こんにち、知的な生活をますます困難にしている局面のひとつは、非合理主義がきわめて広範に支持され、非合理主義の教義が当然のものとされているという状況である。思うに、現代の非合理主義の主要構成要素のひとつは、相対主義(真理はわれわれの知的背景に相対的なものであり、それがわれわれの思考を可能にするフレームワークをともかくも決定する。そしてフレームワークが異なれば真理も変わりうる、という教義)であり、とりわけ、異なる文化間、世代間、もしくは時代間の相互理解は――たとえ科学や物理学の内部においてさえ――不可能であるという教義である。この小論において、わたくしは相対主義の問題を論じる。相対主義の背景にはわたくしが「フレームワークの神話」と呼ぶものがある、というのがわたくしの主張である。わたくしはこの神話を説明し、批判し、さらにこれを擁護するために用いられてきた論法についても意見を述べるつもりである。
相対主義の擁護者たちは、相互理解の基準として現実離れした高度なものを提出する。そしてわれわれがこれらの基準を満たすことができないとき、[相互]理解は不可能であると主張する。これに対してわたくしは、共通の善意と多大の努力がここに注入されるならば、きわめて広範囲の理解が可能であることを主張するのである。さらに、こうした努力がなされるならば、その過程において、われわれ自身の見解や、また、われわれが理解しようとしている当の人物についての理解が進み、それによってこの努力は十分に報われる。
……。
……。
フレームワークの神話は、以下のようなひとつの文章で述べることができる。
合理的で実りある討論は、その参加者が基本的な過程にかんする共通のフレームワークを共有しなければ、あるいは少なくとも討論のためのそのようなフレームワークにかんして合意していなければ、不可能である。
これがわたくしが批判しようとする神話である。
……。
……。わたくしのテーゼは、論理はフレームワークの神話を支持もしないし否定もしないが、われわれは互いに学ぼうと試みることはできる、というものである。……。
ギリシャの合理主義や批判的伝統という現象を学派の伝統によって説明しようとするわたくしの企てもまた、当然のことながら推測である。実際のところ、これ自体がひとつの神話である。しかしこれによって、あるユニークな現象――すなわちイオニア学派――を説明できる。この学派は四ないし五世代にわたって、新しい世代になるごとにそれ以前の世代の教義を独創的に修正するということをやってのけたのである。最終的にこの学派は、現在われわれが科学的伝統と呼ぶものを確立した。この批判という伝統は少なくとも五〇〇年間続き、いくつかの厳しい攻撃に耐えて生き延びたが、結局屈伏したのである。
批判という伝統は、すでに受容されている物語や説明を批判し、そして新しく改良され、想像力に富んだ物語へと進んでいき、次にまたそれが批判にさらされる、という方法を採用することに基礎をおいている。思うにこの方法が科学の方法であろう。これは人類の歴史において、ただ一度だけ発明されたようにみえる。アテネにおける諸学派が、つねに勝ち誇り不寛容なキリスト教によって弾圧されたときに、西洋においてはこの伝統は死に絶えた。もっとも東アラブにおいてはしばらく残ってはいたが。この伝統は中世のあいだ、失われてしまったことが残念に思われ、嘆かれていた。この伝統は再発明されたというよりむしろ、ルネッサンス時代にギリシャ哲学やギリシャ科学の再発見とともに、再輸入されたのである。
このような発展の跡をふり返ってみれば、深刻な議題にかんする批判的討論やなんらかの「対決」から直ちに最終的な結論が生まれると期待してはならない理由がよりよく理解できるであろう。真理を手に入れるのは難しい。そのためには、古い理論を批判する才能と新しい理論を想像力によって発明する才能の両方が必要なのである。これは科学にかぎらずあらゆる分野に言えることなのである。
真剣で批判的な討論というのはいつにあっても困難なものである。人格的な問題のような合理性を欠いた人間的要素がつねに入りこんでくる。合理的な、つまり批判的な討論の参加者の多くがとくに困難に感じるのは、本能が命じているように見えること、(そして、論争的な社会ではどこでも結果的に教えられること)つまり勝利することを忘れねばならないということである。学ばねばならないことは、論争における勝利にはなんの価値もなく、他方、問題をほんのわずか明晰にすることですら――自分自身の立場や反対者の立場についてのより明噺な理解に向けてなされたほんの些細な貢献ですら――大きな成功だということである。ある討論において勝利を得ても、みずからの精神が変化したり明晰になったりすることがどうみてもほとんどないのであれぼ、その討論はまったくの無駄とみなすべきなのである。まさにこの理由のゆえに、みずからの立場の変更は内密になされてはならず、その変更がつねに強調され、その帰結が探求されるべきなのである。
