いっている内容の「正しさ」と無関係に、その分量自体が暴力的と解釈されることがあるわけです。これまでに野嵜さんが書き込んだ分量は、「コメント欄荒らし」といわれても仕方ない水準に突入しています。
アンチの方が結束力がある、というのは、まあ、その通り。でも野嵜さんがあんなにたくさん書くものだから、「アンチが徒党を組んで野嵜さんをやっつけてる感」が直感的に伝わってこない。ふつうに考えたら、単に野嵜さんを叩くためだけに登場した喜六郎さんとか、ひどいんだけど。でも、という。
松永さんは話の通じる人なので、松永さんの態度を硬化させるようなやり方(=コメント欄への集中豪雨的投稿)をせず、例えばメールなどの手段で意見交換すれば、話の落としどころは見えてくると思う。
ともかく、私が松永さんなら、野嵜さんをコメント禁止にするし、質問にも答えない。「こういうヘンな人とは、まともに意見交換なんかできるわけがない」と考えます。主張の正誤ではなく行動に問題がある。こういう状態で野嵜さんが松永さんの沈黙を「不誠実だ」といっても、たぶん社会的に勝ち目がない。
何度もたくさん書きたければ自分のブログでどうぞ、というのがコンセンサス。こうした意見に野嵜さんが同意していないことは知っています。知っていますが、私の見る限り、野嵜さんのやり方は不幸な連鎖を生んでいると思う。
日本語狂ひがゐたからこそ、戰前は日本語を壞す試みが封じられてゐたんだ、と書いてゐる。喜六郎は民主主義を信じてゐない筈だが、「現代仮名遣」が支持されてゐるのは民主主義をの惡しき面が現はれてゐるだと森は言つてゐる。(「日本語とフランス語」:『私の美の世界』(新潮文庫)p.241〜)
その點、橋本(進吉)博士は偉かつたと思ひます。國語の音韻研究におけるその劃期的な業績にもかかはらず、博士は決して表音主義の陷穽に落ちなかつた。音韻といふものは既成の語の分析の結果に見出されるものであつて、語以前に音韻の存在と、その自律性を考へるべきでなく、まして語にたいする音韻の絶對支配を目標とする表音主義の不可なることを見ぬいてゐたからです。
しかし、おそらく博士はそんなことは當然のこととしてゐたのでせう。單純に表記法は語に從ふべしとしか言はなかつた。時枝博士においても同樣、かなづかひ問題では、その表語性を重んじる橋本博士の論點を支持してゐるだけです。
文字は現象論的に考へるときにのみ、それがなければ表語も表音も出來ないものですが、本質論的に考へるならば、語があり、その語を構成する音聲がなければ存在の理由も必要もなかつたものであります。ですから、表意文字は音を伴ふと言ふのと同じに、表音文字は意味を伴ふとは言へないのです。表音文字は、意味、あるいは語に仕ふと言ふべきです。
しかし、歴史的かなづかひの原則はそんな單純なものではありません。そこにおいて最も大事なものは、既に言つたやうに、語の自律性といふことであります。それを確立するために、私たちは時代を通じての歴史的一貫性や直ちに識別しうる明確性を求めるのです。
黄色黒や
季肋朗のやうな別の名前で呼ぶ事は良くない。それは喜六郎の存在を隱蔽する事だし、また揶揄するやうな調子では喜六郎を見下してゐる態度を示してゐる證據となつてしまふからだ。俺は一時期以降、喜六郎の名前は喜六郎とはつきり書くやうにしてゐる。喜六老とWXGは屡々誤變換し、それは意味的には正しいかも知れないが、敢て正確に喜六郎と書いてゐる。
人間教訓を得るためについ過去を振り返りたがるものだが、過去に縛られすぎた挙句判断の基準としてこびりついてしまっては、元も子もない。大事なのは過去と現在を峻別すべきことで、自分が昔の偉人や善い人に肖ろう等とするときに、猿真似で済ませてしまうにとどめるのは良くないことである。
私がおせっかいを申しているのは、もし自分が野嵜さんの立場だったら、「より多くの人の誤解を解く」ことを目標にするからです。コメント欄への集中豪雨的投稿は、この目的に合致しません。
野嵜さんが利より理を取るのはわかっているけれども、日常生活の全部をそうされているわけでもないはずで、だからおせっかいを申しました。ここは利を取ってもいい場面なのではありませんか、と。
利を取らうとして行動したら、その時點で松永氏の指摘こそが正しいと云ふ事になつてしまふ。
おせっかいもいいところだ。いや、そもそも
おせっかい等と高踏的・傍観者的に言ふところに、徳保氏の問題はあるのであり、松永氏にも喜六郎にもその問題がある。のみならず、その他の大勢の日本人にもある。
優先順位の問題です。私は、より優先順位が高いのは、「正字正かな派」への誤解を解くことだと思いました。
明治新政府は、右の復古的假名遣を正統のものとして、公用文・教科書に適用しようとし、社會一般もこれに從つた。しかし、この國語假名遣ひと字音假名遣とを合はせて「歴史的假名遣」として確立したのは、明治三十三年公布、明治三十六年刊行の國定讀本からである……。
軍にとつて何よりも必要なのは、その正統性であり、その要員である。或は
(一)は國家、社會における軍の正統性と士気を保證する憲法の問題であり云々と云ふ文章が出てくる。
野嵜さん、ああ云ふのを『出来レース』つて言ふんですよね。自分が勝敗の判つてゐる事柄を持出して、勝負を挑んで、其りや勝てるわな。だけど、今回のは単なる事実の指摘であつて、議論して勝つたのとは違ふんだよ。
其れとは逆に、松永さんは誠実に対応して呉れてゐました。何より自分の意見を述べようと努力してゐたのは文章から確り読取れましたから。あ、此処で書いておくけど、私も絶対的な正しさつてのは無いと思つてゐます。だから、自分自身正しいと認識する事柄に附いて、第三者が必ずしも正しいとは考へない事もあるのは知つてゐます。論理に矛盾は無いか、多くの人が納得可能な内容か、さう云ふ点を大切にし乍「之が正しいのだ」と主張して行きたいのです。
『何うしてKyouとhaの間に空白があるのだらう。Kyouhaで變換できなければをかしいぢやないか。』の意味がわからない。そもそもSKKは「分節」ではなくて「單語」を變換するソフトウェアであるので、『體言の「今日」と助詞の「は」を分斷』するのがあたりまへである。
『SKKは「今日」「は晴」「れです」と日本語の文章を分ける。』とも書かれてゐる。しかし實際に使へばわかることであるが、SKKの使用者は「今日」「は(無變換)」「晴-れ」「です。(無變換)」と分けて考へる。
「HTML5はブログ用」とか「迎合」みたいな事をいう人が居たりしますが、内容モデルを見たりすると、必ずしも#headerがheaderに対応したりするわけではなかったりするんですよね。まあ、そう言うのも無理はないなあとも思いますが。
論調が變貌しつつあるのではないかと國民新聞に書いたさうで、この邊、「WiLL」的な餘りに「WiLL」的な話の持つて行き方であり、感心しない。
「平和論の進め方についての疑問」論文から四半世紀、清水幾太郎は「諸君!」の昭和五十五年七月號に「核の選択 日本よ 国家たれ」を發表する。それはさながら「自民党右派御用達」のやうな論文で(内容省略)、「あの清水幾太郎が!」と世間は騒然となつたが、私は、「何をいまさら」「よく言ふよ」と鼻白む思ひであつた。
期せずして本誌『WiLL』三月號で、西尾幹二氏がずばり「『文藝春秋』の迷走」として別の視點からこれを深く論じてをられた。と論文を纏めてゐるのである。俺にしてみれば、西尾もまた「何を今更」であり「良く言ふよ」なのであるが――全てを承知の上で深澤氏が西尾を襃め殺しにしてゐるのではないかと疑ふ必要はない。深澤氏、眞面目に西尾を褒めてゐる訣で、當てこすりや皮肉を言つてゐるのではないと見て良いだらう。
- 2009/02/25 00:36
御參考までに申し上げますが、「現代仮名遣」にあれだけ反對した福田恆存は「正統表記」と云ふ用語を昭和六十二年の福田恆存全集第四卷の覺書の末尾ではつきり塚つてをります。
かうして幾多の先學の血の滲むやうな努力によつて守られて來た正統表記が、戰後倉皇の間、……、慌ただしく覆されてしまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である。
正統表記と云ふ言ひ方を福田氏が使つた事は、我々正字正かな派の立場が全く偏狹とは無縁のものである事實を福田氏が認めてゐた決定的な證據と言へませう。
八十年代のサブカルに憧れた同世代人ほど頑迷な保守主義者は居ないんぢやないか。
- anthy の正字正かな辞書の製作、進捗状況改変のみで「お」の途中。なので、公表できず。
2つばかりの用例をあげることが何で「正字正かな」などという言葉をほとんど使っていない、という記述の反証になるんだ?
