公開
2007-02-25

「南京大虐殺」と昭和天皇の責任

關係なし

天皇と「南京大虐殺」とは何う考へても結び附きやうがありません。

軍上層部は前線の日本軍に「南京で虐殺を行へ」と命令を出してゐません(寧ろ、日本軍が暴虐を働かないやうな通達があつたとされる)。軍上層部と天皇との間に接觸があつたとしても、天皇が軍上層部に「南京大虐殺」を「行へ」と命じた事實はありませんし、軍上層部もまた「南京大虐殺」を「行へ」と命じた事實がありませんから、「南京大虐殺」なるものが「あつた」としても、この二者は免責されます。

そもそも「南京大虐殺」なるものが「あつた」か何うかが問題で、「天皇」「軍上層部」が關はつてゐないならば、では「誰」がそんなものを「行へ」と命じたのか。「自然發生的」に、個別の軍人・兵士が「行つた」と言ふのなら、それは統一的に「虐殺」と呼ばれるべき歴史的事實なのか何うか、といつた問題が生じます(この邊の事は隨分前に指摘したのですが、その指摘は一部の人には御氣に召さなかつたやうです。「あつた」派の連中は「そんな事を考へる事自體が許されない」と極附け、筆者を人間と看做さない事に「あつた」派同士で取決めを行ひ、筆者の主張を封殺する爲に妨碍行爲に出ました)。

天皇に政治的な責任を問ふ事自體が不可能

天皇の戰爭責任を追及する事は法的に不可能です。

だから天皇を非難したい人は「歴史的責任」(?)とか云つた用語を創作して非難するのですが、それは言ひがかり以上の何物でもありません。

「昭和天皇は軍部に擔がれた、だから惡い人間である」だなんて、そんな理窟は成立たないでせう。「昭和天皇が進んで軍部に擔ぎ出されようとして擔ぎ出された」のなら昭和天皇に責任がありますが、そんな事實はありません。「擔がれたくなかったのに擔ぎ出された」のです。ならば昭和天皇は被害者にほかならない訣で、左翼は被害者を加害者にすり替へてゐると言へます。

政治的な目的で左翼は事實を歪曲してゐるのですが、「政治的な目的があれば被害者は加害者とされ、攻撃の對象とされねばならない」だなんて、そんな政治思想は眞つ平御免ですね。

大體、「歴史的責任」と言ふなら、「天皇」に全ての責任を歸してしまつて、それで思考停止するのはをかしいのです。問題の淵源は「日本人」そのものにある、と言つた方が、よつぽど「歴史的」な考へ方だと言へるでせう。もつとも、「日本人」の「象徴」として「天皇」と左翼は言つてゐるのかも知れませんが、そんなに左翼は「天皇」の存在を重要視してゐるのですかねえ。右翼よりも左翼の方が天皇を「尊重」してゐると、皮肉な言ひ方をする事も出來さうです。

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