闇黒日記


平成十九年一月二十四日
パスはLCPの檢索キーワードの最初の5文字。

平成十九年一月二十日
スルー=容認。

平成十九年一月十八日
パスはLCP參照の事。

平成十九年一月十七日
パスは茲。

平成十九年一月十六日
掲示板にまた「義」襲來。再び2ちゃんねる方面に野嵜の名を騙つた掲示板の荒し依頼を始めた模樣。2ちゃんねるの中の人は對應しないだらうから、こちらは泣寢入りする以外何うしやうもない。
平成十九年一月十六日
「匿名で自由に書込み出來る掲示板」と云ふ仕組――と言ふより、「匿名で自由にものを言へるインターネット」と云ふ仕組を構築してしまつたのは、人類の最大の過ち。企業は金儲けの爲に「自由なインターネット」を作つたが、その結果インターネットは死んだ。インターネットでの風評がリアルの世界の企業にも屡々被害を及ぼしてゐるが、それは當然の報い。IT企業がインターネットの風評被害に遭ふのはざま見ろと言つて嘲笑つて良い。一方、個人が實名で物を言へなくなつた今のインターネットは、嘗てのインターネット文化が持つてゐた美點を全て失つた。
日本では、パソコン通信が「匿名・ハンドルで發言するのが普通」と云ふ「文化」を釀成し、インターネットに非道い惡影響を遺した。パソ通出身者が安易にインターネットの世界に「匿名文化」を持込んだ事は、今のインターネットの悲慘な状況を生み出してしまつた原因の一つ。非道い勘違ひをしてゐるパソ通出身者が、ウェブを荒し、インターネットの古き良き傳統を破壞したし、今もしつゝある。彼等がおつさん化し、今も精力的に活動を續けてゐる事は、ウェブにとつて不幸な事だ。
平成十九年一月十六日
ウェブは自由か――日本が自由であると云ふ程度には自由。ウェブでは匿名で物を言ふ自由は存在する。しかし、實名で物を言ふ自由が全く存在しない。
一度でも實名を出せば、ウェブでは發言の自由を完全に奪はれる。これは極めて恐ろしい事だが、インターネットでは殆ど全くと言つて良いほど認識されてゐない。普通に「インターネットは自由」と云ふ通念が「日本は自由主義國家」と同じ程度に信じられてゐる。
平成十九年一月十六日
「義」なんかにしてもさうだが、ウェブで活動するおつさんの程度の低さは異常。一方、若い連中でもおつさん化して非道い樣を晒してゐるのは正視に堪へない。
平成十九年一月十六日
戰前の日本の社會では自由にものを言へなかつたとされるが、それは政府批判等特定の發言をする自由が無かつたに過ぎない。戰後、その種の發言は自由になつたが、しかし、發言は全てその種の發言に盡きる訣ではない。戰後の言論の自由は、戰前既に存在した或種の陰濕な言論を益々増やした。
今の「自由なインターネット」では、政府批判・政治批判の類は完全に自由だが、一方で個人攻撃・誹謗中傷・嫌がらせ・掲示板荒しもまた完全に自由となつてゐる。寧ろ、後者の自由が謳歌されてゐる。
戰前よりも戰後の方が言論は陰濕化した。ウェブではさうした状況がさらに惡化した。
平成十九年一月十六日
本屋で立讀みしてゐると××××さんが何か歌を陽氣に歌ひながらやつてきて、ばつさばつさと雜誌を引掻き囘して、周りの客の眉を顰めさせる事がある。この種の××××さんは、リアルの世界ではその場では迷惑だが、迷惑なのはその場だけで、社會的に影響力を持たない。我々は苦笑を浮かべながらも默つて立ち去る事が出來る。
が、ウェブでは彼等が大變巨大な力を發揮し得る。「義」にしても某氏にしても、その種のアレな人だが、彼等が野嵜の名を騙つたり、野嵜を「掲示板荒し」と極附けたりして攻撃を仕掛けると、兔に角全世界の人間にその種の記事を讀まれ得る。これは大變危險な事で――「野放し」と言つたら雰圍氣が傳はるかも知れない――にもかかはらず、インターネットでは誰でも自由に發言出來る。
インターネットは大變危險な場所で、一度でもこの手の人に目をつけられたら最後である。野嵜の場合、最早手後れで一生が臺無しとなつてゐるが、この種の人權侵害が普通に生ずるやうになつてゐる。野嵜に對しては「自業自得」のやうな嘲笑の聲が浴びせられるだらうが、しかし、理由は何うであれ人權侵害は決して許されない。當り前の話だが、それを「義」は絶對に理解しない。彼は差別主義者だからだが、この種の異常な發想の持ち主にもインターネットは門戸を開いてゐる。
大體、人間と云ふものは、どんなに頭がをかしくなつても「俺は正しい」「俺のやつてゐる事は正義だ」とだけは信じられるものだし――と言ふより、寧ろ頭がをかしい人ほどさう云ふ信念を強める。トンデモさんほど、自分の主義主張の正しさを確信してゐる人間はゐない。その手の人が、氣に入らない人間を見附け、誰かに目を附けて、自分の正義の實踐の爲に熱心に攻撃を行ひ、結果として嫌がらせの加害者になるケースは大變に多い。しかも、さう云ふ人の活動を促進するやうにインターネットは出來てゐる。
平成十九年一月十六日
自動車なんかだとスキルなり何なりを調べられて、駄目なら免許が下りず、免許が貰へなければ運轉は出來ない。資格が無ければ何も出來ないなら、危險は或程度囘避される。勿論、免許があつても事故を起こす人はゐるが、しかし、免許制度が無くて誰もが自由に自動車を運轉できて、それでその邊の道を車がばんばん走りまはつてゐたら危險極まりない。
今のインターネット社會は、さうした危險極まりない状況が「現實化」した社會だと言つて良い。
平成十九年一月十六日
自由な討論の結果、過ちを正し、より良い方向へと進んで行く事が期待される。それで言論の自由は存在し、自由主義が存在する訣だが、人間は不完全だから、自由化された言論を平氣で惡用する手合が必ず出現する。
人間は、善い人も惡い人もゐる。性善説で何でもやつて行ける訣ではない。性惡説で全部を説明してしまつても意味はないのだが、性善説を原理とした社會思想やイデオロギーが、歴史を下るにつれて、世の中で支配的になつてゐないか。
さて、不完全なところを常に人間は持つ。ならば――俺は思ふのだが――人間は呪はれるべき理由がある。俺は人間と云ふものを呪ふのだが、これは妥當性があるのでないか。自分を棚に上げる氣は無くて、だから俺は核兵器で人類が滅亡するかも知れないこの時代でも戰爭を全否定しない。
平成十九年一月十六日
昨日、寫眞をスキャンして畫像のごみとりとかしてゐたら、靈らしきものが寫り込んでゐたのでびびつた。一見髑髏みたいに見えるのだが何うやらシートベルトの金具らしい。

