「正字」という言葉にはどうもついていけない。目にする度に「誰にとって正しいの?」って思っています。と書いたので文句を言つたらブロックされた。
僕はあまり「正字」という言葉を使わないので印象の話になるけど、「正字」という用語は、志向している先が「正しさ」なのが「正」の所以だと思っている。と書いてをられて、實に尤もな考へ方だと思ふ。
大体、今コンピュータで一般的に使われている漢字コード体系は、字の区別と字体の区別との区別がきちんとできていないせいで異体字を体系的に扱いづらい。と述べてゐるのは妥當な感想だ。
戸籍の取り扱いだの何だのというが、結局ここでいう「外字」が問題となるのはせいぜい人名や地名などの固有名詞を取り扱うときぐらいに過ぎない。普段新聞を読んだり文書を書いたりするときに使う漢字は現在の JIS 規格あるいはユニコードの範囲で足りている。人名にしても、「下の名前」の方は法律で使える漢字が制限されており、常用漢字・人名用漢字でない漢字は JIS 規格やユニコードにあっても使えない。たまにしか使わない固有名詞のためにいちいち漢字を追加するよりも、そもそも役所で扱う全ての漢字を常用漢字・人名用漢字のように制限・統一してしまった方が楽だということになぜ気付かないのだろう。
各官廳においては、この表によつて漢字を使用するものとする、と云ふ行政機關内部の行政規則であり、一般社會に對しては
使用を勸める以上の事が出來なかつた。
役所で扱う全ての漢字の制限であつたわけだ。それを「事實上の漢字制限」としたから大問題になつたわけで、それで皆「制限を緩和しろ」と言ふやうになつた。「常用漢字表」では、
一般の社会生活において現代の国語を書き表すための漢字使用の目安となり、規制緩和が行はれた。ところが――今俺も良く讀んでみて驚いたのだが――規制の對象は、「常用漢字表」で、はつきり擴大されてしまつてゐる。
この表に據らなければならないのは
各官廳であるとしてをり、
廣く各方面に對しては
使用を勸める事を説いてゐるに過ぎない。もつとも、告示の方ではしれつと
現代國語を書きあらわすために、日常使用する漢字の範圍を
定め、
法令・公用文書・新聞・雜誌および一般社會で、使用する漢字の範圍だと言つてしまつてゐる。また、重要なキーワード「めやす」が既に登場してゐる。之を見ると、あとの「常用漢字表」での「目安」なる用語も怪しく思はれて來る。
一般の社会生活において現代の国語を書き表すための漢字使用の目安を
定めてゐる。
この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。とあるが、「當用漢字表」で
この表は、今日の國民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものである。と云ふ言ひ方を聯想させる。何うも、
漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものと云ふ「當用漢字表」の言ひ方を「常用漢字表」では
現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安と言つてゐるだけでないか。頗る曖昧だが、となると、制限的な意味合ひは、却つて「常用漢字表」の方が強まつてゐるやうに感じられる。
三島の国粋主義こそが、彼の譬喩を借りれば、「暗渠で日本に通じてゐる」と書いてゐるけれども、
これは、三島の国粋主義こそ彼の譬喩を借りれば「暗渠で西洋に通じてゐる」の間違いではないかと思います、と佐藤氏が指摘してゐる。直ぐに反論を思ひつけるけれども、裏づけなしで言返すだけになるから、今は反論しない。反論出來ないと思つたら默つて置く。