しょせんは一種のコスプレ愛好家のくせになにを威張っているんだ。
……。・白石良夫「かなづかい入門 歴史的仮名遣 vs 現代仮名遣」(平凡社新書)は実に刺激的な副題の書である。しかもその帯に「『考へる人』は『考える人』よりえらい?」(仮名遣ひ相違部分に上点あり)とある。かういふ所でかういふ発想をすること自体が私は異常だと思ふのだが、この帯の自著を流通させてゐる白石氏はこのコピーを認めてゐるに違ひない。仮名遣ひに上下があるとすれば、それは政治の世界のことである。私は書名を見て、これは政治の世界の人の仮名遣ひ論だと思つてしまつた。……。
「歴史的かなづかい」は平安時代前期のかな表記(当時の発音どおり?)を基準にしているので、当時存在しなかった言葉や、当時の文献に用例のない言葉は、理論的な推定(語源など)をして「かなづかい」を決める。いわば架空の言葉(実際に歴史的仮名遣いをネイティブとして使った人はいない)ということになり、かなりの学習してやっと使えるもの。普通の人が使うにはかなり無理がある。
「泥鰌」の表記についても、
- 「泥鰌屋ののれんに『どぜう』とかいてあるが、あれは間違いだぜ、旧かなでは『どぢやう』の表記が正しいんだよ」
なんて思っていましたが、「どぢやう」も多数説という程度のようです。
実際、中世の文献では「どぢやう」、「どづを」、「どぢを」、「どじやう」、「どじょう」、「どぜう」などが出てきており、平安時代には用例がない、とのこと。
その批判の舌鋒はかなり熱く、私自身ももっともだと思う所が多いのですが、そこまで批判をしなくちゃいけないほど口うるさい歴史的仮名遣愛好家が今の日本にどの位いるものなのかと疑問に思ったり……
本書では全国民の表記の規範としての歴史的仮名遣は歴史が意外と浅く、もともとが明治政府によって政策的につくられたもので、終戦の時点までで100年の歴史すら持っていなかったこと、しかも歴史的仮名遣や、漢字の音読みを示す字音仮名遣は使う側にとって複雑すぎてかなり無理のあるもので、既に明治20年前後に表音式仮名遣いを要求する世論がおこっていたことなどを指摘し、現代仮名遣を毛嫌いし、歴史的仮名遣を称揚する向きに対して批判をしています。
44p 「規範というものは,学問的に正しくなければならない,というものではない」 規範としての仮名遣問題を定義するなら,それは,発音と仮名表記とのあいだにあるずれ,それによって引き起こされる仮名のつかい方の混乱を,いかに社会的な約束で調整するか,ということに尽きる。
規範仮名遣のなかった九世紀の日本人が歴史的仮名遣を念頭において仮名をつかっていたわけではない。この時代の仮名のつかい方(記述仮名遣)をもとにして定めたのが歴史的仮名遣(規範)であるから,結果的に表記が一致するだけの話である。……空海や紀貫之の仮名表記をさして歴史的仮名遣といったら,思考の方向として逆を向いていることになる。……学術用語としての「歴史的仮名遣」は,現代仮名遣が施行されるまえに日本人の規範であった仮名遣をさして言うのが普通である。
46p 仮名遣の創始者が藤原定家だといったが、定家が仮名遣の必要を痛感したのも、じつは、われわれとおなじ環境におかれていたためであった。発音どおりに仮名がつかわれていない、おなじ発音なのに違う仮名で書かれている。定家とわれわれの決定的な違いは、われわれには出来あがったルールがあってそれに従っているのに、定家にはそのつかい方のルールがまだなかったことである。だから、定家は自分がそのルールを作らねばならないと考えた。仮名遣問題を論じるとき、したがって、この定家を避けて通れない。「仮名遣とは何か」という本質的な問いと答えは、定家の仮名遣のなかにこそ隠れているといっても過言ではない。
p85 仮名遣にとって大事なのは、どれを選ぶかではない。選んだもので押し通すということ、これが仮名遣の本当の意味なのである。
111p 契沖仮名遣は、はるかいにしえの人間との対話の道具であることに意味があるのであって、そもそも現実のコミュニケーションのためのものではなかったのだ。
112p 歴史的仮名遣は、古代人との心の感応の道具だった契沖仮名遣を近代の実生活の場に復活させた、時代錯誤の代物だった。現実の生活には不向きな言語だったのである。
あとがき p211 歴史的仮名遣は、適用範囲や理念のうえで契沖仮名遣とは異質であり、国民が共有する正書法、という役割しか担わされていなかった。だが、国民が共有するにはいささか過激で不便であったので、現代仮名遣に取って替えられた。/現代仮名遣に取って替えられたそのときから、歴史的仮名遣は、不幸にも、文化や伝統の継承者という幻想を、一部の声高なひとたちによって背負わされたのである。それを「伝統の捏造」とおとなしく言ってみた。
この本で最初に衝撃を受けたのは、歴史的仮名遣いとは確定した言葉遣いでは無い、というところです。
歴史的仮名遣いは、学問的だと言われる事があります。歴史の積み重ねを踏まえているからでしょう。しかし、時に、それは逆の事態を招く事があるというのです。それは学問が、そこで終わるわけでは無く、時代と共に深まっていく物だからです。
歴史的仮名遣いは、「歴史的」というくらいですから、昔の言葉の遣い方を正しいと見なします。それは江戸時代の言葉よりも平安時代の言葉、更には万葉集、日本書紀の言葉という具合にです。ところが古文の研究が進めば進むほど昔の言葉が発掘される事があるのです。時折、万葉仮名の書かれた木管などが出土したというニュースを聞く事があります。この時に木管に未知の言葉遣いが書かれていたとしたら、どうなるでしょうか。
歴史的仮名遣いは、それに合わせて見直しを迫られるのです。
これを現在の学校教育の場に持ち込んだら、どうなるのでしょうか。学んだ学年によって言葉づかいが違ってしまうかも知れないのです。学問的には兎も角、規範としての仮名遣いとは言えないと思います。
戦後も歴史的仮名遣いを使用している言論人などは問題無く学べたのでしょうけれど、『明治20年前後、表音式仮名遣を要求する世論がおこった』(111p)と言うのです。普通の人には歴史的仮名遣いは難しかったのでしょう。そして、明治30年、40年代には、かなづかいの見直しが試みられたと言います。そして、その試みを阻んだのは戦前も『歴史的仮名遣の学問的権威に漠然とあこがれる作家や文化人の情緒的な声』だったそうです。
