この間から職場PCでWordのファイルを開くとWordが一般保護例外を出して死ぬので困っていた。
起動できるファイルもあるので原因がさっぱり判らなかった。
仕方がないので読めるだけでも、と思ってWordViewerをダウンロード。これでもダメ。
行き詰まってきたのでVisual C++のデバッガに掛けてみる。すると、落ちているのはGDI32.DLLから呼び出されているリコーのプリンタドライバだった。通常使うプリンタを切り替えて解決。ドライバ古いのかなあ。
つーか、WYSWYG的にこの動作はどうなんだろう。結局プリンタに出力結果が依存してしまうような気がする。プリンタドライバにレンダリングさせれば確かに見たものと同じ出力イメージが得られる。しかしプリンタに応じて出力イメージも変わってしまうようなら文書を送っても相手と違うものが表示されてしまうわけでワードプロセッサとして何か違うような。
勞働災害に合はれた方は3名。は、「遭はれた」では。
仮に全ユーザが不足のないユーザCSSの適用を常態化すれば、大半の製作者は製作者CSSを作らなくなるのではないかと思う。
一部のミステリ辺りもターゲットに入れると、「不健全表現防止法」とか。普通に賛同するやつ結構いそうで嫌だなあ。
つまり、「ナチスのしたことで役に立たなかったことは、批判されるべきである」と。
その案を廃案にすることが目的なのですから。と高橋氏は言つてゐるが、「なぜ廢案にしたいのか」が理解出來ないと私は言つてゐる。
引用の正当性それ自体について抗議してる記述が過去ログに見当たりません。と言ふのだが、
(引用で検索してみた)とあるので、高橋氏は形式的にしか文章を讀めないのだなと、内容を理解しようとして讀んでゐないなと思つた。
だから僕はそう読み取って返している。
削除云々があてこすりのつもりでなければ、とあるのだけれども、あてこすり以外の何物でもないものなので、明かに
引用方法への批判です。
ではそもそもあなたの思う「観念的でない」反対ってなんですか、という話になる。
貴方の個人的な道徳観は、「いざとなっては紙切れ」な法律以上のものなのですか?
ここについては、単に読み落としだったので既に謝ってます。
一往、レントゲン撮影時の被曝量とか、飛行機に乘つた時の被曝量とか、放射線のない状態では生きられない草履虫とか、致死量からは程遠い量の放射線の話をしてゐるので、通じるかなーと思つたのですが。と云ふ文章を引用しませんかと抵抗してみるテスト。
反対派は、そもそも法的議論を観念的な反対だとは考えていない(実際的・具体的に有効なものだと考えている)ので、法的議論を観念的な反対だと仮定した場合に観念的でないとはどういうことを意味するのかについて、考える必要がないのですよ。
法的議論を観念的な反対だと言つて非難してゐるのではないから、高橋氏の「反論」は反論になつてゐないとしか評しやうがないのです。
ロリエロ(に限らない話になってますが)を楽しみたい、と言うことの法的な表現が「表現の自由」だと思うので、そこにはなんの隠蔽もない、と俺は思うのです。
本来、社会にエロゲ表現の価値を認めさせる必要などないのです。と高橋氏自身は言つてゐて、これはただの開き直りに過ぎないやうに思はれます。「何をしても自由だ」「何が好きでも自由だ」では、何の説明にもなつてゐません。
自由論はラッピングではなく本質であると考えている、ということをご理解いただいた上で、と高橋氏は言つてゐますが、まさにそれが觀念論なのです。自由はそれ自體、「空虚」なものであり、「何の價値もない」ものです。ただ「戦術的に役立つ」と云ふ效能しかないものです。
書きたいけれど書くことが見つからないと云ふ問題に「何を書いても良いのですよ」とアドヴァイスされても、高橋氏には何も役立たないのではないですか。自由はそれ自體、空虚であり、「價値が無い」ものです。
くだらんことをやっている、と貴方の評価を下げるだけです。
えんえんかけ続けることで拷問になると思うものは、巫女みこナースとか、……。
なんども説明している通り、表現の自由は、その対象となる表現が道徳的であるか、多数派の価値観に沿っているか、ということには関係なく主張していいものだからです。
僕がWEB上での旧字旧かな運動を目にする窓口になったのが貴方です。だから、僕にとってWEB上での旧字旧かなの使用のイメージは、貴方に結びついています。/絶対使いたくねえなあと思わされるに十分でした。
「自由」は、あなたの個人的な道徳観よりははるかに役に立つし、社会正義に沿っていると思います。
何度も言うようですが、貴方のファッショな戯言よりは、法と自由についての主張は多くの人間を動かすはずです。
きちんとまとまった法的な問題の指摘は、議員や司法関係者にちゃんと聞いてもらえます。
多分簡単にこうはならない。そこまでこの国は愚かではない。
舐められたもんだ。
別にエロゲのライターを馬鹿にしてゐるのではなくて、魚屋でも八百屋でも同じで、と書いたのだが、例によつて高橋は讀飛ばしたらしい。
