俺は、開発者には開発者の特権があるし、批評家には批評家の特権があると思っている。俺はその両方を認めている。(なぜか野嵜さんは俺が批判を全否定し開発者だけに特権を認めているということにしたいようだけれども)
あちこちの文章を見てこちらは書いてゐるのであり、その點を讀取つて頂ければと。
公開されたプログラムが公共性を帯び人人の役に立つことが求められる一方で、批評家はただ好き勝手に自分の言いたいことを言い放題でよいというのなら、批評家というのはさぞ気楽な仕事なのだろう。
利用者の意見や要望はできるだけ聞くように努めるが、利用者の望みを何でも叶えてやれる訣ではないということを、yash や mfind の説明書に明確化しなくては。
大概の利用者は開発者の気持なんかこれっぽっちも考えておらず、文句を言うだけ言って後は知らんぷりなので、開発者が自分で自分を奮い立たせることができる強い精神の持ち主でないとフリーソフト開発なんて務まらない。
プログラマにとつて、プログラマだけが人間であり、ユーザは「人間未滿」の存在である。と云ふ皮肉を
決め付けだと極附け、野嵜が
およそ理性的・客観的とは思われない人格攻撃をしてきたと言ふのは、何うかしてゐると思ふ。と言ふか、
三日続けて乞食に恵んでやったら、四日目以降は以前よりもましてねだるようになってきたというのと似たような話だ。なんて言葉を吐いて――そしてこの時、まじかんと氏は最初に、野嵜個人をターゲットに、人格攻撃を仕掛けてゐるのだ。
としまさんは
「自分の作りたいソフトを」作るというだけではすまされません。社会的責任があるといい、野嵜さんは安易に仕樣の變更を繰返すプログラマ・アプリケーションの制作者は、無責任だという。こういうありもしない責任だの義務だのを押しつけて、自分の要求する機能が実現されるまで粘着し続ける「利用者」が一番うざったい。自分の思い通りにソフトが開発されるのが当然と思いこんでいて、フリーウェアの制作が慈善活動であることを理解していない。三日続けて乞食に恵んでやったら、四日目以降は以前よりもましてねだるようになってきたというのと似たような話だ。これまで利用者の望みを叶えてきたからといって、これからもずっとそうしなければならないという義務は開発者にはないんだよ。
私は、小澤さんが辞任すべきという主張が分からない。
与党がやってはいけない事は、辺野古の海をコンクリートで固めてしまうこと。
安全保障より海岸の保全は優先する。
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼なんて出來たものではないし、そもそもそんなものは存在しない。どんな國も
われら日本人
の安全と生存を保持させる爲になんて存在してゐないのだから、自分の國の國民の安全と生存を保持するには自分の國でやるしかない。
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」をよんだら。少し讀んだ。
しかし、文章が稚拙で物語に入り込めないところが、非常に残念だ。まるで中学生が書いた作文のような、ざらついた言葉の並びに、都度、目がとまり、繰り返し登場する表現に語彙力のなさを感じざるをえない。
119 人中、86人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。になつてゐるから、多くの人が「まあこんな評をされても仕方ないよな」と苦笑してゐるのだと思ふ。正確に言へば、てにをはは合つてゐるから、文章が下手と言ふよりは、文體がぎこちない、と云つた處。その邊を氣にしないで讀むなら樂しく讀める。ウェブサイトをやつて受けようとか思つてゐる人は讀んでおくと何か役に立つと思ふ。さう云ふ意味では有益な本。
えち鉄なる略し方は何うかと思つた。
えちとも100人できるかな?♪見た人は全員知つてゐるけれども今期有數の全然エロくないアニメで、女版「」としか言ひやうのないヒロインの山田が可愛いと評判。
プログラマを無闇に刺激して怒らせるとユーザのいうことを聞いてくれなくなるから、やめたほうがいいよ。
商売としてソフトを売っている企業と、たまたま自分用に作ったソフトをフリーウェアとして公開している個人開発者とでは、利用者に対する意識は異なるものであり、それは開発者が利用者のいうことをどれだけ聞いてくれるかということに直結する。
プログラマを無闇に刺激して怒らせるとユーザのいうことを聞いてくれなくなるから、やめたほうがいいよ。とまで言つて、批判を封じ込めようとする。プログラムは、プログラマの意圖によつて、意義を決定される。公開の場に提出された時、客觀的に批評されるよりも、プログラマに好意的に――腫れ物にさはるやうに――取扱はれねばならない。文章を書くのと比べて、プログラムなるものを書くのは、何と氣樂な行爲であるか。
ユーザが自分の要求をプログラマに実現させるためには、プログラマに対してどう働きかけるべきか。という観点で考えると、プログラム (あるいはプログラマ) の悪い点をただ批判することは必ずしも最適解ではないよね。