平成十九年一月十五日
あさっての方向。を一氣觀。俺の苦手なタイプのファンタスティックなシチュエーションが突然出來する御話だが、科學的な原因(を全然追求しない事)は兎も角として、出現したシチュエーションの中で登場人物がちやんと動いてゐるのは感心した。落著いて觀ると面白い。
平成十九年一月十五日
日曜日深夜のテレビ東京。金色のコルダ。相變らず出來が安定してゐて面白い。まなび。段々これで良いやと思へるやうになつて來た。MoE。先週ほどの「衝撃」は無いけれども下らないのは相變らずで面白い。
平成十九年一月十五日
正字正假名遣ひの爲のリンク集(一覽)でリンク切れ續出してゐるよ。特にうち。

平成十九年一月十三日
ろーかるアンテナ。ISO/IEC 15445:2000版
ヽ(´ー`)ノ
平成十九年一月十三日
すつかり出遲れた。さよならOS/2祭。
IBM OS/2 Warp - Japan
お笑いパソコン日誌:今日のRIP・SOS OS/2
日本IBM、OS/2のすべての活動を終了
元麻布春男の週刊PCホットライン
さらばOS/2について - 栗原潔のテクノロジー時評Ver2 [ITmedia オルタナティブ・ブログ]
私家版 OS/2Warp4.0 FixPak/デバイスドライバ リンク集 - SassyOS2 の日記
平成十九年一月十三日
ライフボート、差分コピーも可能なサーバーOS対応のHDDコピーツール新版
未だにOS/2に對應させて來る邊が泣かせる。
平成十九年一月十三日
【タレコミメモ】「The Design of Voyager」バージョン0.1リリース - masakun の日記
netlabs.org: The Voyager Project
平成十九年一月十三日
TIDY for OS/2 Warp
こんなものもあつた。
平成十九年一月十三日
ま〜りんちゃん制作委員会 (C) 2001.
まだ續いてる……。
それにしてもまさか本家ささみが魔法少女クラブで復活するとは誰も豫想してゐなかつた。
平成十九年一月十三日
Web制作はあなたに何かをもたらしましたか (インターネット帳面)

平成十九年一月十二日
歴史の改竄。
平成十九年一月十二日
『狼と香辛料』IIIを讀了。校閲の人、この本では仕事をしてゐる。これ、さすがにアニメ化するのは難しいだらうなー。
平成十九年一月十二日
愛書会 @ 東京古書会館。古めの本が多かつた。特にエロ方面。例のヒンチリフの本がカヴァ缺で一册。買つたもの。鶴見祐輔『プルターク英雄傳』四册。宮崎市定『日本文化研究一 東洋史の上の日本』、唐木順三『日本文化研究二 無用者の系譜』(新潮社)。堀米庸三『歴史家のひとり旅』(新潮社)(署名本)。『知性 1957-1997 企画集団知性コミュニケーションズの40年』。「文部時報」。雜誌「文藝春秋」昭和二十四年新年號。

平成十九年一月十一日
http://www.fastwave.gr.jp/diarysrv/misuzilla/200701a.html#20070107-1
どーしてもなくさないでほしいという人がいるなら考えますが、

平成十九年一月十日
Lists in HTML documentsの試譯。

HTMLは制作者に情報のリストを作る方法を幾つか提供します。どのリストも一つかそれ以上のリスト要素を含まなければなりません。リストは、

を含む事が出來ます。

例へば上記のリストは未整理のリストで、UL要素で生成されます。

※例 省略 wikiに轉載する時には適當に補完よろしく>かふしさん

整理されたリストと云ふのは、OL要素で生成されるけれども、整理されてゐる事が強調されるべき情報を含む事が出來ます。例へばレシピで、

  1. 最初に小麦粉と砂糖を混ぜます。
  2. 玉子を泡立てて、それに混ぜた粉を入れます。
  3. 十分間良く掻き混ぜます。
  4. 一時間、三百度で燒き上げます。

定義リストは、DL要素で生成されますけれども、(ほかにもいろいろと應用の仕方は「ある」のですが)一般に「用語」と「定義」のペアが連なつて生成されます。何かの宣傳で、こんな風に定義リストを使ふかも知れません。

低コスト
今度の製品では從來の製品に比べてコストを劇的に削減いたしました。
使ひ易い
より使ひ易く製品を改良しました。
御子樣にも安全です
御子樣がこの製品のそばで一人で遊んでゐても大丈夫(但し保證ナシ)。

※例 例によつて省略。轉載時には要補完。

リストはネスト出來ますし、異るタイプのリストでも組合せて使ふ事が出來ます。云々。

平成十九年一月十日
W3Cの文書の翻訳 - かふしゐき
闇黒日記のマーク附けごと轉記してゐるやうで、變な事になつてゐる。
あと、何うしてHTML 4.01 Specificationへのリンクが無いのに2ちゃんねるのスレには御叮嚀にもリンクを張つてゐるんだ? そもそも2ちゃんねるへのリンクは不要。
平成十九年一月十日
orderedを「整理された」、unorderedを「未整理の」と譯すのは無茶苦茶怪しいけれども敢てさうやつてみる。ordered listでも、精々「順序を強調すべき情報」を示すリストに過ぎない訣で、「特に順番を強調しないでも良い場合」も、ただ「強調されない」だけで、結局は「上から順番に讀まれる」事になるんだよ。
平成十九年一月十日
ulを「並んでゐるだけのリスト」、olを「並び順を強調したリスト」と譯しても良い?
平成十九年一月九日
しにバラどらまが非道くて吹いた。
平成十九年一月九日
個人的に好きだつた去年のアニメ三つ。LAP。くじアン。おとボク。
いろいろと殘念だつた去年のアニメ三つ。Canvas2。ストパニ。吉宗。
平成十九年一月九日
http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20070109
神保町でも又吉イエスの奇矯な聲を聞いたよ。あれ、うるさいよね。ファンの人には申し訣ないけれども、うるさい。無責任に唯一神ファンを稱してゐる方々には、是非とも、自重するやう、唯一神に進言していただきたい。少くとも、俺が古本を漁つてゐる間。