歴史的仮名遣の学問的権威に漠然とあこがれる作家や文化人の情緒的な声、と云ふのは、誰の目にも明かな惡口ではないですか。欺されては行けません。何の根據もないレッテル貼りです。もちろん、文學者が聲を上げたのは事實ですが、文章の專門家が聲を上げるのは當然の義務です。それを官僚である白石氏が「感情的・情緒的なものに過ぎない」と極附けてゐるのです。しかし、文章とは、感情や情緒を表現するものであり、感情的・情緒的な反對と言ふのも十分に説得的な論據であるとは思へませんか。
白石氏は、歴史的仮名遣いの難しさに、このような例を出しています。
「家」「革」の字音的仮名遣は「か」「かく」であるが、「花」「獲」のそれは「くわ」「くわく」である。「印」は「いん」であるが、「院」は「ゐん」である。「応」は「おう」であるが、「央」は「あう」、「押」は「あふ」、「王」は「わう」。「勝」は「しょう」であるが、「商」は「しやう」、「小」は「せう」、「渉」は「せふ」。「農」は「のう」であるが、「脳」は「なう」、「納」は「「なふ」、その他、漢字の数だけ仮名遣はあるかに見える。(114P)
白石氏は、この例を出すに先だって、こうも言っています。
日本人にとって漢字は無数にある。その無数にある漢字一字につき固有の漢字音があって、固有の漢字音はさらに呉音・漢音・唐宋音・慣用音と数種類。これらの歴史的仮名遣のかなのつかい分けをそらで覚えることなど、普通の日本人には不可能である。パターンがあって、パターンさえわかれば簡単というかもしれないが、パターンがわかるまで勉強すれば、とっくに漢字学者になっている。普通の人はそんなに暇人ではない。(113P)
歴史的仮名遣いは、難しいとは思っていましたけれど、学者になるほど勉強しなければ身に着ける事が難しいとまでは思っていませんでした。私は、不可能な事に憧れていたのかも知れません。
私も、これからは歴史的仮名遣いに何の拘りも無く、現代かなづかいを使っていこうと思います。
寺分でもと誤つて書いてゐます。(ほかにも木簡を
木管と書いてゐますね)これは歴史的かなづかひで書かうが「現代仮名遣」で書かうが關係なく誤です。が、さうした勘違ひ・ミスを、「現代仮名遣」の立場なら許すが、歴史的かなづかひの立場なら絶對に許さないものである、と、多くの人が思ひ込んでゐます。ちよつとそれは何うでせう。歴史的かなづかひを支持する立場の人で、「何時如何なる場合にも例外ナシに、一つの間違ひもない、完璧な文章を書かなければならないのである」と眞面目に主張する人が、何人ゐるでせうか。一人もゐないと思ひます。歴史的かなづかひを支持する立場を取るにしても、現實に書かれる文章には間違ひがあるものであると云ふ事は全ての人が認めるのです。「いや、間違ひは絶對にゆるさないよ、と正かな派の人間は言はなければ嘘である」等と言ふ人がゐるとしたら、その人は架空の正かな派を相手にシャドーボクシングをしてゐるのです。歴史的かなづかひを正しいと認める事は、理想としての歴史的かなづかひを認めると云ふ事であり、現實には歴史的かなづかひに大體從つてゐればそれでいいと誰もが考へてゐるのです。
お気遣ひありがたうございます。もりやまさんの記事は存じてをりますし、後でお答へするつもりです。たゞ言葉を見つけるのに時間が掛つてゐます。
速記文字を駆使し、人の喋る言葉を書きとめていく技術みたいなもの。
*1:速記:「すばやく書きしるすこと。」岩波国語辞典
- 速記
- すばやく書きしるすこと。特に、速記術を使って、人の話す言葉を写し取ること。
- 「速記術」の略。特定の符号を使って、演説や談話をすばやく書き取る技術。
わたしにとっては、たとえば「べき。」問題がある。等と偉さうに言ふのだ――が、そんな資格が松永氏に「ある」のだらうか。何うせ「正しい」と云ふ事に價値を認めてゐないのだから、松永氏は此處で間違ひを胡麻かさうとしたのが曝露されたからと言つて、反省もしないんだらうが……「お前ら、正しいと言つてゐるのに、こんな間違ひも看過するんだなw」。松永氏はただ嫌みを言つただけなのだ。
わたしはすべてにおいて「正しさ」を振りかざす言説を信用しない。「正確さ」は求めることができるが、絶対的な「正しさ」としてそれを振りかざす者を信用しない。自分の信念を持ち、「自分はこの考え方を選ぶ」というのならわたしは尊敬するが、「これが正しい。みんな従え。従わない奴は馬鹿」といった発言は受け入れられない。それは「正義」を振りかざす者どもも同様である。「正字正かなではなく旧字旧かなや歴史的仮名遣いなら許容できる」というのはそういう意味である。なぜなら、他のヴァリアントの存在を受け入れる度量がそこにはあるからだ。
従わない奴は馬鹿等と言つたりはしない。俺は、説明し、説得してゐる。ところが、説得や説明を端から受附けようとせず、「惡い奴だ」と極附け、レッテルを貼つて、兔に角この世から排除しようとする人間がゐる。松永や喜六郎のやうな人間がそれだ。さう云ふ態度をとつたら、俺は「馬鹿だ」と非難する――自分の主張の正しさを主張する爲には、手續きの正しさが必要であり、當然の事ながら、相手を馬鹿だと非難するのにも必要な手續きを取る。松永のやうに、
「これが正しい。みんな従え。従わない奴は馬鹿」といった發言を正字正かな派は一般にしてゐるのであると何の根據もなしに極附けるやり方はしない。
あえてここで出典を書くのは、それがわたしの勝手な命名や造語ではなく、ある意味「自称」として用いられていることを示すためである。何かというとわたしがシャドーボクシングみたいな見えない敵と戦っているような印象操作を行なう人たちがいるので、それを避けるためでもある。一方で、わたしが書いていないことについて、勝手に「こういう動機だろう」と決めつけている人たちは実在する
わたしは尊敬するがつて、喜六郎も言つたやうな氣がするが、この手の事を平氣で言へる人間つて何なんだらう。何うして尊敬と輕蔑の兩極端でしか、人と人との關係を考へられないのだらう。オウムだつた松永は麻原なんかを尊敬してゐたのだらうが、尊敬か・輕蔑かの二通りの態度しか他人に對して取れないのなら、あつさり欺されても仕方がない。
正字正かなに並んで「正文法」を主張したらどうなるだろうか。明治新政府(あるいは大日本帝国)によって押しつけられ、ゆがめられた日本語を是正するとして。
