初出
「ナンセンスな規定」の項のみ「闇黒日記」2000-09-07
公開
2002-04-28
改訂
2011-03-26

美濃部達吉『新憲法の基本原理』

『新憲法の基本原理』
昭和22年10月20日發行
美濃部達吉著
國立書院
『新憲法の基本原理』表紙畫像

筆者・美濃部達吉とその思想について

著者の美濃部達吉は憲法學者。自由主義的な立場をとり、戰前、天皇機關説を唱へて右翼から攻撃された事で知られる。「天皇機關説事件」については小山常実に研究『天皇機関説と国民教育』(アカデミア出版会)がある。

當時の事情については以下の通り。『教養人のための日本史(5)』(教養文庫585)

昭和一〇(一九三五)年二月二五日――貴族院の議場は異様な静けさにつつまれていた。そのなかを貴族院議員美濃部達吉博士は「一身上の弁明」のために登壇した。「過日、この議院で私の学説について、あるいは緩慢なる謀反だとか、あるいは私を反逆者だとか、さらに学匪とさえ呼ばれた人があった。かかる議席で、日本人として最も堪え得ざる侮辱を与えられたことに対して、私は到底忍従しえない」

問題は、二月一八日、貴族院において菊池武夫男爵(陸軍中将)ら右翼議員が、美濃部の「憲法撮要」「逐条憲法精義」は国体を破壊するものだとして質問したところに始まった。軍部ファシストは天皇を絶対的なものにまつり上げ、その権限を無限大に拡大することにより、天皇をかくれミノとして独裁政治をうちたてようと企てた。そして天皇機関説は、その前に立ちふさがる大きな障害として排撃されることになったのである。

「菊池男爵は私の著書について云々されたが、全部を精読されたうえでのご意見であろうか。天皇機関説というのは、天皇は国家の最高機関として、国家いっさいの権利を総綾するもの、という法律学の主張にもとづくものである」

博士の演説は、新聞によれば「条理整然所信を述ぶれば、満場粛としてこれにきき入る。約一時間にわたり雄弁を振い降壇すれば、貴族院には珍しく拍手起る」とある。だが右翼・軍部の攻撃はその手をゆるめず、二月末、江藤代議士は不敬罪で美濃部を告発し、三月初めには頭山満らの機関説撲滅同盟は天皇機関説の発表禁止と美濃部博士の自決を決議し、四月には真崎甚三郎教育総監は、天皇機関説は国体に関する吾人の信念とは相容れないとする訓示を全陸軍に通達し、帝国在郷軍人会本部から機関説排撃のパンフレット一五万部が配布された。美濃部の著書は発禁に処された。政友会もこれに同調して機関説排撃、岡田内閣打倒を叫んだ。――八月三日、ついに政府は国体明徴に関する声明を発表し、「統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりとなすが如きは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義をあやまるものなり」と言わざるをえなかった。

九月一七日、美濃部博士の司法処分が検察当局から発表された。起訴猶予。この決定は美濃部が辞職の内意を示してからなされたもので、その日、美濃部は貴族院議員の辞表を提出した。……。

美濃部の天皇機關説は、ドイツの法學者ゲオルグ・イェリネックが唱へた國家法人説に基くもので、君主の權利を制限し、國民・人民の權利を擁護する事を目的とした思想である。この説で、君主である天皇は主權を有する「法人としての國家」の一機關であると看做される。天皇は國家における最高機關として統治權を行使するが、國家そのものではない。その爲、天皇は、自由・勝手氣儘に國家を動かす事は許されない。常に國會議員の輔弼によつて天皇は統治を行はねばならず、國民の意思を政治に反映させる必要がある。

京都帝國大學教授・佐々木惣一も同樣の説を唱へ、この天皇機關説は一時期、定説として受容れられる事となつた。戰前の政黨政治を隆盛に導いた理論だつたのである。

一方、全體主義は、共同體全體である國家の意思を絶對のものと看做し、國家に屬する國民・共同體に屬する個人の權利を認めない。ドイツやイタリア、或はソヴィエト聯邦の全體主義においては、特定のエリート・指導者の意思が即座に國家の意思と看做された。