平成十九年一月八日
野嵜氏に對する返信3へのご意見・ご感想
またぐだぐだぐだぐだ因縁を附けて來てゐる。勘辨して呉れよ。リンクには全て意味があるんだよ。だつて、人間がする行爲だもの。そんな事も解らないのか。さうだらう。
俺は、「○○の正當性はともかくとして、さう云ふ主張をしてゐるサイトを晒すのは○○と同じだとの自覺はあるのか」なる言ひ方をして見せるのはただの嫌みとの自覺はあるのか。と書いたんだよ。繰り返しだが私が問ふてゐるのは野嵜氏も言つてゐる意味もなくの部分だ。と七鍵氏は言ふけれども、俺は意味もなくなんて言つてゐないのだ。それなのに七鍵氏は七鍵氏は頭がをかしいのではないだらうか。さうだらう。
と言ふより、野嵜氏、「自分の事を言はれた」と思つてかつとなつて「返信」してしまつたのだらうけれども、私は「野嵜氏に」なんて一度も書いてゐない。はぁ? 「野嵜氏に對する返信1/2/3へのご意見・ご感想」つて何? あんた馬鹿? 自分が何を書いてゐるかくらゐ、承知しておきなよ。あんたは「野嵜氏に對する返信」つて書いたんだよ。どうして私は「野嵜氏に」なんて一度も書いてゐないなんて言へるんだ? 良く讀んで呉れ。「意味もなく、無斷リンク禁止を謳ふサイトに向けてリンクを設定してみたりそのURIを紹介してみたりする輩」ではないのであればかつとなつて「返信」などしなければよい。とか言つてゐるけれども、俺は「返信」などしてゐないよ。してゐないから敢て出典を示さない。晒さない。と書いたのだけれども? 七鍵氏、俺の眞似をしてゐる積りなのだらうけれども、言ふ事に穴があり過ぎて、話にならない。かう云ふ、人の言つてゐる事をただただ混ぜつ返して、それで相手を論破した氣になるやうな七鍵氏のやうな輩は、得てして、自分の言つてゐる事の論理的な穴を、他人に指摘されても、自覺する事は出來ないのだ。
俺が何を言はうが、この七鍵なる人は、私の文章を私の文書と判るやうに用ゐておいて「返信」ではないとの態度を「言ひ譯」と呼ばず何と呼ぶ、等と無茶苦茶言つて否定してしまふ。そんな論理は手前勝手の論理に過ぎないのだが、七鍵氏、「俺は完全な論理展開をしてゐる!」などと思ひ込んでしまつてゐる。七鍵氏の文章を七鍵氏の文章と解るやうに用ゐる事が、どうして「七鍵氏への返信」と云ふ事になるのですか。私は敢て出典を示さない。晒さない。と書いたのですよ。あなたの「論理」が通用するならば、これも「返信ではありません」と云ふ意味であると云ふ私の「論理」だつて通用しなければなりませんよ。どうしてあなただけ、あなたに都合の良い論理が許され、私には許されないのですか。「書いてゐない事」を根據に勝手な解釋をしないで下さいよ。どこぞの「メンタリティ」がどうたらかうたら言つてゐる喜六郎や前田みたいな出たら目な「論理」をふりかざして、あなたは私に因縁を附けてゐるだけです。嫌がらせも大概にして下さい。まあ、「無斷リンク禁止」を擁護するあなたですから、嫌がらせも當り前の事なのでせうがね。

確かに指摘されるまで、その大事な部分を削られてゐたことには氣がついてゐなかつた。だからその意味を問ふてゐたのだが、私が今囘唯一問ひたいのはその意味なのだ。

かう云ふミスをやらかしておいて、その尻をこちらに持込むのは、やめていただけませんかね。勝手に「自分に對する『返信』だ!」と七鍵氏が思ひ込んでしまつた事は、この七鍵氏の發言で明かになつてしまつてゐるんだよ。俺は、七鍵氏の「大事な部分」を削つたから、敢て出典を示さない。晒さない。と書いて、「七鍵氏とは關係ない」と云ふ事をはつきり示したのだ。こちらの意圖を理解もしないで、手前勝手の論理で七鍵氏は俺に因縁を附けて來た。迷惑この上ない。
――と書いて、最後を「笑ひ」で締めようとした俺。何と言ふか、俺の書くパロディには一々因縁を附けて來る人がゐて、やつぱりウェブではこの手の書き方をするのは危險なのだなーと思つた。いやでもやつぱり、七鍵氏のパロディを言つてゐた訣だよ俺。「意味もなく『無斷リンク禁止』を非難する論者」を意味もなく單なる反感から非難する七鍵氏の態度の意味のなさ、これは嗤つておくべきだと思つたから。と言ふか、大體、「あのタイミング」で七鍵氏が「意味もなく、無斷リンク禁止を謳ふサイトに向けてリンクを設定してみたりそのURIを紹介してみたりする輩」がどうたらかうたら言出したのは、七鍵氏の中では「野嵜に對する返信」の積りだつたのだらうよ。そこで具體的に「ターゲットは野嵜」と七鍵氏は言つてゐないのだから、俺だつて「ターゲットは七鍵」と言はないでも當り前の事だらう。
しかしだね、かうやつて出典を明記せず、ただただ抽象的に「意味もなく、無斷リンク禁止を謳ふサイトに向けてリンクを設定してみたりそのURIを紹介してみたりする輩」なんて言つて見せて、「傲慢」な態度で罵倒の文句を連ねて見せたりすれば、話がややこしくなるだけ、と云ふ事は、七鍵氏も良く解つた事だらう。具體的にリンクを張つて、批評對象を明かにして、それで初めて議論は成立するのだ。最初にリンクを張らず、誰を非難してゐるのかわからないやうにして物を言ひだした七鍵氏が「無限連鎖」の基點になつてゐるのだ。七鍵氏は、自分のやつてゐる事に何か問題がなかつたのか、胸に手を當てて、落着いて反省して見ては如何。
七鍵氏は、抽象的に「意味もなく、無斷リンク禁止を謳ふサイトに向けてリンクを設定してみたりそのURIを紹介してみたりする輩」なんて言つたけれども、「それは野嵜の事ではない」とは言はなかつた。「リンクを張らない」で抽象的に非難の文句を書き連ねるのは、「ターゲットを絞らない」事だから、餘計なところにまで話を飛び火させ兼ねない。實際、今の「議論」でも「誰に向けての返信か」なんて下らないところで一々言爭ひになつてゐる。この手の下らない言爭ひを惹起するから、抽象論は良くないのだ。だから全ての批判は具體的に批判の對象を限定して行ふべきだ、と野嵜は考へてゐるし、その爲には「無斷リンク禁止」の主張そのものを批判しなければならないし、「無斷リンク禁止」のサイトを「晒す」のも批判として極めて有效であると考へる。成程、「無斷リンク禁止」を言ふ制作者のサイトが「リンクに價しない」と「言ふ事」は出來る、が、その「無斷リンク禁止」それ自體もまた批判の對象たり得る。「無斷リンク禁止」を批判する事はそれ自體として意味がある。
とまれ、リンクしないで抽象論をぶつのを「良い事だ!」と信じてゐる方々よ、あなた逹は自分が何んなに危險な事をやつてゐるのか、反省すべきだ――と野嵜は思ふのだが、如何だらうか? 最近「この界隈」でも、リンクを張らないで、漠然と「俺の事らしい」と云ふ前提で「會話」が進む傾向が目立つ。今、俺は話をあちこちに飛び火させたいから「どこ」とはつきり言はない、と云ふ「戰術」を用ゐたいが、「馴れ合ひ」にしてもちよつと最近は行き過ぎてゐるやうに思はれる。具體的に言へば、雑念雑記:2007年01月度の動畫の話や「ろくなもんぢやない議論」の話、無爲徒食日記 二千七年一月の六日の話。また、大和但馬屋日記世代[言葉]「すとりくたー」ねえが無爲徒食日記の四日の件への「反應」と思はれるが、これも判然としない。
平成十九年一月八日
LCP 松原正先生リンク集からリンクを張つたゆうのウェブページReason(第三期)印象に残るできごとの「先生」、明かに松原先生の事だが、一言も「松原先生」と書かれてゐない。これはどうかと思ふ。幾つか誤や怪しいところがあるので、それで何うかと云ふ事なのかも知れないが、ちよつと何うかと思ふ。先生は夏目漱石の孫弟子(漱石の弟子に福田恒存という人がいて、先生はその弟子)に当たり、つて、福田さんは漱石の弟子ではないよ。あと、『夏目漱石』について、上中下巻のはずが、中巻まで出したところで、出版社の不見識に嫌気がさして中断なさってしまったと云ふのも事實誤認。單に下卷の分の原稿が全部出來てゐないと云ふだけの話。野嵜がこの闇黒日記で書き飛ばしてゐるやうなスピードで松原先生、原稿を御書きになつたりはしません。
平成十九年一月八日
すげえ何うでも良い事だが、「松原信者」が「松原批判」に噛み附く樣子を「アンチ『松原信者』」の某氏(笑ひ)が「見苦しい」と言つてゐたけれども、「信者」だから「教祖」を擁護しようとして「見苦しい」態度をとつてゐる、と、そんな風に考へたら、間違ひだよ。少くとも俺は、何時だつて「見苦しい」と非難され兼ねない態度をとつてゐる。上の七鍵氏に對する「返信」を見れば、誰でも判る事だらう。なんか知らんが、殊さら「信者」と云ふ事に故事つけて罵つて呉れる人がゐるけれども、中途半端な非難では駄目だよ。松原氏の名前を出してゐる事で非難の對象がずれてしまふ事になる。
平成十九年一月八日
金色のコルダにあやのたん登場。
平成十九年一月八日
まなびストレート駄目駄目。くじアンに負けてるつぽい。Edがらぶドル。
平成十九年一月八日
マスターオブエピックが馬鹿馬鹿し過ぎて吹いた。
平成十九年一月八日
Latest topics > 靖国神社で初詣、あと特攻兵器色々 - outsider reflex
靖國神社に行つて遊就館を見學した性根の所ではサヨクのPiro氏。

