制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2006-01-16
改訂
2011-01-17

『言論人の生態・思考と行動と知性を衝く』

書誌

内容

「まえがき」

ベトナム戦争が終ってすでに六年以上の歳月が過ぎ、ようやく「ベトナム戦争の真実」が誰の目にも明らかになってきた。

サイゴン陥落は"歴史の必然"ではなかったし、インドシナ三国の体制変更は大義の実現などと祝福すべきものではなかった。ベトコンと解放民族戦線が民族主義を奉質とし、共産主義者に対して自立性をもっているというフィクションも崩壊した。北ベトナムの兵士は南ベトナムに存在せず、ホー・チ・ミン・ルートも存在せず、社会主義の正義を有する北ベトナムは何時でも何処でも約束は守るとの保証はもはや笑うべきものとなった。

実際、いま日本人はこの真実を見て笑っていられるのである。しかしこの見やすい真実を世界と日本に教えるために、カンボジア人、ラオス人、ベトナム人はなんと大きな犠牲を払わされることになったかということである。

ベトナムではゆうに百万を越える難民がボートで徒歩で故国を離れ、カンボジアではポル・ポト共産政権は国民を迫害して二、三百万人を死なせてしまった。そのポル・ポト政権の悪政を奇貨として、今度は共産ベトナムがカンボジアに侵攻して傀儡政権を樹立した。中越国境では「戦争をするはずのない」中国とベトナム両国は一ヶ月にわたって激戦を戦った。ラオスはすでにベトナムの植民地となりつつあり、ホー・チ・ミンの夢であった「インドシナ連邦」は完成直前である。

私は「ベトナム戦争の真実」は「見やすい真実」であったと書いた。実際にそう思うし、戦争を戦っている当事者の正体を知ってさえいれば、戦争のカラクリも見えたはずだし、戦後の事態の発展に動揺する必要もなかったのである。

この「見やすい真実」を隠すことはベトナム共産主義者の戦略上の必要であったが、これに協力し、日本人の目を覆いつづけることになったのは日本のマスコミと、そのマスコミで健筆を揮い。雄弁を競った日本の言論人たちであった。

本書で殿岡氏は、ヴェトナム戰爭に關する「知識人」の發言を採上げ、事實に即してその價値を判定し、批判してゐる。

既に日本では、一般人の間でヴェトナム戰爭は忘れ去られてゐる。それは殿岡氏が指摘するやうに、日本の「知識人」の言論が一般人にとつては何ら意味を持たなかつた事を證明してゐるのだが、結果としてイデオロギー的思考に基いてヴェトナム戰爭について論じ、見通しを誤つた「知識人」の罪が問はれないまゝとなつてしまつてゐる。と言ふより、當時健筆を揮つた「知識人」は、その大半が忘れ去られてしまつた。或意味、「歴史の審判」が下されたとは言へよう。

然るに、「歴史の審判」なるものは實際には下されてなどゐないのであつて、ただ單に昔の知識人が鬼籍に入つて、それで忘れ去られたに過ぎない。今でも生きてゐる「知識人」は、當時の己の誤を全く氣にせず、平氣で物を書き續けてゐる。

言論人批判の一例――殿岡氏の本多勝一批判

殿岡氏が本書で眞先にその「報道」ぶりを採上げて、批判してゐる本多勝一氏は、未だに健筆を揮ひつゝある。ウェブで探せば、本多勝一氏の「ルポルタージュ」が如何にいんちきであるかを具體的に指摘したサイトは見附かるだらうが、本多氏はそれを氣にしないし、「本多信者」は「本多信者」で、さう云ふ批判は「する方が惡い」と云ふ單純な考へ方をしてゐる。が、實はさう云ふサイトは、一般人は見ない。と言ふより、本多勝一なんて一般人は讀まない。だから本多氏は今も物を書き續けてゐる。だが、それで良いのだらうか。