認知する事になるから、多分最う對談をしなかつたのだらうと書かれてゐるが、本書は三島の直ぐ近くにゐた持丸氏の天皇論で終へられてゐる。一往述べておくと、持丸氏の表明する天皇觀・國體觀は、三島のそれと大きく食違つてゐた(平泉學派に連なる者として、三島の考へ方は容れられない、と云ふもの)、と云ふ話で、單なる「三島の宣傳」ではない。
Qui scit, scit; nescit qui sit.(今度の評論集では誤植を直してある)と、
だまさるることなかれと云ふ福田氏の
斷り書き、中村氏は
謎めかしいと書いてゐて、成程、福田氏の
思はせぶりの言葉を扱つてゐる部分で扱ふのは「正當」だが、私見では(と斷つておく)餘り謎でもない。福田恆存で「だます」と言へば「自分で自分を欺す=自己欺瞞」と云ふ事を言つてゐるわけで、それを考へれば、ラテン語の意味も明瞭だ。もつとも、これを「明瞭」だと言つてゐる俺も、中村氏の的外れつぽい考察を讀んだ上で漸く思ひ附いて言つてゐるので、この文句に接して二十年經つてからやつと「わかつた」と云ふ事にほかならない。逆に言へば、斯うやつて人に「正解つぽい思ひ附き」をさせる點で中村氏の文章は實に有益なものだと言ふ事が出來る。
毎日新聞社は谷崎潤一郎の小説をのせる時新假名遣を用ひず、本當の假名遣に從つた。これは作者の頑強強情な文人的な良心に壓倒されたものであるが、この事實は新假名遣制定以後、これを守る左翼的壓力を無視した最初の行爲であつて、これにひきつゞいて、毎日新聞は五月二日反共の態度を闡明にし、朝日新聞社と對立した。しかし六月朝鮮事變にひきつゞく國内外情勢に影響され、過半の新聞は、毎日新聞に追從する結果となつた。
新假名遣は美しくないとか、不用意だとかいふよりも、第一の缺點は正確でないのである。言葉の正確さと、美しさと、ニユーアンスを尊ぶ文學者は、一人としてこれを使用しないことからみてもすぐわかる。
毎日新聞社が谷崎の小説をけいさいするのに、新聞社の申合せを破つてまで作者の氣持を迎へたのは英斷である。齋藤茂吉などが、歌を朝日新聞にのせてゐるのをみるに、新假名遣になつてゐる。これなどは茂吉ほどの人物だから、ことさらに間違へた文法にしてまで新聞如きものにのせる必要もないと思ふ。のせない方がよいと思ふ。彼ほどの文人の場合、それはまことにつまらぬことだ。たかが一新聞にのせるのせないといふだけのことだからだ。
毎日新聞の論説記者の中には、國語に關心をもつてゐる者がゐる。彼は共産黨議員の國會での下卑な言動をとがめたり、放送局の國語に對する不謹愼さを責めたり、新聞の用語の卑俗化を批判してゐる。一々論旨正確で、感覺もよい。その主張を進めて、彼は當然、新假名遣を拒否すべきである。
新假名遣を終戰後の左翼横行時代に、左翼勢力と結託して、強行して了つた文部省吏僚は、かつて戰時中にも、功利主義をふりかざして軍部革新派と結託し、この新假名遣を強行しようとした。當時これをつぶしたのは民間勢力であつたが、敗戰の混亂時に、彼らは左翼と結託してつひに宿望を達したのである。
新假名遣を使用して都合よいのは、新聞など活字を扱ふところ位である。これによつて起る現象は、まづ國語の文法の一貫した正確さが失はれる。文法が正しくなければ、文意は通じない。中頃戰國の世に入つて、國語文法の亂れたのを難波の契冲阿闍梨がまづ出で、相つぐ國學者の努力によつて、漸く文法古にかへり、國語は整然と體系づけられたのである。この文法に從つて、我々は千年前の人のかいたものを正しくよみ、古人が如何に正確に國語をしるしたかを知つたのである。この戰國亂世の時代の隱遁詩人――連歌俳諧師といはれる人々は、この亂世に國語の紊るゝをうれひ、「俳諧の益は俗語を正すにあり」との信條をたて、俗耳に入り易い徘徊を以て諸國を廻遊し、正確な國語を民衆に教へんとした。これが芭蕉時代まで、すべての俳諧師の意識にあつた彼らの生成の信條である。