まあ、黙って奴隷になっときゃ良かったのかよこのサヨク坊主がと言われれば、そういう訳じゃないけどと言いたくなりますけれども、でも玉砕だーとかお国のために特攻だーとか、いや個々人がそう信じて散っていくのはそりゃその人の生き方死に方なんだから口出しできるこっちゃないですけど、俯瞰して見た時に、「そうやってどんだけの人の命を捨て駒扱いで無駄遣いしてきたんだろうこの人達は」とか、やっぱ思っちゃうわけで、さあ。

何時も何時も何時も何時も思ふのだけれども、どうして「左翼」の人は、「憎むべき敵」を自分の外部にしか見出せないのでせうね。「同じ日本人」なのだから、あなたの憎む「敵」もまた、あなた自身の中に存在するのですよ。それを棚に上げて「こいつら駄目だw」みたいに高所から見下して安心してしまふのは何うかと思ふ。さうやつて「自分だけは大丈夫」と思つてゐるから、あなた方が嫌ひな方向に世の中が自然に移行して行つてしまふのではないですか。
兎角「自分だけは大丈夫」と思ひ込んで、それで自分を棚に上げて他人を罵る、と云ふ人が左翼には多い――と、俺は今、左翼だけを罵つてゐるけれども、さて「自分」の側を見返して、右翼は何うかと言ふと、これもまたろくでもない人々が大量に存在してゐて、こちらはこちらでやつぱり駄目だつたりする。
やつぱりですね、「俺は右翼」「僕は左翼」と言つてゐる人に限つて、自分の言つてゐる事に無自覺であつたりする訣ですよ。擧句、「わしは『仲良く=中翼』ぢや」とか言ふ馬鹿な御爺さんがゐたりするし。で、かう言ふと、「では野嵜自身は何うなの?」と云ふ混ぜつ返しの聲が出て來る訣だが、混ぜつ返したらそれで終り、最う俺免罪! と云ふのでは駄目でせう。なんか野嵜を非難してゐる連中、野嵜を非難する事で自分は完全に免罪されてゐる、と心から信じ切つてゐるやうな印象がある。基本的に、内心忸怩たる思ひがある、と云ふのぐらゐは誰もが抱いてゐて良い心情だと思ふ。嬉々として、心から樂しく、他人の社會的地位を失墜させる目的での「ブログ」や「まとめサイト」の作成、或は掲示板への騙り投稿、なんて事をやつてゐるのは、ちよつと何うかと思ふ訣よ。
しかしまあ、2ちゃんねる邊で威張つてゐる連中もさうだけれども、同じ事を正反對の立場の人も言ふ訣ですね。それにしてもこの無邪気さって何なんだろう。なんて、Piro氏もまた、言つてゐる。誰が無邪氣つて、誰もが皆、無邪氣でゐる。そして、Piro氏の場合、「自虐ネタ」と云ふ「自分の立場」があるものだから、そんな風なサヨク根性が根付いてる僕はどうしても、脊髄反射的に、不謹慎とかそういうフレーズを思い浮かべちゃってですね。なんて輕く流してしまつて、深く問題を考へないし、考へないからこそ自分の「自虐ネタ」は「面白いんだ!」と本氣で信じ込んでしまつてゐる。ああ、そっか。天皇の下の国、神の国に生きる者たちだけが「人間」で、それ以外は人間じゃないからそんな感傷はいらないよということか。まああちらさんも、キリスト教徒以外は人間じゃないって言ってるし、これもお互い様かあ。とか、本當に適當な事を言つてゐるのだけれども、これ、罵倒だから、「同じ左翼」の人なら深く考へないで賛成して呉れるだらうなー、「右翼」の人は讀んだらカツとなつて呉れるだらうなーと、その程度の事しかPiro氏、思つてゐないだらう。それでいいのかよ。俺は別に悶々と等しない。
平成十九年一月八日
どこかの青方の中村だか白拍子だか(何うでも良い事だからハンドル忘れた)が、國語問題協議會でうんたらかんたら言ひ、野嵜の社會的地位が何うたらかうたら言つて、それを何とかしなければ正字正かな派の社會的な体面が保てないとか考へてゐるらしいが、何と馬鹿らしい事だらう。さうやつて他人の足を引張る「内ゲバ」をやる事が本當に正字正かな派の為に良い事だと中村は本気で考へてゐるのだらうか。いやいや、別に下らない事でも「言論の自由」はあるから勝手にやればよろしいが、そんな「社會的な体面」が重要ならば、社會的に不正字不正かなが一般化してゐる現實を受容れて、中村は正字正かなの使用を止めるのが筋と云ふものだ。あつちでは世間に向きながらこつちでは世間に背を向ける。青方の中村のやる事は、兔に角「自分の都合の良い方向に事態が轉がればそれでよし!」と云ふ手前勝手なもの。あんな人間が「同じ正字正かな派」と云ふのもおぞましい話だが、實際、戰前の共産主義者も正字正かなで文章を綴つた。人格と表記とが全く無關係である事は餘りにも判り切つた道理だが、道理を輕視する中村のやうな馬鹿にはそれが理解出來ない。だから2ちゃんねらーと一緒になつて野嵜個人に人格攻撃を仕掛けて、それで正字正かな派の「面子が保てる」と本氣で信じ込める。恐ろしい馬鹿だが、さう云ふ馬鹿が使用者にゐようがゐまいが、正字正かなと云ふ表記だけは正しい。
平成十九年一月八日
野嵜氏に對する返信4へのご意見・ご感想
晒し。
平成十九年一月八日
ところで、雑念雑記:2007年01月度の動畫の話とは、具体的にどの記事をさしてゐるのでせうか。あー野嵜自身がやつてゐた事ですね。失禮しました。
なんか2ちゃんねる方面からの引用があるみたいですが?

