ノートパソコンにマウスを繋いで使う人の気持ちが分からない。パソコンのキーボードなどない方がよい。
キーボードなんて無いに越したことはない。よれよれの安っぽいマウスよりトラックパッドの方が使いやすいことに気付いたらどうか。
私は何かしら元になる文章がないと自分の記事を書けないので、いつも20〜30件くらいのネタをストックしています。が、実際には何も書けないまま終ることが多い。それで月に1回程度、記事になりそうでならなかった文章を消しています。
私は呟きませんよ、とここで呟いておかうかな。http://twitter.com/tajimayaにはXbox360の実績監視BOTによる自動投稿だけが蓄積されてゐる。
お勉強好き
なんでタイトルに‘ヲ’を使ってるのかなぁ・・・と思ってましたが、ネットで目に付いたのには古語で ヲト=彼方 という意味があるのだそうで、なるほどなぁと感心したのと調べてくれた方に感謝したいのと。
「ソラノヲト」というタイトルについて・・・
直感的に「空の音」なんだろうな〜と思ったけど、良く考えると「音」を「ヲト」とは読まない。古語であっても音はオトと発音するし。気になって古語辞典で調べてみると、「ヲト=彼方」という意味があるらしい。主人公の彼方とも意味が通じるし、多分「音」と「彼方」を掛けてるんでしょうね〜
一九四ノ三 (一)私は彼らに尋ねたい、彼らは、人間の本性は墮落のうちにあるといふこの彼らの攻撃する信仰の根本義を、じつは彼ら自身で立證してゐるのではなからうか。
四五 國語は、文字が文字に變るのでなく言葉が言葉に變る符牒である。そんなわけで未知の國語も判讀し得る。
- 幼時母を失つたパスカルは父によつて教育せられた。この斷章にはこの父による教育の囘想があるやうにおもはれる。ライプニッツは繪入りの『ティトス・リヴィウス』の繪の下にある文言の意味を判讀しながらラテン語を學んだといふがパスカルは十二歳になるまでラテン語を學ばせられなかつた。それは能力に餘裕を持たせつつ物を學ぶといふ教育方針に從つたためである、がこの期間も決してむだにすごされたのではなく、國語とはどういふものかといふこと、それが或る規則の下に文法に要約せられてゐること、規則にも注意すべき例外のあること、かくていかなる國語も一から他へと移しうる方法の見出されてゐること、これらのことが教へられたから、この概念によつてパスカルの頭腦は整理せられ文法の規則の存在理由は明確にせられ、やがてラテン語の勉強を始めたとき十分の自覺をもつて勉強に熱中することができた。
五八 「君は義理をわきまへぬぞ。失禮ながら」この失禮ながらといふわびがそへられなかつたら、私は、罵られたことに少しも氣づかなかつたであらうに。「おそれいりますが……」こんなことわりほど厭ふべきものはない。
八一 心はおのづから信ずるものであり、意志はおのづから愛するものである。だから眞の對象がないと、心も意志も僞りのものに結びつくよりほかはない。
九六 自然のもろもろの作用を證明するのに惡い理由を用ひることに慣れると、よい理由が發見せられたとき、もうそのよい理由を受入れようとしなくなるものだ。その實例は、なにゆゑに血管はくくり紐のもとでふくらむかを説明するための血液循環といふことに關して與へられてゐる。
一〇八 人々は彼らのいふことがらにすこしも利害關係をもつてゐないにせよそのことから彼らは決して嘘をいひはしないと結論しては絶對にいけない。なぜなら嘘をいふためにのみ嘘をいふ人々がゐる。
で、特に無しの人間も含めての話なんだが、こいつら全員相互フォローしてるんだよ。
しかも殆どの人間の直近のtweetでreplyがついてるので形式的なフォローじゃない。
要するに組織的にクズなんだよ、こいつら。
類は友を呼ぶとは言うが、ここではまさにクズがクズを引き寄せる悪循環が出来上がってるんだよ。吹いた。
宣長の國語學の學風について特記すべきことが、更に二三ある。契沖によつて築かれた國語學は單に和字正濫抄の力が然らしめたのみでなく、非常に假名遣を重んずるのが常態であつた。其は歌文を正しく書く上に於て重要なばかりでなく、萬葉を解する上に重要な職能を發揮して居るので、縣門の諸氏も皆之を重んじた。宣長も玉勝間に、
假字づかひは近き世明らかになりて、古學する限の人は、心すめれば、をさをさあやまることなきを、宣長が弟子共のつねに歌かきつらねて見するを見るに、誤のみ多かるは又いかにぞや……わづらはしくともそれしるせるふみを、かゝむ度毎に聞き見て、たしかに浮べずはやむべきにあらず。
と諭して居るのでも、明かであるが、宣長は假名遣を重んずる以上に、活用といふことを重んじたと見えて、同じ項の中に、
抑てにをはのとゝのへなどは初學の力及ばぬふしある物なれば、あやまるも罪ゆるさるゝを……
