人間はみんな、猥褻な行為によって生まれて居る。
私は多少極端な種類の自由主義者なので理想としては思想や表現の自由は無制限であるべきと考えている。
だが些か極端すぎて同意も得られないし、私自身そう望ましいと思う事ではないので妥協しうるという事だ。
たったこれだけで古いバージョンに戻してしまうという声を聞くと悲しくなります。
これだけが理由ではないだらう。昔からOperaを使つてゐるユーザほど、最近の仕樣變更に腹を立ててゐて、それで見限つてゐるのだと思ふ。
悲しくなりますだ。自分で勝手に仕樣を變へておいて、仕樣變更についてこないユーザに恨み節。ふざけるのも大概にして貰ひたい。
検索結果で太字になったキーワードと他の部分で下線が揃っているだけでも最新版を使った方が気分が良いと私は思います。
クイック検索・
インクリメンタルサーチは、矢張り新しい機能で、それをΣαιτω氏はしれつと流す形で紹介してゐる。しかし、この新機能に俺はむかついてゐる。
恣意的な記述を含む法律や条令が「惡用」される事は滅多にない。特にこの國では。大抵「いい方向」に「解釋」されて、それが法を「運用」する事だと思はれてゐる。そしてその事を日本國民は略全員、當り前だと思つてゐる。
自由民主主義。苦笑。Yahoo!掲示板でこの言葉使つてゐた人は左翼だつた。何れにしても以下の西部氏の文章では、最近の「保守」業界の中での符牒的な用語が目立つ。
「自民党マイナス政権党はゼロ」。「自民党=政権党」……?
保守とは、自由のための秩序を国家の「歴史的」な規範に求め、平等の限界を国民の「歴史的」な公正感に見いだし、友愛に伴う偽善を国民の「歴史的」な節度によって防止する、という姿勢のことであろう。一般的な「保守」なる概念の定義ではないデアラウ。
戦後の65年間、それら「歴史的なるもの」が破壊にまかされてきた。
いや、昭和期の自民党は歴史の慣性のようなものをひきずっていた。慣性のようなものを引きずる。
つまり、アメリカ流の自由(個人)民主主義の実行の仕方において、日本流がかろうじて生き長らえていたのである。
それをみて日本の民主党は、アメリカの民主党と軌を一にし、社会(介入)民主主義を、つまり社民主義を標榜(ひょうぼう)した。
昭和期の自民党も社民的政策を推し進めていたのだが、そこには、無自覚にせよ、国柄保守の態度が何とか維持されていた。そこでは?
その結果、アメリカ主流の自由民主主義とその反主流の社民主義という、ともに歴史感覚の乏しい政治理念のあいだの代理闘争がこの列島で演じられる仕儀となった。――「闘争が演じられる」?
日本国憲法は社民主義のマニフェストにすぎないこと、自民党の旧綱領は社民主義へのアンチテーゼにとどまっていたこと、平成改革は国柄喪失の自民主義に突っ走っていたこと、そうした事柄を全面的に省察するのが保守誕生ということである。「保守誕生は省察する事である」……?
しかし、これから正が出るか邪が出るかは、「民意」なるものが優等か劣等かによる。「正と出るか邪と出るか」?
たとえば、議会での議論が必要なのは、民意によって選ばれた多数派の政権も、フォリビリティ(可謬性つまり間違いを犯す可能性)を免れえないからだ。――Special Article: George Soros 14/14:
「可謬性(fallibility)」とは,ポパーが用いた用語で,われわれの知識が完全に真理に到達したかどうかは確証できず,常に誤っている可能性があるということ.どんな見解も可謬性を免れず,絶対に正しいことはありえないとする見解を「可謬主義」という.
