制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
野嵜健秀 (nozakitakehide) on Twitter:野嵜健秀(@nozakitakehide) - Twilog
テーマ・主に扱ふ事柄・ネタ
日本人論、政治主義批判、國語國字改革批判、虹裏(img)、深夜アニメ、古本、謎キャラクターによるコント、蟲、クリーチャーのイラストとまんが、論理。粘着アンチ問題。その他。

闇黒日記


平成二十三年一月三十一日
「判る」と「解る」のちがい ベルクソンを参考として

平成二十三年一月二十九日
日本の主要カルデラ

平成二十三年一月二十七日
小形克宏がtwitterで「正字」という言葉にはどうもついていけない。目にする度に「誰にとって正しいの?」って思っています。と書いたので文句を言つたらブロックされた。
にっちもさんが僕はあまり「正字」という言葉を使わないので印象の話になるけど、「正字」という用語は、志向している先が「正しさ」なのが「正」の所以だと思っている。と書いてをられて、實に尤もな考へ方だと思ふ。
人々が各自それぞれ正しいと思はれる事を言合つて、議論した上で結論に持つて行くのが民主主義のやり方だ。小形氏の發想は民主主義の趣旨に反するものだとしか思はれない。文字・表記の議論では、斯う云ふ非民主的な發想の人が矢鱈聲がでかく、問題が多い。
平成二十三年一月二十七日
ジョブズ半生に関する記事一覧 : ギズモード・ジャパン

平成二十三年一月二十四日
世界飛び地領土研究会(飛地)

平成二十三年一月二十三日
既存の規格の拡張では漢字コード問題は解決しない: まじかんと雑記
日本語の專門家――特に國字改革を推進した連中――は、馬鹿だから、將來の事は一切考へず――と言ふよりも「漢字に將來は無い、だから將來が無くなるやうにするんだ!」と云ふ無茶苦茶な理論で――漢字の體系の破壞を嬉々として行つた。そのとばつちりがコンピュータの文字セットに及んで、それで「兔に角全部の字形を詰込む」と云ふ頭の惡い方式を取らざるを得なくなつた。今のPC上の文字の扱ひが何うしやうもない事になつてゐるのは、文字關係の專門家が無能であつた事――彼らが行つた「改革」が誤であり、「改革」が將來の事を考慮しない場當り的なものであつた事――の決定的な證據だ。
ところでさう云ふ事實が明かになつてゐるのに、國字改革の推進派の連中であるところの文字關係の專門家は、依然として、反省しないし、文字の世界が混亂してゐる事を嬉々として受容れ、自分逹の仕事が増えた増えたと言ひ、一方で、これだけ混亂してゐるのだからやつぱり文字は減らすべきなのだ! と絶叫し續けてゐる。
まじかんと氏が大体、今コンピュータで一般的に使われている漢字コード体系は、字の区別と字体の区別との区別がきちんとできていないせいで異体字を体系的に扱いづらい。と述べてゐるのは妥當な感想だ。
一方、まじかんと氏は斯う述べてゐる。

戸籍の取り扱いだの何だのというが、結局ここでいう「外字」が問題となるのはせいぜい人名や地名などの固有名詞を取り扱うときぐらいに過ぎない。普段新聞を読んだり文書を書いたりするときに使う漢字は現在の JIS 規格あるいはユニコードの範囲で足りている。人名にしても、「下の名前」の方は法律で使える漢字が制限されており、常用漢字・人名用漢字でない漢字は JIS 規格やユニコードにあっても使えない。たまにしか使わない固有名詞のためにいちいち漢字を追加するよりも、そもそも役所で扱う全ての漢字を常用漢字・人名用漢字のように制限・統一してしまった方が楽だということになぜ気付かないのだろう。

