初出
「闇黒日記」平成十八年十二月二十二日
公開
2007-02-25
改訂
2008-05-20

「法律」「憲法」について

「憲法は統治者が被統治者に一方的に押附けるものである」といつた考へ方があります。憲法制定權力が憲法に效力を賦與してゐる、と云ふ考へ方です。結構今の「法律の專門家」の人も、この種の學説に依つてゐる人が多いやうです。

さうした考へ方は「法の支配」を破壞するから危險であるとして、英米の保守思想家は一般に「認めない」立場を取るやうです。

法律の出現

ただローマの市民は、自分たちもその作成に関与していた法律を遵守しなければならなかった。ローマの市民であることは――ローマの真に偉大な時代においては――誇り高き自由な人間、どんな主人の支配をも受けない人間、自由の法律を臆せず擁護する人間たることを意味した。

ここで、「法律」なる語に譯註が附されてゐて、以下のやうに書かれてゐます。

共和政の初め、法律はなお慣習法であって、貴族が勝手に解釈していたので平民は不満であった。そこで、前四九四年、平民は、ローマ市北方の「聖山(モンス・サケル)」にたてこもり、ローマからの分離を企てた。こうして貴族との妥協により、護民官が設置されることとなった。後、この平民の権利を保護する護民官テレンティリウス・ハルサの提案により、法を成文化することとなり、前四五一年、初めて成文法としての十二表法ができた。平民は、この成文法を根拠に貴族の不当な権利の侵害を防ぐことができた。なお、前二八七年のホルテンシウス法で、平民会の議決が元老院の承認を経ず、直ちに無条件に国法となった。

元々反故にされる事の多い「口頭の命令」で、統治者は被統治者に自己の意思を押附けてゐました。けれども、ローマ時代、統治される側の人間も次第に力をつけるやうになりました。さうなると、彼等は自らの權利を守る爲に、約束を反故にされない證據として、「法律」と云ふ具體的な形で統治者の意思が示される事を望むやうになつたのです。

統治する側の人間は、統治される側の人間と契約を結んで、互ひに協力して共同體を運營して行く――さう云ふ發想で「法律」は出現しました。もつとも、約束は常に力の強い側に有利に定められるものです。力のある統治者は、自分に有利なやうに法律を作る事になりました。それで、歴史的に、法律は「統治者の側から被統治者に押附ける命令」と看做されるやうになつたと言へます。

憲法の登場

憲法は、「法律の法律」と呼ばれ、「最高法規」として知られてゐます。けれども、これでは何が何やらさつぱり解りません。本質的には何の説明にもなつてゐないからです。

では、憲法とは何なのでせうか。

大日本帝國憲法の制定に關係のある人物ですが、ローレンツ・フォン・シュタインと云ふ人がゐます。この人、行政學の分野で再評價されてゐるのですが、行政と區別して憲政と云ふ事を言つてゐます。

その著『行政学』などで展開された彼の論理には特異なものがある。彼はヘーゲル流に国家をその国民と融合しあった有機体ととらえ、ヘーゲル左派とおなじようにヘーゲルの国家論を批判してみせた。労働にもとづく財とその分配をめぐって自由競争-適者生存がおこなわれる欲求の体系としての市民社会が、「他の諸個人の下へ諸個人を従属させること」いわば「他人の従属による個人の完成」であるのにたいして、国家は、「もっとも完全な自由、もっとも完全な人格的発展へと個人を完成させること」にある、とシュタインは考えた。この国家は、まさにヘーゲルのいう理念としての国家とおなじものである。この人格性へ高められた理念的困家は、人格としての自我を表象する機関を元首に、全体意思を立法権に、全体的行為を執行権にそれぞれ帰せしめる有機的国家でなければならない。つまり、理念的国家は、その理念を体現する現実の国家へと具体化されなければならないのである。この現実の国家というのは国家の政治制度や行政機構をただちに想起させるであろうが、この理念としての国家と現実の国家との区別は、初期のマルクスやアーノルト・ルーゲの国家論にも類似しているといえる。シュタインは、国家が最高の人格として最高度に発展していく宿命を担い、かつその能力をそなえているとするならば、万人、つまり国民すべての発展のためにも国家が最高の力を発揮して、それを遂行しなければならないと主張した。この国家の諸機関によっておこなわれる国家活動(「国家の労働」)すなわち、国家から市民社会への働きかけを彼は「行政(Verwaltung)」の原理ととらえ、逆に国家意思の形成と決定とに個々人が有機的に参与する機構、すなわち市民社会から国家への働きかけを「憲政(Verfassung)」と呼んだ。国家から国民への働きかけとしての「行政」と国民から国家への働きかけとしての「憲政」という二重構造によって、国家と市民社会の上からと下からの有機的な連関が説かれていった。

