- 細川
- 時に新進党は、小沢さんが党首になりました。私は小沢さんの記者會見などを見ていて、なかなかハキハキしていていいなあと思ったんです。小沢党首のもとに新進党がまとまっていけば、かなりの力を発揮するんじゃないかと思いましたね。一般でもそう思っておる人が多いでしょう。ところが、一月二十二日、羽田さんが旗揚げをしましたね。高市さんもそこに入っていらっしゃるけれど、そうなると党のまとまりという点では良くないなあと思ったんです。……。
- 高市
- 私は旗揚げのために、かなり中心的にやったほうですから。
- 細川
- どうして今旗揚げなんですか。
- 高市
- それはべつに分派活動なんかではないからじゃないですか。私は思想的には小沢さんの考えに共鳴しているんです。著書も何度も読みましたし。羽田さんのグループについて、新聞なんかが、今後リベラルとの再編に向けた動きだ、なんて書いていますけれど、冗談じゃない、保守なんだと思っていますけれども。ただこの前の党首選挙で小沢さんが出された政策については、インパクトを狙いすぎたために政策の体をなしていないなあと思いましたねえ。
- 細川
- なるほど。
- 高市
- 消費税の件なんかでも、国債費がGNPの八六パーセント位になっちゃうんですね。二〇一〇年には気違いじみた恐ろしい数字になっちゃうんですね。私は党で税制調査会の常任幹事をやっていますので、税の問題についてはかなり緻密に議論してきたんです。
- 党首選に出るからといって、党の税調で作り上げてきた議論というものを全く無視した形で出すというのはおかしいと思いましたね。ご自分の色合いを出されるというのはいいんですが、政策を根本的に転換するようなことをやってしまうというのはいくら党首といっても行き過ぎじゃないでしょうか。それならばほかの党を作るべきでしょう。税の問題では、私は非常に不愉快でした。
- それから国連警察隊ですか、あれなんかでも自衛隊を縮小してなんていう前提がついていましたね。私は現在の自衛隊ですら最低限の自衛力だと思っていますから、これ以上縮小する根拠なんてないと思っています。安全保障は国民の生命にかかわることですから、もっと緻密な議論をしなくてはいけない。以上の二点を見ても、小沢さんの党首選における政策というものは、打ち上げ花火的であまり賛同できないんです。ただ小沢さんの思想、考え方というものには賛同しているんです。ですから私は最初無所属でいて、新進党に入るかどうかずいぶん迷いました。地元も自民党の方に支えられていて、後援会も自民党員が多いんです。でも、最後に私の背中を押したのは小沢さんがお書きになった本だったんです。
- 細川
- なるほど。
- 高市
- 入ってみて、筋のしっかりした人が多いと思いました。でも小沢さんという人は、考えはいいんだけれど、実行力がない。よくリーダーシップがあるとか言いますけれど、今回小沢さんが買ったのは村山さんのあまりの頼りなさに対するアンチだったと思うんですよ。小沢さんのようなはっきりものを言う人が出てきて欲しいという、そういう票なんですね。しかしものをはっきり言っても、それを法案にして出していくというプロセスを踏めない人は実行力がないことだと思います。根回し、説得、合意作り、という政治で一番大変な仕事を小沢さんはやらない。おれについてこいと。ついてこない人は力で押さえる。でも私は、国会での当選回数がどうであれ、私は国民から選ばれたわけですから、生意気かもしれませんが、小沢さんとも対等な一代議士だと思っているんです。
野党第一党の新進党ガ消滅し、民主党が第一党となったのだから、代表の菅が張り切るのも当然の話であろう。
しかしあまり張り切り過ぎると、勇み足という落とし穴が待ち受けている。あるいは第二の新進党と化し、野党結集に失敗する可能性も生じてくる。菅には「イラ菅」というニックネームがある。
……
菅が小沢の二の舞にならぬために超えねばならない三つのハードルがある。
一番目は、大同団結していく過程での政策合意、とりわけ具体的な緊急景気対策、沖縄基地問題と防衛問題である。この部分で政府与党との差異、具体的な代替案の提示がどれだけ出来るかの課題だ。
絵に描いた抽象論は不要だし、説得力に富む代替案に立脚しての政策論争こそ政治の正道なのだ。菅は小沢のように演説嫌いではない。むしろそれを好むタイプである。