「當用漢字表」は、各官廳においては、この表によつて漢字を使用するものとする、と云ふ行政機關内部の行政規則であり、一般社會に對しては使用を勸める以上の事が出來なかつた。役所で扱う全ての漢字の制限であつたわけだ。それを「事實上の漢字制限」としたから大問題になつたわけで、それで皆「制限を緩和しろ」と言ふやうになつた。「常用漢字表」では、一般の社会生活において現代の国語を書き表すための漢字使用の目安となり、規制緩和が行はれた。ところが――今俺も良く讀んでみて驚いたのだが――規制の對象は、「常用漢字表」で、はつきり擴大されてしまつてゐる。
「當用漢字表」から「常用漢字表」に改定した際、国語審議会は、「制限→目安」と云ふ「規制緩和」をやりながら、對象を「各官廳→一般の社会生活」にしれつと擴大して、規制の範圍を法的に擴げてしまつてゐる。
一般の社會生活に關りのない官廳の中だけで漢字制限をやり、能率の向上をはかる、と云ふのなら、別に勝手にやれば、と云つた感想しか思ひ浮かばない。御役所仕事だから漢字の字體まで一々區別するんだらう位に思つてゐる。現状、御役所の中の規定と、御役所の外の一般の社會とがリニアに繋げられて、全部が全部、「御役所仕事的」になつてしまつてゐる。それが一番の問題。
平成二十三年一月二十三日
当用漢字表
常用漢字表:文部科学省
文化庁 | 常用漢字表の内閣告示等について | 「常用漢字表」(平成22年内閣告示第2号)
昭和二十一年の「當用漢字表」は、訓令に據れば、この表に據らなければならないのは各官廳であるとしてをり、廣く各方面に對しては使用を勸める事を説いてゐるに過ぎない。もつとも、告示の方ではしれつと現代國語を書きあらわすために、日常使用する漢字の範圍を定め法令・公用文書・新聞・雜誌および一般社會で、使用する漢字の範圍だと言つてしまつてゐる。また、重要なキーワード「めやす」が既に登場してゐる。之を見ると、あとの「常用漢字表」での「目安」なる用語も怪しく思はれて來る。
昭和五十六年の「常用漢字表」では、一般の社会生活において現代の国語を書き表すための漢字使用の目安を定めてゐる。この表は,法令,公用文書,新聞,雑誌,放送など,一般の社会生活において,現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安を示すものである。とあるが、「當用漢字表」でこの表は、今日の國民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものである。と云ふ言ひ方を聯想させる。何うも、漢字の制限があまり無理がなく行われることをめやすとして選んだものと云ふ「當用漢字表」の言ひ方を「常用漢字表」では現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安と言つてゐるだけでないか。頗る曖昧だが、となると、制限的な意味合ひは、却つて「常用漢字表」の方が強まつてゐるやうに感じられる。
平成二十三年一月二十三日
松江、八束建設業暴力追放対策協議会

平成二十三年一月二十一日
こざるーむ遊び場ガイド(テーマパーク・遊園地・公園・プール・桜・イベント情報)

平成二十三年一月二十日
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Twitter / 燈衞亭爣贇: @nozakitakehide スクランブル交差点は ...
Twitter / 野嵜健秀: 昔、スクランブル=緊急発進と思ひ込んでゐて、スクラン ...
Twitter / 野嵜健秀: その後、スクランブルエッグと云ふものを知つて、ますま ...
Twitter / 野嵜健秀: 玉子の緊急発進
平成二十三年一月二十日
URL Filter List - Opera Wiki
アダルトサイトや商用サイトは兔も角、個人サイトで一々ブログパーツだのアクセスカウンタだのアナライザだのアフィリエイトだのを仕込んでゐるのは何なのだらう。少しでもサイトの表示が遲くなると、Block Contentして徹底的に餘計な部品を排除するやうに設定する癖がついた。それでリロードして表示が速くなつたのを確認して、記事の内容も讀まないで戻る。
平成二十三年一月二十日
E・E・スミス関連年表
年表は樂しい。

平成二十三年一月十六日
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2009年5月18日撮影。

平成二十三年一月十四日
窓の杜 - 【NEWS】Microsoft、Webアプリを開発できる新しい開発環境「WebMatrix」を正式公開
Microsoft Web Platform - Start Building Better Websites
一往。使はないけど。

平成二十三年一月十三日
http://hong.ioc.u-tokyo.ac.jp/nagasawa.html:わが蒐書の歴史の一斑 −戲曲小説書を中心に−(注) 長澤規矩也
平成二十三年一月十三日
kuzanさんのマイページ :: handsOut.jp
平成二十三年一月十三日
三陸書房ホームページ
三陸書房 小社について
BOOK SOMMELIERS|ひとり出版
世紀をまたぐ『大日本地名辞書』
冨山房 一般書
平成二十三年一月十三日
啓文堂書店 八幡山店:冨山房百科文庫 フェア 2010/11/30