と述べて居る。假名遣尊重の學風は、同門の春海より、其の門下の濱臣に傳はり、活用尊重の學風は、宣長より春海を經て、義門に傳はり、濱臣對義門の論爭の具體化したのが、指出の磯 磯の洲崎 の兩書である。
然らば宣長の國語學史上に於ける功績如何といふに、
- 音韻學上に於ては、我が國語の母音の性質を明かにし、鎌倉時代から誤り來つた、お を の所屬を正し、濁音が我が國語に於ては、二次發生の者であることを説き、又我が國の地名に用ゐてある、字音の漢音・呉音にあらざる者を説明した。(漢字三音考 字音假名用格 地名字音轉用例)
- てにをはの形式(係結)及び語義の研究を體系あらしめ、語の活用についての基本知識を全からしめた。(紐鏡 詞の玉緒 御國詞活用抄 玉霰)
- 語源の解釋よりは、古語の用法を歸納的に研究することに力めた。(玉勝間 玉の小琴 等)
人或はてにをは乃至係結の範圍を誤解して、宣長の研究は國語法の一部分に過ぎないと見る人もゐるが、其は大なる誤であつて、當時のてにをはといふのは、大槻博士などの言ふ所とは、全然違ひ、今日の助詞・助動詞・接尾語のみでなく、極めて廣範圍に亘る者である。之は宣長の著書を熟讀すれば勿論のこと、其の門人鈴木朖の名著言語四種論に天爾乎波を分類して、
- 獨立の者(感動詞) あゝ あはれ 等
- 詞に先つ者(副詞) はた いで 等
- 中間に來る者(助詞) に を の 等
- 結となる者(助詞・助動詞) かな ず がも等
- 活語の終に附く者(語尾) 行く 有り 青し 等
- 詞の下に來て切れも續きもする者(助動詞)
としてあるので、極めて明かな如く、あらゆる語法的現象に關する者である。
「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト・コ」とでもすれば仮名遣ひの問題は解決。話もその方が面白さうだ。
コンデジに多分ないだろう一番の点はズームのやりやすさです。レンズをまわすだけでズームできるというのは気持ちいいものです。
學問は客觀的な冷靜な判斷から生まれなければならない。歸納法の創始者であるベーコンは確實な知識に逹する爲に先入的謬見を除く必要があると考へた。彼のノヴム・オルガヌムは四つのイドラを説いてこれを除去すべき事を教へる。
劇場の偶像(イドラ)とは吾々が古來の傳説や古人の教説に權威を感じ、これを無批判に受容れて眞理だと思つてゐる事である。市場の偶像といふのは吾々が人の言葉に惑はされてそれを盲信して了ふ場合の多い事をいふ。洞窟の偶像といふのは吾々の個人的な性癖嗜好によつて吾々のものゝ見方が規定せられ易い事を示してゐる。最後に種族の偶像とは例へば自然に對して目的觀を以つて臨むといつたやうな、又自然を擬人化して見るといつたやうな人間一般の傾向としてあるものゝ考へ方がそれである。斯樣な先入的謬見を除いて經驗に基いて眞なる知識に到達する爲に歸納的な研究法を説いた彼は近世自然科學の方法を最もハツキリと解明したものと稱せられる。
近世に於いては自然科學が萬能と信ぜられ、唯一の學問とも考へられたが、最近の方法論はこれに對應する文科科學の歴史的方法を説く樣になつた。けれ共學問に於いて先入的謬見を取除いて妥當なる知識を求めるといふ精神は一貫的なものといつてよい。本居宣長はこの點に於いては近世日本に於ける最も科學的な人物であつたと見られよう。一體和學者又は國學者は日本の文藝復興運動をなしたものといつてよく、學問上自由の精神に豐み、その故に彼等の存在意義も深いのであるといふことも出來る。宣長の學問上の態度もこの先入的謬見を除くといふ點、一切の偶像から自由になる事、常に批判的であるといふ特色が甚だ顯著である。
宣長は學問について批判の大切なるを主張する「あまたの手を經るまにまにさきざきの考のうへをなほよく考へきはむるからに、つぎつぎにくわしくなりもてゆくわざなれば、師の説なりとてかならずなづみ守るべきにもあらず、よきあしきをいはず、ひたぶるにふるきをまもるは、學問の道にはいふかひなきわざなり」と云つて、「吾にしたがひて物まなばむともがらも、わが後に又よき考のいできたらむにはかならず吾説にななづみそ」(玉かつま卷二)などゝいつてゐる。彼は自分の學問研究の上でこれを實行してゐるし、それによつて彼の學問は高い水準を占めてゐるのだと見てよいだらう。
今は、家聞かなと讀む、願望の語法。とある。
家吉閑名告紗根。高木市之助・五味智英・大野晉校注『日本古典文學大系 万葉集一』では、家吉閑名と告紗根で分けて「家聞かな」「告らさね」と讀む。この本では「われこそはのらめ」が「われにこそはのらめ」となつてゐて、(『孤高 国語学者大野晋の生涯』によると)この讀み方に大野氏は自信を持つてゐたとの事だが、今の學界でこの説は劣勢らしい。