平成十九年一月七日
福田恆存が嘆いた樣に、日本人には良質の笑ひと云ふものがこれつぽつちもなく、ウェブなんかでも俺は窮屈な思ひをしてゐるのだが、なぜか日本人はさう云ふ事には途轍もなく無頓着で、ユーモアのない人間ほど良く嗤ひ、自由を滿喫出來てゐるかのやうに振舞ふ。
例へば俺が冗談を言ふ。眞顏で「それ、本當の事ですか?」「間違つてゐませんですか?」と問ふ人がゐる。「それは冗談ですよ」と答へると、「あなたの言つてゐる事は、最うどれもこれも全部、一つの例外もナシに冗談であり、冗談であるのだから全て間違つてゐる――と、さういふ事なのですね、あなたの言つてゐる事は全て間違つてゐるのですね、さうなんですよね、納得しました」とか、これも眞顏で言ふ。何なのだらう。
例の「義」なんかは、これは當人だけは「面白くて面白くて堪らない!」と思つて笑つてゐるのだらうけれども、あんな機械的に貼られるコピペ、何處が面白いんだと言ひたくなる。波江なんかも、「遊び」と言ひ、常に微笑だか哄笑だかを見せびらかしてゐるが、その手の「常に見える笑ひ」、本當の笑ひでない事は火を見るよりも明かだ。「義」なんかは慥かに人ではなくぼっとなのかも知らんし、波江のいろはもどきなんかは本當にプログラムで生成できるサイトがある。彼等――と言ふより「それら」――は「笑ひ」を見せびらかしてゐるが、殆ど機械そのものだ。俺は機械自體を便利に利用するが、機械的な人間は憎む。人間は人間的であらねばならない。
常日頃から馬鹿笑ひをし續けにしてゐる人間――「それ」が日本人には餘りにも多い。何か面白いものを見て・聞いて、そのリアクションとして笑ふ――それならば人間的だ。が、笑ふ事が機械的である人間に、リアクションとしての笑ひは存在しない。寧ろ、根本的な部分において、笑ひとは無關係な、硬直した「生眞面目さ」を、さう云ふ人は持つてゐる。機械的な反應が出來ない事を彼等は恐れる。さういつた人に、機械的ならざる反應を要求する存在は「許し難い」物だ。彼等が「氣に喰はない」と思つたものに對して見せる排他的な態度は、さうした彼等の硬直した人間性に基くものである。
大體のところ「上機嫌」を裝ひ、「遊び」と稱してのべつ幕なしの「おふざけ」を續けてゐる人に、この種の硬直した精神は潛んでゐる。彼等が時として見せる「糞眞面目」に、俺は屡々辟易させられる。
平成十九年一月七日
カナかな団首領の自転車置き場 - インターネットの向う側
俺はまだ、「機械的な人間」を嘲り、見下して、それで安心出來るほど、傲慢になれないでゐる。
平成十九年一月七日
今期の土曜日深夜のtvkも惡い笑ひしか提供して呉れない。少年陰陽師が一番面白いつて何うよ。ひまわりっ!! 第一話が無駄に凝り捲つた話なのには吹いた。ありんす自重。京四郎は例によつて介錯。
平成十九年一月七日
梟通信〜ホンの戯言 : 栗林中将に学ぶべきこととは? 留守晴夫「常に諸氏の先頭に在り」(慧文社)(1)
梟通信〜ホンの戯言 : ”眞實を追ふ狩人”であれ! 留守晴夫「常に諸子の先頭に在り」(2)
梟通信〜ホンの戯言 : 栗林中将を支えたものは何だったのか? 留守晴夫「常に諸子の先頭に在り」(3)
平成十九年一月七日
野嵜氏に對する返信へのご意見・ご感想
野嵜氏に對する返信2へのご意見・ご感想
雜感(無斷リンク禁止)へのご意見・ご感想

そのやうなことを言ひたいわけではなく、意味もなく、無斷リンク禁止を謳ふサイトに向けてリンクを設定してみたりそのURIを紹介してみたりする輩に問ひたいのだが、お前らのやつてゐることは無斷リンク禁止とのたまふ行爲と何ら變はるものではないとの自覺はあるのか。效率の良いWWWの理念を大きく損ふ行爲であり、可笑しな間違つた方向での自己主張を行つてゐるに過ぎないとの自覺はあるのか。

