闇黒日記

平成十六年四月三十日
DVD-RAMに必死になつて燒くより、HDD買つて増設した方が樂だし、何より安上がりなのではないかと氣附いたが何うか。どうして今期はこんなにあにめやるんだよ。
平成十六年四月三十日
毎度の事ながら本日の買物。
平成十六年四月三十日
マルセル『存在の神秘』がダブつてゐる。ただし、持つてゐたのはカヴァ缺だつたから問題ない。もつとも、今日買つて來たのは水濡れ。
平成十六年四月三十日
某Ulead VideoStudioのFAQを印刷しようとしたら、tableでレイアウトを固められてゐて、どうやつても巧く出力出來なかつた。
tableレイアウト殺す。特に印刷して保存しておきたい文章。
下手にレイアウトされると迷惑なんだよ。餘計な御世話は本當、止めて貰ひたい。

平成十六年四月二十九日
昭和天皇の御誕生日。
平成十六年四月二十九日
讀むための正字分類表
常用漢字表内の略字分類表
平成十六年四月二十九日
サヴァイヴ……。

平成十六年四月二十八日
本日の買物。
平成十六年四月二十八日
『万葉名歌』×2。
平成十六年四月二十八日
http://d.hatena.ne.jp/saiton/20040428#p3

平成十六年四月二十七日
『司馬遼太郎対談集 日本人を考える』文藝春秋
群像昭和二十五年十月號(福田恆存「戀愛合戰」所收)
清水護『英国民の伝統と聖書』研究社
太宰治『晩年』養徳叢書15
その他。教養文庫と岩波文庫。
やつぱり保守派が司馬遼太郎を支持するのはをかしいよ。
勘定の後、袋詰にして呉れるのは良いけれども、本の表紙を折るなよ勘定場の爺さん。
平成十六年四月二十七日
めも。
OPNリストアニメ編平成
平成十六年四月二十七日
土屋文明『万葉名歌』二册買つて來てるしorz
平成十六年四月二十七日
今日買つた本。一部は昨日。
一番左と、左から十二番目のが『万葉名歌』。

平成十六年四月二十六日
せんせいのお時間終つた。
來週は「夏過ぎて、藝術の秋の巻」。「藝術」は原文のママ。
平成十六年四月二十六日
どのUZEEEが人気か調べました。 2004-04-25 @ [はてなダイアリー - おおつきにっき]
平成十六年四月二十六日
例によつて。
『續私は信ずる』社会思想社
高田保『いろは歌留多』文藝春秋新社
坂口安吾『安吾「日本史談」』広済堂
福原麟太郎『読書と或る人生』新潮選書(ダブり?)
守屋富生『アーノルド・ベネットと五つの町』旺史社
林健太郎『流れをとらえる』新潮社
『市民と国家 田中美知太郎政治論集』サンケイ出版
『随筆2 寺田寅彦・中谷宇吉郎・湯川秀樹』向学社現代教養選書9
安本美典『神武東遷』中公新書178
ほかに教養文庫や岩波文庫。
云々。
平成十六年四月二十六日
めも。
Adhoccom(最近 サイト名の変更と移転について少し考えております)
ひみつシリーズ 追想

平成十六年四月二十五日
プリキュアのエンディング
女性徒
直す氣無いんだなきつと。

平成十六年四月二十四日
株式会社ウェディング問題を考える会
株式会社ウェディング問題を考える会
例によつてtitleが腐つてゐる。「第1回総会」の報告の方では、h2に續いてh4が出現。よろしくない。
内容についてはのーこめんと。
titleはともかく見出しの出現順は直つた模樣。
平成十六年四月二十四日
金曜日午後四時頃、田村書店のワゴンに筑摩の全集版『プルタルコス』(=プルターク:『英雄傳』=『對比列傳』所收)が出てゐたのを目撃。

平成十六年四月二十三日
本日の買物。例によつて以下略。
福田恆存編『作家研究叢書 芥川龍之介研究』新潮社
佐藤輝夫譯『ヴィヨン詩』青朗社
近代日本キリスト教文学全集 『評論集』の1と2
岡村眞里『祝詞作文法』神社新報社
坂口安吾『わが人生觀』筑摩書房
世界思想教養全書3『カントの思想』河出書房新社
世界思想教養全書4『ヘーゲルの思想』河出書房新社
世界思想教養全書22『実存の思想』河出書房新社

