無料のオープンソースソフトウェアの支持者は強力な味方になりうるが、声高に非難する批評家にもなりうる。
NHKの肩を持つつもりはまったくないが、特定の集金人もしくはセンターの運営能力の問題ではないかと思う。
ついでに言うと、Webが前述の「理想世界」になることはたぶんないと思います。利用するのが人間である以上、ある程度負の側面を持つのは仕方ないことだと私は思っています。
今日も会社からの帰りにふらりと近所の書店へと足を運んだ。今続々と増えている特徴もなければポリシーもない書店とは違って、意図に満ち満ちた良い書店のひとつ。欲しい本があれば買うだけ。不発に終わることの方が多いものの、たまにはいいことだってある。
アンサイクロペディアの神郷洵の項を見て、 ペルソナの見方を間違っていたことを悟った。この解説、バカっぽく書かれてはいるが、なかなかどうして深い。
「我々が情報公開する前に、カード会社の方では不正利用が発覚した顧客に随時コンタクトを取り、『サウンドハウスの顧客データが流出した』と伝えていた。顧客からは、『サウンドハウスが情報漏洩を隠している』と言われたが、こちらとしても公開日時までは口を開けない。板挟みだった。とはいえ、我々が先に告知していたら、大量の情報漏洩対象者が一斉に窓口に殺到し、カード会社が対応できなかっただろう。そう考えると、情報公開のタイミングに解決策はないのではないか。」
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自分で情報を入手だね。
ところで、Firefox はアドオンの新しいバージョンが出たら自動的に新しいバージョンをインストールしてくれる。
しかし、そのままでは何も出来ないのは相変わらずで、Operaと同等の機能を実現するには多くのアドオンを入れなければならない。
確かにアドオンでOperaの機能はほぼカバーできる。しかし、未対応のものを無理やり入れていることもあり、やはり不安定だ。これを安定させるのは結構骨の折れる仕事になる。
つまり、普段使いはOpera、開発やGoogle labなどの実験的ページはFirefox3、と使いわけるのがベストな選択だろう。
Movable Type はブログだけでなくウェブページやファイル管理も可能な、ウェブサイト全体を管理するコンテンツ管理システム(CMS)です。
言語界の立法はただ多数のみが支配する。ここには完全な輿論政治が行われる。文法家は、かの多数が作った規則に、適当な分類と便利な索引を附して、法令全書を作る者で、その立法に対して可否の論をさしはさむ権利はない。
……この度は實に幸ひなことに、西尾幹二先生のお勸めとご紹介により文藝春秋の新書編集局長細井秀雄さんと接觸することができ、このお二方のお勵ましを得てこのやうな本ができました。……。
ところで、先日の松原氏を騙る投稿は 58.157.27.138 によるものですが、
日本語では、
はいかいいえで答えてくださいと訊かれることはあってもいいえかはいで答えてくださいと訊かれることはまずない。英語でも、yes or noとはいうがno or yesとはいわない。ならば、はいかいいえで答える質問をするときには、選択肢としてはいを先に提示するのが自然だろう。
同様に、はいかいいえで答える質問をされたら、選択肢も
はいが先でいいえが後に並んでいると考えることは自然なことだ。はいかいいえで答えろといっているのにいいえかはいで答えさせるような引っ掛け問題は紛らわしいだけだ。Mac OS X などでは、
はいがいいえより右にあったりするけれども、これはかなり不自然なことだと思う。GNOME のシャットダウンダイアログにいたっては、キャンセルが五つの内の四つ目というわけの分からない位置にある。態とボタンを押し間違えさせようとしているとしか思えない。……
キャンセル以外の他の選択肢は、コンピュータの状態を何らかの形で変化させるのに対して、キャンセルは何も行わずに戻るという特殊な選択肢であるから、他の選択肢とは紛らわしくないように配置すべきものだ。実際、Windows XP のシャットダウンダイアログではキャンセルは他の選択肢とは全く異なる様式で提示されている。
Mac OS Xのシステム環境設定を変えるときにパスワードを入れるのは、設定画面の左下にあるカギのアイコンを自ら予めクリックしておいたときだけです。(2008-Jun-16)
いい年こいてX-MENとか迷言があつたな。
Macのウィンドウを閉じてもアプリケーションが終らないことを、はじめはふしぎに思ったが、よく考えたら、アプリケーションを終らせる意味が無いことに気づいた。(2008-Jun-16)
スローガンに過ぎない理想、そのやうなものは持つだけ邪魔なものである。また、スローガンではなくなつた理想は最早理想とは呼ばれない。それが理想と圓熟の違ひである。圓熟の境地は、如何なるものであれ、言葉や文章にし得るものではない。
野嵜健秀 2008/06/16 20:33 無知蒙昧のチミ。 労働は、義務だよ 無職は、外道だよ。 君には、教養も文化も感じないね。
もう少しきちんとした言い回しにするなら、メニューの一番左にはユーザが選んで一番問題のないものを置いた方が良い。と言つてゐるが、「
きちんとした言い回しであつてもきちんとした理窟ではない。
葬式は,生きてる人が心を整理して,けじめを付けるためのものです(ある意味では,忙しくてバタバタしている間は,悲しみを忘れることができる.――最近は薬が效き過ぎてこの手の解釋が世の中を覆ふやうになつてしまつた。成程、この解釋は正しい。けれども、若し心から斯う云ふ事を信じて全てを割切つてしまつてゐる人ならば、葬式をやつても意味はないとしか思へないし、そもそも人が死んで悲しむなんて事すらもあり得ない。
キリスト教徒じゃなくてよかったと思うことは色々あるけど(私は姦通に代表される不道徳なことが大好きなのだ)、一番はコレかもしれない。私がキリストを信仰していたらファッション誌を読む度に猛烈な怒りを覚えたろう。
ねえ , ブログ使って何か利点あるのか ?