江戸時代や室町時代や鎌倉時代や平安時代や奈良時代や飛鳥時代を通して、日本人は價値觀の意識を全く育てなかつた。日本人はただ、美意識を持つか、金儲けのやうな世渡りの術・處世術を發達させるか、しかしなかつた。何れにしても、増上慢の罪と云ふものを咎める價値觀は、日本では存在しなかつた。キリスト教は、如何なる人間の上にも絶對者が存在すると規定し、それによつて人間が「俺はこの世で一番偉い」と思ふ傲慢を抑止し得る。斯う云ふ價値觀は、日本には全く存在しない。「お客様は神様です」なんてのはただの商賣の秘訣にすぎない、物が賣れて金が稼げれば、商人は心の中でどれほど愚かな客を嘲るものであるか。斯うした日本人的な餘りに日本人的な價値觀を、松永は當り前のものとして持つてゐる。松永は、他人を馬鹿にして、自分が一番偉いのだ、と確認したいのだ。さうする事で快を貪りたいのだ。さう云ふ人間にとつて、對人關係は常に「どつちが上」で「どつちが下」かの關係だ。松永が
わたしは尊敬するがのやうな言ひ方をするのは、彼が常に上下關係を氣にする人間であり、即ち彼が「自分は上の存在だ」と言ひたがる人間である事を示す。さう云ふ人間だからこそ、他人の言動にも自分と同じやうに上下關係を確定しようとする劃策を見出し、眞實を求める態度にすら松永は「權力の意志」の所在を確信する。だが、人は屡々自らを否定すべき文句で以て他人を罵る、人は自分自身の影を他人に見出して罵る。他人に「上下關係の意識」を見出さんとする松永は、實は自分自身が上下關係で人間關係を捉へてゐるのだ。松永の強烈な自我の發露が、正字正かな派を松永そつくりの人間に見せかけ、その「鏡像たる松永」を松永は激しく罵つてやつつけてゐる。
ここで「いわゆる古典文法」と述べているのは、過去の日本の文法すべてを指すからである。源氏物語と平家物語と徒然草と浮世草子がそれぞれの時代の異なった文法に基づいて書かれていることを総称している。
「これが正しい。みんな従え。従わない奴は馬鹿」といった発言は受け入れられない。と言ひ、或種の言ひ方を「正しくない」と非難して、自分の正義を主張してゐる。誰だつて「正しさ」を主張するからこそ他人を非難する。他人を非難しておいて、自分は正義を主張してゐない、等と言逃れする事は、それこそ許されない。松永よ、あんたは自分が正義を主張しながら、何うして他人が正義を主張するのを許さないのだ。答へよ。
「これが正しい。みんな従え。従わない奴は馬鹿」といった発言を「しないのが正しい。みんな従え。従わない奴は馬鹿」と松永は言つてゐるんだ。松永は正しさを振りかざしてゐるんだ。何でそれが解らないんだ――と言ふより、それが解らないから松永こそ、自分の「言説」を絶對化してゐると言へる。自分の主張が正義の主張だと自覺してゐる人間こそ、自分の主張の相對的である事を自覺してゐるのであり、寧ろ信用できると俺は信ずる。松永のやうな、正義の立場を自覺しないで自説を絶對化する「言説」こそ、信用できないし、信用してはならない。
まあ何が言いたいかといえば、言語を人為的に滅ぼしたかったら、それを政治的に禁止するだけの圧力をかけるか、話者を殺し尽くすかのどちらかしかないということ。逆に、放っておいても「昭和戦後から平成の日本語」なんて気がついたらすぐに滅び去っていくだろうということ。そして、何十年後かには、現代人のまるで読めない「日本語」がおそらく生き残っていて、その時代の人たちは平成の日本語の文献を未来日本語訳して読んでいるだろうということ(ちょうどわたしが明治や大正の日本語を現代日本語に訳しているように)。これらのことは間違いないと断言してよい。
それにしても、日本語を捨てて英語にしようとか、そういう人たちが定期的に出てくるのはどうしてなんでしょうね。明治時代にも、戦後すぐにも、日本文字を捨ててローマ字にしよう運動が一部で起こったわけだが。
日本語はまるで同じ言語とはいえないほど転変してきた。と書いてゐるのだ。
縄文時代の日本語(もちろん、当時は日本などという概念も集団も言語もなかった)、弥生時代に水稲耕作をもたらした倭人と混じり合った時代、そして漢字を使って日本語を表記することが始まり、大量の中国語が日本語に押し寄せてきた。日本人はそれを漢文として日本語化して読み(もちろんそれは日本語の中国語化でもあった)、やがて何とも言えない日本の言葉を生み出していった。
明治維新にともなって、大量の西洋の概念が流入したが、それはほとんどすべて漢字を使った新造の漢語によって取り入れられることになった(つまり、外国の言葉を別の外国の言葉で訳して導入したのだ)。明治政府は新たな「日本語」を作り出し(「です」「ます」の誕生)、山田美妙らは言文一致運動を起こし、そして帝国の統治と密接な関わりのある「国語」の誕生へとつながっていく。
正字正かな論者が古典文法ではなく現代文法で書いていることについてと言ふのだ。をかしいだらう。「をかしくない」と思つてゐるのは、「古典文法」と「現代文法」の幼稚な二元論で語つてゐる河上イチローや、かれと同じ程度の頭の所有者だけだ。「日本語と云ふ言葉には転変がある」のに「日本語には二つの文法しかない」と河上イチローは眞面目に言つてゐる。馬鹿だ。馬鹿だと思はない奴がゐるとしたら、そいつも馬鹿だ。
日本語が滅びるという前に、「正しい日本語」いや「これぞ日本語」というものなど存在しないということを認識すべきである。
ちなみに、中国語も清代以前と中華民国以後ではまるで違っているのである。
英語だって大変化している。16世紀以来の大母音変化は言うまでもない。そして、生きた動物と死んだ動物の肉を別の言葉で表わすといった例もあって(たとえばカウとビーフ、ピッグとポークなど)英語そのものがケルト人・ゲルマン人・ノルマン人・フランス人の手によって作られた「混成言語」であるということを考えねばならない。
まあ何が言いたいかといえば、言語を人為的に滅ぼしたかったら、それを政治的に禁止するだけの圧力をかけるか、話者を殺し尽くすかのどちらかしかないということ。逆に、放っておいても「昭和戦後から平成の日本語」なんて気がついたらすぐに滅び去っていくだろうということ。そして、何十年後かには、現代人のまるで読めない「日本語」がおそらく生き残っていて、その時代の人たちは平成の日本語の文献を未来日本語訳して読んでいるだろうということ(ちょうどわたしが明治や大正の日本語を現代日本語に訳しているように)。これらのことは間違いないと断言してよい。
そもそも現代の日本語というものがどれだけ歴史の浅いものか。明治以降の言文一致運動と、帝国の「国語」としての統治との関係、そして戦後の大変化について、まず押さえておくべきだろう。
正字正かな論者が古典文法ではなく現代文法で書いていることについて云々するのは無意味だ。古典文法とは何か。現代文法とは何か。
