初出
「瞬間」平成13年5月9日
公開
2001-06-24
最終改訂(リンク追加・マーク附け修正のみ)
2008-03-01

内田樹先生を斬る

刑法199条が「空論」でないのと同じように、憲法九条は「空論」ではない。

私はそう考える。

なぜなら、現に日本は自衛隊という「武装」を有して、「外敵の侵略」に対する備えをすでになしており、かつ、その「武装」はどういう条件で行使されるべきかについての「社会的合意がすでに存在する」からである。

いまさら憲法九条を改訂するまでもなく、その「条件」は刑法37条にはっきりと規定されている。

「自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産ニ対スル現在ノ危難ヲ避クル為已ムコトヲ得サルニ出タル行為ハ其行為ヨリ生シタル害、其避ケントシタル害ノ程度ヲ超エサル場合ニ限リ之ヲ罰セス」

日本国民のおそらく全員が「緊急避難」についてのこの考え方を承認するだろう。

その場合、この条文において、「正当防衛・緊急避難の行為より生じたる害」が「回避しようとした害」よりを超えた場合には、それは罰せられると明記していることを忘れて欲しくない。

それは上で書いた銃器規制についてのロジックと同じである。

「銃の所持によって生じる害」が、「銃の所持によって回避される害」より大きければ、それは禁止されるべきである。

簡単な算術だ。

それと同じ算術によって、私は(おおかたの日本国民と同じく)「戦力の行使によって回避される害」が「戦力の行使によって生じる害」より大きければ、戦力は行使すべきであり、「戦力の行使によって生じる害」が「戦力の行使によって回避される害」より大きな場合、戦力は行使すべきではないと考えている。

自衛に関する議論は、これで尽きると思う。国連の決議とか安保条約とかいうようなことは、すべてこの原則「から」派生するものであって、それに先立つものではない。

このロジックは、法學的に非常識なものである。刑法の規定が、憲法の規定に優先する事はあり得ない。話は逆であつて、憲法九条の規定に刑法37条の規定は制約される。或は、國が國權の發動たる戰爭を行ひ、武力による威嚇又は武力の行使を行ふのを刑法37条の規定が認めるとしたら、その規定は憲法違反であるから、無效である。

憲法は法律の法律である。こんな事は、大學一年生でも知つてゐる事だ。なぜ大學の先生が、こんな常識も知らないのか。先日のGermanist先生もさうだが、大學の先生に無知な人がゐるのは、どう云ふ譯なのだらう。閑話休題。

さらに言ふと、社会的合意が憲法に優先するのなら、「憲法は要らない」と云ふ事になりはすまいか。

内田先生は、憲法を擁護してゐる積りで、「憲法否定派」となつてしまつてゐる。この場合の「憲法否定」は、單に「現行憲法を否定する」と云ふ意味ではない、「憲法と云ふ概念自體の存在を否定してゐる」と云ふ事である。まあ、結局のところ、「憲法と云ふ概念」の中に含まれる「現行憲法」も否定される譯だが。


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