公開
2002-04-28
最終改定
2007-04-21

『新憲法釋義』

『新憲法釋義』
昭和21年11月15日初版發行
昭和22年5月30日重版發行
梶田年著
法文社
『新憲法釋義』表紙畫像

著者の梶田年氏は、大審院部長 臨時法制調査會委員

大日本帝國憲法に「問題はあつた」のか?

「序文」より

日本の改正新憲法制定の、そもそもの原因を作つたものは滿洲事變である。滿洲事變から支那事變へ、支那事變から更に今次戰爭へと進展せしめて、終に敗戰降伏の悲境に陷つたのであるが、これは必ずしも從來の舊憲法竝に之に基く諸制度の罪のみに歸することはできないのであつて、寧ろ舊憲法の下に國政運用の任に當つた少數權力者逹の罪であつたと言へう。軍部や政府の權力者逹が徒に世界の情勢と我が日本の國力とを國民の前に祕して知らせずに、國民を全く目隱しにして識者の言論は之を封じて置いて、獨善的な考へ方から善良な國民大衆に軍國主義、誤れる國家主義を鼓吹して、民衆を騙つて戰爭に追ひ込んだ結果であると觀ることもできるのである。從つて從來の舊憲法竝に諸制度には、少數の權力者が國權を惡用し又は濫用して、取りかへしのつかない程の重大な過誤を犯す餘地を與へた缺陷があつたことは免れぬところであるから、之を是正し根本的に改正すべきことはわが國を建て直す爲に必至の趨勢となつたのである。が敗戰後のわが國を管理する聯合國の意向と敗戰後のわが國民の輿論等からして名は改正であるけれどもその質は全く新しい形式内容を備へた劃期的な民主主義憲法が制定せられることになつたのである。

ここに見られる論理は以下の通りである。

  1. 明治憲法の内容には必ずしも問題はない。
  2. 實際の運用上、惡用されたからには、惡用されるやうな拔け穴が明治憲法には確かにあつた筈だ。
  3. 拔け穴があるからには明治憲法は改正されなければならない。

この論理から考へれば、明治憲法の改訂は、「拔け穴」をなくす事だけで十分である。

スクラップ&ビルドで「穴」が塞げるのか

にもかかはらず、實際の「改正」に於ては、「拔け穴」をなくす以上の、大規模で根本的な内容の變更が行はれてゐる。論理と現實とが乖離してゐると言へる。

本書で、この論理と現實との懸隔を埋める努力を、梶田氏は全くしてゐない。もつとも梶田氏のみを責めるには當らない。梶田氏以後の殆ど全ての憲法學者がしてゐないからである。

梶田氏は、「それ自體としては問題がない憲法」を、「既に改訂してしまつた」と云ふ事實をもつて肯定してゐる。改訂と云ふ事實を肯定する爲に、「問題のない憲法」を「改訂しなければならなかつたものである」かのやうに見せかける爲、レトリックを用ゐてゐる。茲で言ふレトリックとは、惡い意味のレトリックで、ごまかしと云ふ事だ。論理的に必然的な結果を導き出すのでなく、言葉の上での操作で決つた結論に話を持つて行く事をやつてゐるのだから、ごまかしであり、惡い意味でのレトリックである。

しかし、梶田氏一人を責められない。梶田氏以後の多くの憲法學者が、梶田氏が用ゐたのと同じごまかしのレトリックを用ゐて、既成事實としての憲法「改訂」を正當化しようとしてきたからである。批判すべきは、その憲法學者全員である。或は、さう云ふ正當化を憲法學者がしなければならなくなつた風潮を作つて來た我々全員である、と言つて良いかも知れない。だが、取敢ず、責任を追及するのは止めにしておきたい。日本では、他人の責任を追求する事に快樂を見出して、物事の正邪に全く興味を持たないと云ふ人が、餘りにも多い。

憲法學者・法律學者は、憲法の理念的な側面からの檢討を「單なる思考實驗である」として切捨てようとすらして來た。しかし、思考實驗を通して、理念的に問題がないか何うかを檢討し、問題があれば既成事實であつても「問題がある」と評價し、改善しようとするのが、法律學者の正しい態度であらう。

憲法改正なり現行憲法無效論なりを一種の「シミュレーション」と見てみよう。我々はさうしたシミュレーションをする事も許されないのであらうか。そして、精密なシミュレーションにおいて發覺した諸問題を、我々は現實にフィードバックする事は許されるだらう。縱しフィードバックが受容れられないとしても、檢討はそれ自體として、意味がある事である。最初から「考へるだけ無駄」と言つて無礙に或種の考へ方を否定する必要もない筈である。


大體、大日本帝國憲法の「穴」を埋める事をせず、新しい憲法をゼロから作つて、それでその憲法は「穴」がなくなつたか。ここで「今の憲法は完璧である」と反論を始める憲法學者は、さすがに存在しないだらう。しかし、「現行憲法は問題だらけ」と云ふ現状が判つてゐるのに、今、世に出てゐる改憲の議論では、屡々全文改訂が主張されてゐる。またぞろ「穴」だらけの新憲法を作らうと云ふのだらうか。

現行憲法の改訂は、現行憲法の肯定であるから認められない。現行憲法の「穴」を埋める形での改憲の主張は、慥かに全文改訂の主張よりは「安全」であらう。けれども、今、部分改訂のみが認められ、全文改訂が認められないのであるならば、以前の全文改訂もまた認められない。理念として、一度確定し施行された大日本帝國憲法は、引繼がれ、「穴」を塞ぐ努力がなされるべきであつたし、今でもさうである。理念的にはそれが當然の事である。その當然の事を當サイトでは主張してゐるに過ぎない。

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