たとえば、正字正かなで有名なサイトの一文を引用するが、「當サイトを「非現實的」と言つて非難する人が結構たくさんゐるやうなのですが、理想を追求する事に何の問題があると云ふのでせうか」という表現のどこが古典文法なのか。もし仮にこれが
- 「當サイトをば非現實的とて非難せむ者多からんも、理想追求せんとて何の問題あらんや」
と書かれているのであればわたしは「筋が通っている」と思う。しかし、「やうなのですが」「せうか」といった明治以降の表現を使って平然としていることに対して、わたしは滑稽で中途半端な復古主義(つまり、戦前を理想の日本とする勘違い日本主義)であると言わねばならない。
そして、正字正かなサイトの中でも特に有名な上記サイトからの引用であり、他の文章も同様なのであるから、「正字正かなサイトは、現代日本語の口語的表現を旧かなで表記する」という観察について「偏見」呼ばわりされるいわれはない。
ウェブサイトの「正字正かな」の人たちは、なぜか万葉仮名まではさかのぼらない。そして、致命的なことだが、彼らは現代日本語の口語的表現を旧かなで表記する。古典文法にて書きたる者ついぞ見かけざるはいかなることにやあらん、正字正かなとぞ言ひたる者ども、ただ懐古の趣をあらはすのみにてあさましからんとぞおぼゆ。
ただ懐古の趣をあらはすのみが偏見なのは、火を見るよりも明かな事だらう。何うしてとぼけるんだらう。
懐古と言つてゐるが、どこがどう「懷古」すなわち現代の事に基づかないのであるといふのか、まったく述べようとしない。
松永らしくてgood。
正字正かななー、まあ好きにしたら良いと思うけど、あれは些か滑稽だよな。
待ってました!! / まぁ、言葉というのは常に、今の時代を共に生きる人のために紡ぐべきものだと思うよ。
(わしの中ではあれは「難読字難読かな」です(←バカにした表現
政治的な表現をあえてとる人たちなんかよりも、より惡質な、「政治的な行動をあえてとる人たち」に屬する事になつてしまふ。
政治的な表現だと言ふ松永氏の認識は、偏見であり、或は異常。なんで政治政治つて言ふんだらう。ニーチェの權力の意志邊から一種の心理學が發達したのだけれども、ニーチェだつたら定型的な心理分析なんかには再び反旗を翻し、批判を加へる事を眞の哲學の態度として當然の事として行つた事だらう。今の多くの日本人が、「政治」「政治」と言ふのは、刷込まれた文句を機械的に繰返して言つてゐるだけの事だらう。
きちんとまとまっていないのでメモ書き程度になるが、「日本語が滅ぶだの滅ぼせだのといった話題がかまびすしいが」でちらりと触れた(したがって言葉の尽くされていない)正字正かなについての発言が、いわゆる「正統表記」を用いる「正字正かな派」(id:kahusiさんの用語)の逆鱗に触れたようである*1。もともとがメモ的に書き流したエントリーなのだが、改めて簡単にポイントを押さえておきたい(いずれ清書するつもり)。
「正」という言葉は、必然的に「邪」(善悪)または「誤」(正誤)との対照で使われるものである。いずれにしても、「正しからざる漢字・かな遣い」が存在し、それを排除したいという表現である。一方、「旧字旧かな」であれば過去の一ヴァリアントとしての表記法という意味になる。わたしは旧字旧かなを使うこと自体を否定はしないし、プライベートでは旧字旧かなを読んだり書いたりするのも好きである。(わたしがブログ等で旧字旧かなを使わないのは、旧字旧かなを読めない現代日本人の大多数に届かなくなってしまうからである)
「正字正かな」という主張は、戦後のいわゆる「現代表記」を批判するものである。それが国家によって進められたがゆえに定着したという事実はそのとおりである(が、強制力によって押しつけられた場合の話は、言語が滅ぶか否かという話の関連であって、ここで持ち出すのは筋違いではある)。ともあれ、「正字正かな」派は、その戦後の押しつけに反発し、契沖に定められ、それをもとに戦前まで用いられた表記を「正」とする。あるいは、戦前までの「歴史的仮名遣い」の結果としての戦前までの表記を「正」とし、戦後を「正でない」とする(このあたりは論者によって揺れがあるように思われる)。いずれにしても、「正字正かな」は「戦後の文部省が推し進めた表記」を誤/邪とする、と定義して間違いないと思われる。以上は正字正かなの主張についてのわたしの認識である。
わたしは常々、「日本の伝統」とされるもののうち、かなりの割合のものが実は「明治以降」に定着した、「極めて歴史の浅いもの」であることに関心を持っている。厳密に言えば、水戸学の系譜を引く国学によって江戸時代に萌芽が見られ、その後明治になって主導権を握った「日本的なもの」というものは、実は江戸時代以前の日本文化と大きく異なるものである。たとえば、靖国神社の教義(滅ぼされた者の怨霊を鎮めるのではなく、官軍の犠牲者を一まとめの神として祀る、など)は、幕末に生まれた新興宗教というべきである(がこの話は別のところできちんとやる)。「神前結婚式」なども明治以降の極めて新しい日本的文化である。「横浜開港150周年」であるが、およそ150年前を境に新しい日本が作られ、それがあたかも古来の日本であるかのように勘違いされるようになった。そこにわたしは大きな疑問を持っている。そして、日本の多くの「民族派」の主張(日本財団に代表される)が、「戦前に回帰せよ」=「戦後民主主義への反発」であることに、まったく共感を覚えることができない。なぜなら、彼らの主張する「古きよき日本」が江戸時代や室町時代や鎌倉時代や平安時代や奈良時代や飛鳥時代のスタンダードを顧みないからである。彼らは明治維新以後終戦までを美化することによって現代の「戦後民主主義」を批判しようとする。(※正字正かな派と民族派は異なるが、終戦を境に正邪/正誤が分かれると考えている点では共通しているとわたしは感じている。また、その意味でわたしは呉智英が嫌いではない。)
わたしは戦後民主主義の信奉者というわけではない。しかし、大日本帝国や明治維新を美化するつもりもない。それ以前のすべての時代と同じく、変化し続けてきた日本の一形態であると思っている。
したがって、戦後の政治による現代漢字・かなの押しつけを批判するなら、大日本帝国による「国語」政策も、明治新政府による言語政策も、同じく批判されるべきであり、「戦前はよいが戦後は悪い」というのは認められない。明治時代にどれほど日本語が「作られた」かを考えれば、戦前の表記は伝統を受け継いだものであり、戦後の表記は伝統を破壊するものだ、というような考え方をわたしは受け入れることはできない。いずれも日本語の表記の歴史におけるヴァリアントにすぎない(ただし、その中でどれが好きとか嫌いとかいう程度のことは否定しない)。