※サムスン製ハードディスクにつきましては、相性問題が非常に発生しやすいため、すべてにおいて動作保証の対象外とさせていただいております。
というわけで, ベリファイ付きでコピーする手段は Windows 標準では用意されていない(たぶん)。
神保町の出版関係者何人かが三階には上がったことがない、なんだか上がりづらいと告白していた。エスカレータ廢止されたからなー。昔はもつと上まで賣場があつた。人がゐなくて俺にとつては實にいい暇潰しの場なんだが。先日の改裝で東京堂、背が低かつた書棚に繼足しをして背を高くして、本を澤山詰込むやうになつた。
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「欧米人」は受忍限度内だとしても,さすがに「欧米語」はやめてほしいなあ。
Ethnologue によれば,現存する言語のうち欧州起源のものは239,米州は1002。前者のうちの4系統が米州に浸透し高いシェアを築いたのは事実だけれど,それをもって両大陸の言語を単一概念でまとめることには強い違和感がある。
日本人は、概して保守的な民族なのですが、「ことば」の問題となると、奇妙に進歩的になる。おそらく、だれもが、日本語に対して、多かれ少なかれ劣等感を抱いてゐるからでせう。そのため、「大衆のため」「子どものため」と称しては、不合理な表記法改革をする。何のことはない、「子ども」「大衆」といふかくれみのをつけた、劣等感の育成にすぎません。こんなへっぴり腰の教育観で、子どもを教育してゐるのが現状です。最近、水道方式とか、プログラム学習とか、学習の能率化が、世の母親の間に大はやりといふのも、こんなことが原因なのでせう。でも、私なら、さういふ学習方法以前の問題として、学習の基本となる国語教育に、効果が証明ずみの石井さんの漢字学習法をお勧めします。はるかによい成績がをさめられるでせう。幸ひ、本書には、個々の漢字の教へ方まで、親切に書かれてをります。母親の最もよい手引となることは疑ひありません。(歴史的かなづかひによる)
いままで、むずかしい漢字というと、字画の多い、字形の複雑な漢字がそうだと考えられていました。したがって、やさしい漢字というのは、字画の少ない、かんたんな字形の漢字ということになっていました。しかし、これは、すでに申しあげましたように、だれでもそう考えやすいことではありますが、まったくちがっています。
子どもの生活に、もっとも縁の深いもの、子どものもっとも興味や関心をもつものを表わした漢字が、字画に関係なくよく覚えます。しかも、この点に同じ条件であるなら、字形の複雑なもののほうが、覚えやすいようにさえ思われます。
「批評」 するということ/2003年 5月16日 作成/2008年 6月 1日 補遺
或る言説に対して、賛成であれ反対であれ、ぬきさしならぬ 「なにか」 を感じて、その 「なにか」 を明晰に立証するために 「1 対 1 の対決」 を回避できないように迫られた作業が 「批評」 です。したがって、「批評」 は、(批評する人が) 自説の観点に立って自らの one-sided な コメント を付与した報告文とは違う。
批評家の力量は、批評の対象となっている言説を述べた人と同等 (あるいは、それ以上) でなければならない。
それが批評の ルール (前提) です。
その前提に立って、ぬきさしならぬ状態のなかで、寸鉄のように撃ち抜く アフォリズム を提示するのが第一級の批評家であって、第一級の批評家が綴った短い批評文は、思いつきの戯れ言とは雲泥の相違になる。
They that know nothing fear nothing. 「無知は怖い物知らず」 と言うけれど、小賢しい知識を振り回せば恥を晒すので、他人が述べた言説に対して、ぬきさしならぬ 「なにか」 を感じていないのなら、黙っていること (!)
的外れの論評をしないためにも、「沈黙」 は批評の 1つの マナー です。