こういうものにすぎぬ民衆政治を民主主義の理念にまで昇格させたのは、自民主義にせよ社民主義にせよ、近代の理念における錯誤だらけの模型であり流行である。――ぐぐつてみると「民衆政治」は「保守」系だか「憂國」系だかの人の愛用する用語らしいが一般的な用語ではない。「昇格させたのは模型であり流行である」と云ふ主語述語の對應關係があるが、それにどのやうな形で修飾語がかかつてゐるのかよくわからない。
デモクラティズム(民主主義)は民衆という多数者に「主権」ありとする。――デモクラシーと民主主義の違い:
デモクラシー(democracy)という言葉は、ギリシア語の「ディモクラティ(demokrati)」から出ている。ディモス(demos)はピープル、クラティア(Kratia)はガバメント、政治制度をいう。日本ではこのデモクラシーを民主主義と訳しているが、「主義」は本来「イズム(ism)」でなければならない。もしデモクライズムあるいはデモクラティズムならば民主主義となるが、デモクラシーは民主政治、あるいは民主制、民主政治制度とすべきである。この「制度」とすべきものを「主義」と誤訳してしまったところに戦後の日本のデモクラシーの大きな落とし穴があるように思うのである。(「国会は無駄づかい」P101より)
ただし、民衆が「国民」であるならば、国家の歴史に秘められている英知のことをさして、主権という修辞を与えることも許されよう。――主権 - Wikipedia:
主権……は、主として憲法・国際法で用いられる、国家の最高独立性を表す概念である。
『桜姫』醤油。
まだユーザが見ていないリンクはブルー、すでに閲覧済のページは紫か赤。この色に手を付けてはいけない。なぜなら、どのリンクが訪問済かを見分ける機能は、ほとんどのウェブブラウザで標準化されているわけだが、こういったナビゲーション・サポートは数少ないからだ。リンク色の示す意味をユーザに理解してもらうには、一貫性が重要だ。
もちろん、複雑なことも行えます。たとえば、HTML の中で、SVG の foreignObject を利用し、そのの中に MathML や HTML を含めることも可能です。→「の」が一つ餘計。
Absent Elementsを
不在の要素とやつてゐるが疑問。出掛けてゐて留守なのではないから、「存在しない要素」のやうに譯した方が良いと思ふ。
おかげで、勝間さんが関わっている本にまずまず好意的なレビューを書くと、もうそれだけで「参考にならなかった」票がポンポン入る。「参考になった」票が入るたび、一昼夜で対抗票が入る。私の他の本のレビューと比較して、勝間本のレビューだけそんなにひどいという理由があるなら、誰か説明してほしい。
これは以前、2chで話題になっていた福島瑞穂さんの著書をきちんと紹介するレビューを書いたときも同じだった。ネガティブキャンペーンを管理しなかったらレビューの存在意義は相当に毀損されてしまうのに、それを放置している Amazon にまず苛立つが、著者がそれをよしとしているのもどうかと思う。
(しかしはてぶされると、「わかってない奴がマジレスする」現象が発生するので普通に鬱陶しいなぁ。まさにキャズム越えや。ってか、ググってみたんだけど、 moneyfor88 は捨て垢・サブ垢の類っぽい。マジチキンだなー。焼き鳥にしたいぐらいのチキンだ)
漢字・漢文の修得に伴い、日本語表記の方法も進み、かな文字の進歩と同時に、音訓併用による日本語表記もはじめられました。
例えば、「開中費直綾人」「今州里」などの用法が残されています。
飛鳥時代から白鳳時代にかけて、多くの金石文が残されています。これら六世紀末から七世紀にかけての金石文の多くは、、造像記でありますが、そこには一字一音の固有名詞が多く、法隆寺金堂薬師如来像光背銘では、漢文の語順を無視して、漢字による日本語表記も生みだされています。
その後、群馬県山ノ上の碑、『古事記』や宣命などと、我々の祖先が苦心を重ね、日本語の表記方法を発展させ、ついに八世紀後半の『万葉集』編纂において、一字一音の方法を一段と進め、音訓併用による日本語表記の方法を完成しました。
『万葉集』は、一字一音のかなと訓で、完全に日本語の表記に成功したのでありますが、一字一音のかなは、同一文字を連続して使用しておりません。例えば、「い」は、「以・伊・夷・移」、「ろ」は「呂・路・露・楼」、「は」は「波・八・半・葉・羽」のように、一文字について種類が多くあります。これらのかなを、後世万葉仮名と呼ぶようになりました。