平成二十三年一月十一日
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平成二十三年一月十一日
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平成二十三年一月九日
本棚の上の本の山をほぢくり返してゐたら出て來た河出書房の雜誌「文藝」昭和二十四年十月號に福田恆存「『學生ストについてなど』について」が掲載されてゐるのを見附けて讀出したら、中村保男『絶對の探究』で指摘されてゐる福田氏の用語「絶對平和」が出て來たので驚いた。慌てて福田全集の年譜を見返してゐたのだが、おびただしい全集未收録の文章がある事に改めて氣附かされて、また驚いた。
福田恆存教松原正派に據る「福田恆存全集補卷」が未刊に終りさうな現状、福田逸さんに御願ひしたいのだが、是非とも、昭和二十年代以前の全集未收録・單行本未收録の文章を集めた補卷と、昭和五十年代以降、特に腦梗塞以後の文章を集めた補卷を、麗澤大学出版会版「評論集」に追加してはいただけないだらうか。文章の出來の善し惡しは兔も角、その邊の文章が「あつた」事は誰もが知つてゐて、にも拘はらず誰も容易に讀めない現状がある。斯うした状況は寧ろ好ましくないと思はれる。如何。
講談社の保田與重郎全集のやうに、執筆された文章の完全收録を目指した全集がある一方で、福田恆存の著作集は「全集」と稱するものも含めて全て選集となつてゐる。それが福田氏の意圖であつた事は解るのだが(福田氏のシェイクスピア「全集」も、重要な作品をピックアップした部分譯でしかない)、小林秀雄ですらも、本人が單行本集録を拒んでゐたベルグソン論まで含んだ、完全な全集の刊行が進んでゐる。福田恆存の眞の全貌を明かにする爲にも、本來の意味での福田恆存全集の刊行は必要だと思ふのだが。

平成二十三年一月八日
持丸博・佐藤松男『証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決』(文藝春秋)を讀んだ。多分若い讀者だと相當の部分がちんぷんかんぷんだと思ふ。俺は古本ヲタだから論爭ジャーナルとか國文研とか言はれても「わかることはわかる」(聞いた事がある・名前は知つてゐる)。
福田全集(文藝春秋版)の「覺書(六)」で福田恆存が、かつて三島に「福田さんは暗渠で西洋に通じてゐる」と言はれた事について、三島の国粋主義こそが、彼の譬喩を借りれば、「暗渠で日本に通じてゐる」と書いてゐるけれども、これは、三島の国粋主義こそ彼の譬喩を借りれば「暗渠で西洋に通じてゐる」の間違いではないかと思います、と佐藤氏が指摘してゐる。直ぐに反論を思ひつけるけれども、裏づけなしで言返すだけになるから、今は反論しない。反論出來ないと思つたら默つて置く。
福田さんは三島と一度對談した後、これ以上話をすると、天皇の問題で三島の主張を認知する事になるから、多分最う對談をしなかつたのだらうと書かれてゐるが、本書は三島の直ぐ近くにゐた持丸氏の天皇論で終へられてゐる。一往述べておくと、持丸氏の表明する天皇觀・國體觀は、三島のそれと大きく食違つてゐた(平泉學派に連なる者として、三島の考へ方は容れられない、と云ふもの)、と云ふ話で、單なる「三島の宣傳」ではない。
どちらかと言ふと三島由紀夫の方がメインで扱はれる恰好になつてゐるけれども、「福田恆存側」でも興味深く讀める筈。
平成二十三年一月八日
中村保男『絶對の探究 福田恆存の軌跡』(麗澤大学出版会)、前に途中まで讀んでそれ切りにしてゐたのを、改めて續けて讀み始めた。著者が正直に「わからない」「わからない」と書いてゐる本で、その點、非常に「評論として問題がある」本だ。が、問題提起の仕方と、考察の進め方、パターンが、ありありと判り、何とも著者らしいと思はせるので、非常に有益。
『否定の精神』の「あとがき――祈り――」のラテン語、Qui scit, scit; nescit qui sit.(今度の評論集では誤植を直してある)と、だまさるることなかれと云ふ福田氏の斷り書き、中村氏は謎めかしいと書いてゐて、成程、福田氏の思はせぶりの言葉を扱つてゐる部分で扱ふのは「正當」だが、私見では(と斷つておく)餘り謎でもない。福田恆存で「だます」と言へば「自分で自分を欺す=自己欺瞞」と云ふ事を言つてゐるわけで、それを考へれば、ラテン語の意味も明瞭だ。もつとも、これを「明瞭」だと言つてゐる俺も、中村氏の的外れつぽい考察を讀んだ上で漸く思ひ附いて言つてゐるので、この文句に接して二十年經つてからやつと「わかつた」と云ふ事にほかならない。逆に言へば、斯うやつて人に「正解つぽい思ひ附き」をさせる點で中村氏の文章は實に有益なものだと言ふ事が出來る。
平成二十三年一月八日
主張391
鈴木邦男氏。
平成二十三年一月八日
平泉澄
手持ちの本のまとめ。ろくに讀んでゐないから大した事を言へない。
平成二十三年一月八日
河出書房が出してゐた雜誌「知性」の特集で福田恆存の慥か平和論が再録された時、それに編集部が揶揄的なコメントを附けて嘲つてゐたのだけれども、戰後の一時期はさう云ふ左翼的な時代だつた――なんて事が感覺的にわかる人は、今の人には少いだらうと思ふ。
もつとも、よく考へると、2ちゃんねるのスレでもさう云ふ非道い紹介の仕方をする人は今でもざらにゐるわけで、時代は移れど人は變らない。