シュタインの「ヘーゲル批判」に見られる發想は、河合榮治郎の所謂「理想主義」の發想と平行するもので興味深いものですがそれは兔も角、シュタインは、「國家から國民への働きかけ」としての「行政」に對して「國民から國家への働きかけ」としての「憲政」を主張してゐます。この「行政」において用ゐられるのが法律である訣ですが、それに對して「憲政」で用ゐられるのが憲法であると言ふ事が出來ます。

法律は慥かに「統治者による被統治者への命令」と云つた側面を持ちます。けれども、統治者と被統治者との關係を、一方的なものではなく、雙方向的なものと看做す事が可能である訣です。法律に對して、憲法は「被統治者の側から統治者の行爲を抑制するもの」と言へます。

憲法もまた法律の一種として取扱はれるのには、統治者と被統治者との約束としての「廣い意味での法律」に含められると云ふ發想があるからですが、狹義には法律と憲法は對立的なものです。

現行憲法でも、規定として「憲法を遵守する義務を負ふのは國家公務員等である」と定められてゐます。「國家の行政行爲について國民から課された規制が憲法である」と云ふ事の證據です。

大日本帝國憲法では、恩賜的な側面が強調されてゐます。實際、統治者がその權能に基いて制定した憲法である訣で、出自としては「欽定憲法」と云ふ事になります。

けれども、統治者である天皇は――明治天皇以來、憲法を「國民に對する約束」と認識し、「法の支配」「法治主義」を理解し、尊重して來ました。帝國議會にしても大臣にしても、「天皇の政治を輔弼する」立場であると定められながらも、實際には完全に政治の當事者でした。

「立憲君主制の下での君主」と云ふ立場を守つて、大東亞戰爭の開戰を決めた當時の政府に昭和天皇が容喙しなかつたのは有名な話です。終戰の際には、政府が自らの立場を放棄し、天皇の介入を仰いだ訣ですが、これは何うしやうもない非常事態であつた訣です。

統治者と被統治者との約束と云ふ事

さて、以上に記した事は、現在の日本で意外にも常識となつてゐません。「法の支配」は、スローガンとして盛に叫ばれてゐますが、憲法も法律も「統治者の都合で定められるもの」と單純に思ひ込んでゐる人が多いやうです。「統治者に對して被統治者の立場から制約を加へるものが憲法である」と云ふ説明は、多くの概説書に見られますが、案外普及してゐません。

「憲法に權威があるのは嫌だ」と云ふ發想すら存在するやうです。「法の支配」を危險視する發想です。そんな意見が、自由を熱烈に求める人からすらも出て來るのが日本國です。今、日本国憲法が權威を持たず、都合良く解釋され、利用されてゐる――これは大變に危險な事です。

そもそも、「約束」と云ふ事を、日本人は全く理解してゐないのです。契約社會である歐米で、約束が大變重要である事は何度指摘しても良い事ですが、それが日本人には解らない。一度約束した事は守られねばならない――それが法治主義の根本にあるのですが、日本人は全く理解出來ない。約束によつて守られる權利と言つたものも日本人は全く理解出來ない。

現行憲法の前文の規定、ここに「人權の規定がある」と云ふ事を、大變素晴らしい事・重要な事と考へ、「憲法は守らねばならない!」と主張する人がゐます。その同じ人が、憲法の初つ端に規定されてゐる天皇を輕んじ――のみならず、自由を抑壓する大變に惡い存在であると極附け、「天皇主義者」を差別し、排除しようとする。しかも、その同じ人が、前文に規定されてゐる「絶對平和主義」を完全に無視して「自衞隊を違憲と言ふのは中二病」みたいな事を堂々と曰ふのですから開いた口が塞がりません。前文の規定は、守られるべきなのか、守られざるべきなのか。彼は「約束」と云ふものを全く理解してをらず、その價値を全く認めてゐない。だから支離滅裂な事を言つても、自分に都合が良ければそれで良い、と、本氣で信じてゐられるのです。

が、かう云ふ考への人は、日本には途轍もなく大量に存在するのであり、しかも、自分がをかしな考へを持つてゐる、と云ふ事に自覺を持ちません。寧ろ、自分を「をかしい」と批判する人こそ却つてをかしいのだと考へるのです――が、どうなのですか、

最後には「現實に誰も困つてゐないぢやないか」と、殆どの人が言ふのです。しかしさう云ふ「現實主義」はちよつと何うでせう。現實に困る時が來たらどうするのか――いざと言ふ時の事を、日本の「現實主義者」は誰一人考へてゐません。

「今困つてゐないから、約束なんてもので自分の權利を守らうとしなくても良い」――日本人は、ほぼ全ての人が、さう考へてゐます。權利を獲得する爲に、日本人は努力して來ませんでした。今持つてゐる權利は、全てアメリカ人によつて與へられたものです。だから日本人は、自分の權利を守らうと考へませんし、共同體による侵害から個人の權利を守る爲の憲法なんて發想を持つ事も出來ません。