奈良時代は、万葉仮名を楷書・行書の二体で書くのが普通でありました。公的な記録は男性の仕事で、漢文で書くのが建前であり、日常的・私的なことは、女性の世界で、万葉仮名で書いたと思われます。
生活は簡便を尊ぶのが自然で、日常的なことや私的な方面では、万葉仮名の草体化が進んでいたことでしょう。そのことは、正倉院に残されている半草体化したかなの存在によってもわかります。
奈良時代の「万葉仮名」といいましても、藤原時代の「かな」のような、和様体の優美な姿はしておらず奈良時代使用されていた、王羲之風の漢字の姿そのままで、漢字の音を借りて、かなとして使用していたので、書の姿は漢字と変りがなかったと思います。
漢字・漢文用に使用されている楷書体、行書体、草書体の文字を真名と呼び、日本語表記に使用されている楷書体、行書体の文字、および草書体が略体化され、ついには草書体の元の姿を想像することができないくらい簡略化された文字をかな(仮名)と呼びます。
かなには、前にも述べたように、「あ」に「安」「阿」「悪」、「さ」には「左」「散」「斜」「沙」「乍」のように、同音の文字に数文字があてられていました。多いものは三十数字の字があてられた例があります。奈良時代からかなの略体化がはかられ、反草体化したかな文書が正倉院に残されています。
おそらく、漢字漢文から門戸を閉ざされ草書の原字を知らない女性や、大学に行けない男性によって、原字に拘泥することなく自由奔放に書き崩していった結果、日本独自の女手(かな)を作り上げたと思われます。
女性は身分が高くなればなるほど、御簾や几帳の奧深く閉じこめられて生活していましたので、身内の者以外に姿を見せることがない女性が、男性との交際にも、用を弁ずるにも、和歌と消息文によるほか方法はありません。
このように女性が日常生活において、和歌や消息文を書くうちに、書き崩していったのが女手(かな)です。
明治三十三年、小学校令が改正された時、前述のように万葉仮名は一字について数文字の文字が書けるようにあてられていましたのを、「いろはにほへ……」と四七文字を学校教育で取り上げることになりました(ひらがな)。その他は変体仮名として学校教育では取り上げないことになりました。
現在では「いろは」四七文字以外の変体仮名と称する文字は、美的表現のため、書芸術の世界でのみ使用されています。
東洋のナショナリズムにおいても事情はおなじである。これもまたその道徳的魅力とその積極的な特質を、西欧から獲得したもろもろの政治的理想に負うている。近代ナショナリズムはアジアとアフリカの土壌に成長した外来植物であり、その伝播の径路は西欧式教育の拡散の足跡に直続している。もしもそれが、この西欧的理想の酵母を失って消極的な外人恐怖症的な西欧への反動に終る場合には、これもまたひとつの破壊的勢力と化すのである。わたしたちはこの現象を英印分離のときに見た。旧式の王政派の大衆は原始的なむきだしの暴力をふるいながら自己を主張し、さすがのインドのナショナリズムの教養ある指導者たちもたじろいておぞけをふるうありさまであった。しかし東洋的ナショナリズムにおける西欧的要素の強さをしめすおそらくもっともいちじるしい一例は近代トルコの場合であろう。敗北のどたん場にトルコ国民を外部からの征服から救わんがために立ちあがったケマル主義の復活は、トルコを一変して、厳密に西欧的な線で計画された近代世俗的国家に改造する結果に終ったのである。
近代のなかで「宗教改革」から「フランス革命」にわたる期間は研究のきわめて困難な時代であって、それは、とくにカトリックの学匠たちによって、今後もますます置き去りにされる危険がじじつ存在するようにわたしは思う。過去においては、またじっさいごく最近にいたるまで、この期間は「近代史」と見なされ、そしてマコーレーやカーライルやフルードのような、一般むきの文学的歴史家の主要な研究題目であったばかりでなく、その厖大な知識と探究の才能がいまだかつて凌駕されたことのない、ランケやアクトンのような偉大な学者の主要な研究題目でもあった。しかし今日「近代史」はひとつの新しい意味を獲得した。ますます多くの歴史家が手近かな過去の研究に専念している。研究の新しい分野が歴史の領域のなかへともちこまれつつある。一方、世界が現在の世代へと移行したさいに通過した戦争と革命とはわれわれの展望を一変して、十七世紀のヨーロッパほどにも遠く――カトリック信者にとっては、おそらく、それよりもさらに遠くへおしやってしまったのである。これらの諸世紀はもはや「近代史」には属していない。それらは専門的な意味では中世ではないけれども、この諸世紀は近代ヨーロッパを中世キリスト教世界から分離する、いわば新中世時代である。
