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野嵜健秀(Takehide Nozaki)
野嵜健秀 (nozakitakehide) on Twitter:野嵜健秀(@nozakitakehide) - Twilog
テーマ・主に扱ふ事柄・ネタ
日本人論、政治主義批判、國語國字改革批判、虹裏(img)、深夜アニメ、古本、謎キャラクターによるコント、蟲、クリーチャーのイラストとまんが、論理。粘着アンチ問題。その他。

闇黒日記

同人誌・正かなづかひの本シリーズ
「猫本」(「猫と正かなづかひの同人誌」)
「蟹本」(蟹と正かなづかひの同人誌)
「イカ本」(イカと正かなづかひの同人誌)
「国語問題 ――歴史的かなづかひについて――」
ミーシャとおもちくん(「おもちくんとすまいるくん」同人誌)

平成二十四年九月三十日
ネコの時代
平成二十四年九月三十日
昭和必殺技名鑑 目次

平成二十四年九月二十九日
出張の友

平成二十四年九月二十七日
Windows8でのグーグル日本語入力の利用 - りりかるどるふぃんの魔法記

平成二十四年九月二十六日
【初音ミク】 Q&A 【オリジナル曲】 ‐ ニコニコ動画(原宿)
もう一人の野嵜さん。

平成二十四年九月二十五日
https://twitter.com/Nandu_bot/status/250600672741969922

.。oO(「ばいどぅー」と@すると「ばいどぅー」と返す機能がついたようです)


平成二十四年九月二十日
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平成二十四年九月二十日
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平成二十四年九月十八日
まつおか書房3号店の閉店と専門書籍の販売について:八王子の古本屋 まつおか書房
八王子の古書店・まつおか書房が店舗再編へ−専門書を八王子駅周辺に移転 - 八王子経済新聞
平成二十四年九月十八日
株式会社セキド
家電の店舗販賣事業から撤退。

平成二十四年九月十五日
「正かなづかひ 理論と實踐」 読者と著者の立場から

平成二十四年九月十三日
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(角川文庫)pp.69-71

さて、ここまでくれば、われわれはもっと歩調を速めることができよう。なぜならば、わたしの考えでは、今日支配的な人間のタイプを究明する鍵というか、心理学的方程式をわれわれはすでに手に入れたと思うからである。これから論ずることはすべて、次のように要約しうる基本理論の結果もしくは当然の帰結にすぎないのである。すなわち、十九世紀によって組織づけられた世界は、自動的に新しい人間を産み出したが、その際、その新しい人間に、恐るべき欲求とそれら欲求を満足させるためのあらゆる面に関する強力な手段とを与えた。つまり、経済的手段、肉体的手段(衛生状態と平均的健康状態はそれまでのすべての時代に優っている)、市民的手段および技術的手段(技術的手段という言葉を、わたしは、過去の平均人にはなく、今日の平均人にはある、あの実用的な效力をもった膨大な部分的具体的知識という意味で用いている)がそれである。十九世紀は、平均人に右のようなすべての力を与えたあとで、彼を野放しにしてしまったのだ。ところで、平均人は彼の本質的な傾向に従って自分の中に閉じこもってしまった。かくしてわれわれは、かつてのいかなる時代の大衆よりも強力な大衆、しかし、従来の大衆とは異なり、自己の中に完全に閉じこもってしまい、自分は自足しうると信じこみ、何物にも、また誰にも関心を払いえない――要するに、手におえない――大衆人に出会うこととなったのである。このような事態が今後も続くとすれば、全ヨーロッパにおいて――そしてその影響によって全世界において――大衆はいかなる面においても指導されることのできないものであるということが、日増しに明らかになっていくであろう。ヨーロッパ大陸に訪れつつある困難な時局に直面し、大衆が急に不安にかられ、ほんの瞬時のこととしてもとにかく心を入れかえ、特に困難ないくつかの問題に限って、優れた少数者の指導を受け入れることも考えられないことではない。

しかし、こうした改心すらも永続きはしないであろう。なぜならば、大衆の魂の基本構造は自己閉塞性と不従順さからなっているからである。大衆には、生まれながらにして、それが事象であろうと人間であろうと、とにかく彼等の彼方にあるものに注目するという機能が欠けているのである。彼らが誰かの後に続こうとしても、それは不可能であろう。彼らが誰かに耳を傾けようとしても、結果は自分の耳が聾であることを発見するに終わるに違いない。