日本の所謂軍國主義においては話がややこしく、「天皇に主權がある・天皇の意思が即座に國家の意思である」とされるものの、現實にはその天皇の意思を一部の軍人・國粹主義者の意思と行動が顯現してゐるものとして、軍人・國粹主義者の獨善的な指導體制を正當化する事が行はれた。

戰前の日本におけるファシスト・國粹主義者は、天皇主權説を支持した。天皇の名の下に國家を好きなやうに動かし、國民を指導する事を望んだ爲である。彼等にとつて、國民の側から天皇の意思を制限し、結果として國家の意思を束縛する天皇機關説は、結果として彼等に據る指導に制限を課すものであり、大變に都合の惡いものであつた。

世界の歴史の流れは、國民の權利を増大させる傾向にあり、さうした中で天皇機關説は力を持つた。ところが、斯うした進歩的な傾向は先進國である西歐に於て定着を見たものの、後進國では常に反動を呼起した。ドイツ・イタリア・ロシアは全て西歐に比較して後進國である。勿論、日本も例外ではなく、後進國の歴史の展開のパターンにぴつたり當嵌つて、社會に反動的傾向を生じた。理論的には納得された天皇主權説を、強引にねぢ伏せ、壓殺する暴力が、戰前の日本では一世を風靡したのである。後進國に於ては常に野蠻な暴力が存在し、論理の力を認める先進的な思想に抵抗したのであつた。

そのやうな状況下でも、さすがに檢察は最後の理性の存在を示し、美濃部を不起訴とした。とは言へ、それは美濃部が壓力によつて貴族院議員の辭職を受容れ、自ら政治の場から離脱する讓歩を行つたから、何とか認められた「輕い處分」であつたに過ぎない。暴力を振りかざした極右勢力に對して最早法治主義は力を失ひ、憲法は無視されるやうになつた。

暴力で以て全てを解決せんとする國粹主義・極右思想は、理性を壓殺し、國内に於て絶大な權力を得た。その過程で生じた思ひ上りは、彼等が強大な英米を見縊り、日本を無謀な戰爭に引きずり込む原因となつた。アカデミズムの輕視とイデオロギーの盲信は、國粹主義者・右翼勢力の獨善の暴走を招いた。

現代に於て、斯かる暴力主義は依然消滅してをらず、理性主義を敵視し、論理的な言論をデマや人格攻撃で壓殺せんとする一部の極右或は極左の策動が續いてゐる。天皇を認める認めないの次元での言爭ひは絶えないが、その先で、自己の權限の無制限の擴大を狙ふ暴力主義は、現代の日本において、盛な活動を續けてゐる。

それら暴力主義の特徴は、常に權威・力の抑制の排除を叫ぶ事で、ただ右が天皇を自らに引附けてその力を手に入れ、左が天皇を排除して自らが天皇以上の力を手に入れるのを狙ふ點だけが異る。何れの立場の人間も、各権力間のバランスを保ち、一定の抑止力を維持する思想は、自らの權力擴大の障礙として徹底的に排除せんとする。戰後半世紀以上が經つても、日本人のメンタリティは戰前のそれから何も變つてゐないと言へる。然るに現代の暴力主義者は、その暴力的な精神を表面的に隠匿し、ただ敵對者の理性的な主張に存在しない惡意の顯れを見出し、即ち濡れ衣を着せて、ひたすら道徳的に非難すると云ふ攻撃パターンをとる。

現代の暴力主義は、精神の暴力主義であるがゆゑに、その暴力性を隠匿する事巧みである。彼等は常に、一見尤もな言説を弄する。しかし、彼等は、論理をただ利用すべき手段と看做してゐるに過ぎず、論理の積重ねによる正しい結論の抽出を全く目的としない。ただ氣に入らない相手を默らせて自分の意思を押通す事に、暴力主義者は熱心に努力する。彼等暴力主義者は、いたづらに人格攻撃と人を見下した嘲笑を繰返し、風説の流布と陰險な嫌がらせで理性的な議論を妨碍する。彼等のねちつこさ、陰濕さは目を覆ひたくなる非道いものである。不毛な鬪爭を繰返す暴力主義者の跳梁跋扈は、日本の後進性をはつきりと示してゐる。