それにもかかわらず、この期間はもはや「近代史」に属していないとはいえ、近代ヨーロッパと近代世界がそれから出現した時代であるという理由で、その期間はなおその重要性を保持している。それは国民国家の創造、近代科学の創造ならびに近代の自国語の文学の開花をみたところの時代である。とりわけそれは西欧文化がその起源である西ヨーロッパの中心部からアメリカへ、さらに世界へと膨脹したのをみた時代である。さらにそれはキリスト教徒にとっては特別の、また悲劇的な興味をそそるものをもっている。なぜならばそれはキリスト教世界の分裂をみた時代であったからである。この時代にカトリックとプロテスタントの両世界はそれらの現在の形態をとったし、またこの時代に西欧文化はわれわれの時代においてやっと完成された世俗化の過程を経過しはじめたからである。もしわれわれがこの時代を理解しないならば、われわれはヨーロッパ文化をぜんぜん理解せず、あるいはアメリカ文化をも理解するとはいいえないのである。
実証主義者の疑問にもかかわらず、ひとつの文化は、ひとつの国家におとらず、ひとつの社会学的現実である。……。
しかし新しい分野へのキリスト教のこの進出は、キリスト教国そのものの内部におけるひとつの後退現象をともなっている。そこでは伝統的に、文化的にキリスト教的だった旧型の社会が、全体主義的国家の勃興と社会、文化のおもいきった世俗化によって破壊されるか、威嚇されるにいたった。共産主義ロシアと過去におけるナチス・ドイツの白昼公然の迫害は、一時的現象なのかもしれない。しかし文化の世俗化の大勢はたえまなく進行し、また世界にひろがり、たとえばT・S・エリオットがかれの『キリスト教的社会の理念』において描いたような積極的なキリスト教文化の理想にたちかえるきざしは少しもみえないのである。いたるところにキリスト教徒は「正教会」であれ、「ローマ・カトリック」であれ、「プロテスタント」であれ、無縁の、もしくは敵意にみちた世界のなかにはめこまれ、自意識を強いられる少数党に化する傾向がある。
かくしてわれわれは二つのはっきり区別されるイデオロギー的複合体――「西欧民主主義」と「東方ソヴェト共産主義」をもち、それらが世界を二分する勢いを示している。両者いずれも起源においてヨーロッパ産、むしろ西ヨーロッパ的といえるわけだが、しかしそのいずれも中心はヨーロッパにあるのではない。一方がユーラシア(欧亜)的だとすれば、他方は、いわばユーラメリカ(欧米)的なのだ。両者いずれも古来の四大世界文明の基礎をなした宗教的イデオロギーと対比してみたうえでは、たしかに世俗的イデオロギーである。それでいながら、そのいずれも全面的に世俗的ではないのだ。「西欧民主主義」はその傾向からいえば、しだいに宗教の同盟者、保護者をもって自任する勢いを示しつつあり、そのかたわら「ソヴェト共産主義」は額面の反宗教的性格にもかかわらず、いつもその成功をたぶんに擬似宗教的魅力に負うているのである。このことはとくにアジアにおいて妥当する。アジアでは「共産主義」はひとつの新しい宗教的もしくは社会的救済方法の衣装をおびて登場し、人びとが共産主義の権威と訓練をば、いっきょに無条件降伏と帰順によって受諾することを条件とするかぎりにおいて、人びとを圧制と苦難から解放することを約束する。