平成二十三年一月六日
重量から見た ガンダム の嘘と ボトムズ の本当
本當に本當なのかは知らない。
平成二十三年一月六日
早稲田の古書店 五十嵐書店website 営業のご案内
過去の案内。なぜか削除されずに殘つてゐる。
早稲田の古書店 五十嵐書店website 本店店内風景
早稲田の古書店 五十嵐書店website 支店店内風景
改裝前のなつかしい五十嵐書店の樣子。探せば何かありさうな、本當にいい店だつた。その後五十嵐はリニューアルしてしまつて、今は「セレクトショップ」になつてゐる。本が選別され、「これは賣りたい」と店側が希望してゐる商品だけが棚に並べられてゐるので、掘出物は皆無になり、行つても全く面白くなくなつてしまつた。
五十嵐書店online 店舗営業のご案内

平成二十三年一月五日
保田與重郎(無署名)『祖國正論』「新假名遣を停止せよ」(「祖國」昭和二十五年十月號/『保田與重郎全集第二十七卷』(講談社))

毎日新聞社は谷崎潤一郎の小説をのせる時新假名遣を用ひず、本當の假名遣に從つた。これは作者の頑強強情な文人的な良心に壓倒されたものであるが、この事實は新假名遣制定以後、これを守る左翼的壓力を無視した最初の行爲であつて、これにひきつゞいて、毎日新聞は五月二日反共の態度を闡明にし、朝日新聞社と對立した。しかし六月朝鮮事變にひきつゞく國内外情勢に影響され、過半の新聞は、毎日新聞に追從する結果となつた。

新假名遣は美しくないとか、不用意だとかいふよりも、第一の缺點は正確でないのである。言葉の正確さと、美しさと、ニユーアンスを尊ぶ文學者は、一人としてこれを使用しないことからみてもすぐわかる。

毎日新聞社が谷崎の小説をけいさいするのに、新聞社の申合せを破つてまで作者の氣持を迎へたのは英斷である。齋藤茂吉などが、歌を朝日新聞にのせてゐるのをみるに、新假名遣になつてゐる。これなどは茂吉ほどの人物だから、ことさらに間違へた文法にしてまで新聞如きものにのせる必要もないと思ふ。のせない方がよいと思ふ。彼ほどの文人の場合、それはまことにつまらぬことだ。たかが一新聞にのせるのせないといふだけのことだからだ。

毎日新聞の論説記者の中には、國語に關心をもつてゐる者がゐる。彼は共産黨議員の國會での下卑な言動をとがめたり、放送局の國語に對する不謹愼さを責めたり、新聞の用語の卑俗化を批判してゐる。一々論旨正確で、感覺もよい。その主張を進めて、彼は當然、新假名遣を拒否すべきである。

新假名遣を終戰後の左翼横行時代に、左翼勢力と結託して、強行して了つた文部省吏僚は、かつて戰時中にも、功利主義をふりかざして軍部革新派と結託し、この新假名遣を強行しようとした。當時これをつぶしたのは民間勢力であつたが、敗戰の混亂時に、彼らは左翼と結託してつひに宿望を達したのである。