商売としてソフトを売っている企業と、たまたま自分用に作ったソフトをフリーウェアとして公開している個人開発者とでは、利用者に対する意識は異なるものであり、それは開発者が利用者のいうことをどれだけ聞いてくれるかということに直結する。
商売としてソフトを売っている企業と、たまたま自分用に作ったソフトをフリーウェアとして公開している個人開発者とを、區別しない。公開されたプログラムは、公開の場で批評されるもので、慥かに一企業のソフトウェアとしては何うであるとか、一個人のソフトウェアにしては何うであるとか、言はれ得るけれども、最終的には提供された機能それ自體の有用性等でそのソフトウェアの良い惡いは判斷される。素人の一個人の作つたプログラムだからと言つて、Windowsのセキュリティホールになり得るなんてものだつたら、やつぱり大々的に問題になる。大企業のものだからと言つて、良く出來てゐれば良く出來てゐると言はねばならない。當り前だ。
日本におけるトマス・ヒル・グリーンの受容史から垣間見えるもの(http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/report/2-pdf/3_tetsugaku2/3_16.pdf)
「政治とカネ」ばかりのこの国は大丈夫か
「フリーソフトには社会的責任が生じる」発言で議論白熱中
こういうありもしない責任だの義務だのを押しつけて、自分の要求する機能が実現されるまで粘着し続ける「利用者」が一番うざったい。自分の思い通りにソフトが開発されるのが当然と思いこんでいて、フリーウェアの制作が慈善活動であることを理解していない。
三日続けて乞食に恵んでやったら、四日目以降は以前よりもましてねだるようになってきたというのと似たような話だ。これまで利用者の望みを叶えてきたからといって、これからもずっとそうしなければならないという義務は開発者にはないんだよ。
クローズドソースだと、まさに文字通り「自分がやらなきゃ誰もできない」ので言い訳ができない。要望に応えないことを選ぶ場合、それに対する責めに真っ正面から立ち向かわないといけない。精神力が強くないとやってらんない。
でも、オープンソースにしておけば、言い訳ができる。自分がやらなくても、他の誰かがソースコードに手を加えて実現することが、理屈の上では可能なのだから。自分一人で抱え込まなくてもよくなる。
開発者が利用者の要望に応えない時、そのことについて非難される可能性があることは Piro さんだって解っている。そういった非難があることを承知の上で、
自衛のための手段すなわち非難を少しでも躱すための手段としてオープンソース化や寄付拒絶の話をしているのだろう。
仕事が忙しくなって開発に時間が取れなくなったので開発を中止するといったら逆切れする利用者もいる。しまいにゃ、寿命が尽きて死んだら
何で死んだんだ!? まだ作ってほしい機能があるのに!とかいうやつだってでてくるんだろうな。まあ、別に言いたきゃ言えばいいんだけれども、そういう文句を言ったところでどうにもならないよ、ということ。
もちろんこんな主張をすれば批判されるのは分かっているが、事実として、利用者は開発者にソフトの開発の仕方を強制することはできないのだ。
Winny のような、開発者と利用者以外の第三者にも被害が及ぶ可能性の大きい欠陥ソフトは、法的に取り締まってもよいと俺は思っているが、まああれは明らかに設計に欠陥があるから、ね。全ての問題の責任を開発者が負えということになったら、恐らく誰もソフト開発なんてやらなくなる。
法的に取り締まる、と云ふ事をまじかんと氏は提唱してゐるが、これはプログラムを直すのでなく、プログラムの使用を禁止する、と云ふ事を意味する。それによつて、慥かに、誤は「なくなる」が、Winnyみたいに「なくなつてもよい」プログラム許りではないし、必要なプログラムが誤を含んでゐた場合何うするか、と云ふ問題がある。Windowsに重大なセキュリティホールが見附かつた時、Windowsの使用を禁止する事が出來るか、と言へば、さうは簡單には片附かない。が、Windows程有名でなくとも、公開されたプログラムならば全て「公共性はある」のであつて、「使用を禁止する」式の「修正」なんてさうさう出來たものではない。
古いコンテンツのサルベージ
多分抜けもあると思うけど、webで読書感想文をあげたのは94年ぐらいからのはずで、この辺はやろうと思えばバックアップを引っぱり出して、どこか(まあここかはてなだわな)に置き直す事はできるんだけど。
Fast、
Powerful、
Empowering、と、スローガンが並んでゐる。
- Fast: making Firefox super-duper fast
- Powerful: enabling new open, standard Web technologies (HTML5 and beyond!),
- Empowering: putting users in full control of their browser, data, and Web experience.