既成事實の積極的な容認を「大人の態度」と看做し、思想的・理論的な檢討を拒絶したり侮辱したりする――さうした精神的暴力主義は、現代の憲法の論議においても依然、強大な力を發揮してゐる。「日本国憲法」の有效を主張する立場に、この種の暴力主義が見られる事は大變に嘆かはしい。


さて、美濃部は戰後の「憲法改正」に當つて、占領下における憲法の「改正」を認めない立場をとつた。昭和二十一年六月八日に樞密院の本會議に諮詢された憲法改正草案に、美濃部は反對した。(この本会議は、諮詢された案を可決したが、美濃部達吉だけは、この案に対して多分に憲法改正手続きの不当性を国家としての恥とする立場で、憲法学者としての節操を保って、ただ一人反対している。)かうした美濃部氏の態度について、現行憲法肯定を至上命令として受容れてゐる法學の關係者は否定的に捉へる傾向があり、「オールドリベラリストの限界」(Wikipedia)等と極附けて、「現行憲法が實現した自由主義社會」の地點から見下す傾向がある。

美濃部氏は、現行憲法制定の過程において、大日本帝國憲法と「日本国憲法」の間に連續性がないと指摘した。この指摘は現在でも無視し得ないものであると評する法律家が存在する。

憲法の規定の解釈論としては、大日本帝国憲法が欽定であるのに対して、日本国憲法が民定であるとするのは、大方の見方である。この両者の関係については、一般に旧憲法・新憲法と呼ばれ、2つの異なる憲法が意識されているにもかかわらず、実際には、日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正手続きによって成立した。それゆえ、日本国憲法制定の審議中、美濃部達吉は、その憲法改正案に対して、

この案は、憲法第73条によつて進められているが、この条文は、ポツダム宣言の『日本国民の自由に表明した意思…』の条項に反するから無効である。この第73条の手続きによると、議案を勅命によつて提出し、また政府みずから不適当と認めて廃止しようとしている貴族院にもこれを付議し、さらに天皇の御裁可によつて改正が成立することになる。それにもかかわらず、草案の前文では、国民みずからが憲法を制定するようになつていて、これはまつたく虚偽である。現在、第73条の失効の結果、憲法改正の手続きは未定の状態にある。したがつて枢密院で審議することもできない。この案は撤回して、まず、憲法改正手続法を次の議会で作るべきである。

民定憲法は、国民代表会議を作つてそれに起案させ最後の確定として国民投票にかけるのが適当と思う。このやり方は虚偽であり、このような虚偽を憲法の冒頭に掲げることは国家として恥ずべきことではないか。

と述べて、痛烈にこれを批判している。この批判は、日本国憲法前文の書き出しの規定に対する批判として、今日もそのままのかたちで継承され得るものであり、無視し得ないものである。

惡文の危險性

美濃部の『新憲法の基本原理』における記述は、その後、日本國憲法を批判する人々に屡々引用され、言及されて來た。

日本國憲法は戰後、ずつと改訂されないで來た。その間、社會情勢は変化した。しかし、本書の「新憲法の文體」における以下の指摘は、情勢の變化に左右されるやうな性質を持つものではなく、現在でも有效であると考へられる。

新憲法の著しい特色の一つとしては尚其文體を擧げることが出來る。最初に公表せられた草案要綱には尚舊來の傳統に從ひ片假名式の文語體を用ゐて居たのに反して、成文の草案として發表せられたものは、明治以來の多年の慣例を破り初めて平假名式の口語體を用ゐた。其れは勿論憲法を國民に親しましめ、其の理解を容易ならしむるが爲にしたものであつて、一般世論の等しく歡迎する所ではあつたが、その目的を達する上に於て必ずしも成效したものと言ひ難いのは遺憾である。