じっさい、西欧の民主的思想が東洋に浸透したのは、東洋ナショナリズム運動を通じてであるといってもけっして過言ではないのである。かくして東洋ナショナリズムは見たところは反ヨーロッパ的でありながら、事実はヨーロッパ思想の分布の主役を演じているのである。もちろんすでに十九世紀に自由・民主的思想は、東洋的世界、とりわけインドと日本と近東地方への影響を開始していた。しかしその思想は選ばれた少数の人びとにかぎられ、またきわめて優秀な少数の改宗者を作り出したとはいえ、一般大衆の少なからぬ反感をひきおこした。新思想が広汎な民衆の支持をえてそれが革命的な一勢力になったのは、その思想の戦闘的な国家主義的な形態においてのみであった。しかし革命的な一勢力としては、この形態の思想は西欧の「帝国主義」に対する以上に、東洋の旧秩序に対して効果的であることが実証された。回教国の主権カリフェイトを破壊し、また世界最古の政治体制であったシナの王制を破壊したのは国家主義者の一群であった。そうしてこの一事は近代史の最大の逆説の一つであった。というのは、これらの制度はいずれもつねに西欧の影響力にたいするアジアの抵抗の主要な防塁と見なされていたからである。またトルコの国家主義者たちが回教国王の主権を破壊しつつあったとき、インドの回教徒たちは皮肉にも、その主権をまもらんがため大英帝国を相手に厖大な戦陣をととのえつつあったのである。
こういうしだいで東洋ナショナリズムというものはけっして、一見想像されるように伝統的な東洋文化をまもろうとするひとつの反動運動ではない。むしろ逆にそれは東洋の諸民族による西欧文化の採用と、その所有化を意味するのである。それは概して世俗主義的で反伝統的な新しい生き方を代表する。共産主義国家はこのもっとも極端な一例である。それはもともとヴィクトリア朝時代のロンドンに発生し、二十世紀のロシアにおいて枝葉の細目にいたるまで発展せしめられたひとつのイデオロギーの基礎のうえに全社会機構を再建することを。意識的な目標としているからである。しかしこの同じ西洋化の傾向は、共産主義的イデオロギーに少しも感染していない純粋のナショナリズム国家にも見られるのである。かくしてトルコにおける新体制はトルコ国家と文化の組織的な世俗化――国教としての回教の全廃、ヨーロッパの原型にもとづく新法規の輸入、アラビア文字にかわるラテン式アルファベットの代用などに特徴づけられている。
西洋の物質主義に対抗して東洋の精神性を理想化すること、これはナショナリズム運動の早期の局面の特徴であり、いまだにサルダール・パニッカルのような元老級の政治家によって代表されているのだが、この傾向はすでに、過去の神聖な伝統になんらの敬意も示さない歴史的批判の精神によってとりかえられようとしている。
このことは特にシナの場合に該当する。ここでは孔子と古典的伝統にたいする反逆がすでに「共産主義」の到来のひさしい以前から起っており、それが胡適のような国民主義の知的指導者と共産主義者の指導者とをむすぶ唯一の共通点といってもいいのである。現在共産主義者によって古典なみにあつかわれている著名な作家、魯迅(一八八一−一九三六)は、疑いもなく伝統主義と国家主義とその他あらゆる形の正統主義のもっとも猛烈な排撃者である。しかしかれがはたして旧式の儒教的正統主義よりも共産主義的正統主義により同情的であったかどうか、わたしははなはだ疑わしいと思うのである。かれは精神的にはマルクスよりもスウィフトに近い。かれはシナの歴史を四千年の食人主義の歴史と見ている。儒教の伝統は「仁と義」を云々した。しかしかれは行と行とのあいだを読んでそこに食人の記録以外のなにものをも見いださなかった。今日の全体主義的国家は単語を訂正した。しかしそれは単語以外のなにものを変えたというのか。あいもかわらぬ食人的過程が新調のスローガンのもとで続行されているのである。
社会的批判が底をついてここまで来れば、もう逆もどりは不可能である。古い文明がこんなに乱暴にその伝統の根からひきちぎられれば、いくら活を入れてももはやどうにもならない。どんな秩序がそのあとがまに坐るにしても、それが西洋型の民主的国家主義にしろ全体主義国家にしろ、ともかくそれは抜本的に新しいものとなるであろう。しかしいずれにもせよ、すでにわれわれ西欧世界の世俗化文明において経験しているように、そこには精神的空白が残る。このことはすでに魯迅の場合に明瞭に認められるとわたしは考える。かれの不満は政治的もしくは経済的というよりも精神的不満である。もっともかれは宗教的な問題をそこに意識的に感知しているわけではないのだが。この点において魯迅は一九二三年の呉稚暉のような作家とはいちじるしくちがっている。後者は真の唯物主義者であって、かれはこの世界を「二足の動物が現在この場で役者をつとめる巨大なひとつの舞台」と見る。「人生におけるかれらの主な関心事は食うこと、子供を産むこと、友だちをもてなすことである。善もなければ悪もない、神もなければ悪魔もない。形而上の亡霊や宗教の神性のごときものは人間界にあぶれ込んだ外来の侵入者である。」