平成十六年四月二十二日
マクス・シェーラー『哲學的人間學』(理想社出版部)と田中美知太郎『哲学初歩』(岩波全書)を買つた。但し昨日。田村のワゴン。
平成十六年四月二十二日
いろいろな意味で自繩自縛。
平成十六年四月二十二日
#f - Wikiに関する議論
#f - Wikiが流行らない理由
設置する側の人には流行つてゐるけれども、何處かの誰かが勝手に設置して呉れても別に嬉しくないのがWiki。
「自由に書き込んで下さい」なんて言つておけば勝手にコンテンツが出來上がるだらうと考へて設置者は掲示板CGIやWikiを設置するのだが、そんな横着な考へで良い内容の文章なり何なりが出來る訣がない。實際には、設置者が巧い事、人を引つ張つて、それなりの内容の情報を書込ませないと、掲示板にしてもWikiにしても、「ただ設置しただけ」の詰らないものになつてしまふ。
「それなりの内容の情報」を持つてゐる人は、それを氣輕にばらまいて良いと考へてゐない。ちやんとした内容の情報を持つてゐるならば、自分でまとめて、自分の作つたものとして公開したいに決つてゐる。
Wikiなり掲示板なりに氣輕に書込まれる情報は、所詮「その程度の情報」に過ぎない。
無知な人間に勝手に書直されたり、サーヴィスが管理者によつて廢止されたりする可能性があるのだから、まともな常識を持つてゐる人にはまともな情報をWikiだの何だのに書込む意欲なんて湧かない筈である。
複數の人間が寄集まつてコンテンツを作り上げる、と云ふのが可能だと、俺は思つてゐない。量は質に轉化しない。
あつちのWikiとこつちのWikiとは別のWikiであり、一箇所に書込まれた情報が自然に餘所に流れて行つて共有されるやうになる訣ではない。「Wikiによる情報共有」は、スローガンであり、幻想である。ローカルのネットワークに一つだけ設置されたWikiがメンバー間の情報共有に役立ち、掲示板的な意義を持つ事はあり得る。けれども、インターネットでは複數のWikiが個別に設置される。個別のリソースに個別の情報が存在する形態は、現状のウェブで既に實現されてゐる。その個別の情報の一つが複數の人間によつて共同的に修正を受け捲つても、所詮、それは個別の情報である。Wikiのコンテンツに貢献すると言つても、所詮、ウェブに個別に存在するうちの一つのWikiに貢献するに過ぎない。
本質的にWikiも掲示板も無意味な代物だと俺は考へてゐる。

平成十六年四月二十一日
『ユニバーサルHTML/XHTML』つてもう版元品切なんですね?