こんな目茶苦茶を言つてゐるので窘めただけなのだがねえ。この人、自分の言つてゐる事を理解されなくて怒つたらしい。
と言ふか、「野嵜氏に對する返信」が正當で、「無斷リンク禁止を主張してゐる人に對する返信」が不當であると、あなたはどうして平然と主張出來るのですか。あなたがうちに對して「返信して良い」と判斷した理由を御聞かせ下さい。話はそれからだ。「野嵜が無斷リンクを禁止してゐないから」とか、そんなの、理由になりません。「では今から野嵜は無斷リンクを禁止します」と宣言したら、あなたは引下つて、自分の「返信」を削除し、何もなかつた事にしますか。
平成十九年一月七日
あと、Edward P. J. Corbettの有名な言葉。私もその通りだと思ふ。私が空しさを感じるか如何かなど氣にして下さらなくて結構等と七鍵氏、一般論をぶつてゐるが、何の意味もなく尤もらしい事を言つても何の意味もない、と云ふ事を解つてゐるのだらうか。金田一京助が福田恆存相手に尤もらしく音韻論を説いたのと同じ「説法」の仕方だ。金田一が「國字改革の根本精神」と言つたのに對し、福田氏は金田一の擁護する國字改革にそもそも「精神」なんてありはしないと指摘した。俺もまた、七鍵氏なんかの「『無斷リンク禁止に反撥する連中』に反撥する連中」に意見など存在しないと言ふ。「單なる反撥」と言つてゐるのは「ただ單に態度が氣に入らないと云ふだけなのだらう」と、さう指摘してゐるのに過ぎない。その一方で、リンクなり何なりで出典を示して批判すべき事を主張する俺は「批判の自由を守るべきだ」と云ふ意見を最初から持つてゐる。妥當な批判を守る爲に、批判を根本的に否定する「無斷リンク禁止」或は「リンク禁止」の主張を具體的に指摘する事は、必要な事だ。何が問題なのか。
――と言ふより、七鍵氏、「自分の事を言はれた」と思つてかつとなつて「返信」してしまつたのだらうけれども、俺は「七鍵氏に」なんて一度も書いてゐない。良く讀んで呉れ。大體、俺が採上げた七鍵氏の主張のをかしな部分を、七鍵氏はそつと素通りして、「別の論點」で一生懸命反論してしまつてゐる。話が噛合はないのも當り前。

讀めば讀む程あほらしい論調及び主張だ。敢て根據を示さない。晒さない。などといふ無限聯鎖を始めて何が樂しいのか。言ひ譯は良いから無斷リンク禁止を晒したことに對する正當性を――もしあるのであれば――主張してみろよ。

俺は敢て出典を示さず、晒しもしなかつたのだが、それなのに七鍵氏は敢て「返信」して呉れてゐる。七鍵氏は勘違ひをしてゐる。俺は、七鍵氏の言ふやうな意味もなく、無斷リンク禁止を謳ふサイトに向けてリンクを設定してみたりそのURIを紹介してみたりする輩ではないからね。俺は、意味もなくの部分を落して、その後の何ら變はるものではないとの自覺はあるのかの部分に噛み附いたんだよ。何が「何ら變はるものではない」なんだよ、と。ただ、さう云ふ「落した部分」があつたから、「出典を示さない」やうにした。それだけの話。あー、かう云ふ説明をすると、この人、「言ひ訣はいいから!」と居丈高に曰ふんだらうな。しかし、何が「何ら變はるものではない」なんだらうね。行爲はそれ自體が批評である事もあるんだよ。と言ふより、人間のリアクションは全て批評的であり得る。それに對して端から「意味がない」と極附けを行ふのは、俺にして見れば、先入見に基いた偏向した發想に見える。
或は、七鍵氏、自分が間接的に「無斷リンク禁止」の主張を擁護してゐる、と云ふ自覺はあるのかね。ないんだらうね。まあ、俺は「『無斷リンク禁止』容認派」ですが。笑ひ。と言ふか七鍵氏、この人も、ユーモアを解しない、糞眞面目の世界の人なんだな。嫌だなあ。
平成十九年一月七日
一言で言ふと、「無駄なリンクはあるのか」つて事だよ。「無駄なリンクはある」と云ふ發想から「無斷リンク禁止」の主張が出て來る。俺は「リンクに無駄なものはない」と考へる。
平成十九年一月七日
スカイガールズ @ AT-X。導入部は非道かつたけれどもOp邊から良くなつて本篇は面白く仕上つてゐた。これ終つてゐないだらう。後藤さんEd。

平成十九年一月六日
時計機能の謎 (kuruman.org > Kuruman Memo)
ためしてみた。
20070106OperaClock.png
全然意味がない。ワラタ。
平成十九年一月六日
桜井市観光情報サイト | 万葉歌碑めぐり |金鳥臨西舎 鼓聲催短命 泉路無賓主 此夕離家向
「金鳥」は誤字。「金烏」が正しい。
桜井市観光情報サイト | 万葉歌碑めぐり |神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君もあらなく
「あらなく」は誤。「あらなくに」が正しい。
万葉歌碑−歌碑の紹介
こちらは合つてゐる。
平成十九年一月六日
「○○は正しくない、なぜなら××だからだ」と言つて批判するのなら話は解る。しかし、「○○は無意味である。なぜなら誰も受益し得ないから」と言つて非難するのは、何の意味があるのだらう。「受益しない」と言ふ事によつて誰が「受益する」のだらうか。
「○○の正當性はともかくとして、さう云ふ主張をしてゐるサイトを晒すのは○○と同じだとの自覺はあるのか」なる言ひ方をして見せるのはただの嫌みとの自覺はあるのか。「どこ」と具體的に指摘しないで抽象的に「啓蒙活動を行ひたいのであれば別の方法を採ることをお勧めする」等とおためごかしを言ふのは、批判として良い方法か。
敢て出典を示さない。晒さない。
平成十九年一月六日
しかし、何うだらう、「無斷リンク禁止」に反撥するのと、「無斷リンク禁止に反撥する連中」に反撥するのと、それらは全く同じメンタリティの發露と言ふ事はできないだらうか。單なる反撥が「批判」の動機であるのは、大變に空しいと思ふのだが如何。諸君には、本當に守りたい何かがあるのだらうか。
平成十九年一月六日
2ちゃんねらー的メンタリティの持ち主がやる「批判に似た物」は、本當に嫌だなあと思ふ。當人、「俺、いいこと言つた!」と本氣で信じてゐるから始末におへない。他人の社會的地位を失墜させると云ふただそれだけの目的で「まとめサイト!」とか「ブログ!」とか言つてゐる連中は、自分の行爲が自己滿足である事を自覺してゐるのだらうか。
平成十九年一月六日
誰に向けられてゐるのかさつぱり解らない批判くらゐ有害なものはない。
誰に向けられてゐるのかが判りすぎるほど良く判る嫌がらせが有害であるのと同じくらゐ。
平成十九年一月六日
また「義」が掲示板に例のコピペを書込んで行つたのだけれども、あれは野嵜の言つてゐる事を論理的に否定出來ないものだから負け犬の遠吠えで悔しがつてゐるだけでしかない。けれども「義」は自分が「負けてゐる」と云ふ事を全く自覺できてゐない。世間での評判を落せたら(それも本當に出來てゐるのか何うか判らない筈なのだが)「義」は「自分の勝ち」「野嵜の負け」だと心から信じてゐる。
論理的に反論出來ないのなら、その時點で負けである――この事が解らない「義」みたいな人間が、日本には途轍もなく大勢存在してゐる。さうした大勢力が「世間」であるから、「義」なんかは安心して嫌がらせ・中傷をやれる訣だが、このやうな日本國が「今後も永遠に續いて行かなければならない」としたら、それはどう云ふ理由に據るのだらうか。2ちゃんねる方面で「義」に荷擔するネット右翼の方々には誠意ある囘答を求めたい。
平成十九年一月六日
皮肉に對して皮肉で、罵倒に對して罵倒で返す議論を、常に「碌でもないもの」と俺は極附けようと思はない。金田一・福田論爭を知つてゐるからだ。
平成十九年一月六日
もしかして、動畫の説明が無茶苦茶つて、俺の事? はぁ?