新假名遣を使用して都合よいのは、新聞など活字を扱ふところ位である。これによつて起る現象は、まづ國語の文法の一貫した正確さが失はれる。文法が正しくなければ、文意は通じない。中頃戰國の世に入つて、國語文法の亂れたのを難波の契冲阿闍梨がまづ出で、相つぐ國學者の努力によつて、漸く文法古にかへり、國語は整然と體系づけられたのである。この文法に從つて、我々は千年前の人のかいたものを正しくよみ、古人が如何に正確に國語をしるしたかを知つたのである。この戰國亂世の時代の隱遁詩人――連歌俳諧師といはれる人々は、この亂世に國語の紊るゝをうれひ、「俳諧の益は俗語を正すにあり」との信條をたて、俗耳に入り易い徘徊を以て諸國を廻遊し、正確な國語を民衆に教へんとした。これが芭蕉時代まで、すべての俳諧師の意識にあつた彼らの生成の信條である。

新假名遣を子供に教へることによつて、古い古典は申すに及ばず、漱石鴎外といつた最近の文人らの作品さへ、すでによみ難い親しみ難いといふ結果をひき起す事實が、すでにいくらか現れてゐる。

戰時中、當時六十前後の老軍人の吾人に述懷したところであるが、「我々は少年時代にボー引きの所謂新假名遣を學んだために、年長じて後も少し表現内容の複雜な本だとよみ難い感がして、結果さういふ面倒なものをよまず易きにつく傾向が多い。つまり外國語は職業上修得してゐるが、肝心の日本の本だと、尊徳や松陰といつても、讀めはせん。だから講談や捕物帳を愛讀してをる。大體にいうてこの年配のものは、和漢の古典をよんでゐないから、知能上でどこか缺けたところがあつて、それがこの大事な時に世の中を動かしてゆくのだから、心配だ」といふやうなことを云うた。新假名遣は末端でない。一般的な勉學心を下降させた時代の象徴である。この老軍人の語つた、そのときの新假名遣は間もなく止まつたのである。

今度の新假名遣も、かういふ現象を起すにちがひないと思ふ。子供には氣の毒だから、本當の假名遣といふものを、同時に教へておくやうな細心さと愛情が、家庭になければならない。家庭にはその心はあるが、時間の餘裕はなく、子供の能力も過剩負擔に耐へない。

新假名遣の強行によつて起ることは、日本の次代は、ある程度廣範圍に、祖先と切りはなされるのである。過去の文物からひき離して左翼的出版物だけをよめるといふやうにしようとしてゐたわけである。これは誰が考へ、どういふ連中が結託したか誰でも知つてゐることだ。

小泉信三は八月十日毎日新聞紙上で「新假名遣を一旦元に歸すべし」と主張してゐる。新假名遣を施行するについて、學士や文人の十分の論議をまたず、一部文部省關係の者らが行つた、專斷的行爲を憤慨してゐるのである。これはその強行當時に諸々で放たれた聲であるが、當時は左翼の言論的暴力をたのみとして、文部省はこれを默殺したのである。(小泉の毎日新聞にのせたこの文章は勿論正しい假名遣に則つて書かれてゐる。)

新假名遣を一應廢止せよといふことは、時宜に適した提唱であつて、吾人はこれをあく迄支持するものである。

言葉の紊れることが、亂世の始りであると、かの北畠親房も論破してゐる。新假名遣は一部文部官僚や文士では山本有三などが結託し、學者文人間の一般的論議をへずに專斷強行した左翼的謀略である。これは今さらいきさつを云ふ迄もなくそれをした連中が最もよく知つてゐることである。

小泉はその文章の中で、露伴が蝸牛庵日記明治四十四年二月二十六日の條下にしるした一文をひいてゐる。「南北朝論一世轟々。……當時學者皆定案(定説)を飜すを以て功名のごとく心得、終に起らずもがなの論をひき起すに至れり。喜田氏(貞吉、歴史家)勝つことを好むに近き性質なれども、さりとて暴戻なんどいふ人柄にあらず、其説蓋し據るところあらん、たゞ先づ之を學界の問題とせずして、教科書に飜案(定説をくつがへすの義)の言を載せたるはよろしからず、教科書は世の定案に從ひてものすべし。異義あるべきやうのことは先づ學界に相爭ひて黒白を決し、全勝を得て後、定説と認めらるゝに至りて、はじめて之を兒童に課すべし」

學者の學説は自由であり、私案も自由であるが、「異義あるべきやうのことは先づ學界に相爭ひて黒白を決し、全勝を得て後、定説と認めらるゝに至りて、はじめて之を兒童に課すべし」といふのは、鐵則である。これに則せぬものは――新假名遣制定の如く――專斷暴擧である。小泉はそれをフアツシヨだと云うてゐる。