この意味での合理的な討論は稀である。しかしそれは重要な理想であり、われわれはそれを享受することを学べるのである。これはなにも改宗などを目的とはしていない。その期待しているところは慎ましやかなものである。われわれが物事を新しい光のもとで見ることができるようになったとか、真理に少しでも近づいたとすれぼ、それで十分、いや十二分なのである。
文化相対主義という観念には明らかに正しいひとつの解釈が存在する。イギリス、オーストラリア、ニュージーランドでは、道路の左側を運転するが、アメリカやヨーロッパやその他の大部分の国では右側を運転する。明らかに必要とされているのは道路にかんするそういったなんらかの規則である。しかし右側なのか左側なのかということは、明らかに恣意的かつ慣習的(コンヴェンショナル)な問題である。まったく慣習的もしくは恣意的ですらあり、その重要性もさまざまであるような類似の規則が多数存在する。このような規則の例としては、アメリカ英語とイギリス英語における発音や綴りにかんする異なる規則が挙げられよう。まったく異なる二つの言語でさえ、同じように純粋に規約的(コンヴェンショナル)に関係づけることができよう。そして二つの言語の文法構造が非常に似たものであれば、状況は道路の規則の違いと類似のものになるのである。われわれはこのような言語や規則を、純粋に慣習的に異なっているとみなすことができるのである。つまり、ここでどちらを選ぶかは、どうでもいいこと――少なくともなんの重要性もないこと――なのである。
こういった規約的な規則や慣習を考えるかぎりでは、フレームワークの神話をまじめに受け取りすぎても害はない。というのも、道路規則にかんしてアメリカ人とイギリス人が討論をすれば、容易に合意に到ると思われるからである。両者とも、それぞれの規則が同じでないことを残念がるかもしれない。しかし両者は、原則として、二つの規則のどちらかを選ぶための根拠がなにもなく、アメリカ合衆国がイギリスとの一致を図るために左側通行の規則を採用することを期待するとすればそれは理不尽というものだ、といったことに同意するであろう。また両者は、望ましいかもしれないが極端に経費を必要とする変更を現在のところイギリスができないということにもすぐ同意するであろう。あらゆる点にかんしてこのような合意がなされた後、両者はともに、この討論から新しいことを何も学ばなかったという感想を抱きつつ席を後にすることになろう。
状況が完全に変わるのは、これ以外の制度や法、慣習、あるいはたとえば法の執行に関連する事柄などを考察する場合である。この分野における法や慣習の違いは、そこでの生活をまったく異なったものにすることがある。ある法や慣習は非常に残酷なものでありうるし、別の法や慣習によっては相互扶助や苦悩に対する慰めをもたらすこともある。いくつかの国々とその法は自由を尊重しているが、他の国ではそれほとでなかったり、まったくそうでない場合もある。こういった違いは非常に重要なことであり、文化相対主義の名のもとに、あるいは法や慣習の違いは規準や思考様式、概念的フレームワークの違いによるものであり、それゆえ共約不可能もしくは比較不可能と主張することによって、見逃されたり無視されたりするべきではないのである。逆にわれわれは理解し、比較しようと努めねばならない。われわれは、誰がより良い制度をもっているかを見つけようとしなければならない。そしてそこから学ぶようにするべきなのである。
わたくしの意見では、こういった重要な事柄を批判的に討論することは可能であるばかりでなく、もっとも急を要することである。これは、プロパガンダや事実にかんする情報の無視によって困難になることが多い。しかしこういった困難は克服しがたいものではない。たとえば、情報によってプロパガンダと戦うことができるのである。というのも、情報というものはそれが有用であれば、必ずしもつねに無視されるわけではないからである。もっとも、しばしば無視されていることは認めねばならないが。
文化相対主義や閉じた枠組といった考え方は、他者から学ぼうとするにあたっての大きな障害となる。つまり、なんらかの制度を受け入れ、あるいは他の制度を修正し、悪い制度を排除するという方法にとっての障害なのである。たとえば、多くの人は受け入れたり排除したりできるのは「共産主義」や「資本主義」のような全体的枠組あるいは「システム」だけであると考えている。しかしこうしたいわゆる「システム」について語るさいに、理論のシステム――つまりイデオロギー――と一定の社会的実在とを区別しなければならない。もちろん両者は、相互に大きな影響を与えあうものである。しかし社会的実在というものは、とくにマルクス主義者が考えるようなイデオロギーとは、ほとんど似たところがないのである。