戦後批判という側面を持つ「正字正かな」運動であればこそ、昭和二十年(ごろ)までの「戦前の表記」が「正」とされるのであろう。しかし、わたしにとって「正」という基準は存在せず、ただ過去の表記もヴァリアントとして尊重したいと思う。だからこそ、「戦前表記」をもって現代文を表わす者「だけでなく」、たとえば定家仮名遣いを基準にして記すサイトや、平安仮名遣いを基準にして記すサイトや、万葉仮名をもって日記を書くサイトなどがあってもよいと思う。少なくとも「歴史的仮名遣い」というものがその最終形としての戦前表記だけに限定されるのはおかしい。もし、正字正かなサイトがこれらの歴史的表記のすべて(あるいはある程度)をカバーしているのであれば、わたしもさほど反発を覚えなかっただろう。
「正字正かな」の「正字」も、康煕字典を規範とする流れにある。「戦後日本政府の強権による漢字字体の制限」とは言われても、「康煕帝の強権による漢字字体の制限」などという批判が聞こえないのは気のせいか。わたしは繁体字・簡体字・現代日本漢字のそれぞれをヴァリアントとして認めるし、「俗字」「略字」の対義語としての「正字」という言葉遣いは認めるが、「これこそが正しい、あとは間違い」という考え方は受け入れない。そして、楷書体以外の様々な漢字(それこそ甲骨文字から始まる)のさまざまな「字形」の差をすべて(正邪の区別なく)受け入れた上で、自分の採用する文字はこれとする、という表明だけを行ないたい。
「正字正かな」は表記だけの問題であるから、文法などは関係ない、と主張された。さらに、わたしの「正字正かな利用者が古典文法で書かない」という指摘について「古文と旧仮名遣いが一体だと思っている、現代教育の犠牲者」というような批判までなされた。わたしは、「表記」と「文法」が切り離して考えられることについては理解している。しかし、その上で、正字正かなが「表記」における批判にとどまり、文法についてはまったく顧慮しないことを中途半端だと考えている。わたしにとって、「失われた仮名遣い」に対する郷愁は、「失われた表現方法」への郷愁の一部である。であるから、わたしにとっては「旧字旧かな」という「字面の表記」だけでなく、「明治大正の擬古文」という文体や、言文一致運動以前の文体、あるいはいわゆる古典文法の文体といったものすべてに及ぶ。逆に言えば、「正字正かな派は、字面の表面的なものだけしか扱っていない」という批判である。日本語表現における相対的な視野が完全に欠落している。文字表現は文法や文体を含めた記述システム全体の中で論じられるべきであり、正書法だけを切り離して論じるのは片手落ちである。
わたしにとっては、たとえば「べき。」問題がある。「べし」は古典文法から現代文法に生き残った言葉である。これは、終止形が「べし」となるはずなのに連体形「べき」で終わる「○○すべき。」という表現が気持ち悪くてたまらない。係り受けもしていないのに、連体形で終わるのである。しかし、正字正かな派はそういうことを問題視しない。何だよ、正しい表記とかいいながら、「べき。」を見逃すのかよ、と思う。
正仮名遣いは、現実に使われている発音とまったく無関係でよい、正字法は独立した存在だ、という主張もある。それはもちろん言文一致的な流れとまるで対極に位置する(完全な言文一致は不可能である。音声学・音韻論を学べばそれはわかる。しかし、だからといって現行の発音と無関係でよいというのは極論である)。かな文字というものが本来、当時の日本語の音を表わすために漢字を借りて作られたシステムである以上、それは時代の変化とともに更新されてしかるべきではないか。
わたしは幸田露伴派を名乗ることにする。それは、幸田露伴の思考方法とわたしが非常に似ているからであり、主張もうなずけるものが多いからである。幸田露伴は、「普通文章論」でこのように書いている。
そもそも、文字表記というのはすべてが「約束」にすぎない。「し」という文字でshiの音、「よ」でyoの音、「しょう」でshouの音を表わすというのもすべて約束事にすぎない(ギリシア語のιはiの音である)。であるから、「せう(seu)」を「しょう」と読む、というのも約束の一つである。約束は、多くの人が共有しているということが前提である。表音文字の場合、同じ音が伝わることが大前提である。同じ音が伝わればよい約束であり、同じ音が伝わらなければよくない約束である。
この本の後半では、歴史的仮名遣が廃れて現代仮名遣が横行することで日本語の伝統が破壊されるとか仮名文字の情緒性が薄れたなどと主張する歴史的仮名遣愛好者を厳しく批判している。単なる啓蒙書に見えて、実はある一方の考えを強く主張しているけっこう過激な本のようだ。門外漢としては著者のいっていることはいちいち納得できる。だが、もう一方の側の主張も読んでみたくなった。
……。まだ、流し読みした程度だが、やはり、どう見ても平成明朝体だ。だとすると、現在の常用漢字とは微妙に字体が変わってしまう。……。
Kyou haHaRedesu
私の結論を言えば、「外務省は廃止せよ」である。外交はいま外務省がやっている程度でよければ、内閣官房で十分にできる。世界中がトップ外交になっているからである。
以前塩川正十郎氏と以下のような雑談をしたことがある。ODA一兆円を二割削減すれば二千億円浮く。これで「国際貢献基金」をつくる。内実は「世界謀略基金」で、この機関でやることは、世界中から人を雇い、いろいろなアイデアを出してもらい、日本にとって有利な世界戦略を練り、それを実行する。
日本にとって有利になるやうな
世界戦略を
練つて呉れるとは限らない。昔のお雇ひ外人の時代なら兔も角(あの頃は日本がこんなに立派な國になるとは誰も思つてゐなかつた。一方で、弱體な日本と云ふ意識の下、日本人も眞劍だつた)、今となつては日本は假想敵國として認知され得る國であり――少くとも金で雇はれただけの人が本氣になつて餘所の國の事を考へて呉れる訣がない。日本人の御人好しにも程がある暢氣な態度を、さう云ふ人々は侮るだらう。或は、まともな人だつたら、自分の國が一番有利になるやう動くに違ひない。金を積まれれば人は何でも話に應じると思つたら大間違ひだ。
アメリカ大統領選挙に投入するというのも一つの方法である。二千億円もあれば、選挙の行方を左右することができる。
天才的な洞察力だと思ふ。しかし、日本では、「常識」の壁に阻まれて、絶對に受け入れられない發想であるとも思ふ。と述べてゐるけれども、ちよつと非道過ぎると思ふ。何でこんな非道い事を言ふ人の事を