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もう一つ、神国論的国体論に深いかゝはりをもつ問題は、祭政一致論と政教分離制度である。戦後、神道指令や新憲法によって、政教分離制度がとられるやうになったが、同時に、国家神道の廃止といふ考へ方に基いて、祭政一致思想も立消えになった。
これは、非常に難しい複雑な問題を含んでゐる。
日本では、政教分離と信教自由と祭政一致とが非常に不明確・曖昧なまゝに濫用されてゐて、いろいろな誤解を生じ、混乱を生じてゐる。
例へば、ニュー・コンサイス和英辞典の祭政一致の訳は、The unity of the church and state である。政教一致の訳は、the union of church and state である。一体、同義語と解釈したのか、別語と解釈したのか、全くわからない。しかも、政教分離の訳は、the separation of religion and politics, disestablishment となってゐる。一貫性も何もない。これは、日本に於けるこの問題の混乱を象徴してゐるもので、ひとり、この辞書だけの問題ではない。
政教分離は the separation of church and state か、でなければ disestablishment で、the separation of church and state は、カトリック教会の如き、特定の教会(宗教団体)と国家とが、主権を分ちあひ、concordat(宗教条約)を結んでゐるケースによくあてはまるし、disestablishmentは、米国の如く、established church(国教会)の存在を否定してゐるケースによくあてはまる。
日本の場合は、カトリック教会のやうな支配的教会の存在しない国であるから the separation of church and state といふハッキリした形は出て来ない。
日本では、徳川時代に、仏教が幕府や大名と癒着して、国教制度に近い形が出来た。最初は、幕府が保護育成の政策をとったのであるが、切支丹禁制の関係などもあって、強い癒着が生まれた。明治維新になって、新政府は、神道を国教として、大教宣布を行はうとして宣教使制度をつくったが、失敗した。明治五年に教部省が出来て、教導職による神仏合同の布教体制がつくられた。しかし、この準国教制も、比較的短い期間で、消滅した。教導職制崩壊の道程に於いて神官・教導職の分離が行はれ、神職の宗教家的性格の否認が行はれた。
一方、明治新政府は、明治元年の詔勅に基づいて、祭政一致(国家による祭祀制の採用)の国是の実現に努力し、神祇官の復興を行ひ、祭祀制度の完成をはかった。祭祀制度は、相当遅れて、明治四十年〜大正三年の間に、皇室祭祀令・神宮祭祀令・官国幣社以下神社祭祀令の三祭祀令となって結実した。
日本に於ける国教制度は、明治以後の形としては、教導職体制の形の中に一時的に存在した。しかし、寺院教会側に政治力があった訳ではない。従って、カトリック教会のように concordat を結ばなければならないほど、主権の対立を考へる必要はなかった。むしろ、神道と共同して、政府と手を結ばうとした仏教の中心教団である浄土真宗から、信教自由が唱へ出され、教導職制度の崩壊のキッカケがつくり出されて、癒着関係が消えたところで、主たる問題は終ってゐる。
残ったのは、国家的祭祀制度である。三つの祭祀令をつくって、祭祀と宗教とを峻別しようとしてゐた政府は、神社は宗教にあらずといふ解釈で支へ得られると考へた。その為めに、日本では、国家的祭祀制が国教制の問題の中心となって居た。日本の政教分離論は、国教会の否定論に近いものであり、特定宗教が国と癒着するのを牽制しようといふ運動となる性質をもってゐた。
この論争に、終止符を打ったのは神道指令であった。
神道指令の起案者であるバンス宗教文化資源課長は、日本のケースは the separation of church and state のケースではない事に気付いてゐたやうである。彼は、神道指令の中で、separation of religion and state といふ表現を用いて居た。そして、この点について、部下のウダード氏と意見を異にした。バンスは、政教分離がウダードの解釈の通りでなければならぬ事を認めはしたが、多分、日本のケースは自分の扱った如く扱はねばならぬと信じてゐたのだと思ふ。
戦後の神道に関する問題は、バンスによって著しく拡大された政教分離が、なんの歯止めもなく広くなってしまってゐることに原因があるやうである。
靖国神社国家護持の問題、伊勢神宮の国家管理の問題、皇室の神式結婚の問題等は、政教分離概念の無限拡大が原因となって紛糾してゐるのだと思ふ。