平成十六年四月二十日
本を讀んでゐる暇も無い。
が、虹裏は見る。それが俺のジャスティス。
早く寢なさい>>俺。
平成十六年四月二十日
もうすぐMADLAXが始まるな……。
平成十六年四月二十日
本日の買物。某小宮山。三册五百圓。
岩崎武雄『西洋哲学史 再訂版』有斐閣
朝日ジャーナル編『日本の思想家3』朝日新聞社
福永武彦『愛の試み愛の終り』人文書院
某高橋氏ごすいせんの『西洋哲学史』。別に惡い本ではないけれども、結局のところ參考書に過ぎない事には要注意。この種の参考書の圖式的な説明を鵜呑みにしても仕方がない。參考書は、説明する爲に、思想家の思想を單純に圖式化し、簡單に難點を指摘する傾向がある。この本でも、過去の問題が現在までに全て片附けられてしまふやうな印象を與へてしまつてゐる嫌ひがある。しかし、今まで名前が殘つてゐる思想家の指摘した難問は今に至るまで未解決である事が多い。どうも、この手の「解決濟み」のやうな書き方は、いろいろな人に惡影響を與へてゐるやうで、例へば、何でもかんでも簡單に「難點」や「限界」を指摘して結論を極附けてしまふ高橋氏の書きぶりにもそれが良く現はれてゐるやうに思はれる。
ちなみに、スピノザの項の末尾で、著者の岩崎氏は、もとよりスピノザは超越的な神を認めないが、しかしその汎神論的立場は神の唯一絶対性を強調したために生じてきたものであり、したがって通常いわれるごとく、かれを「神に酔える無神論者」と称することができるであろう、と書いてゐる。解説でも、スピノザの主張した内容が採上げられてゐる。そして、重要なのは、解説されてゐるのが飽くまで内容である、と云ふ事だ。スピノザの論じ方については、スピノザもまた数学をもって学問の模範と考えていた。デカルトは最も確実な「われ思うゆえにわれあり」という命題から出発して厳密な論証によってすべてを演繹しようと欲したが、スピノザもさらに徹底的に幾何学的方法を哲学に応用し、哲学を極めて厳密な論証的学問としようとしたのである、と書かれてゐるに過ぎない。ここで、「厳密」「徹底」と云ふスタイルが、西歐の傳統的なスタイルである事には一言も觸れられてゐない。本書が、本書の目的から、思想の内容の變遷に著目し、議論の仕方には注目しない書き方をしてゐるから、それは仕方がない。しかし、それが、一般的に「議論のスタイルには注目しないで良い、寧ろ注目してはならない」と云ふ事を意味してゐるのではない事には注意が必要である。
實際のところ、「キリスト教の神」と「哲學者の神」の區別は、後世における區別であつて、それでもつて全てを説明してしまつてはいけない、と云ふ事も注意が必要である。「スピノザの汎神論における神」と「キリスト教の神」との區別と云ふのも、圖式として對立させるのは説明の爲に必要なのだが、説明は説明として認識しておかねばならない。岩波文庫の『神學・政治論』を持つてゐれば、スピノザが飽くまで聖書批判を、聖書の否定ではなく、從來の聖書解釋の否定を目的にやつてゐた事が解説に書かれてゐるのを目にする筈である。そして、解説にも書かれてゐる通り、『神學・政治論』には、啓示とか徴證とか奇蹟とかの概念が取扱はれ、屡々幾多の教會的ドグマを肯定するかに見える表現が見られる。それが、教會の説を信ずる人々に受容れられ易くする爲の戰略であると解説にはあるのだが、同時に、スピノザがその種の常識も知つてゐた事をも理解しておく必要がある。また、スピノザは、理性に基く(或は、認識に據る)「神との合一」で「救ひ」と「福祉」を實現する事を考へた一方で、それが極めて難しい事も自覺してゐて(理性の導きのみに據つて有徳の状態をかち得る人間は全人類から言つて極めて少數しかない)、多數の人々にとつては信仰に據る神との合一の途が必要である、とも考へてゐた。スピノザは、哲學者であつたが、哲學の原理主義者であつた、と云ふ訣ではない。
もちろん、スピノザがユダヤ教もキリスト教も精神の活動ではなくて受働であり、人間の自由ではなくて隷屬であると考へてゐた事は否定しない。キリストを、スピノザは飽くまで人間として尊敬出來ると考へてゐたに過ぎない事も事實である。しかし、さう考へるスピノザが行つた實證主義に基く聖書批判の、その「嚴密」と云ふ要素は、スピノザ獨りが持つてゐたものではなく、西歐に於て傳統的に存在したものだつたと言つて良い。そして、信仰に基く救濟に對してスピノザが構想した理性に據る救濟は、やはりユダヤ・キリスト教のメシア思想の系譜の中に置かれるべきものである。
平成十六年四月二十日
本日の拾ひ物。某田村。無料。
スタンダアル『愛について』青磁社
平成十六年四月二十日
ええとですね。圖式的に説明しますね。
宗教と言つても、「馬鹿になれ」と言ふ「信仰に據る救濟」と、「目を覺まして下さい」と言ふ「自覺に據る救濟」と、二つの救濟があつて、特に日本では前者が良く見られる。ところが、キリスト教――と言ふよりもメシア思想は、後者の救濟を主張する。
と、さう考へたら分り易いのではないか。と俺は言つてゐる。
スピノザの考へ方にしても、共産主義にしても、結局はメシア思想だし、それはユダヤ・キリスト教のメシア思想の系譜の延長として考へて良い。
キリスト教は、「自覺的に信仰を擇び取る」と云ふのが信仰の大前提にあり、「信仰を擇びとつた人間の最終的な勝利」がヨハネ默示録で描かれてゐて、單にキリストに縋つて天國に轉生するだけの宗教ではない。そして、このメシア思想にD.H.ロレンスが肉體的に嫌惡を覺えて、それで『默示録論』を書いた。觀念的・精神的なGodに對して、ロレンスは肉體的なキリストを描いてゐる。そのロレンスが『アメリカ文學論』で、彼我の精神の一致を主張したE.A.ポーを批判して、個々の人間の精神的・肉體的區別を主張したのは、やはり「區別」が西歐の傳統的な發想である事の傍證である。(「傍證」は飽くまで傍證であり、決定的な證據ではない。日本人にはこの邊りの事を嚴密に區別しない人間がゐる。やはり西歐の思想に學ぶべきだと思ふが、學ばなければならないのを見れば日本人に嚴密な思考をする傳統がない事は判る)
と言ふか、文化について嚴密な論證を書いてゐる餘裕は無いが、「物事は良く考へろ」と云ふ俺の主張の根本的な部分には、普通、誰も反對出來ないと思ふ。それなのに、一々變なつつこみを入れる人は、實は「考へるな、馬鹿になれ」と主張したいのではないか。