露伴は生前新假名遣強行のことをきゝ、それに對して何らの意見も述べなかつたが、たゞ一言、「この第二の東條め」と呟いたと傳へられてゐる。

平成二十三年一月五日
保田與重郎(無署名)『祖國正論』「新假名遣は自主的に停止すべし」(「祖國」昭和二十五年十二月號/『保田與重郎全集第二十七卷』(講談社))

戰後の文部省は、左翼の暴力の示威によつて、民間學者を入れると稱して歴史科を「唯物史觀」にゆだね、一方新假名遣を採用した。さうしてこのゆき方を「民主主義」と稱した。

しかし民主主義の本義は、それの生れる生活機構をつくり、その共同利益を享ける住民の合議によつて、ことを自主的に解決するにある。

その間一國一民族の傳統と習俗とモラルはこれを一片の政治論や政策論によつて左右すべきものでない。それが權力「獨裁」と異る「民主主義」の立まへだ。

新假名遣の缺點は、第一に正確でないことである。第二に古典と傳統のモラルにつながらないことである。第三に美しくないことである。

この故に正統的に日本文學に志をむけてきた文學者は、誰一人としてこれを採用してゐない。谷崎潤一郎の如きはこれを採用する新聞紙に執筆を拒絶してゐる。

文學者のみならず、多くの文學と美に關心をもつ學者も亦、新假名遣を拒否してゐる。日本民族が永續する限り、必ず正統假名遣は永續するのである。これは日本を一貫する言葉の天造のおきてだからである。だから國語を學的に考へる立場に於ては、新假名遣がなくなることは、太陽を見る如き事實である。新假名遣の實施は、「政治的」なものである。

我々は誤つた文法で、日本民族の永遠に傳へる詩文學をしるすことはしない。後代の校訂者を患すことは、彼らのために勞力の無駄だからである。

この国字國語問題は、外國から來た多くの學者文人、それに教育技術者も問題にしたところである。しかしその中で我々が尊重するのは、學者文人の説である。教育技術者は、どこの國でも同じであつて、彼らは學者文人の範圍にとゞかぬ政治的存在である。

しかし國語國字問題といつた、一民族の永い久しい傳統と、習俗と、モラルに即したものは、政治政策的に決定すべきものでない。さういふ民主主義は世界中にないのである。来れは政治問題でなく、學問上の檢討を經ねばならぬ問題である。(ユネスコもさう考へてゐる)

英國からきたブランデンといふ詩人と、フランスから來たグルツセといふ美術考古學者は、國語を簡單にしようとする考へ方は惡い考へ方だと批判してゐる。この二人はこの五年間にきた外國人の中で、學者文人といへる二人きりの人である。

グルツセはさういふ問題は日本人がきめたらよい問題だと云つてゐる。その説に對し、ブランデンは、「それにちがひないが、美しいものがなくなつてゆくのを、じつと見てゐるといふことは惡いことだ」と、積極的な意見をのべてゐる。(これは米國人グレン・シヨーが示唆して斷言させたのである。)ブランデンは、保守的で謙虚な詩人と思はれる。

今日の世界の有識者の關心は、新しいものを作ることより、すぐれた古いものが失しなはれたり、破壞されてゆくことを防衞する方に多くむいてゐる。新しい建設といふ掛聲は破壞と喪失しか結果しなかつた。これは二十世紀の文明の事實である。日本の五年間を見れば、その標本のやうなものだ。

三千年の歴史をたゞ一みちに「くに」をなしてくらしてきた民族の生活とモラルは、八百年、六百年の歴史しかもたぬものに容易に理解できない。まして三百年二百年の國家の歴史しかもたぬ市民に理解できる筈がない。

これは觀察者が善意であるといふことと無關係である。むしろ善意が負擔となる。古い老大國の習俗の禮儀として、相手の善意に對しては極めて弱いといふ性格をもつてゐるからである。

新假名遣は他人の忠告をまたず、自主的に停止すべきものである。それは一民族の當然の處置であり、恥辱を重ねぬ所以である。

平成二十三年一月五日
Thunderbirdで選択した部分のみ返信に引用する機能を無効にする方法(常に全文引用にする方法) - すめるまん Broken Diary

平成二十三年一月四日
なつかしかつたので……。SFSFSF。
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平成二十三年一月二日
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平成二十三年一月一日
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