本多氏は、ヴェトナムで起きた尼僧の燒身自殺について、北ヴェトナム政府の關與する「官製組織」である愛國佛教會の發表を、「北には報道の自由がないから取材できない」なる「理由」でもつて額面通りに受取り、尼僧を中傷するやうな見解を表明して見せた。殿岡氏は、その尼僧の、自殺直前に録音したテープを入手し、その内容から「本多氏の見解は誤であつた」と述べてゐる。

殿岡氏は、本多氏の態度を批判して、眞僞不明の水掛け論にもち込むのであろうか、それとも取材の自由のないところでたまたま誤ったというのであろうか、と述べてゐる。

しかし、誤るにも誤りかたがあるべきである。十二人の殉教をセックス・スキャンダルとおうむ返しに本に書き「済まなかった」では済まされない。

事件後、十二人の遺体は三つの棺に重ねもちにされて運び去られたという。完全に炭化した遺体は乱暴な扱いで音をたてて崩れたともいう。

いまこそペンの重み、言論人の責任の重さがひしひしと迫ってくるではないか。本多勝一氏は根性を据えて真相を究明すべきである。もし本当にセックス・スキャンダルであったなら、私は自由なベトナムのために悲しみ、本多氏を祝福しなければならないだろう。しかし命をかけた殉教であったならば、本多氏はその責めを負ってペンを折るであろうか。

言ふまでもなく、本多氏は自らの誤を認めず、未だに書き續けてゐる。さう云ふ本多氏を、少數の讀者が神のやうに崇め奉り、大多數の一般人が「なんか偉い人がゐるらしい」程度の認識のまゝ、その言論には全く興味を持たないで、ほつたらかしにしてゐる。本多氏は、少數の讀者の御蔭で、今も「言論人」「知識人」「文化人」として、やつてゐられる。

言論人批判の方法論

本書で殿岡氏は、福田恆存氏、林健太郎氏、桶谷繁雄氏といつた正論を吐いた少數の人物も採上げてゐるが、主に「長持ちのしない言論」を書き捲つた「言論人」「知識人」を扱つてゐる。「言論人」「知識人」のヴェトナム戰爭關聯の發言を紹介し、歴史的事實と照し合せてその良し惡しを論じてゐる。

但し、その論じ方は、發言の時點で誰もが判り得たであらう事實と、論者の觀念・イデオロギーに基いた圖式化に據る抽象論とに存在する、齟齬を指摘するやり方で、フェアなものである。ありがちな、後から得られた知識に據つて、知識が得られる以前の無知な人を嗤ふ、と云ふものではない。

大半の知識人が、今では「過去の人」となつてしまつてをり、それが本書を古びさせる要因となつてゐる。しかしながら、生延びて、未だに書き捲つてゐる爲に、「社會的に死んでゐない」駄目な「言論人」が存在する以上、かうした「過去の批判」であつても現代的な意義は存在する。

「言論人」「知識人」の胡散臭さは、現在、「風潮」として、多くの人に認識されるやうになつてはゐる。しかし、「風潮」である限り、正しく用ゐられれば有效に機能する認識も、イデオロギー的思考にしか繋がらず、「知識人は惡い」「知識人は信用出來ない」と云ふ單純な圖式化に終るだけである。嘗つての「知識人」は、今の「風潮」に對應して、自らは「知識人」と稱しない。「知識人」なる用語は、現代の「知識人ならざる知識人」にとつては、敵に貼るべきレッテルである。そしてその「知識人ならざる知識人」は、相變らず無責任な言論を垂れ流し續ける。

圖式化の愚を避けるには、ただ、實證的な批判のみが有效である。本書はさうした實證的な批判の實踐であり、筆者・殿岡氏は眞面目に「知識人」の發言を檢討してゐる。一部に不完全・不十分な批判もあるが、全體として現在でも讀んで裨益されるところの多い書物となつてゐる。

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