平成十六年四月十九日
鉄ちゃんのマジレスキボンヌ (2) (2004/04/19 - 02:02) @ [ねこめしにっき(2004年4月後半)]
大阪と違つて、關東の国電の複々線化では、方向別ではなく線路別にしてしまつたので、あとになつて隨分問題が出てしまつてゐるのですが、いろいろ事情があつた模樣。
「鉄道ピクトリアル」の「アーカイブス セレクション4 東京圏国電輸送1966〜70」が詳しいかと。參考書を紹介しても仕方がないかも知れないけれども。
平成十六年四月十九日
せんせいのお時間を觀たりRDのHDDの整理をしたりしてゐたらこんな時間に。
えーと。私は忙しいので(月末まで)、明日以降の更新は餘りしないぞ。しない積り。してゐたら締切に間に合はない。と一往書いておく。
平成十六年四月十九日
このあと虹裏を見てから寢ます。
平成十六年四月十九日
めも。
しょぼいカレンダー
平成十六年四月十九日
めも。
4コマのお時間

平成十六年四月十八日
一時過ぎに起きたから某パーティには行けない。もともと行く積りナシ。
平成十六年四月十八日
Japan.internet.com Webマーケティング - Blog から役立つ情報が「得られる」――61.5% 【第1回 Blog に関する調査(前編)】
Japan.internet.com Webマーケティング - Blog 作りで重視する機能「作成が簡単」――72.8% 【第1回 Blog に関する調査(後編)】

平成十六年四月十七日
某新潮の廣告より。煽り文句。
「子持ち・離婚」でも戦場カメラマンを選んだ郡山さん
富塚真弓の少女漫畫に、良く似たシチュエーションのキャラクターが出て來た事があるやうな記憶が。

平成十六年四月十六日
本日の買物。
ヤスパース選集23『スピノザ』理想社
ゲルハルト・リッター『現代歴史敍述の問題性について』創文社歴史学叢書
平成十六年四月十六日
高橋氏は、ひよつとして、スピノザの『エチカ』も『神學・政治論』も、そもそも持つてゐないのではないかと推測。參考書の解説しか讀んでゐないのではないか。
平成十六年四月十六日
Opera 7.50 pr4。
レンダリング關係の事はよくわからないけれども、メニュー構成とか操作性とかは7.23以前の方がずつと良かつた。
なんでアンカーをペインにそのままドラッグ&ドロップ出來なくなつたんだよ。target=……屬性附きのうざつたいa要素のアンカーを、前のヴァージョンなら、ペインにドラッグ&ドロップすればそのまま同じウィンドウ/タブで開いたのに。

平成十六年四月十五日
WINAMP.COM | Skins

平成十六年四月十三日
MADLAX終つた。
……。
來週も一往、期待して觀る。何なんだこれ。
平成十六年四月十三日
http://altba.com/bakera/hatomaru.aspx/ebi/topic/1213
スペインはある意味「テロに屈した」と言えなくもないのですが、スペインに対してテロ事件が増えそうでしょうか。
スペインに對して、當面、テロ事件は減りさうですが、他の國に對してテロ事件が増えさうです。
また、「テロ事件に屈しやすい國」と思はれるやうになつたら、將來、スペインに對してテロ事件が増える可能性はあります。
まあ、テロをやつても效果が無い相手にテロをやるテロリストは馬鹿だと思ひますが。
平成十六年四月十三日
ネタがない。