天才的と言へてしまふのだらう。
十五世紀の不良少年ヴィヨンは、恐らく最初の最も偉大な近代的詩人であらう。ヴィヨンの正確に日付を記された最も古い詩は『形見の歌』で、一四五六年のクリスマスの日に書かれた。その劈頭に、自分は不貞極まる女に絶えず惱んでゐたのであるが、ここに心機一轉、正道に邁進しようと決然志をたて、女を忘れるためにパリを去つてアンジェエに赴く。諸行無常、何時歸るとも解らぬ旅だから、ここに形見を配たうといつて、一々形見を與へる詩を書いてゐる。ところが、詩を書いてゐる筈のこの晩に詩人は、カイユだのニコラだのといふ後には絞首刑になつたほどの惡漢共と、ナヴァアル神學校に泥棒に入り、まんまと大金を盜み出し、パリを逐電してゐる。これは見張の役をさせた文學士タバリイが、半年ほど後、べらべらと人にしやべつて密告され、それから一年以上も經て捕へられて白状した。その裁判の調書によつて解るのである。ところがその調書の中に、ヴィヨンがアンジェエに赴くのは、その土地の大金を貯めてゐる老僧から盜むのが目的だと書かれてゐる。即ち、ヴィヨンの『形見の歌』は、かういふ一連の惡事を行ふために、アリバイを作つてゐることになるのだが、不在證明にしては餘りに文學的藝術的良心的で、立派すぎる。それに女の不貞を嘆く所など、本當にその事實が評判になつてゐなければ、不在證明にもならない。だから、詩人が天職か泥棒が本業か解らない。
なお、厚労省が同省令を公布する一方で、舛添要一厚労大臣は、この問題について議論するための大臣直轄の検討会を開催する意向を示している。しかしケンコーコムによれば、この「医薬品新販売制度の円滑施行に関する検討会」の構成員は、同省令に関わる過去の検討会の構成員で大多数を占められているという。
法律で取り締まる事が難しいからといって、結果的に他人を騙す事はどんなに言葉で飾り立てた所で許されぬ行為です。
皆様も、悪質な詐称まがいの販売に騙されてしまう事の御座いません様。くれぐれもご注意ください。
……エリオット……は既に吾國にも紹介されてゐるやうに、ある意味で純粹文學の提唱者である。純粹文學といふ時に吾々の最も陷りやすい誤解は藝術至上主義との聯想から生れる。藝術至上主義が實は人生に屬するあらゆる情緒の傳播を意味し、哲學、神學等の代用物であつたのに反し、エリオットに於ては、明確な文學的標準を所有することは必然に明確な道徳的標準を持つことを意味するものであり、文學の研究が他のものの研究に導くことを認め、それにも拘らず、否、その故に兩者の區分を明確に認識する人の文學純粹論である。……
尚、現時点の弊社のGPS受信機では、2040年12月31日まで、正確なUTCを出力できますが、それ以降は停止しますので使用できなくなります。永遠に続く時刻と有限なリソース(資源)でしか物を表現できないエンジニアとの戦いはどこまでも続きます。
「Yahoo!ニュース」で過去の投稿までさかのぼってID公開中!
ねつ造が確定してもまだ信じる人が……ネットデマのしつこい性質。
2年間のすったもんだで、ようやくねつ造確定“福島瑞穂の迷言”
いまでは、「ある」と主張していた人がすっかりネタ切れになってしまい、いわゆる「コピペ荒らし」を繰り返すようになってしまった。2年経って、ようやく終結の時期を迎えたようだ。お疲れ様でした。
ここに文化の發展創造と云ふからとて、この任務が所謂學者とか藝術家とかと云ふ、特殊の職業に就いてゐるもののみの使命だと誤解してはならない。一般の知識階級例へば會社員とか官公吏とか技師であつても、夫々特殊の持場を擔任しながら、科學や哲學や藝術に關心も興味も持ちうるのであり、又持たなければならないのである。若しさうでないならば、學者や藝術家がその創作を發表した場合にも、それを理解し評價して呉れる對象を持たない譯であり、それでは學問も藝術も發展創造する刺戟がなくなることとなる。現に讀者と稱し聽衆と稱せられるものがあつて、學問や藝術の水準が維持され發展してゐるのである。一般知識階級は學問や藝術に就てもかくの如く沒交渉でないが、況んや各々の持場に於て政治・經濟・財政・技術等々の文化を維持し發展させてゐるのである。若しも經濟・財政・技術などの領域に、高等教育を受けたものがゐないならば、之らの過去の文化を相續しえないのみならず、將來へと承繼せしめるものもないだらう。……。
立派な社会人にYahoo!掲示板で中傷された經驗がある。その時Yahoo!は中傷する側を守つた。
ネットリテラシーが何うの斯うのと説教しても何の效果もない。
★ノズラーとは?★云々のコピペ。「義」もこのコピペが好きだな。コピペ腦と云ふのもこの世には「ある」んだらう。
キェルケゴールにとっては、真理伝達は間接的伝達としてのみ可能であった。それは古代においてはソクラテスの場合、イロニーとしてあらわれたものだが、レッシングもまたそうした間接的伝達に終始したというのが、キェルケゴールの究極のレッシング観である。そしてキェルケゴール自身もそうした伝達者、最後まで両刀の剣に傷ついた思索者・求道者であったといえよう。
客観的内容ならば直接的伝達は可能であるが、主体的真理は間接的伝達のみが許されるのであり、それは「伝道」という観点から見るならば、各個人に決断の余地を残すものであり、個人をして彼自身の真理を捉えさせるという独立を維持させるものである。内村鑑三の「伝道」もそうした主体性による自己抑制のきいたものであったといえよう。
獨り居の寂しさに堪へぬ人々にいはう。縱ひ獨語するときにも、公けの前にゐるごとく、つつましくなくば、矢張りそれは不行儀なともがらである。
これはニイチェの「曉紅」のなかの言葉である。と言ふのだが、何うだらう。これを讀んで「成る程」と單純に思ふ人はゐるだらう。が、續けて齋藤茂吉は斯う述べてゐる。
これはニイチェの「曉紅」のなかの言葉である。さはれ、吾等のやうに氣の弱い、はにかみ勝ちのともがらは、ひとり言の間ぐらいは我儘でありたい。……。
- 小林
- 僕も前に福澤諭吉の事を書いたことがあるけれども、福澤諭吉は『文明論之概略』の序文でかういふ事を言つてゐる。現代の日本文明といふものは、一人にして兩身あるがごとき文明だ、つまり過去の文明と新しい文明を一つの身にもつてをる、一生にして二生を持つが如き事をやつてゐる、さういふ經驗は西洋人にはわからん、現代の日本人だけがもつてゐる實際の經驗だといふのだよ。さういふ經驗をもつたといふことは、われわれのチャンスであるといふのだ。さういふチャンスは利用しなくちやいかん。だから俺はそれを利用し、文明論を書く、と言ふのだ。西洋人が日本を見る時にはどうしても空想的に見るけれども、日本人は一身で西洋文明と自分の過去の文明と二つ實驗してゐる。だから、議論は、西洋人より確實たらざるを得ない。さういふチャンスを利用して俺は『文明論』といふものを論じる。さういふ立場から論じてゐるだらう。あの人は……。さういふのが實證精神だらう。
