制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2011-01-17

『東京情報』

書誌

あとがき

ヤン・デンマン氏の「東京情報」は、『週刊新潮』創刊の四年十カ月後、昭和三十五年十二月十二日号に第一回が始まり、以来、八百五十回を越えて(昭和五十二年五月現在)、なお連載中である。思えば足かけ十八年、「ドイツ人記者の頭はひときわ光り、イギリス人記者はすっかり白髪になって」、わがデンマン氏もまた年老いたが、彼は相変らず不死身で、疲れを知らない。しかも、最近、若返りのホルモンを打ったという説もあるので、彼はさらに若々しくなるのではなかろうか。

さて、このたび、高木書房社長のご好意で、はからずもこのささやかな社会時評が上梓される運びになったが、正確にいえば、「東京情報」三冊目の単行本なのである。むろん、今は絶版となっているが、昭和三十七、八年、初期の約百二十回分が大泉書店から、正続二巻、刊行されたことがある。で、今回は、何しろ十五年ぶりだから、どういう形で出していただくか迷ったが、取りあえず、これは「昭和五十一年版」のつもりである。以後、何年分かさかのぼって、選集的に続刊される予定であることを付記したい。

ところで、ご紹介がおくれたが、ヤン・デンマン氏は、もちろん在日外人記者である。ただし、彼は『週刊新潮』との特約で、どうしても本名を名乗らず、また公けに姿を現そうとしない。自著の刊行についても編集部任せという無精者。ちなみに、昭和三十七年版のあとがきによると、「ヤン・デンマン氏はもちろん外国人である。日本語は全然できない……しかも種をあかせば、彼の脳ミソは複数の人のそれででき上っていて、二年余の連載の間に何度か入れ変った」とある。どうやら彼は「複合人物」であるらしい。一昨年、『週刊新潮』は創刊千号を迎えたが、その記念号の「週刊新潮懺悔録」によれば、「デンマン氏たちの滞日も長くなると、日本及日本人に対する関心、知識も、当然より深く広くなり、単なる青い目の日本印象記にとどまらない現代日本批判となってきた」(ヤン・デンマン氏の素顔)と。この十八年、彼が最も変った点は、当然ながら、日本語の読み書きに堪能になったことだろう。

……。

大泉書店版「東京情報」

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