法や慣習といった枠組については合理的に討論できないという神話を主張する人びとがいる。かれらの主張では、道徳性は合法性や慣習、慣例と同じであり、したがって現に存在しているさまざまな法や慣習の体系が道徳性の唯一の可能な基準である以上、ある慣習の体系が他のそれより道徳的に優れているかどうかを判定することはおろか、討論することさえできない、とされるのである。
この見解はヘーゲルの有名な定式「現実的なものは理性的であり」そして「理性的なものは現実的である」にまで遡ることができる。ここで「現実的なもの」とは人間が作る法や慣習を含む世界のことを意味している。もっともこういったものが人間によって作られることをヘーゲルは否定している。かれは、世界精神あるいは理性がこういったものを作るのであり、こういったものを作ったように見える人びと――偉人や歴史の制作者――は理性の執行者にすぎず、かれらの情念がもっとも優れた感度をもつ理性の道具だったにすぎないと主張する。かれらは、時代精神のそして究極的には絶対精神の、つまり神自体の検出装置なのである。
……。
ヘーゲルは相対主義者であると同時に絶対主義者であった。いつものようにかれは少なくとも二股をかけた。そして二つで足らなければ、三つ股をかけたのである。そしてかれは、フレームワークの神話を弁護した――主にドイツの――カント以降の、つまりポスト批判的、ポスト合理主義的哲学者の長い人脈の連鎖の最初の人物だったのである。
存在論的相対性は相互の意思疎通を容易ならざるものにはするが、それでも暗闇への突然の飛躍ではなく、十分に時間をかけて克服されれば、文化衝突のはるかに重要な事例においては莫大な価値をもちうるとわたくしは信じる。というのは、文化衝突の当事者は、無意識のうちにもっている偏見から――たとえば、言語の論理構造に組み込まれているような理論を無意識のうちに当然とみなすことから――みずからを解放できる可能性があるということなのである。このような解放は、文化衝突によって目ざめさせられた批判の成果であろう。
ここで、あるきわめて特殊な形態のフレームワークの神話があり、しかもこれがとくにはびこっているということに少し触れておいてもよいだろう。それは、討論の前にわれわれは言葉遣いを――おそらく「用語を定義すること」によって――決めておくべきであるという見解である。
わたくしはこの見解をさまざまな機会に批判してきたし、ここで再びそれをおこなう余裕もない。ただわたくしはこの見解に反対すべき、おそらくもっとも強力な理由が存在することだけは明らかにしておきたい。つまり、いわゆる「操作的定義」を含めてあらゆる定義は、定義の対象となっている用語の意味という問題を定義する用語に移すことができるにすぎないのである。したがって、定義を要求すれば、いわゆる「原始」名辞、つまり無定義名辞を認めないかぎり、無限背進へと到るのである。しかも一般に、こうした無定義名辞は定義された名辞の大部分と同じく確定的ではないのである。
何故我が國に批評精神は發達しないか。――名辭以後の世界が名辭以前の世界より甚だしく多いからである。萬葉以後の我が國は平面的である。名辭以後、名辭と名辭の交渉の範圍にだけ大部分の生活があり、名辭の内包、即ちやがて新しき名辭とならんものが著しく貧弱である。從つて實質よりも名儀が何時ものさばる。而して批評精神といふものは名儀に就いてではなく實質に就いて活動するものだから、批評精神といふものが發達しようはない。(偶々批評が盛んなやうでも、少し意地惡く云つてみるならばそれは評定根性である。)
つまり、物質的傾向のある所には批評精神はない。東洋が神秘的だなぞといふのはあまりに無邪氣な言辭に過ぎぬ。「物質的」に「精神的」は壓へられてゐるので、精神はスキマからチヨツピリ呟くから神秘的に見えたりするけれど、もともと東洋で精神は未だ優遇されたことはない。
……。
私は、先に見たように、論語は職業学校長である孔子が、精神教育をやったときの言行録と言っているのですから、現代語訳も、わかりやすい文章になるように、十分の注意を払いました。しかし、谷沢氏がここまで評価してくれたのは、やはり、私の文章力というよりも、論語の原点に帰って、素直に読んだためだと思っています。
ところが、これまでのところ、専門家の反応はゼロに等しい。もちろん推奨もないかわり、批判も出ていないのです。
だいたい、私の書く本が、この本だけでなく、専門家の間で評判になることはほとんどない。