平成十九年一月五日
http://nozakitakehide.web.fc2.com/diary/20050901.htmlの平成十七年九月二十六日邊にGV-MVP/SXの事を書いてゐましたねー自分の書いた事をぐぐつて發見。
平成十九年一月五日
「闇黒式引用」の時代到來。

 言い忘れたけれど、アクセス解析貼らせてもらった。

此処への直リンク、絶対にさせないつもり。

大体直リンクされると本当にウザいとしか言い様がないし。

俺は最近宗旨變へをして、「無斷リンク禁止」を容認する事にしました。ええ、「無斷リンク」を喜ばないサイトオーナの感情は、尊重すべきです。
ほかにも、特定のサイトからリンクされたくないサイトオーナもゐますね。http://sphere-station.jp/の人なんか。
この手の人の言つてゐる事は「一々御尤も」です。ええええ、嫌と言ふなら、リンクなんかしません。
a要素を使はなければ良いのですからね。簡單な話ではないですか。意地になつてa要素を使ふ事はありません。他の方法でURLを示せば良いのです。さう云ふ話なのでせう。良く知りません。
それにですね、この手の「無斷でリンクされない自由」が認められるのなら、當然の事ながら「リンクを張らないで惡口を言ふ自由」は認められる訣ですよね。となると、「無斷リンク禁止」の人は言ひたい放題言はれる事は覺悟してゐるのです。俺みたいな人間にとつては實に好都合な話です。「無斷リンク禁止=リンクしないなら何を言つても自由」。ありがたい事ですね。「無斷リンク禁止」萬歳。
平成十九年一月五日
東京古書會館の古書展。古めの本多し。古雜誌も多し。古エロ雜誌それなりイラネ。買つたもの。「中央公論」昭和三十一年五月號(金田一京助「福田恆存氏のかなづかい論を笑う」所收)。「悲劇喜劇」1951年7月號(「武藏野夫人」舞臺評掲載)。「國語と國文學」第四百五號臨時増刊「自第一號至第四百號 分類総目次」。「浪漫」昭和四十八年一月號。林巨樹・池上秋彦『国語史辞典』(東京堂出版)。ニーチェ・土井虎賀寿譯『ツァラトゥストラかく語りぬ』(三笠書房)。前川佐美雄『一千歌集』(養徳社)。

平成十九年一月四日
三が日は雜誌の山を引掻き囘して福田恆存の對談福田恆存への言及に追加すべき事柄を搜索。とは言へ、手持ちの資料の數が少いので、事實を網羅出來ない事は火を見るより明らか。他に追加すべきデータを御持ちの方は是非掲示板に書込んでいただければと。どうぞ御協力を。
慥か山本夏彦が何か言つてゐた筈。
平成十九年一月四日
GV-MVP/SX
――それは俺が中古で買つたけれども結局使はないで放置してゐるキャプボですね。

平成十九年一月三日
MPEG1。マルチメディアデータの壓縮形式の一つ。VideoCDで使はれる。音聲は幾つかの形式があり、「割と簡單に生成出來るが壓縮率も音質もそれなりのMP2」と「壓縮率が高い割に音質もまあまあのMP3」の二つが良く利用される。世間で流通(謎)してゐるMPEG1のデータは、解像度が低く粗いものが多い。
MPEG2。MPEG1と違つて放送などの用途で使へるやうに擴張されたマルチメディアデータの壓縮形式。DVDで使はれる。Windowsは、標準でデコーダを持たないので、素の状態ではDVDを再生出來ず、勿論MPEG2のデータも再生不能。PowerDVDやWinDVD等のDVDプレーヤを入れるとデコーダが入るので、DVDの再生やMPEG2の再生が出來るやうになる。特許が絡んでゐるのでフリーのエンコーダ・デコーダを作り辛く、閲覽・作成には有償のプログラムを使ふのが普通。
MPEG4。MPEG2よりも云々。兔に角壓縮率を高める爲に複雜な事をやつてゐるので、携帶電話で採用される一方、PCで利用するには環境が良く整つてゐないと云ふ現状。
DivX。DivX社が開發してゐる動畫の壓縮方式。MPEG4とは別物だが、MPEG2よりもずつと壓縮率が良い事で知られる。もつぱらファイル交換で流通する動畫データで利用される。
XviD。DivXがフリーから有償に變つた時、開發メンバーが分裂して開發を續けてゐる動畫壓縮方式。大體DivXと互換性があり、利用方法も似てゐる。
AVI。動畫や音聲をファイルに收める形式。*.aviの名前で流通(謎)してゐるファイルは、どんな形式でデータが壓縮されてゐるかは直ぐには解らない。「動畫はDivX、XviD、WMV、MPEG4」「音聲はMP3、OGG、WMA」のどれかである事が多いが、さうでない場合もあるみたいだ。古い規格なので、融通がきかないものの、氣樂に使へるので未だに良く利用される。
WMV。マイクロソフトが開發したMPEG2のよりも壓縮率の高い動畫壓縮方式。DivXとは別物だが、大體似たやうな性質のもの。一方、WMVで壓縮された動畫データをファイルに格納する方式としても同じ名前が使はれてをり、これは「AVIよりも高度なデータ格納形式」と云ふ位置づけのもの。*.wmvのファイルは、普通のデータとしても、ストリーミング配信でも利用可能。もともとマイクロソフトのローカルな仕樣だつたが、標準規格化されて一般的に利用されるやうになりつつある。コピー制限の仕組が搭載されてゐてなかなか「便利」であり、次世代DVDでの映像データ形式としても採用されてゐる。
――とまあややこしい話ですが、「MPEG1=VideoCD」「MPEG2=DVD」「AVI=Winny」「WMV=GyaO」と大雜把に考へておけば良いでせう。全然嚴密でもなく正しくもありませんが雰圍氣として。慣れればそんなに難しくもありません。
MPEG2のデータを觀るには、PowerDVDかWinDVDを御店で買つて來てWindowsに入れるのが一番樂です。プレーヤのみならず、MediaPlayer等でも觀られるやうになります。フリーのデコーダはATIが昔配布してゐましたが、今はどうなのですか。他にもあつたやうな記憶がありますが、探すのも面倒ですし、有償のものを買つて來る方が結局安上りでせう。
平成十九年一月三日
と言ふか、MPEG2でぐぐるとフリーのMPEG2コーデック 「GPL MPEG-2 Decoder」なんてのが引掛かつて來るのですが、何うなんですかねえ(リンク先は紹介記事。コーデックはSourceforgeから落す)。取敢ず、似たやうなコーデックを複數入れるのだけは止めた方が良いです。WinDVDとかPowerDVDを既に入れてゐる人は、そのまゝGPLのを入れない事。
平成十九年一月三日
福田恆存の對談
例によつてパクりデータに手を入れて公開。元データ非道いよ。ダブりが二箇所。何やつてんの。