さらに、今日の平均人の生の水準が他の時代と比べていかに上昇したからといっても、彼が自力で文明の推移を指導してゆくであろうと考えるのは、まさに夢物語である。わたしは推移といっているのであり、進歩とはいっていない。今日の文明を単に維持するためだけの処置にしてさえ、極端に複雑であり、はかりしれない鋭敏さを必要とするのである。文明の多くの利器を使うことは学んだが、文明の起源そのものをまったく知らないこの平均人が、その指導を誤りうるのはしごく当然であろう。

平成二十四年九月十三日
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(角川文庫)pp.71-72

われわれは、きわめて矛盾した、しかし、実際はきわめて自然なこと、つまり、凡庸な人間の前に世界と生があまりにも開放されたために、かえって彼の魂は彼の中に封じ込められてしまったという事態が生じたところまで見た。さてそこで、わたしはこの平均人の魂の閉塞という事実に大衆の反逆という事実が根差してゐるのであり、また同時に、大衆の反逆という事実に、今日の人類に提起された巨大な問題の根本があるのだと主張したい。

わたしは、この本を読まれる読者の多くが、私のようには考えないことを承知している。それは当然のことであるばかりでなく、かえって逆に私の主張を裏付けてくれるのである。というのは、たとえ私の意見が結果的には誤りであったとしても、私と意見を異にする読者の多くが、かくも錯綜せる問題をものの五分も考えてみたことがないという事実だけは否定しえないであろうからである。だとすれば、そうした人々がわたしと同じように考えないのは当然ではなかろうか。そうした人々は、一つの意見をしっかりと造り上げるだけの努力をせずに、この問題に関する意見を持つ権利を有していると信じ込むことによって、わたしが「反逆する大衆」と呼んだあの人間としてのばかげたあり方に自分が属しているという典型的な例を示しているのである。これこそ、まさに、閉塞的、封鎖的な魂を持っていることに他ならないのである。この場合には知的閉塞性ということができよう。こうした人間は、まず自分の中にいくばくかの思想を見出す。そして、それらの思想に満足し、自分を知的に完全なものとをみなすことに決めてしまう。彼は、自分の外にあるものになんらの必要性も感じないのであるから、自分の思想の限られたレパートリーの中に決定的に住みついてしまうことになる。これが自己の閉塞のメカニズムである。

大衆人は、自分は完璧な人間だと思っている。優れた人が、自分を完全者とみなすためには、特別の虚栄心を持つ必要がある。その場合、自己の完全さに対する信念は、彼自身と同質なものではない。つまり、根本的に彼の中に根差した信念なのではなく、虚栄のもたらした産物であり、彼自身にとってさえ、仮定的で、空想的で、疑わしい性質を持ったものなのである。だからこそ、虚栄心の強い人は、他人を必要とし、他人の中に、自分自身が自分について抱きたいと思う意見の確認を求めるのである。このようにして、高貴な人間は、かかる病的な場合においてさえも、また虚栄心のために「目がみえなく」なっている場合でさえも、心底から自分を完全者と感ずることはできないのである。ところが、今日の凡庸な人間、この新しきアダムには、自分の完全性に対する疑問すら湧かないのである。彼の自信はアダムの場合のように楽園的である。彼の魂の生来の自己閉塞性が、自己の不完全さを発見するための前提条件であるはずの自分を他人と比較することを妨げているのである。自分を他人と比較するということは、しばらくの間自分から抜け出て隣人のところへ自分を移すことに他ならないであろう。しかし、凡庸な魂はこの移転――崇高なスポーツ――をなしえないのである。

平成二十四年九月十三日
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(角川文庫)pp.74-76

しかしわたしは大衆人がばかだといっているのではない。それどころか、今日の大衆人は、過去のいかなる時代の大衆人よりも利口であり、多くの知的能力を持っている。しかし、その能力もなんら彼の役には立っていない。いや、そうした能力を持っているという漠然とした意識は、彼がますます自分の中に閉じこもり、その能力を使用しないようにするためだけに役立っているのである。大衆人は、偶然が彼の中に堆積したきまり文句や偏見や思想の切れ端もしくはまったく内容のない言葉などの在庫品をそっくりそのまま永遠に神聖化してしまい、単純素朴だからとでも考えないかぎり理解しえない大胆さで、あらゆるところで人にそれらを押しつけることであろう。これが、わたしが第一章において、われわれの時代の特徴として指摘したことなのである。つまり、凡庸人が自分は優秀であり凡庸ではないと信じているというのではなく、凡庸人が凡庸人たることの権利、もしくは、権利としての凡庸さを宣言し、強行しているのである。