それを言うならば、貴方は法律についての知識も事の経緯についての知識もろくにもたない、
表現者でさえもないただの右曲がりではないですか。
法律的には、僕のほうがまっとうなことを言ってると思いますよ。
致命的に何が争点であるのかがわからない人だったのだなあ。
争点は私の文章の中で決つてゐる事であり、ならば當然、高橋が
争点を勝手に決めるのは「論點をずらす」と云ふ事にほかならないのだが、高橋にその邊の自覺は無いやうだ。要は、高橋こそが
致命的に何が争点であるのかがわからない人だったのである。文章を書いて飯を喰つてゐる人間が、他人の文章を讀んで理解出來ないのは、致命的だと思ふよ……。
オフィスラブ中ののあとあやの。 しかしあやのは新入社員のfankee_jrが気になる日々。 ある日あやのはfankee_jrにデートを申し込むが、ひょんなことからのあにばれて、、。 次回「オフィスラブ・ドロドロ三角関係〜終焉」お楽しみに!
はぐれてしまったfankee_jrを探す途中、偶然見つけた不気味な洋館へ足を踏み入れるのあとあやの。 しかし、そこには変わり果てたfankee_jrの姿が…。 「見たなあああぁぁぁぁ!」 正気を無くし狂暴化するfankee_jr! 次回「私にfankee_jrは倒せない…。〜哀しみの一撃」 お楽しみに!!
「写真出来たよ!」とあやの。 「あれ?なんか、変なのが写ってる」のあは黒いごじょごじょを見つけた。 それは、去年の夏、あの事件で死んだはずのfankee_jrの姿だった。 次回!「謎が謎を呼ぶ!!fankee_jrの残したものとは…!」 ほら…、貴方の後ろにもfankee_jrの姿が…。
のあとfankee_jrの最後の決戦! のあはあやのを救う事ができるのか!? 次回、感動の最終回「ウダラ 何ニヤついてんがァーっ!」 お楽しみに!
不健全な表現は規制されていいと思っている
ナチスの退廃芸術展について自分の意見としての言及を避ける。一般論として、ナチスの行為としての固有性に閉じて批判するに留まり、一般性を持った考察はされていないと考えているようだ。
「世のため人のため」ならば法的に問題のある法案が通っても構わないと思っている
二言目には公共の福祉や社会の秩序などの全体性を主張し、個人の自由を極端に軽視する。過剰に弾圧的な道徳の主張。
レントゲンの撮影をする際にもX線を被曝するし、高高度を飛ぶ旅客機に乘つても地上より多い宇宙放射線を浴びる事になる。それらの放射線の量は、規定により原發から「漏れる」事の許されてゐる放射線の量よりも多いと云ふ。
まつたく放射線のない環境で、草履虫は生きていけないさうである。
しかし、人間にとつて、どの程度の放射線が必要で、どの程度の放射線が健康を害ふかは、現在のところ、わかつてゐない。
だから、放射線を理由に、一概に原發をなくせば良いとかどうとかは、簡單に言へない。後半、きちんと調べて書いてゐますか?放射線の致死量は割り出されてゐます。全身に浴びる放射線量が4.5Gyで半數が、6Gyでほぼ確實に死にます。詳しくは放射線に対する反応と損傷を參照してください。といふか、放射線がどれだけ人體に影響を與へるかが判つてゐなければ、安全と言へる基準すら作れませんよ。ですから、
しかし、人間にとつて、どの程度の放射線が必要で、どの程度の放射線が健康を害ふかは、現在のところ、わかつてゐない。の後半部分は、をかしいです。よつて結論部分も、をかしくなります。放射線が漏れてゐるのならば原發を止める理由になり得ます。放射能汚染があるのならば論外です。しかし正しく線量管理が行はれてゐて、施設からも放射線が漏れてゐないのならば、それを反對理由とする意味がない、といふのなら正しくなります。でもこれは、さういふ文脈には讀めませんね。
なぜならば,非常に低い線量の影響に関する客観的なデータはほとんどないからである。とあります。先月號だか今月號だかの月刊「NAVI」のコラムでその邊の事が觸れられてゐて、などなどの文脈の説明を含む色々な説明を省いたので「つつこみどころのある文章」になつてゐますが、さう云ふ事です。一往、レントゲン撮影時の被曝量とか、飛行機に乘つた時の被曝量とか、放射線のない状態では生きられない草履虫とか、致死量からは程遠い量の放射線の話をしてゐるので、通じるかなーと思つたのですが。
The tags H1, H2, ... H6 are used to represent headers.なんて記述があるんですねー。
FIG
要素なるものも考へられてゐたやうです。imgのブロックレヴェル要素版。This was a proposal by Dave Raggett for extending HTML, first published as an Internet Draft in 1993, and in summary form at the WWW'1 Web Conference in 1994.