新假名遣を子供に教へることによつて、古い古典は申すに及ばず、漱石鴎外といつた最近の文人らの作品さへ、すでによみ難い親しみ難いといふ結果をひき起す事實が、すでにいくらか現れてゐる。
戰時中、當時六十前後の老軍人の吾人に述懷したところであるが、「我々は少年時代にボー引きの所謂新假名遣を學んだために、年長じて後も少し表現内容の複雜な本だとよみ難い感がして、結果さういふ面倒なものをよまず易きにつく傾向が多い。つまり外國語は職業上修得してゐるが、肝心の日本の本だと、尊徳や松陰といつても、讀めはせん。だから講談や捕物帳を愛讀してをる。大體にいうてこの年配のものは、和漢の古典をよんでゐないから、知能上でどこか缺けたところがあつて、それがこの大事な時に世の中を動かしてゆくのだから、心配だ」といふやうなことを云うた。新假名遣は末端でない。一般的な勉學心を下降させた時代の象徴である。この老軍人の語つた、そのときの新假名遣は間もなく止まつたのである。
今度の新假名遣も、かういふ現象を起すにちがひないと思ふ。子供には氣の毒だから、本當の假名遣といふものを、同時に教へておくやうな細心さと愛情が、家庭になければならない。家庭にはその心はあるが、時間の餘裕はなく、子供の能力も過剩負擔に耐へない。
新假名遣の強行によつて起ることは、日本の次代は、ある程度廣範圍に、祖先と切りはなされるのである。過去の文物からひき離して左翼的出版物だけをよめるといふやうにしようとしてゐたわけである。これは誰が考へ、どういふ連中が結託したか誰でも知つてゐることだ。
小泉信三は八月十日毎日新聞紙上で「新假名遣を一旦元に歸すべし」と主張してゐる。新假名遣を施行するについて、學士や文人の十分の論議をまたず、一部文部省關係の者らが行つた、專斷的行爲を憤慨してゐるのである。これはその強行當時に諸々で放たれた聲であるが、當時は左翼の言論的暴力をたのみとして、文部省はこれを默殺したのである。(小泉の毎日新聞にのせたこの文章は勿論正しい假名遣に則つて書かれてゐる。)
新假名遣を一應廢止せよといふことは、時宜に適した提唱であつて、吾人はこれをあく迄支持するものである。
言葉の紊れることが、亂世の始りであると、かの北畠親房も論破してゐる。新假名遣は一部文部官僚や文士では山本有三などが結託し、學者文人間の一般的論議をへずに專斷強行した左翼的謀略である。これは今さらいきさつを云ふ迄もなくそれをした連中が最もよく知つてゐることである。
小泉はその文章の中で、露伴が蝸牛庵日記明治四十四年二月二十六日の條下にしるした一文をひいてゐる。「南北朝論一世轟々。……當時學者皆定案(定説)を飜すを以て功名のごとく心得、終に起らずもがなの論をひき起すに至れり。喜田氏(貞吉、歴史家)勝つことを好むに近き性質なれども、さりとて暴戻なんどいふ人柄にあらず、其説蓋し據るところあらん、たゞ先づ之を學界の問題とせずして、教科書に飜案(定説をくつがへすの義)の言を載せたるはよろしからず、教科書は世の定案に從ひてものすべし。異義あるべきやうのことは先づ學界に相爭ひて黒白を決し、全勝を得て後、定説と認めらるゝに至りて、はじめて之を兒童に課すべし」
學者の學説は自由であり、私案も自由であるが、「異義あるべきやうのことは先づ學界に相爭ひて黒白を決し、全勝を得て後、定説と認めらるゝに至りて、はじめて之を兒童に課すべし」といふのは、鐵則である。これに則せぬものは――新假名遣制定の如く――專斷暴擧である。小泉はそれをフアツシヨだと云うてゐる。