今日の状況の中で、社会的な生(パブリック・ライフ)における知的凡庸さの支配ほど、過去のいかなる事件とも同一視することのできない新事態はないのではなかろうか。少なくともヨーロッパの歴史においては、庶民が自分が物事に関する「思想」を持っていると信じ込んだことは一度もなかったのである。彼らは、信条、しきたり、経験、格言、習慣的なものの考え方などはもっていたが、物事の現在の姿、あるいはかくあるべきという姿に対する――たとえば政治や文学に対する――理論的見解を自分が持っていると想像したことはなかったのである。彼らにも、政治家が計画することや実行することが善いか悪いかを判断し、賛成したり反対したりすることはできたが、彼らのそうした行動は、他の人々の創造的な行為を、肯定的あるいは否定的に反射するということに限られていたのである。彼らは、政治家の「思想」に対して自分の思想を対立させるということはけっしてなかったし、政治家の「思想」を自分が持っていると信じている別の「思想」をもって裁こうなどと願ったこともなかったのである。芸術に関しても、また社会的な生の他の局面に関しても、彼らの態度は同じであった。自己の限界、つまり、自分には論理的に思考する資質がないという生得的な自覚が、彼らが前記のような態度に出るのをはばんでいたのである。その当然の結果として、大部分が理論的性格のものである社会的活動のいかなる分野においても、自分が決定を下すなどおよそ考えてもみなかったのである。

ところが今日では、平均人は宇宙に生起するすべてのこと、そして、起こるべきすべてのことに関して、最も限定的な「思想」を持っている。それだからこそ、彼らは聴くべき耳を失ってしまったのである。自分の中に必要なもののすべてを持っているのに、他人の言葉に耳を傾ける必要がどこにあろう。彼らにとってはもはや傾聴すべき時は過ぎたのであり、今や判定し、裁定し、決定する時なのである。大衆人が、彼ら本来の盲目で聾の姿のまま介入してきて、彼らの「意見」を強制しない問題は社会的な生(パブリック・ライフ)の分野にはもはや一つもなくなっているのである。

平成二十四年九月十三日
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(角川文庫)p.102

われわれが、ただノーというだけで過去を抹殺しうるならば、すべてはしごく簡単であろう。しかし、過去はその本質からしてよみの国から戻って来る亡霊(revenant)なのであり、われわれが放り捨てても戻って来る。必ず戻って来るものなのである。したがって、過去を克服する唯一の方法は、それを放り捨てることではなく、過去を考慮に入れ、つねに目前に置いて、これを避けるようにふるまうことである。要するに、歴史的時点に対する鋭敏な意識をもって、「時代の高さ」に生きることである。

過去にはそれなりの正当な理由があるのである。もしわれわれがそれを認めなければ、過去はそれを認めるよう要求しに戻ってくるであろうし、戻ったついでに、本来持ってもいなかった正当性までをも認めるよう要求するであろう。……。

平成二十四年九月十三日
オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(角川文庫)pp.111-112

ヨーロッパの運命の中に刻み込まれたこの政治的に自由たれというもはや逃れえない命令を遂行するために今まで試みられてきたいっさいの具体的な方法が、よしんば偽りでありいまわしいものであることが反論する余地のないほど完全に証明されたとしても、それでもなお、その命令は、前世紀においては、本質的には正しかったという最後の事実だけは残るのである。この最後の事実は、ヨーロッパのコミュニストとファシストが、それが逆であることをわれわれに納得させ自らも納得しようとしていかにがんばろうとも、その両者の中に同じように作用しているのであり、またシラブスに最も忠実であるカトリック信者のうちにも、望むと望まざるとにかかわらず、また彼が信じようが信じまいが働きかけているのである。すべての人々は、自由主義を攻撃する正当な批判を越えたところに、自由主義のもはや変更しえない一つの真理があることを「知っている」のである。その真理は理論的な真理でも科学的な真理でも知性的な真理でもなく、それらとは根本的に次元を異にするより決定的な真理、つまり、運命の真理なのである。理論的な真理というものは単に議論の対象となりうるというばかりでなく、その意義と力のすべては議論されるところにあるのである。理論的真理は議論から生まれ、議論されるかぎりにおいては生きているのであり、議論のためのみに作られているのである。しかし運命は――生としてかくあるべきであるとか、かくあるべきでないとかは――議論することではなく、自分が受け容れるかいなかの問題である。もしわれわれが運命を受け容れたとすれば、われわれは真正な自己であり、もしわれわれが運命を拒否したとすれば、われわれはわれわれ自身を否定し偽造することになる。運命というものは、われわれが好んでこうしたいということにあるのではなく、むしろ、したくないことをしなければならないというわれわれの自覚において、その厳しい横顔をはっきりとあらわすものなのである。