1)高速化を図る、2)HTML5以降のWeb標準技術への対応、3)ユーザーがブラウザーやデータ、Web体験を完全にコントロールできるようにすること。
「高速」「権限:ブラウジング、データや情報の取り扱いにおけるユーザーのフルコントロール」「パワフル:新たなオープンWeb標準サポート」
(1)高速化、(2)HTML5などの新たなWeb標準技術への対応、(3)Firefox自体とデータ、操作性に関する設定の自由度向上
Mozilla は、Firefox 4 に新しい『Jetpack』アドオン技術を搭載し、『Weave』でデータ同期機能を追加するほか、パフォーマンスの強化、パーソナライズ性やカスタマイズ性の改善を行なう計画だ。
- usopion 2010/05/12 16:40
- まずは選択文字列のドラッグ&ドロップが出来ないこと。これは他のブラウザのみならず、一般的なウィンドウズアプリでは当たり前に出来ること。これが出来ない時点で他の素晴らしい機能を体験する前に Opera はうんこって事に普通の人はなる。いろんな機能を付けるのも良いけど、まずはこういう所を直せと。もちろん、画像をドラッグしてエクスプローラーに落とせないこととか、文字列クリック自の挙動が違う件 http://my.opera.com/japanese/forums/topic.dml?id=556621 とか、 textarea 内の文字列を D&D したら何で移動じゃなくてコピーするんだとかも同じく。
- usopion 2010/05/12 16:59
- あと、 Opera Mail の検索における日本語の取り扱いについて。 http://my.opera.com/usopion/blog/show.dml/2860313 Opera Mail は素晴らしいけど、日本語の取り扱いがこんなんなのでお友達には勧められない。ここが直ったら Opera Mail は完璧なメールクライアントになるので是非直してほしいと。
第7話「事変」に関するお知らせ
- 内閣の支持率が急落してるって? 落ち方にもよるんだが、このケースは俺が最も恐れていた、最悪の事態を招いた結果だね。最悪の事態ってのは「政治不信」。
- 俺が描いていたシナリオというのは、民主党が愚直に政策を実行して、国民が痛い目を見、その苦悩と反省から政治・経済とは何かを真剣に考え始める、あるいはその果実を得、ますます政治に期待と関心を寄せる、というもの。ところが何もかも中途半端で、どちらの効果も望めないどころが、逆に失望感が漂っている。
卓郎読んでると、多少今おかしくなっても民主党にやらせて 一旦溜まった悪いものを全部吐き出させた方がいいような気もしてくる。
マークアップ作業ってのはおまけに過ぎなくて、きちんと構造化された文書が書けることが大前提。見出しをマークアップしようと思っても、適切な位置に適切な見出しが書かれていないといけないわけだし。
タイプするアルファベットと、入力する日本語の漢字と假名とを、單に文字數の違ひ(量の違ひ)でしかないからskkでは區別しないのに對し、連文節變換では表音文字のシステムと表意文字+表音文字のシステムの違ひ(質の違ひ)があると看做し、區別して考へてゐる。
うーむ。アルファベットと漢字・假名を「量や質」で区別する(あるゐはしない)ってどういふ意味なんですか?
文字數の違ひ(量の違ひ)と
表音文字のシステムと表意文字+表音文字のシステムの違ひ(質の違ひ)と書いてゐるのに。……「漢字も假名もアルファベットも同じ文字と看做す」と云ふ事と、「漢字・假名・アルファベットにはそれぞれ異る性質がある」と云ふ事を、爺さんは想像しようともしてゐないのか?
「レイバーネット日本」は、グローバル時代において、労働者の権利を確立し、連帯を 強化することに役立ちたいと願うものです。
超党派で速やかな改憲を、憲法記念日・各地で集会開く
だからというわけじゃないけど、個人的には外側の構造*2よりも、body要素内の要素の適切なマークアップ方法を解説するべきじゃないのかなー、とか思ったりする。
body要素内の要素について、一つのテンプレートを提案するものだ。HTML 5の解説では、常にHTMLのテンプレートが示される。ユーザはテンプレートに中身を嵌め込んで、一つの文書を作る事になるだらう。
アルファベットの話。