露伴は生前新假名遣強行のことをきゝ、それに對して何らの意見も述べなかつたが、たゞ一言、「この第二の東條め」と呟いたと傳へられてゐる。
戰後の文部省は、左翼の暴力の示威によつて、民間學者を入れると稱して歴史科を「唯物史觀」にゆだね、一方新假名遣を採用した。さうしてこのゆき方を「民主主義」と稱した。
しかし民主主義の本義は、それの生れる生活機構をつくり、その共同利益を享ける住民の合議によつて、ことを自主的に解決するにある。
その間一國一民族の傳統と習俗とモラルはこれを一片の政治論や政策論によつて左右すべきものでない。それが權力「獨裁」と異る「民主主義」の立まへだ。
新假名遣の缺點は、第一に正確でないことである。第二に古典と傳統のモラルにつながらないことである。第三に美しくないことである。
この故に正統的に日本文學に志をむけてきた文學者は、誰一人としてこれを採用してゐない。谷崎潤一郎の如きはこれを採用する新聞紙に執筆を拒絶してゐる。
文學者のみならず、多くの文學と美に關心をもつ學者も亦、新假名遣を拒否してゐる。日本民族が永續する限り、必ず正統假名遣は永續するのである。これは日本を一貫する言葉の天造のおきてだからである。だから國語を學的に考へる立場に於ては、新假名遣がなくなることは、太陽を見る如き事實である。新假名遣の實施は、「政治的」なものである。
我々は誤つた文法で、日本民族の永遠に傳へる詩文學をしるすことはしない。後代の校訂者を患すことは、彼らのために勞力の無駄だからである。
この国字國語問題は、外國から來た多くの學者文人、それに教育技術者も問題にしたところである。しかしその中で我々が尊重するのは、學者文人の説である。教育技術者は、どこの國でも同じであつて、彼らは學者文人の範圍にとゞかぬ政治的存在である。
しかし國語國字問題といつた、一民族の永い久しい傳統と、習俗と、モラルに即したものは、政治政策的に決定すべきものでない。さういふ民主主義は世界中にないのである。来れは政治問題でなく、學問上の檢討を經ねばならぬ問題である。(ユネスコもさう考へてゐる)
英國からきたブランデンといふ詩人と、フランスから來たグルツセといふ美術考古學者は、國語を簡單にしようとする考へ方は惡い考へ方だと批判してゐる。この二人はこの五年間にきた外國人の中で、學者文人といへる二人きりの人である。
グルツセはさういふ問題は日本人がきめたらよい問題だと云つてゐる。その説に對し、ブランデンは、「それにちがひないが、美しいものがなくなつてゆくのを、じつと見てゐるといふことは惡いことだ」と、積極的な意見をのべてゐる。(これは米國人グレン・シヨーが示唆して斷言させたのである。)ブランデンは、保守的で謙虚な詩人と思はれる。
今日の世界の有識者の關心は、新しいものを作ることより、すぐれた古いものが失しなはれたり、破壞されてゆくことを防衞する方に多くむいてゐる。新しい建設といふ掛聲は破壞と喪失しか結果しなかつた。これは二十世紀の文明の事實である。日本の五年間を見れば、その標本のやうなものだ。
三千年の歴史をたゞ一みちに「くに」をなしてくらしてきた民族の生活とモラルは、八百年、六百年の歴史しかもたぬものに容易に理解できない。まして三百年二百年の國家の歴史しかもたぬ市民に理解できる筈がない。
これは觀察者が善意であるといふことと無關係である。むしろ善意が負擔となる。古い老大國の習俗の禮儀として、相手の善意に對しては極めて弱いといふ性格をもつてゐるからである。
新假名遣は他人の忠告をまたず、自主的に停止すべきものである。それは一民族の當然の處置であり、恥辱を重ねぬ所以である。