初出
「闇黒日記」平成二十年十一月十二日
改訂
2008-12-01

アメリカの憲法

中屋健一責任編集『世界の歴史11 新大陸と太平洋』(中公文庫)を淡々と讀みすすめつゝNHKのその時歴史が動いたを觀た。今囘はキング牧師のアメリカ市民革命。

民主主義の國でも結局のところ歴史を動かすのは個人であつて「大衆」のやうな漠然とした存在である訣ではないと云ふ事。もちろん何らかの状況が生じてゐるにしても其處に中心となる個人が存在して初めて運動は形を成すし、概念は形成されると。良かれ惡しかれ。

ところで、我が大日本帝國憲法が密室で作られたのと同樣、アメリカの憲法も密室で作られたものだ。けれども、大いなる妥協として各州に認められつゝ、修正が加へられて、民主主義の實驗國家の憲法として次第に成熟して行く訣である。憲法と云ふものは、そもそもの出自をそんなに重視する必要はないのであり、寧ろ繼續した運用の過程をこそ重視すべきであると言ふ事が出來よう。翻つて我が「日本国憲法」を見れば――「日本国憲法」には大日本帝國憲法との連續性に重大な問題があり、大日本帝國憲法の正統の後繼者と看做す事は出來ない。當然「日本国憲法」は無效とすべきであり、大日本帝國憲法を暫定的にであれ日本の正統の憲法と看做して現在の有效を確認して、しかる後に當然の事ながら現代の日本の状況を考慮した上で民主的な内容に修正すべきだ。俺は正統性こそが憲法においては重要であると考へる。

――が、さう云ふ常識的な議論が認められないで、只管「現状の是認」だけを主張する意見が罷り通る日本では、そもそも理念とか理想とかの觀念が存在せず、民主主義とか自由とかの觀念的な價値が一般に理解されてゐないと言つて良いのでないか。だからこそ條文を解釋で民主的に運用し、どうしても存在する不備のみを修正して、より民主的に憲法を育て上げようと、日本人の誰一人、考へないのだ。當座、人權だの何だのの條文が書かれてゐるから、「日本国憲法」に縋つて生きて行かうと安易に思つてしまふ。これは民主主義の傳統以前に、觀念や概念を扱ふ習慣が存在しない、ただ「現世利益」のみを追求する傾向が存在する日本人の、哀しい習性であると言ふ事が出來よう。日本人は、「憲法に書かれた條文」だけが大事なのであり、それを弄ぶ事には大變な興味を覺える。けれども、まだ條文に明記されてゐない觀念を理想として育てる事には何の興味も持たないし、そもそも觀念と云ふものは餘所の國から貰つて來るものだと思つてゐるから自分逹の間で理念を醸成させる習慣もないし、それを憲法の條文に盛込んで子々孫々にまで傳へて行かうと希望する氣持すらもない。さう云ふ國民だからこそ、人權條項がある憲法を持ちながら人權意識を持たないで氣に入らない人間に嫌がらせをして言論封殺を實行する輩が出現する訣だ。憲法は日本人にとつて紙切れ同然で、憲法の精神なんてものはまるで身についてゐない。「日本国憲法」を「守れ」なんて言つてゐる連中も、日本人に憲法の精神なんてものが普及してゐない事實を知つてゐるし、自分自身にもそんなものは身についてゐない事を知つてゐる。ただ政治運動として面白いから護憲運動をやつてゐるに過ぎない。現行憲法無效論を叩いてゐる連中も、政治問題として言爭ひをするのが面白く、そこで敵の論者を叩くのがやり易いから叩いてゐるに過ぎない。本氣で憲法の事を考へて議論してゐる日本人は一人もゐない。

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