殊に其の著しい缺點としては左の數點を擧げることが出來る。

  1. その字句が精練を缺き、その意義が往々明瞭を缺いてゐること。たとへば國事國政とを相對立する觀念となし四條一項事務を處理すると行政を執行するとを區別してゐる九四條が如き不明瞭の嫌を免れない。
  2. 不必要な冗漫な規定が多く而も必要な規定を缺いて居ること。喩へば攝政に付き前條第一項の規定を準用する五條二項とあるが、攝政は天皇に代つて大權を行ふのであるから、天皇に屬しない權限を行ふことを得ないのは勿論であつて、この準用規定は全く不必要であるに反して、攝政の行爲に付いても内閣がその責任を負ふことに付いては何の規定も無い。命令に付いては内閣の發する政令に付いてのみ規定して居り、總理大臣や各省大臣の發する命令に付いては何等規定する所の無いのも不完全の誹を免れない。是は立法權が國會に屬することに對する特例であるから、是非規定を要するものである。之に反して、「最高法規」についての一章の如きは別段の法律上の意義を有しないもので、必ずしも規定を要しないものである。
  3. 日本文として適切を缺き、その用語及び文章に或は歐文の飜譯であるかの如き感を懐かせるものがあること。憲法前文には殊にその感が強いが、本文に於いても例へば國民統合の象徴一條と曰ひ、助言と承認三條と曰ひ、権利の信託九七條と曰ひ、其の他基本的人權に關する多くの規定の如き、法律上の用語として從來嘗て見なかつた種類の語で、日本語として甚だ未熟であり飜譯臭を免れない。
  4. 口語體でも苟も文章を爲す以上は文法を無視すべきでないに拘らず、文法を無視して方言的の俗語體を爲して居ること。例へば「甲と乙と」とあるべき所を後の「と」を略して單に甲と乙と曰ひ例、三條、「何々をも」とあるべき所を「を」を省いて單に何々も例、一四條三項と曰ひ、「定むる」とあるべきを定める例、二條と曰ひ、又「せられない」とあるべきをされない例、一四條一項と曰つて居るが如きはそれである。

是を舊憲法の簡潔明晰な極めて洗練せられた文字を以て綴られて居たのに比し、其の文體に於いて著しく見劣りのせらるることは恐くは何人も否認し得ない所であらう。

唯幸にして新憲法草案の決定せられたのは、政府の新假名づかひ案の發表よりも以前であつた爲に、新憲法もかなづかひだけは歴史的に傳はつて居る正しい文字を用ゐてゐるのは、せめてもの喜びと爲すべきである。

美濃部は、個々の條文に規定されてゐる内容のみならず、條文そのものを記述した日本語の文體について述べ、そこに重大な問題が「ある」事を指摘してゐる。

美濃部は、現行憲法においては、文章が惡い事、威嚴がない事もさうだが、何より正確を缺いてゐる事を問題視してゐる。條文が惡文である事、憲法自體が權威的である事に就いては、主觀的であるとして問題視しない立場もあり得る。しかし、條文において、正確さ・明瞭さが缺如してゐる事は、第九條をはじめとして、多くの「解釋」の問題を生じ、憲法論議に惡い影響を殘してゐる事から、十分な檢討が必要であると思はれる。

解釋のゆれ

例へば、第九條の規定について、政府は解釋を正反對のものに切替へてゐる。

當初、政府・與黨(吉田内閣)は、この條文を「一切の軍備の保有を否定するもの」と解釋してゐた。だから戰後直後の共産黨は、自衞權を持たないのは問題であるとして、この憲法の規定に大反對したのであつた。ところが朝鮮戰爭の勃發で憲法の「平和主義」の底の淺さが露呈してしまふ。吉田茂等は警察豫備隊を「戰力に至らない程度の實力」であると規定して憲法解釋の變更を囘避した。

ところが、鳩山内閣では憲法第九條の解釋を「自衞權を認めたもの」と變更して自衛隊を「違憲ではない」と云ふ事にしてしまつた。

憲法策定作業中、芦田均が委員長を務めた「帝国憲法改正案委員小委員会」において、第九条の第一項冒頭に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」、第二項の冒頭には「前項の目的を達するため」なる文言を插入してをり(「芦田修正」)、この文言を根據に、芦田に最初から自衞權を認める意圖があつた事を主張する意見もある。一方、この修正が「軍備抛棄の規定の仕方が消極的だ」と云つた意見が出た爲に提出されたものである事實もある。さうなるとこの「修正」の意圖は、簡單に割切る事など到底出來ないものだと言へる。

