公開
2004-06-30
最終改訂
2007-04-20

長谷川正安『日本の憲法』(岩波新書276)

「戦争放棄」

「日本国憲法」の「戦争放棄」の規定は劃期的なものと言はれてきた。しかし現在、憲法第九條は、「侵掠戰爭」を禁止した規定であり、「自衞の爲の戰爭」を否定したものではない、と解釋されるやうになつて來てゐる。ところが、さうであるならば、「日本国憲法」の「戦争放棄」の規定は、劃期的でも何でもないものだ。


長谷川正安氏が『日本の憲法』(岩波新書276)で、憲法の歴史について説明してゐる。それによると、十八〜十九世紀は「資本主義憲法」の時代、十九世紀後半から二十世紀前半は「社會主義憲法」の時代、そして、第二次大戰後は「戰後憲法」の時代である。その「戰後憲法」には、社會主義の憲法と資本主義の憲法とがある。(ここでは社會主義憲法についての説明は略す)。

資本主義の憲法の例として、長谷川氏はフランス第四共和国憲法を採上げてゐる。これには四つの特色がある、と長谷川氏は指摘する。

このフランス第四共和国憲法の第一の特色としては、国際平和主義の原則をあげることができる。「フランス共和国は、その伝統に忠実であり、国際法の諸規定にしたがう。征服のためにはいかなる戦争もしないし、他民族の自由にたいして、武力を行使しない」(前文)というのは大革命以来の伝統といえたが、同じく前文は一歩をすすめて、「フランスは、相互主義の留保のもとに、平和の組織および防衛に必要な主権の制限に同意する」と規定した。イタリーの新憲法(1947)にも同旨の規定がみえる(第十一条)し、この主権の制限は、西独基本法(第二十四条)では、もっと拡大されている。

なほ、二つ目は「議会主義の思いきった修正」、三つ目は「基本的人権について」「われわれの時代に特に必要なもの」として「政治・経済・社会的基本権」が前文に記載されるやうになつた事、四つ目は「憲法保障制度」、である。

「集團的自衞權」が最近になつて取沙汰されるやうになり、併せて「日本国憲法」の第九條の解釋も「集團的自衞權を容認するものである」とされるやうになつて來た。ところが、そのやうな規定を持つ憲法ならば、「日本国憲法」以外にも、ほぼ同時期にフランスに存在したのである。


長谷川氏はマルキストであり、「資本主義憲法」について、戰後の新しいものであつても、必ずしも全面的に認めてゐる訣ではない。既に本書も「過去の本」と化し、岩波新書青版とともに死に體となつてゐる。

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