日本語の原稿を初めて書いたのは、昭和二十九年頃だったと思う。ある文芸雑誌の編集者が、源氏物語についての原稿を書くように言ってくれた。締め切りより一週間前に届いた原稿なら英語でもいいが、遅れたら日本語で書いてくれという注文であった。何かの都合で間に合わなかったために、仕方がなく日本語で書くことになった。その原稿が今、手許にないので引用できないが、私の記憶では、その文章の特徴は堅苦しく、折角覚えた漢字を出来るだけ活用しようとした。当時の私は新仮名遣いや略字が大嫌いであったが、それはやはり私が使った教科書に載っていた日本語と違っていたためであろう。新仮名遣いを避けるようにいろいろ工夫し、「いる」を「居る」と書いたのはそのためであった。日本人が伝統を捨てても、私はがんばって日本語の純潔さを守ろうと決心した。
新仮名遣いを採用するようになったのはかなり後のことであるが、いくら私が正しい日本語の原稿を書いても、編輯者が私の原稿を勝手に変えることが多かったので、仕舞いに時代の流れに対する抵抗を止めてしまった。
ニコライ・ベルジャーエフ(Berdyaev, Nikolai A. 1874-1948)。
闇黒日記が日記として体を成していないと云うかLove Cream Puffと化しているような気がせんこともない。