「芦田修整」に關しては、芦田自身が軍備について考へがゆれてゐた證據だとの指摘もある。

何れにしても、この第九條の規定は最初から相當に曖昧なものであつた訣だ。解釋がゆれる以前に、條文の策定者自身の思想が混亂してゐたのである。これで「正しい解釋」が出來る訣は無い。そして、その「曖昧な條文」が、憲法に基いて意見を述べようとする人々によつて、自分の立場に都合良く解釋され、利用されて來た。法律は、慥かに一面で「自己の意見を補強する爲のもの」であるが、それにしてもこの憲法第九條の規定は餘りにも樣々な立場の人々によつて恣意的に利用されて來た。正反對の意見の人が、正反對の解釋をする事で、憲法第九條は實に便利に使はれて來たのである。

かうした「解釋のゆれ」の存在は、日本國憲法の條文の「穴」と見る事が可能なものである。しかし、解釋が人々の主觀によつて行はれるがゆゑに、對立する人々は互ひに他の立場の人の主観を攻撃するばかりで、條文自體の問題に氣附かないで來た――或は、氣附いても、條文自體の議論よりも、相手を攻撃する事の方に關心が集中したのであつた。條文を檢討するよりも敵を非難した方が「面白い」と云ふ訣だ。

何れにせよ、現在まで、この「解釋のゆれ」の危險性は、一般に注意されてゐないで來たと言つて良い。否、一部には、かうした「解釋改憲」を「大變有益で現實的な對應である」として絶讃する向きもあつたのである。解釋を「巧くする」事は、危險であるどころか、日本では「大人のする事」と看做され、評價されてゐたのである。憲法の解釋だけが大事である。巧い解釋をして見せるには、憲法は曖昧であればあるほど都合が良い。そんな訣で憲法の條文には「手をつけるべきでない」とすらされて來たのだが、解釋によつて意味が初めて生れ、條文そのものには意味が認められない――これでは憲法それ自體の存在意義がない。「巧い事を言つた方が勝ち」では、おちおち憲法になんか頼つてはゐられない。

ところが、これは、裏を返せば、巧い事を言つて憲法を空文化する事が可能である事を意味する。危險思想の持ち主が、憲法の規定の曖昧さの「穴」を衝いて憲法を空文化し、自分に都合良く世の中を動かしてしまふ事が、現状の憲法ではあり得るのである。

憲法第九條に限らず、人權に關する條項を含む、多くの規定が、斯うした問題を抱へてゐる。だが、それだけに話は厄介で、人權に關する條項を逆に解釋して見せようものなら、その瞬間に、論者は人權侵害を意圖してゐると極附けられ、議論から排除されるのである。我々日本人は、何んなに良い意圖で議論を行はうとしても、難癖をつけて議論から排除しようとする或種の獨特の人々の存在によつて、民主政治の實現を阻まれてゐる。

ナンセンスな規定

また、憲法第66條第2項には以下のやうな文言がある。

内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなければならない。

この文言について、かつて@niftyの「占ひフォーラム」で公開されてゐた今日は何の日 1999年8月30日(月) マッカーサー日本着(1945) なる文章で、軍隊のない国で、軍人は大臣にはするなという条文はまさにナンセンス、と指摘されてゐた。

政府から提出された憲法改正草案は、貴族院・衆議院の兩院で修正が加へられた。第66條第2項の追加は、貴族院に於て議決され、次いで衆議院に於て贊成を得たものである。

一往の議論を經てゐる現行憲法であるが、各所に意味のない規定が存在してゐる。G.H.Qからの指示で急遽插入したとされる記述を含めて、他の部分と齟齬を來してゐる條文があるのだが、さうした條文の存在は問題と言つて良いだらう。不必要な條文、無意味な條文の存在は、現行憲法の一貫性の缺如を露呈したものと言へる。つぎはぎだらけの憲法は、權威を持ち得ないのみならず、批判に對して論理的で説得的な反論が不可能である。「良い規定」を含んでゐるとしても、同時に「ナンセンスな規定」も含んでゐるやうでは、その憲法は全體として擁護し辛くなる事もあり得る。