ハードルの二番目は、人間関係である。小沢はこの部分で失敗した。菅には羽田、細川、鹿野、中野寛成等の年齢的、政治キャリア面での先輩がパートナーになる。彼等のポストや役割分担をキチンと処理しないと、先輩達がツムジを曲げる場面が生じる事も危惧されるわけだ。
そして三番目。政治は数の世界である。多数を制してこそ、与党として政策や理念を実現していけるのだ。それには選挙に勝たねばならない。小沢も三年前の参院選では勝ったものの、一昨年秋の衆院選で敗れ、坂道を転落するハメに陥った。
……。
原子力空母ジョージワ・シントン。
ちなみに、ここでは何度も繰り返しているが、この手のUIの設計には、「作っては壊し、作っては壊す」という過程が必須。紙の上で仕様書を作って、下請けにコーディングを丸投げする「ゼネコン・スタイル」の開発体制では、良いものが作れない理由がここにある。
歴史は、一般的なるもののために働くことによって自分自身を高めた人びとを、もっとも偉大な人びとと呼び、経験は、もっとも多くの人びとを幸福にした人を、もっとも幸福な人として賞賛する。宗教そのものは、われわれに、すべての人びとの追求する理想が、人類のためにみずからを犧牲にしたことを、教えている。このようなことを、誰が水泡に帰そうとするであろうか。
真理は普遍的なものであり、それは私に属さず、すべてのものに属する。真理が私を所有しているのであり、私が真理を所有しているのではない。私の所有物は形式であって、それが私の精神的な個性である。文は人なり。その通りである。
行為そのものではなく行為の心術をその主要な判断基準とする法律は、無法を実際に是認するものにほかならない。
人間はその本性から、個人においても集団においても、不完全である。この原理については争う余地がない。それ故、そう認めよう。このことからどのようなことがでてくるであろうか? わが演説者の議論も、政府も、州議会も、出版の自由も、人間存在のあらゆる領域が不完全であるということである。それ故、もしこれらの領域のどれか一つがこういう不完全さのために存在すべきでないとすれば、いかなるものも存在する権利をもたないことになり、したがって一般に人間は存在の権利をもたないことになる。
出版の自由の本質そのものにもとづいている真の検閲は、批判である。それは、出版の自由がそれ自身のうちから生みだす裁判所である。
神聖でない手段を必要とするような目的は、けっして神聖な目的ではない。
宗教上の不幸は、一つには現実の不幸の表現であり、また、一つには現実の不幸への抗議である。宗教は、なやんでいるものの歎息であり、精神なき状態の精神であるように無情な世界の心情である。それは民衆の阿片である。
民衆の幻想的幸福としての宗教の廃棄は、その現実的幸福の要求である。彼の状態についての幻想をすてるようにという要求は、その幻想を必要とするような状態をすてるようにという要求である。それ故に、宗教の批判は、宗教がその輪光である浮世の批判をはらんでいる。
無神論の人間愛は、最初はただ哲学的な抽象的人間愛にすぎないが、共産主義の人間愛はそのまますぐに現実的であり、ただちに活動しようと緊張している。
神の止揚としての無神論が理論上人間主義の到来であり、私的所有の揚棄としての共産主義が現実的な人間的生活を人間の所有として返還請求することであり、これが実践的人間主義の到来なのである。……。無神論は宗教の止揚によって媒介された人間主義であり、他方共産主義は私的所有の止揚によって媒介された人間主義である。
義務教育内でWorld Wide Webについて学ぶ授業があってもいいと思うんだよなー*3。謎の「ネットマナー」についてではなく「WWW」についての授業ね。WWWがどういったものなのかってことを正しく理解していれば、変な俺ルール振りかざしたり、犯罪行為を暴露して大炎上したり、そういう妙なことが減ると思うし。
teraco internet 「World Wide Webに何か物を公開するってことがどういうことなのか、今一度よく考えた方がいい。」←これがね…。そこまで覚悟して公開してる人は少ないって話でふらふら道歩いてる人をボッコボコにしていいのかって話。 2010/09/01
ボッコボコにしてゐるのだらう。自分がしてゐる事を棚に上げると何でも言へる、と云ふ典型。