平成十九年一月二日
また虹裏で三が日終りさうだよ。

平成十九年一月一日
年越はAT-Xのトップをねらえ2!視聽。前觀た時にはあんまりな出來のやうに思はれたけれども、通して觀るとそんなに惡くない。寧ろ良い感じ。
平成十九年一月一日
今年は正字正かな2.0の年だ。とか適當に言つてみる。言靈信仰の國だから、適當な事でも「言へば實現する」のだらう。良く知らない。
平成十九年一月一日
なんか知らないが、今年は「アンチ野嵜」の人々のメンタリティを適當に云々すれば納得して貰へる年になりさうだ。「歸結」とか言つておけば尤もらしく聞こえるらしいし。最近の「言説」の世界は便利になつたものだ。
平成十九年一月一日
國語問題協議會はどこまでドタバタが續くのか?
年の瀬が押し迫つても、正かな界隈はドタバタが續いてゐる。野嵜健秀が何の根據も持たないのに、出版社が壓力をかけて土屋氏の書籍の記述を改變させたと云ふ虚僞の報告を掲示板に書いたとして、その責任を取つて辭任する事となつた。無職疑惑や掲示板荒し説に續いての「汚點」に協議會も苦惱の色を深め、正かなコミュニティはますます苦境に立たされた事は言ふまでもない。
野嵜は掲示板で、「呑み會で聞いた話があり、不適切なソースであつた事は認めざるを得ない。ウェブサイト運營の澁滯を招く事はあつてはならないと判斷して、職を辭する事を決意した」と辭職に至つた經緯を説明したが、實際に協議會内部で何があつたのかは明らかにせず、發言は10行で打ち切つた。當然、2ちゃんねらーは抗議したが、野嵜はその抗議を無視して立ち去つてしまふ。本當に知りたいのは、何んな風にして協議會で處分が決定されたのかと云ふ事なのであるのに、それを明らかにせずに辭任と云ふ事で片附けるのはいかがなものかと思ふ。その後の調査をしつかり行ひ、我々が納得するようにしなければ、この問題は中途半端で片附けられてしまふ。野嵜側はきちんとした説明をしてほしいと云ふ思ひは誰もが共通してゐるのである。
協議會のW氏はここまでの問題に発展した事について、「依頼者として責任を感じる。このやうな事になつたのは大變殘念だが、後任には能力のある適切な方をお願ひして任命し、新しい氣持で仕事に取り組みたい」と話すが、野嵜は最近の協議會主催の講演會等について宣傳の先頭に立ち、ウェブの關係者の取りまとめに盡力したと云ふ經緯もあつて、「サイト管理者就任は露骨な論功行賞」と云ふ批判も出てゐた。その野嵜がかう云ふ問題を起こして辭任したとなつたのだから、2ちゃんねらーの協議會への批判を高めた事は言ふまでもない。
「日出づる國の一無名人のブログ」の青方の中村氏は、「『臭いものにふた』みたいな事で辭めさせればいいと云ふ話ではない。協議會會長自らが協議會のトップとしての責任を果たすべきで、年末に何もメッセージがなければ、年明けに『ブログ』や『まとめサイト』で嚴しく追及せざるを得ない」と協議會を痛烈に批判し、「喜六郎の小屋」の喜六郎氏も「協議會の任命權者としての責任も問はれるべき。協議會のサイトがスタートして隨分經つが、もうガタガタの状態でサイト末期と思ふ」と切り捨てた。
本當にここまでドタバタが續くと、「國語の品格」はますます下がつていく。國語問題協議會は「美しい國語を目指す」と公言してゐるが、このままではその反對方向に向かつてまっしぐらに突き進む事になる。野嵜の後任には木村氏が昇格する形で就任と相成つたが、國語問題協議會の足元はさらにふらつく状態になつてしまつた事だけは確かである。
云々。
平成十九年一月一日
アメリカと云ふ國は恐るべき國で、一度やらかした「失敗」は繰返さない。繰返してゐるやうで繰返してゐない。
例の東京裁判、あれは正しくは極東國際軍事裁判で、戰勝國が敗戰國を裁く裁判だつた。だから東條その他は國内法的には犯罪者でない訣で、それで今に至るまで議論が續いてゐる。「勝者が敗者を裁く」と云ふのが裁判として公正を缺くのでないかと云ふ意見がある訣だ。
で今囘、サダム・フセインの場合。アメリカは自分(達)で裁判を行はず、イラク高等法廷を設立、イラクの國内法を整備させて、イラク人に裁判をさせた。この邊、「筋を通す」やり方としては場當り的で、露骨に「やらせ」臭かつた訣だが、兔に角、形式的には「イラク人自身によつて有罪判決・處刑」になつてゐる。
スタイナーに據れば、歐米人は「逃亡してゐたヒットラー」を捉へて連行中に已む無く處刑するのでも、取敢ず裁判の形式を用ゐて犯罪者に仕立て上げずにはゐられない連中なのださうで、或意味裁判は形式――或は儀式に過ぎない訣だが、その裁判と云ふ形式を馬鹿正直に受けとつて、日本人は連中以上に糞眞面目に裁判の内容だとか、その環境だとかを云々してしまふ。この糞眞面目さが日本人の後進性を示してゐると言つたら俺は又「愛國心に缺けてゐる」とか言はれるのだらうが、では、連中の愛する裁判を殊さら問題にする諸君は何者。日本人もまた歐米の連中のやうになりつゝある。此の自然な現象を我々は認識しなければならない。

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