平成十六年四月十二日
『ふられ気分でRock'nRoll』を使ふのは狡いよ。
今期のあにめで(俺的に)一番樂しみなのが「せんせいのお時間」になるとは豫想出來なかつた。
平成十六年四月十二日
牡丹の花が滿開。
一つしか映つてゐないが十二箇くらゐ咲いてゐる。

平成十六年四月十一日
Arikitarina WEB
テキストサイト関連年表
テキストサイト関連年表β版は近日公開を終了します、なんて書かれるやうになつてから言及してみる。赤肩。

平成十六年四月十日
明日のプリキュア、放送されるかな。特別報道番組で潰れたりしないよな。
平成十六年四月十日
ANIMAX アニメ見るならアニマックス
例によつてtitleが腐つてゐるけれども「第3回アニマックス大賞」のシナリオ募集の告知。
デカイオーでも送り附けてみるかな。

平成十六年四月九日
海の向うで人が何人死なうが、日本は變らんよ。
假に、テロリストが都心でテロをやつたとしても、日本は變らない。オウムのサリン事件で日本は變はらなかつた。
平成十六年四月九日
さて本日、「スーパーフリー」の事件で、もと東大生ともと法大生と慶大生とに實刑判決が下つた訣だが。(地裁)
平成十六年四月九日
本日の買物。例によつて東京古書會館の古書展にて。
野口啓祐譯『ヨーロッパの形成』冨山房
昭和十九年の九月なんてとんでもない時期に出たクリストファ・ドーソンの本。古書價三百圓。
平成十六年四月九日
のあ
「ゆめりあ」は「ゆめ」+「real」?
あやの
多分……。
のあ
なら、「グロリア」は「ぐろ」+「real」?
あやの
いや……多分……違ふかと。

平成十六年四月八日
本日の買物。
福原麟太郎『詩心巡禮 バイロンほか二詩人の研究』
松村みね子譯『愛蘭土戯曲集 第壹卷』
本日の拾ひ物。
アンドレ・ジイド『新しき糧』

平成十六年四月七日
画廊犬神堂 - Firefox子
狐つ娘。
平成十六年四月七日
本日の買物。
カール・レーヴィット『東洋と西洋』未來社
水瀬葉月『結界師のフーガ』電撃文庫
雨宮諒『シュプルのおはなし』電撃文庫
一つ目と二つ目の感想を高橋氏に訊いてみたい。
平成十六年四月七日
「東京創元社 創立50周年」の小册子を書泉グランデで貰つて來た。
俺の生れた千九百七十三年六月に『バルザック全集』全二十六卷が刊行開始となつてゐて、第一囘配本が『「絶対」の探究/暗黒事件』だつたのだと。
平成十六年四月七日
どこかには行く(オアシスへの道のり)
言葉の意味は良くわからんが、プリキュアが好きなのだと云ふ氣持はとにかく良く傳はつて來る。
最近のプリキュア論評はすごいですね。

