制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
1999-09-25
改訂
2012-01-10

『日本の將來・女性のすべて 男性からの要望』

書誌

「まえがき」より

本書は元来福田恆存氏の企画になるべきものを氏の多忙その他種々な理由から私が引き継ぐことになったものである。私は、編・監修ということに全く向かない人間である。綜合的把握は極めての苦手だ。それに私には道徳的説教にはアレルギーをおこすという困った性格を持っている。それゆえ、福田恆存氏は私がすべての面で尊敬私淑する先輩ではあるが、やはり思考法や主張には多少の差がある。したがって、本書の性格は氏の監修にかかる「日本の将来」というシリーズ本からすこし毛色の変わったものになったようである。あるいは、いささか不真面目な放言が多すぎると感じられる向きもあろう。その点は全く私の責任である。御出席下さった先生方の博学と自由な、あるいは公平な立場が充分その欠を補って下さっているはずである。ここに心からなる感謝をささげる。

本文より

福田(恆存)

女性解放運動というのは、外国でもそうですが、日本では自由民権運動と同じで近代化の一つの現れとして明治以来ずっと行われてきましたし、戦後は参政権も得て女と靴下が強くなったともいわれている。卑俗な現象としては「恐妻家」という言葉がはやったりしました。あれは逆に女に対する優越感の上にあぐらをかいた言葉なんですけれども、とにかく日本の女性は参政権を獲得して主婦連などが中心になって、住民運動の主導権を握るという情勢になっています。一般に女性解放運動というのは、これは平等思想から出ているのは言うまでもないことですけれども、果してこれが健全な状態であるかどうか。

だいぶ昔話になりますが、私は一九五三年にアメリカに行って、国務省の若手と一緒にパーティーに出席したことがあるんですが、そのころすでにパーティーの席上で女性の「家庭放棄」に対する不満の声が男性群から出ていました。女は家庭を守ってくれればいいのに、稼ぎに出たがるから困るという話が出て「日本ではどうか」と聞かれたんです。私は「そういう傾向は日本でも戦前より多くなったがアメリカほどではない」と言ったのですが、「アメリカの女をどう思うか」と重ねて質問されたから、こんどは若い奥さんたちに向って「結局、あなた方は亭主の走狗になるよりは、経営者の走狗になることを望むのであろう」というふうな冗談を言ったら、男たちは手を叩いて喜んでいました。女は家庭を守るべきだと考えている男が、アメリカにも相当いるわけです。

ところで、日本の現状はどうかといえば、私の息子などを見ていると、私が女房に対する態度よりも息子のほうが強いんですね。自分の女房に対して遠慮がないし、家の仕事なんか手伝おうとしない。あるいは親の手前だけ強がっているのかもしれませんが、とにかく戦後の「女尊男卑」に対する反動も起きてるんじゃないかと思うんです。

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