「日本國憲法」には平和主義(戰爭抛棄)、國民主権(主權在民)、基本的人權の尊重の「三大原則」がある、と云ふのが、義務教育等でも教へられる「定説」だ。ところが、實際に憲法の條文を見ても、その種の原則がきちんと整理されて提示されてゐる訣ではない。
それではこの「三大原則」、何に由來するのかと云ふと、金森徳次郎氏が本書に寄せた解説「新憲法の精神」で述べてゐる事なのである。金森氏は着想の根本は三つ
と題して述べてゐる。
憲法の着想の根本は三つであつて、一は平和の提唱といふことであり、一は民主政治の徹底といふことであり、他の一は國民の人間性の尊重といふことである。この三つの考へ方が前文と本文とに種々な角度からもりこまれてあるのであつて、一言にしてこれを明かにすることは容易ではないけれども、だいたい六つか七つの項目にわけてこれを示したいとおもふ。
以下、金森氏は十一項目に分けて、「新憲法」の内容とその意義を説明してゐるが、これが現在までの「日本國憲法」の解釋の基礎となつてゐると見られる。
金森氏の解釋は、「三大原則」を中心に汎く受容れられ、現在まで通用してゐるが、一方で、それらが時代と共に、自然に忘れ去られ、或は故意に忘れ去られてしまつてゐる部分が少くない。戰後直後の當時と、戰後半世紀以上を經た現在とで、條文は全く變らないでゐるのだが、憲法解釋は或面で大幅に異つてゐる。
極端に變化してゐるのは平和主義の規定だ。金森氏は以下のやうに述べてゐる。
戰爭放棄については若干の憲法に例があるけれども、武力の放棄と交戰權の放棄は、この憲法が歴史あつて以來はじめての規定であり、世界に誇るべきものといひうる。
世界に誇るべきかどうかは大變疑問だがそれは兔も角、この時點で憲法制定の主導者は、憲法が「武力を持たない事」と「交戰權を持たない事」を規定してゐるとはつきり述べてゐる。
自衛隊については(伊藤真氏が大變に危險な拔け道の作り方であると指摘してゐるが)「憲法で保有を禁じられた武力ではなく、憲法に何の禁止の規定もない自衞力と云ふものである」と定義する事で、既存の解釋は維持されてゐる。しかし、交戰權の放棄については、現在、「攻撃を受けた際の自衞の爲の交戰權は、さすがに憲法もこれを認めてゐる」と解釋されるやうになつてゐる。