平成十六年四月六日
MADLAX……。
平成十六年四月六日
キャプチャユニット經由でMADLAX觀てゐたらPCがまた落ちた。
RDの録畫も、時刻變更のせゐでミスつてゐやがつた。
經驗上、かう云ふ場合、大化けする。筈。
なのだが、取敢ず、終了直前一分前までの樣子から言ふと、かなりアレ。
平成十六年四月六日
西尾幹二が連載「江戸のダイナミズム――古代と近代の架け橋」で「万葉仮名・藤原定家・契沖・現代仮名遣い」と題して惡質な文章を書いてゐたので「諸君!」五月號を買つて來た。
西尾は文字と言語は別と稱し、言語は半ば音です。しかし半ば文字でもあります。文字には文字だけの法則があります。と正しく認識しながら、しかも日本語の文字は外国語の音と遠いところで交っています。それとは関係なしに日本語の音は動かざるを得ません。と書き、音が言語の本體であり、文字は不完全な言語の影に過ぎない、と説明する。西尾は、お気づきと思いますが、二年有半に及ぶ私のこの断続連載で、ことあるたびに強調したモチーフの一つは、あらゆる文明に共通する文字以前の長期にわたる音声言語の存在です。と書いてゐる。
西尾は、橋本進吉の「假名遣について」を引用した後、以下のやうに述べる。以上の通り、仮名遣いは日本語の音の変化で問題化したのですが、仮名は音を写すものではなく、語の法則に従うものだという根強い考えがあります。この考え方によれば、仮名遣いの問題に迷いは生じません。漢字は表意文字、仮名は表音文字とあっさり割り切りすぎているのを改め、仮名にも表意性があるという観点に立てば、平安朝半以後の日本語の運命、藤原定家から契沖、宣長を経て、鴎外や福田恆存にまで至る仮名遣論者の言わんとしてきた正当さに異論の余地はありません。西尾は、かう述べて、正字正かな論者に論理的な正當性がある事を認めて見せる。しかし。けれども、流変する日本語の音の変質と文字表記との間のへだたりの大きさを国語学的にきちんと対処する智恵と能力が日本人にはたしてあったかという疑問が私にはあります。伝統墨守の一点張りでは官憲につけ入る隙を与えるだけです。西尾は、かう述べて、正字正かな論者が、論理に拘つても、現實問題として効果が無かつたぢやないかと指摘する。
續けて西尾は述べる。日本語は漢字仮名混じり文なので、仮名の部分の表意性をそれほど必要としないという事情があります。ややもすると仮名の使用は表音的に傾きやすい。これは嘘つぱちなのだが、西尾はしれつと嘘を吐く。西尾が何故こんな嘘を吐けるのか――そして、讀者が何故騙されるのか。西尾は、この自分の説明で讀者は騙しおほせる、と確信してゐる。と言ふのは、そもそも西尾自身がこの説明で騙されてゐるからだ。
西尾は致命的な誤を冒してゐる。西尾は、假名遣の問題を、體言や用言の語幹の假名遣ひの問題に、すり替へてゐるのである。だから西尾は、そこまでするというのなら、古代中国音の再現にこだわり、字音仮名遣いまで復活しようとする旧仮名論者の意欲も評価したいと思います。等と嫌みを言ひ、助詞の假名遣ひを無視していまは「はをへ」の尻尾を残して音符に近づいていますが、等と簡單に言つてしまへるのである。
假名遣ひで問題になるのは、用言の語幹と體言の「讀み」としての假名遣ひではない。これが西尾は解つてゐない。もちろん、世間の多くの人が解つてゐない。だから西尾はあんな好い加減な説明で濟ませるのだし、その西尾の安易な態度を誰も咎めない。だが、實際に假名で書く部分にこそ、假名遣ひの問題があるのは、「は」「へ」「を」が「現代かなづかい」でも殘されねばならなかつた事一つとつて見ても明かである。
時枝誠記が言つた詞と辭と云ふ用語で説明する(時枝文法の是非はここでは論じない)。詞に屬する語は、漢字で表記される大和言葉や漢語、完全に表音的に表記される外來語である。ここでは、却つて假名遣ひの問題は生じない。逆に、辭に屬する語は、所謂てにをはであり、助動詞であるが、漢語もカタカナ語も存在せず、假名遣ひの問題が生ずる。また、用言の活用語尾も(私見では「辭」に含めて良いと思ふが)「言はない/言わない」-「言はう/言おう」の例を見れば明かな通り、假名遣ひの問題の生ずるところである。そして、日本語は膠着語であるがゆゑに、詞と辭とがほぼ交互に出現する――即ち、可なり高い確率で、語意識に基いて表意的に「は」「へ」「を」或は「あらう」「言はう」のやうに書く機會が出現する。西尾が仮名の部分の表意性をそれほど必要としないと言ふのは大嘘である。
このやうな見方がなされないのは、日本人の導入した西歐の言語學が、膠着語ではなく屈折語である西歐の言語に基いて成立してゐる爲である。ソシュールの言語學は、屈折語における單語の説明には大變便利である。しかし、膠着語の場合、必ずしも全てを巧く説明出來る訣ではない。「てにをは」の類を、西歐の言語學は的確に説明出來るだらうか。もつとも、dogやcatの類の語と、toやforの類の語とで性質が異る事に西歐の言語學も氣附いてゐるとは思はれる。大學の一般教養の言語學の授業では、ソシュールの言語學を扱ふが、前者のdog、catの類の語についてしか説明をしない。だが、それで大學生は騙されるし、大學教授も騙される。客觀的な觀念を示す語と、文の構造を成立させて主觀を成立させる爲の語とでは、原理が違ふ。「てにをは」は後者の語である。そして、日本語で「てにをは」は假名で表記され、にもかかはらず、極めて強く表意性を意識される。
平成十六年四月六日
「と言ふか」でぐぐると……。