「良い規定」を守る爲には、無駄な規定・問題のある規定をばつさり切捨て、攻撃される原因を排除する事が必要である。

ところが、論者の意圖を認めず、既成事實としての憲法を維持する事でのみ既存の社會體制を維持出來ると信じ込み、少しでも既存の體制に疑問を呈する事は許されない・そもそも現状に疑ひを抱くのは傲慢であると極附ける人種が、日本には存在する。タブーを作つてはそれに觸れる人間を排除し、それによつて既存の體制を維持する――それを「とても良い事だ!」と心から信じてゐる飛んでもない「封建主義者」が存在するのだが、しかし、さう云ふ人々の跳梁跋扈を許してゐるのだから、矢張り現行の憲法は存在する意味が無いのではないか。

條文の解釋がゆれる事に就いても、どうもそもそも日本人自身が、民主主義とか自由とか、或は政治・法律の概念からして全く理解してをらず、それらの概念について銘銘勝手な解釋をしてゐる事に原因があるのでないか。となると、概念・觀念の用ゐ方――正確な用語、正確な用字の重要さから、日本人は認識を改める必要があるのではないか。正確な思考の技術から、日本人は學び直す必要があるのでないか。

「現行憲法には勞働の義務の規定がある、だから無職には憲法論議に參加する資格など無いのだ、或は、現行憲法を否定するのは無職だからだ」――この種の主張を平氣でする日本人が存在するのだが、この種の「憲法解釋」を「正當のもの」と信じ切り、その何うしやうもない勝手な思ひ込みに基いて氣に入らない人間を誹謗中傷し、論者を默らせる爲に風聞を流布して、言論封殺に邁進する輩が存在するのだから、日本人は非論理的で、何うしやうもなく幼稚である。斯うした「解釋」を「面白い」と言つて喜んで受容れる「頭の良い人」もまた「ゐる」のである。

勿論、茲まで馬鹿な「解釋」をする人間は少數かも知れない。しかし、「教へられた日本国憲法の意義」を頭から「正しい」と極附けて、それで現行憲法を「全て正しいものである」と信じ切つて受容れてしまつてゐる人は大變多いと思ふ。條文に就いて客觀的に檢討を加へ、具體的に問題を見出してゐる人は、恐らく殆どゐない事だらう。だが、それで良いのか。「良いのだ、なぜなら、それで戰爭は起きないからだ」と護憲派の人々は言ふ。しかし、さう云ふ愚民政策による「平和」は、果して人間の社會に於て、求めるべき理想的状態なのだらうか。

日本人は、敗戰によつてアメリカ人の手で民主化されて半世紀經ちながら、今に至るまで、法治主義も何も理解出來ないでゐる。日本人は無知であり、日本人の無知は何うせ駄目なのだが、駄目である現状が「ある」からと言つて、それを改善すべき事を主張するのには何の問題があるだらう。當方が、現行憲法無效論と云ふ「現實離れ」した主張をし續けるのは、理念として「正しい」と信ずるからだが、それを「非現實的」と云ふ全く次元の異る立場から否定・默殺し去るのは、感情論であり、寧ろ無知の積極的容認と言つて良いだらう。少くとも、理性的に憲法を見直す事は必要である。

國字改革の影響について(餘談)

現行憲法における文體を、從來の法令と異り、かなの部分にひらがなを用ゐる口語としたのには、國字改革論者の主張が背景にある。前文を含め憲法全體の口語文の作成に山本有三が關與してゐるとされる。

歴史的假名遣に據つてゐる事について美濃部氏はせめてもの喜びと述べてゐる。しかし、當時策定作業中であつた「当用漢字」に配慮して戰爭「抛棄」を「放棄」に改めるなど、國字改革の影響は既に憲法にも及んでゐた。

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