このように専門家に無視されるのも、私が論語は処世の指針になると言いながら、自身は実行してこなかったからに違いありません。
論語には「多く見て殆うきを闕き、慎んで其の余を行えば、則ち悔ゆること寡し」という言葉がある。これは役人になる心得を言ったもので、過失をなくするようにしなさい。そのためには言葉に気をつけ、本当に自信のあること以外は言うな。そうすれば、どんどん地位が上がり、報酬も増える、という意味です。
それなのに、私は「論語読みの論語知らず」で、自分が信じたことは、誰の前に行っても臆面もなく言うのが学問だと思ってきた。政治家でも官僚でもないのだから、論語の言いつけに背いてもいいとしてきたからですが、しかし、この箇所を読むたびに、笑いがこみ上げてくる。論語の戒めを守らないから、世の中で憎まれることになったんだ、と……。
ところで、論語の戒めをまた破ることになりますが、もう少し言っておきましょう。
……。
昨年平成12年の「神の国」騒動で、一部の政治家や宗教者、マスメディアなどが手厳しい天皇批判、神道批判を繰り返したことは記憶に新しい。「明治政府は神道を事実上、国教とした」「神社は特別の保護を受けた」というような記事を大見出しで載せた新聞もある。戦後の実証的な近代宗教史研究はかなり進んでいるはずだが、一般社会の常識は非実証的、観念的で、千年一日のごとしというべきだろうか。
けれどもとくに意外な感じがしたのは、むしろ神道批判の嵐の中で、神道人といわれる人たちからの反論が聞こえてこなかったことである。唯一の例外として一人気を吐いたのは、皇学館大学助教授の新田均氏であった。言論雑誌で「鎮守の森は泣いている」と森発言を批判した著名な仏教学者に対して、「近代神道史および日本の歴史そのもの、神話の本質を無視している」と噛みついた。「論考は五年前の雑誌論文の切り張りに過ぎず、近年、めざましい近代神道史研究の成果に目を通していない。非学問的な空想である」と舌鋒鋭く反論した。
……。
『あめりか物語』は自由の書であります。荷風の封建的強權とその道徳とに對する批判や反撥は、すでに『夢の女』のうちにもその芽ばえを看取しうるのでありますが、『あめりか物語』に至つてそれは明瞭に前面へ押しだされてゐる。が、そのことは大して重要ではない――荷風がこの書を通じて意識的、無意識的に表白してゐることは、官能の讚美であり、彼はその抑壓を東洋的な封建道徳の罪に歸してをりますものの、それがのちにごく自然に、日本の近代を批判する彼の態度につながり、官能の自由の名のもとに當事の精神主義を處斷することとなつた。彼が封建道徳の罪と考へたものは、じつは武士とその倫理を支へる儒教との罪にほかならず、それはかへつて明治の反動政府の文教政策のうちに根をのばし、混沌たる文明開花の底にやうやく明瞭な指導原理を見いだしつつあつた知識階級の心のうちに、よかれあしかれそのままに受け繼がれようとしてゐたのでした。そして自然のままの逞しい官能ではないにしても、すくなくとも打算と虚榮とに穢れぬ官能の耽溺はむしろ封建時代の庶民生活のうちに見出されるものであることを、荷風ははつきり意識することになつたのです。
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よく知られているように、西田幾多郎の『善の研究』(一九一一年)は、オリジナルな近代日本哲学を創始した点で画期的な意味を持っている。この本は「第一編 純粋経験」、「第二編 実在」、「第三編 善」、そして「第四編 宗教」という四編から構成されている。しかし一般には、この四編中で重視され注目されているのは、「第一編 純粋経験」、「第二編 実在」そしてせいぜい「第四編 宗教」であり、「第三編 善」は、ほとんど問題にされることがなかった。私自身にしてもそうである。
それというのも、この「第三編 善」は、一見したところ、行為、意志、価値について概説した上で、あれこれの倫理学説の善の観念を羅列し紹介しているにすぎないようにみえるからである。<純粋経験>の立場の特色が十分には出ていないように見えたし、なによりも、思考の密度もこの書物の他の編に比べて薄いからである。
ところが、あるとき、西田がこの編において道徳的価値の最高に置いているのが<至誠>であることに気がついて、そこに大きな問題が隠されているように思われた。なぜなら、<誠>あるいは<至誠>が道徳的価値として絶対化されるとき、そのために<嘘をついてもよく>、さらには<人を殺してもよい>ことになりかねないからである。<誠>のためであるなら嘘をつくことも殺人をおかすことも許される、というモラルあるいはメンタリティが、われわれ日本人の社会生活において潜在的にあるのではなかろうか、と思い至ったのである。