平成十六年四月五日
アニメ版「せんせいのお時間」は結構いける。
平成十六年四月五日
本日の買物。
わかつきめぐみ『そらのひかり』
ハイデッガー『哲學とは何か』
サルトル『アメリカ論』
何を言はれても私は本を買ひ續ける。
本日の拾ひ物。
G・S・フレイザー『現代の英文學』
志賀勝『アメリカ文学の成長』
「英文學研究」第十六號第三
トルストイ『戰爭と平和』第三卷(岩波文庫)
無料で持つて行けと言はれれば持つて行く。

平成十六年四月四日
金曜日に買つた本を羅列してみる。
寺田透『道元の言語宇宙』
『河合榮治郎選集10 獨逸社會民主黨史論』
山田孝雄『平田篤胤』
雜誌「展望」昭和二十一年三月號(福田恆存「民衆の心」所收)
『茶道入門』教養文庫651
これだけだつたつけ。最う記憶がなくなつてゐる。
平成十六年四月四日
no_z's WEBSITE
の方にいろいろ書いてゐるので。
平成十六年四月四日
めも。
會員・關聯團體消息
平成十六年四月四日
いつの間にか名稱變更してゐる。
日本語学会 - The Society for Japanese Linguistics
林大氏三月三十日に逝去。合掌。

平成十六年四月二日
例の件。
W3Cはiframeをリンクと言っているか? - 徒書
そもそも引用を示す要素はiframeでもfieldsetでもなくてblockquote/qなのだし。
そもそもリンクを示す要素はiframeではなくてaなのだし。
そもそも箇條書きを示す要素はul-liなのだし。
平成十六年四月二日
黎明日記、消えて復活したと思つたらまた消えてるし。
平成十六年四月二日
古典文學の村云々。
平成十六年四月二日
101キーボードのドライヴァを106キーボードのドライヴァに入換へたらWindowsが落ちなくなつた。みたいだ。けれども。?
平成十六年四月二日
JTの中の人は今年も同僚と花見に行つたのだらうか。
平成十六年四月二日
正字正かなサイトの歴史とか、正字正かな關係者のウェブでの活動の記録とかを作つておくべきかなーと、晝間、思つたりした。
消長激し過ぎ。
五年經つて、あの(どの)頃から生殘つてゐる關係者のサイトははなごよみくらゐと云ふ慘状。うちだつて正字正かな關係のコンテンツは最う半年くらゐ更新してゐないし。「關係者」にしても、みんな何處かへ行つてしまつた。あの(どの)頃を覺えてゐるのは、寧ろ「アンチ」の連中ばつかりだつたりする。歴史の歪曲が始まらないうちに何とかしておいた方が良からうと思ふのだが。俺だつて昔の事、覺えてゐないんだからな。二年も前の事なんか忘れた。人は思ひ出だけで生きては行けない。
平成十六年四月二日
四月末邊まで忙しい。いつも「戰時下」と呼んでゐたけれども、何か當方の意圖と全然違ふ意味でとる人が必ず出てくるので今年は「忙しいのだ」と言ふに留める。忙しいのだから仕方がない。

