのかしら」

「うむ、それが次回に明かされるのだろう」

「そうね、何か字数を勘定してみたら今回、いつの間にか妙に長くなってるし」

「では、次回予告に行きたまえ>作者」

「どうでも良いけど、何で今回のサブタイトル『イニシエーション』だったのかしら?」

「真木にとっての通過儀礼でもあったのではないかい?」

「優しい読者は、そう理解しておいてね。前にも作者は言っているけど、意地悪な読者は要らないからね」

「ばいばいき〜ん」

次回

 砂、陽射し、駱駝。荒野を照らす太陽の下、激闘の幕が上がる。ロボット達は突如として狂い出した。破壊し合うロボット達を見詰めて微笑むドクター秋本。異常は意図されたものなのか。

 次回「待てばカイロの日和あり」。たまにはサブタイトルにべたべたなギャグ。

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