制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
1999-09-25

『日本の將來・朝鮮半島のすべて』

まへがき

戰後の日本人はいつも大事な時に大事な事を忘れる、いや、それが大事であるといふ事にさへ氣附かないらしい。先頃の日ソ漁業交渉ではソ聯の大國主義とその横暴に大分腹を立てたが、出來てゐない腹をいくら立てても、樣にはならない。外交は口先だけの辨舌、條約やコミュニケで處理できるものではないのに、その當り前の事に日本人は氣附かない、またなぜそれだけでは處理できないのかといふ事に氣附かない。いや、ソ聯を大國主義の元凶として責める前に、何の目算も無しに大陸中國との國交樹立を計らうとし、その爲に國府が何の不埒も働かぬのに平和時にいきなり國交斷絶の暴擧に出た自らの大國主義に氣附かない、少なくとも気附きたがらない。手前勝手もいいところである。が、それならソ聯の手前勝手を責めぬ方がいい、むしろ強い者勝ちは世の慣ひと諦めるにしくはない。

韓國に對しても同樣である。金大中事件、その他、事あるごとに韓國を責める、が、それとは比較にならぬ北朝鮮の暗黒政治に對しては一言の批判もしない。在韓米軍撤退といふ「もう直きお倉に火が附きさう」な大問題を目前に見ながら、それを對岸の火事としか思つてゐない。ひよつとすると、それが火である事にさへ氣附いてゐないのかも知れない。火ではあつても、暖爐の薪が燃えてゐるだけの事で、燎原の火とも火事とも思つてはゐないのであらう。

もつとも、この座談會の直後、アメリカ側の撤兵計劃は多少足踏状態を餘儀無くされてゐるが、依然として本筋は揺がず、決して樂觀は許されない。韓國とは正反對に内政、財政の上で全く行き詰つた北朝鮮は、必ずしも米軍が全部撤退し切らなくとも、それが既に逃げ腰である事に見極めが附きさへすれば、今にも南に侵入して來るかもしれないのである。


inserted by FC2 system