平成十六年四月一日
例によつて(略)。
平成十六年四月一日
http://d.hatena.ne.jp/theoria/20040401
就職して結婚が決つておめでたうtheoria氏によるjizou氏とdokusha氏への反論。
http://d.hatena.ne.jp/jizou/20040331#p3にはhttp://members.jcom.home.ne.jp/w3c/kokugo/を最う何年も前に公開してゐるから見て呉れと。あと福田恆存の『私の國語教室』が二年前に復刊されてゐるがjizou氏は當然、讀んでゐるんだらうなと。と言ふか、ただ、文句つけられたからって逆ギレするくらいの感覚で旧仮名使うなよ。つて何だよ。「逆ギレ」と言ふのが妥當な理由は何? 正當な批判ならば俺は怒らない。松永氏が誹謗したから怒つただけだ。あの人は、自分の權利については煩い癖に、他人の權利を尊重する氣は毛頭ないらしい。
ちなみに、jizou氏はこの文章を讀めないらしいので、反論は期待しないが、もし反論して來たら、「讀めない」と云ふjizou氏の非難は誹謗だと云ふ事になる。
サヴァイヴが始まるから中斷。
平成十六年四月一日
サヴァイヴ終つた。再開。
あつと言ふ間に「はてなブログ - 黎明日記(跡地)」がプライベートモードに。
平成十六年四月一日
jizou氏の主張は明かにをかしい。けちを附けられて怒るのが何故行けないのか。そこで怒らない方がをかしいに決つてゐるだらう。小学生の喧嘩とか、レッテルを貼つて事足れりとしてゐるjizou氏の頭こそ小學生レヴェルだ。
ちなみに俺は、正しいから正字正かなを使つてゐるのであり、HTMLに關する主張が間違つてゐるから松永氏を批判した。http://d.hatena.ne.jp/jizou/20040331#p3でjizou氏が、あんた人のソースに文句つける癖に自分の旧仮名の事言われると滅茶苦茶に騒ぐからアレだって言ったんだよ。と云ふ非難は根據のない非難でしかない。と言ふか、松永氏の考へと違ふ考へを持つ俺が、自分の考へを(jizou氏の言葉で言へば)「押しつける」松永氏を批判した時、jizou氏は一方的に松永氏に肩入れし、俺を非難した。これは異常な事だ。しかし、jizou氏は自分がをかしいと思はない。
あと、<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/redirect?tag=asightforsore-22&path=tg/browse/-/489986">買い物お願いでござるよ(TДT)ヨロシクのa要素が閉ぢられてゐないので、Operaの畫面で何處をクリックしてもAmazonのページ(何)が開くのは嫌がらせでせうか。
平成十六年四月一日
http://d.hatena.ne.jp/dokusha/20040331#p4
「属性」と言つて黨派に括るjizou氏を非難しないで、寧ろ肯定的であるのが「読者」氏の黨派性を如實に示してゐる。
平成十六年四月一日
松永氏(@ ウェブログ@ことのは/はてなダイアリー - @ことのはインフォーマル)のあの「反撃」が、著作權法の規定とどのやうな關聯のある「反撃」なのか、と云ふ問題があるのだが。あの「反撃」は、それ自體、著作權法と何の關係もない。「やられたからやり返してやれ」以上のものではない。jizou氏の言葉を借りれば小学生の喧嘩である。ただ、松永氏は「權利」と言つたから尤もらしく見えるに過ぎない。そして、その「權利」と云ふ言葉に、普段から「權利」「權利」と言つてゐる連中が群がつた訣だ。
平成十六年四月一日
で。
http://d.hatena.ne.jp/dokusha/20040401#p5
松永氏の著作權は著作權法によつて保護されるが、あの「反撃」の妥當性は何に據つて保證されるのだらうか。
平成十六年四月一日
「諸君!」4月號を購入。坪内祐三氏が「イラク派遣『人間不在の防衞論議』ふたたび」と云ふ論文を書いてゐて、對高橋氏論爭や對北守將軍論爭、のみならず、對高坂氏論爭とも關聯があるので紹介しておく。「読者」氏はどうせ讀んでも詰らなく感ずるだけだらうから讀まなくてよろし。と煽つて見る。
ほかに本日は、ジョージ・スタイナー『マルティン・ハイデガー』(岩波現代文庫)、中村雄二郎『宗教とはなにか』(同)、スピノザ『神學・政治論』(上下卷・岩波文庫・リクエスト復刊)を買つた。
平成十六年四月一日
http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20040401#1080799181
昔、クサチュー語なんてものがあつたなー。例のへんなメール、うちにも來た。
平成十六年四月一日
「エイプリルフールをエイプリルフールと」云々。
平成十六年四月一日
四月は新番組の時期だが、實はMXTVのゼンダマンの再放送が大穴。
平成十六年四月一日
のあとあやののオフィシャル小説を計劃中。

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2004年3月(その5)
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