平成二十四年九月十一日
オープンギャラリー:OS博物館

平成二十四年九月十日
「國語表記に思ふ」 法学部1年 石本仰 - 早稲田大学雄弁会
平成二十四年九月十日
あなたにも相続税が降りかかる!――資産家だけでなく、一般人も万全の備えを | SAFETY JAPAN [セーフティー・ジャパン] | 日経BP社
平成二十四年九月十日
天皇機關説について。以下は美濃部達吉の議會演説。『あなたに勇気をあたえる 日本の名言』(金園社)表記は修正した。

率然として、天皇が國家の機關たる地位に在ますと言ふやうなことを申しますると、法律學の知識のない者は、あるいは不穩の言を吐くものと感ずる者があるかも知れませぬが、その意味するところは天皇はご一身、ご一家の權利として統治權を保有し給ふのではなく、それは國家の公事であり、天皇はご一身をもつて國家を體現し給ひ、國家のすべての活動は、天皇にその最高の源を發し、天皇の行爲が天皇のご一身上の私の行爲としてではなく、國家の行爲として效力を生ずることを言ひ現はすものであります。

たとへば憲法は、明治天皇の欽定にかかるものでありますが、明治天皇ご一箇、ご一人の著作物ではなく、その名稱によつても示されてをりますとほり、大日本帝國の憲法であり、國家の憲法として永久に效力を有するものであります。條約は憲法第十三條に言明してをりますとほり、天皇の締結し給ふところでありますが。しかしそれは國際條約、すなはち國家と國家との條約として效力を有するのであります。もし、いはゆる機關説を否定いたしまして、統治權は天皇のご一身に屬する權利であるとしまするならば、その統治權に基づいて賦課せられまする租税は國税ではなく、天皇のご一身に屬する收入とならねばなりませぬし、天皇の締結し給ふ條約は、國際條約ではなくして、天皇ご一身としての契約とならねばならぬのであります。

私の主張しまするところは、ただ天皇の大權は天皇のご一身に屬する私の權利ではなく、天皇が國家の元首として行なはせらるる機能となり、國家の統治權を活動せしむるか、すなはち統治のすべての權能が天皇にその最高の源を發するものであると言ふにあるのであります。

平成二十四年九月十日
福田恆存「二つの日本」。『あなたに勇気をあたえる 日本の名言』(金園社)表記は修正した。

昨年來の國會の有樣、勞組や學生のスト・デモの樣相などを見て、ふと日本の未來圖が心に浮かんだ。若狹灣と伊勢灣を結ぶ線を國境に日本は東西二國に分裂し、東京だけは東日本に在りながらベルリンの如く二大國の分割管理で、隅田川沿堤に東西の厚い壁が出來る。時々川を潛水して東から西への脱出があり、盆と正月だけ勝どき橋が降されて墓參や交歡が許される、緊急事件が發生すると大阪方面から食糧などが西東京へ空輸される。

星の數ほどある同じ日本人の間で、特にこの人をと選んで一緒になつた夫婦でさへ離婚は絶え間なく、その危機に氣づいてゐない場合でも、案外無意識のうちに離婚を望んでゐる者も多からう。とすれば、今の日本人の國家意識のうちに、東西分割を絶對不可とする理論的、感情的根據が果たしてあるかどうか、はなはだ疑はしいものである。


平成二十四年九月五日
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平成二十四年九月二日
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平成二十四年九月一日
台詞が全ページ歴史的仮名遣の漫画が出ます - 歴史的仮名遣は生きてゐる - 「はなごよみ」公式ブログ

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