けれども、ならばなぜ我々日本人は憲法を「持たねばならない」のですか。さう問ふと、「憲法を持たなければ權利が侵害される」と、常識的な答が返つて來るのです。好い氣なものだと思ふのですが、さう言ふと「何を傲慢な」と非難される。處置なしです。


約束と云ふ事を重視するのならば、一度約束した事は反故にしない、と云ふのが、餘りにも當り前の態度になります。若しも問題があつて約束を取消し、改めて約束をし直したい、と言ふのであれば、それなりの手續きが必要になります。それが法治主義と云ふものですが、日本人にはそれが解らない。

或人は、「憲法は權力者が一方的に國民に押附けるものである」と、さう言つて[だから大日本帝國憲法も日本国憲法も同じであり、一方的に押附けられるものである、よつて、一方的に破毀して勝手に改める事も許される]と、さう主張しました。現行憲法肯定論ですが、「法の支配」を否定する、とんでもない話です。しかもその人、自分は法律の專門家である、お前は素人だ、何も解つてゐない、解つてゐないのならば默りなさい、と、驚くほど高壓的な言ひ方で、筆者を默らせようとしました。なるほどこちらは素人で、言爭ひの最中に失言して、見事に「默らされました」。しかし、あゝ云ふ威壓的なやり方は、感心しません。あゝ云ふ性格の人が權力者になつたら都合の良い説でせうが、一般の國民は困ると思ひます。

「憲法制定權力が一方的に憲法制定權を持ち、自由に憲法を改廢できる」――これは「約束を反古にするのは當り前である」と言つてゐるも同然ですから、危險な事この上ない説です。「法の支配」を否定し、權力者の支配を肯定するものですから。

約束は濫りに破毀されてはならない事

私は以前、斯う主張しました。

大日本帝國憲法は、發布以來、必ずしも完全には機能しなかったけれども、それに基いて國會が開かれ、有效であつた事は歴史的事實として認められねばならない。

さうした有效な憲法がある状況下で、「日本国憲法」が定められて施行された訣だが、有效な大日本帝國憲法から「日本国憲法」への移行が妥當なものでないならば、「日本国憲法」は有效でないと言はねばならない。

餘りにも當り前の話で、「現行憲法無效論」が「有效」である所以だが、ところが何故か頭から「今の憲法が有効でない訣がない」と極附けて、その結論を絶對の眞實とする爲に「現行憲法無效論」を何とかして「ないもの」にしてしまはうとする人々がゐる。「ゐる」と言ふより、とんでもなく澤山ゐる。これ程まで思想が統一されてゐるのはをかしいと俺は思ふのだが、「普通」は思はないらしい。

大日本帝國憲法と日本国憲法を單純に等しく「統治者が國民に押附けるもの」でしかないと看做す某氏の發想は、大日本帝國憲法を否定し、日本国憲法を肯定する目的があつたのですが、しかし、さう云ふ發想では日本国憲法もまた否定される結果になつてしまふのではないですか。

――それが何うしても解らないらしいのですが、何で解らないのでせう。憲法全般を否定しても、なぜか日本国憲法だけは大丈夫、と、そんな風に自然に考へてしまふ人が、日本には飛んでもなく大量に「ゐる」のです――「自分の事は棚に上げ」と云ふ奴ですが、何でそんな事で安心してしまへるのでせうか。

「筆者のやうな立場を否定する」爲には、自分の事は棚に上げてしまつて良い、寧ろ、自分の事は棚に上げて、ひたすら叩けば良い――さう考へる人が今のインターネットには大變に多くなつてゐます。叩いて叩いて叩き潰せ。潰されるやうな事を言ふ奴が惡い――筆者はさう考へる連中の爲、多大な被害を蒙り、迷惑してゐるのですが、連中、自分のやつてゐる事は素晴らしい事で、筆者(私)の發言を妨碍し、封殺する事で、現在の體制は完全に守られる! と心から信じてゐます。自分逹の行爲は正義の天誅である、さう信じて、各地の掲示板や「ブログ」で筆者を叩いて、快を貪つてゐます。本當に何うかしてゐると思ひます。

私なんかの發言を封じ込めるのは簡單です。けれども、さうやつて私の言葉を封じ込めても、言葉の力を否定してしまつてゐるのにほかならないのです。私なんかよりもつと巨大な力――それに對して立向かふのに、彼等は何うしようと言ふのでせう。國家と云ふ巨大な權力に、國民が課した制約――それが憲法であり、憲法は言葉で書かれてゐるのですが、言葉の力を奪つておいて、それで憲法に何の力が殘ると言ふのでせうか。暴力革命とか、そんな事を考へてゐるのでせうが、暴力革命で成立した政府が常に暴力的に個人の權利を剥奪し、言論の自由を屡々制約して來た歴史的事實は、渠等には全く意識されてゐないやうです。


「約束事」の概念について理解する爲に、參考になる文献として、ゴールディング『蝿の王』を松原正氏が擧げてゐます。

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