むろんこれは極端な一例である。アジアとアフリカの社会には、まえに触れたインドの村落のように、いまだに革命的変化の影響をこうむらない厖大な地域がある。そのうえ回教諸国の事情もちがっている。そのちがいは宗教と政治とのかたい結びつき、しばしば国民的情操を圧倒する純粋な汎回教的忠誠心の存在、産業的、技術的変化における一般の後進的性格からおこっている。
しかし新しい勢力が自由に発展する場所においては、またアジア人、アフリカ人が近代世界のコスモポリタン文明に平等の分けまえにあずかる程度に比例して、そこには旧来の宗教文化の伝統的な解答では満足しきれない、新しい宗教的要求が生ずるであろう。
そこには古代世界にあったような思想の自由市場が生じ、信条のいかんを問わず、近代的人間の精神的要求を満足させることのできるその使徒から自由に聴聞することができるであろう。その問答が古代世界にあったような哲学的、形而上学的論議になるというのではない。現代は形而上学的時代ではない。西洋におけると同じく東洋においても、人びとは本質や存在よりも存続や共存により多くの関心をもつであろう。それにしてもなおかれらは精神的養分をもとめるであろう。挫折感と困惑の感情が一般化し、なにか共同の目的と共同の希望をもとめる要求がおこるであろう。ある程度までは新しい政治的、国民的な運動がこれを供給する。しかし永久に、万人のためということはできない。人類のより深い精神的要求はわれわれがジョージ・オーウェルの完全に非人間化された文明という悪夢的選択をうけいれないかぎりは、どこまでも残らざるをえないのである。
不動産情報誌『すまいるくん』。
文脈が分らなくてアレだけど、クラシック音樂趣味がスノッブに陷りやすい性質があるといふ指摘だらうか。「場合」といふのは、何について言つてゐるのだらう。
- 福田
それは大問題ですけれど、私はさっきも言ったように、その国民の意識をどうしたら直せるのか。それは一つは敗戦――まあそう言うと語弊があるかもしれないけれど、たった一度戦争に負けたくらいで戦争が悪いと観念しちゃうなんて情けない――いいも悪いもないんですよ、戦争というのは。誰もしたくないですよ、戦争は。私は、ほんとうを言えば、徴兵制度にすべきだと思うんですが、もしそうなっても、自分の息子が徴兵されそうになったら何とかうまいことやってのがれさせるように一工夫くらいしますよ。
日本人の意識というのは母親の意識と同じで、そういう二元論的考え方ができないんですね。自分の子供は戦争にやりたくない。だから戦争反対、国防もいらないとなっちゃう。国家としてはやはり国防は必要なんだ、国防は一所懸命やらなきゃいかん、しかし、自分の子供はお百度踏んでも何とかうまくひっぱられないように、戦争に行っても生きて早く帰ってこられるようにと祈る……、この二つの顔がないということですね。
だから、さっきのキッシンジャーじゃないけれども、極端にぐるぐる変わる。平和か戦争か、いつも一元論でいくからですよ。国内の平和を守るためには戦争しなきゃならない時もくるかもしれないという用意が全然ないし、戦争のことを言うと、あいつは戦争が好きなんで、他国を攻めることばっかり考えてるということになっちゃう。
「47@download.2ch」氏によると、Winny 2では起動直後にはBBS網に接続されていないという。このため、起動後に左側のBBSのスレッド一覧からスレッドを表示しない限り、BBS網に接続しない状態でファイル共有だけを行なうことも可能となっている。
ところで、文語文ってどうやって学習すればいいのですか。
- 福田
- ええ。今までは数年間、高度成長を続けてきました。これから、良くいえば安定成長、悪くいえば低成長、下手すれば破局への道を歩み出したところでしょう。そのときでも、というより、このときこそ、国防にどれだけ必要かという問題に直面しなければならないわけですね。だから、GNPの何パーセントになったり、あるいは国民総所得の何パーセントになったりということは、そのときどきに結果として出てくることで、目標として考えるべきことじゃありませんよ。