現行憲法の立憲趣旨を考えると,国民が主権を持つことは全ての法律の大前提となります。そして,憲法に明記されているとおり,
この憲法が国民に保障する自由及び権利は,国民の不断の努力によつて,これを保持しなければならない訳です。そこからすると,主権の行使の一様態である選挙権を簡単に棄権することは,国民の義務を果たしていないのではないか,と考えることができます。
第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
侵すことのできない永久の権利ならば、
国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない理由がわかりません。根本的に矛盾があるやうな氣が。何なのでせうね。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
憲法を尊重し擁護する義務は
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員のみに課され、一般の國民には課されてゐない、とする解釋もあります。伊藤真氏がさう解説してゐました。伊藤氏に據れば(以下、記憶による)「爲政者がよろしくない法律を制定して一般の國民の權利を奪ふ事のないやうに、爲政者の行動に制限をかけるのが憲法の役目である。だから憲法は法律の法律なのである。」と云ふ事です。もつとも、公務員試験の參考書だからさう云ふ風に書かれてゐたのかも知れませんが。
UHF帯の千葉・埼玉。神奈川版を全て保存しているヤシ、地震テロップ入りの放送がレアケースと認識し最高レートでDVDに焼いているヤシ、今こそ決断の刻が来た!(゚д゚)加入しろッ!っつーか上の例は漏れなんですけど。とか言ふ偉い人の御蔭で、臨時ニュースのテロップなり地震情報なり何なりがあつても問題ないと悟れたのだけれどもまあ一往。
そもそも、貴方の言う「恣意的な引用」(俺はそうではないと反論しましたが)などという議論の本質とあまり関係ない問題は、江州さん以外は問題にしていない。当の野嵜さんも問題にしていない。引用の正当性についての議論が今ここで何か齎すとも思えないからです。そういう、瑣末なところはぱっぱと斬り捨てていけるところは、彼のスタイルとしてかっこいいところだと思う
分かりにくい書き方ですいませんね。以下のような問題提起だったのですよ。ナチスの退廃芸術展は一般的に批判の対象になっているわけですが、その理由が知りたい。
- ナチスが排斥した芸術が実際には価値のあるものだったから
- どんな退廃的作品であれ、退廃的であるという理由で国家権力がそれを排斥するようなことをしてはいけないから
- それ以外
貴方は一番目ですね、僕は二番目です。世間一般ではどうなんだろうなあ。
しかし野嵜さんて、讀み返すとアニメの話が多いですねえ。私の認識ではアニオタなので、當り前ですけど。
ナチスの退廃芸術展が、何故批判されるのか。
12月1日 京王線・井の頭線ダイヤ改定。
交通局では京王線とのアクセスを改善し、お客様の利便性向上を図るため都営新宿線のダイヤ改正を下記の通り実施しますのでお知らせします。
もともと近代科学の根幹には「系統的懐疑」という規律があり,観察や実験を鵜呑みにするのではなく,正当な疑問に対して答えうるように理論を作らなければならない義務があります.科学というのは,全く疑いのない完璧な理論を作り出すことを目指しているのではなくて,もしこんな事実が見つかったらこの理論はダメになってしまうよ,というスキを残しておかなければならないのだそうです.これは,理論に反するような事実が見つかっても理論を小手先でひねって誤魔化してしまうならきちんとした科学理論ではない,ということを意味しています.この見解はドイツ人でイギリスで活躍した(ユダヤ人なのでナチスの時代に亡命した)思想家のカール・ポパーの主張で,反証可能性というのだそうです.