公開
2010-10-25

「現行憲法無效論」の概要

  1. 大日本帝國憲法が明治時代に制定され、その後有效であつた歴史的事實を認めます。
  2. 昭和二十年八月十五日の大東亞戰爭敗戰の前後で政府が連續してゐる歴史的事實を認めます。
  3. 大日本帝國憲法において可能な範圍で改正された憲法として「日本国憲法」はあり得ないものである、と考へます。

大日本帝國憲法は、制定時、「そのやうな憲法が定められてはならない」と云ふ法が存在しなかつた以上、あつて良い憲法であると言へます(憲法は最高法規だから、それを超える法があり得ないのは當り前)。一方、「日本国憲法」は、「制定」時、既に大日本帝國憲法があつたのだから、その制約に縛られます。ところが、「日本国憲法」は、條文を見ると、大日本帝國憲法の制約を超越して、不法に「改正」が行はれてゐると言へます。ならば「日本国憲法」は無效です。

最高法規たる憲法は、最初に作られる時は、内容は、何んなものであれ、あり得ます。けれども、改正の時點では、先行して存在する最高法規の制約下に置かれます。これは常識を述べてゐるだけです。餘りにも常識的な話ですよね。ところが、何故かこの話に納得して呉れない人がゐます。常識が通じないのです。私にはとても奇怪な事に思はれるのですが――驚いた事に、殆どの日本人にこの常識が通じない。

何もないところでは何であれ約束を結べます。何も禁止する物が無いのだから何をやつたつて許されます。けれども、一旦結んだ約束は、適切な手續に從つて變更しない限り、變更出來ません。適切な手續以外の方法で約束の内容を變更するのは、一旦結んだ約束を反古にする事です。それは許されない。餘りにも當り前の話です。

「約束を守るのは大事」――少くとも、一度でも約束を破つたら、次にした約束も、また破る事があり得る……と考へられて仕方がありません。日本人は「前の約束は惡い内容だつた。今度はいい内容の約束をしたのだから、惡い内容の約束を反故にしても問題ない」と考へてゐます。けれども、「いい内容の約束」であつても、「約束を反故にする癖」が附いてしまつてゐては、まあ、當てにならないと云ふ事で、價値は認められません。ところが日本人はそれでも「大丈夫」だと言ひ切つてしまふ。

一度交はした約束――それが大日本帝國憲法であります。それを反古にして、「日本国憲法」なる「新しい約束」を、「いい内容である!」と言張つて、強引に結んでしまつてゐる。しかし、「憲法と云ふ最高法規ですらも理窟を附ければ簡單に反古にできる」と云ふ前例を、日本人は作つてしまつてゐる。それは良くない、と云ふのが「現行憲法無效論」の立場です。惡い内容であれ約束は約束、寧ろ、何んな理由があつても約束を履行するのが、「約束をする」と云ふ事の意義である、と云ふ立場です。

今の多くの日本人が、約束なんてドウデモヨイ、と思つてゐます。だから「日本国憲法」を、理窟を言つて正當化しようとする。けれども、そんな正當化の理窟よりも、一度交はした約束は守り通すべきである、と云ふ「感情論」の方が、壓倒的に正しいと思ひます。だからこそ大日本帝國憲法の有效を未だに私は主張するのです。約束の信頼性を守るか、信頼出來ない空手形を後生大事に握り締めるか。


日本は、明治時代に大きく變動しました。即ちヨーロッパ文明の到來です。その變動を歴史的事實として私は認めます。そこで、それまで存在しなかつた、西歐の觀念である契約の考へ方に基いて、大日本帝國憲法が定められた。それはそれで歴史的事實として認めなければならない。

が、それなら、その大日本帝國憲法が、明治以降の「近代の日本」に於て、ずつと有效である事は、當然の事として認めなければならないのです。

事實として、大東亞戰爭の敗戰の前後で、歴史は斷絶してゐませんし、斷絶を主張する價値觀は許されないと思ひます。大東亞戰爭の前後で日本の歴史が連續してゐる事を認めるならば、「日本国憲法」なんてものがあり得ない事は認めなければなりませんし、必然的に大日本帝國憲法が依然として有效である事も認めなければなりません。

逆に言へば、大東亞戰爭の前後に歴史的斷絶を作りたくて作りたくて堪らない人々が、「日本国憲法」を「有效と云ふ事」にしたがつてゐるだけです。しかし、さう云ふ價値觀は認められないものであります。

實際、昭和二十年八月十五日に、日本には革命が起きたわけもなく、日本政府は戰爭中から連續して存在し續けてゐました。ならばその政府は大日本帝國憲法に基いて成立してゐたものです。その政府がやつてよい改正として「日本国憲法」はあり得ません。一般論として「憲法は改正しては行けない」と言つてゐるのでない事には注意して下さい。具體的な・個別の條文において、改正可能な範圍を超えて「日本国憲法」は「改正」されてゐます。だからその「改正」は無效です。ならば「日本国憲法」は無效であり、必然的に、先行して存在してゐる大日本帝國憲法は有效である、と云ふ事になる。


「日本国憲法」が無效であるのだから、先行して存在する大日本帝國憲法は無效化されてゐないのです。

もちろん、「大日本帝國憲法はそもそも有效なのか」なる、陰險な質問をしようとする人がゐるのは承知してゐます。けれども、「無效な大日本帝國憲法」を「改正」して、何うして「有效な日本国憲法」が出現し得るのでせう。質問それ自體が出たら目なのですね。人を困らせようとして適當な事を言つてゐるだけです。自分の言葉の意味が解つてゐないから、その手の人は、自分で自分を否定する樣な「論理」を平氣で主張出來てしまふのです。

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