- 三木
- さうだ。
- 小林
- 實證精神といふのは、さういふものだと思ふのだがね。何もある對象に向つて實證的方法を使ふといふことが實證精神ではないよ。自分が現に生きてゐる立場、自分の特殊の立場が學問をやる時に先づ見えてゐなくちやならぬ。俺は現にかういふ特殊な立場に立つてゐるんだといふことが學問の切掛けにならなければいけないのぢやないか。さういふふうな處が今の學者にないことが駄目なのだ。日本の今の現状といふやうなものをある方法で照明する。さうでないのだ。西洋人にはできないある經驗を現に僕等してゐるわけだらう。さういふ西洋人ができない經驗、僕等でなければやれない經驗をしてゐるといふ、さういふ實際の生活の切掛けから學問が起らなければいけないのだよ。さういふものを僕は實證的方法といふのだよ。
- 小林
- あゝいふ福澤諭吉のやつた樣な眞摯な、物に即した學問の方法が何處に行つて了つたかといふ事が不思議でならない。あなたは、あゝいふ實學の方法がカント流のヒューマニズムに蔽はれてしまつたといふやうなことを書いてをつたらう。それはどういふことですか、もう少し説明して下さい。
- 三木
- 對象時代に出てきた教養といふ思想だね。それが實證的な精神を失はせて、觀念的に教養といふものを作り上げたね。さうしてものに對して或るポーズをすることが教養だといふことになつたんぢやないかね。
- 小林
- さういふ事になると、やつぱりどうもただ考への問題といふよりも人間の問題だね。どうもやつぱり福澤諭吉といふ人間が豪かつたといふふうに考へる。教養といふやうなものを、さういふふうに解釋してゆくといふのも、要は人間が貧しいからさう解釋してゆくわけでせう。何もカントがさういふ男であつたわけではないからね。それにもう堪へられないのだね。
- 三木
- 嚴しさに堪へられないのだね。
- 小林
- 論證するには論理でよいが、實證するには文章が要る。哲學といふものを創るといふ技術は、建築家が建築するやうに、言葉といふものを盡す必要がある。それを言ふのですよ。考へるとは、或は見るとは創ることだといふ命題は、ただディアレクチックではとけないのだと思ふ。
段々面白くなる、と言合つてゐる。
- 小林
- 主體的という言い方は曖昧に思われるが、僕はただものを考えるのに、精神全體をいつも行使しようと心掛けているだけなのです。理性というものは、精神の一部だ。自然は人間理性に服從する面をもつが、服從しない面ももつ、自然の質とか多樣性とかいうものは、理性にはどうしても適合しない。事實(fait)という言葉をパスカルの樣に深刻な意味に解すれば、自然のfaitには、樣々な異質的なもの、ordreの異つたfaitがある。そういうfaitをすべて受け入れるのには、精神の全能力が要る。全緊張が要る。そういう風に精神を緊張させているという事が主體的に考えるという事なら、僕はそうだと言えます。
- 伊吹(武彦=司會)
- そこにミスティックの現われる基礎があると思うが、桑原君、今の日本にミスティック――神秘的な考え方――があつてよいかどうか、君はどんなふうに考えますか。
- 桑原
- できるだけ消してゆきたいと思つています。
- 小林
- パスカルのミスティシズムというものはね、自然は合理的解釋では汲みつくすことが出來ぬという、極めて嚴格な洞察の結果として現われているのですよ。
私は私に對する批評家逹において、屡々無頼漢の印象を受けたことがある。語られる事柄でなくて、その事柄を私が語るといふこと、そして正にこの私がどの程度までそれを語りうるかといふこと――これが彼等の唯一の趣味であるらしく思はれる……世人は私について評價するが、私の作品を何ら問題としようとしないのだ。彼らは私の作品の發生史について説明する――それでもつて問題は充分に片付けられたものと考へてゐるのだ。
自己を限定するといふ點で正當であるが、自己を絶對化するといふ點で誤であると言つて、ニーチェを誤つて解釋する「四つの方法」について述べた部分があり、そこで以上のニーチェの言葉を引いてゐる。
ニイチェの個々の教説を孤立化したり、體系化したりして、それを彼獨自の業績として示すこと。
ニイチェの個性を觀念化(形態化)し、それによつて、それ自身として纏まり、直觀的に觀照せられるところの一つの全體としての一つの完結的な運命として孤立化すること。
ニイチェに永遠的意味と歴史的根據の深みを與へるために、彼の現實全體を神話的象徴によつて説明すること。
ニイチェの思想や態度を心理学的に説明すること。
navigation barだの
menuだのと書かれてゐる。XHTML 2.0は、視覺的であれ何であれプレゼンテーションの爲の文書記述言語であり、テキストをマーク附けする爲の言語ではない。斯うした見た目を重視する傾向は、例の「HTML 5」にもはつきり表はれてゐる。
最初に出たときは、ストーンの挙動が余りにもおかしくてカーリングとして成立しておらず、更にCPU対戦が無いおかげで暇つぶしにもならないという酷い出来で、App Storeにもそういう内容のレビューを書いたんだが…
…その後、地道に細かいバージョンアップが繰り返され、徐々にストーンの挙動がまともになっていき、最新のバージョンではついにCPU対戦が付き、そこそこ出来が良いアプリになった。
ということで、今ではアプリの中身はApp Storeに当初書いたレビューとはかなり異なっているんだが…早いうちに出すだけ出してアプリを売っておいて、細かい修正はその後やればいいやなんて悪習がデベロッパの間にはびこるのを防ぐ為に、レビューはこのまま修正しない事にしよう。
悪習なんだらう。いいことぢやないか。この人は良く解らない理由でクレームを附ける事がある。
キーン先生は日本は儒学思想に大きな影響を受けていると見ているが、司馬遼太郎は日本にはどのような思想でも載せることのできるお皿のようなものがあるというのがおもしろいところじゃないか、儒学も皿の上の一つに過ぎない考え方を出されるのだが、これについては議論が収束しなかった。お皿というのは一種のメタフレームワークのようなものだと考えられる。もっと議論が深まるとおもしろかったと思う。