診断結果が出るのだけれども、「あのー」だと実行エラーになる。謎。
速報 10月29日オーロラ出現!
光GENJI、最近の若い人は知らないかしら。なる記述があつて結構驚いた。もう過去の人なんですねー。
でも そんなことを言ったら 文字サイズを固定したって変更可能なのです。
文字サイズ固定など全然奬めてゐない文書。
結局のところ表示されれば それでいいと思っています。 というよりも Opera ユーザーの皆さん、ブラウザ上に「ユーザーモード」のボタンが付いているでしょう。 それをクリックするだけで問題が解決するのに、なぜボタンを押そうとしないのか。 押すのが嫌、というなら IE を使って下さい。 持っていないはずはありません。 Win なら IE がタダで付いています。
上記一連のリソースはアクセシビリティについて書いたつもりです。 最も多かったのがユーザビリティに関するご意見でした。 例えば文字サイズの固定は良くない理由で、「サイズ変更が面倒」というのはユーザビリティです。 思想として「閲覧者の任意で変更できるべし」というのであれば、固定しても変更できます。 このあたりの混同がほとんどでした。
煽った文章と、何が違ひますか。「アメリカ人やイギリス人は本當に鬼畜なのか」と疑問を呈した人に「非國民」のレッテルを貼るのと、
お前、トンデモって言いたいだけちゃうんかなる極附けと、何の違ひがありますか。
為念と云ふ表現は昔からあつた。「為」と「念」の間に返り點(レ點)を附ければ「念の為」となる。かう云ふ書き方は、昔の漢文や漢文調の文章で時々見られる。
製作者CSSを閲覧者に押し付けたい人々はよく、閲覧者の立場を装って「文字サイズを固定するな、幅固定をするな、etc.」といいます。しかしそれらは閲覧者CSSでつぶせるのだから、問題ありません。本当の問題は怠惰な受動的精神に染まった閲覧者の啓蒙を、誰もする気がないことです。
以下の講演會は、盛會のうちに終了いたしました。
大君のへにこそ死なめものゝふは/うきてふことのなどかあるべき、
ものゝふの劒の光りくもらずば/世にまがつひのあらびあらじを、のやうな勇ましい歌から、
色白にふつくり出來たおまんぢう/アンと喰べたる味のよきかな、なる愉快な狂歌まで收める『乃木大將歌集』や、『ポケット海軍年鑑 一九三七年版』を買つたら、持つてゐた札が無くなつて、大事な五百圓玉を消費。
海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。とか、
原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。/ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。とか、
稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。とか、嘘の記述です。温排水には問題になるほど放射能は含まれてゐません。ネジの交換の話は、「原發は惡い」「原發は恐い」と云ふ固定觀念のフィルタを通して見れば「リアリティがある」「描寫が具體的」と云ふ事になつてしまふのでせうが、落著いて讀めば笑ひ話以上のものではありません。本物の原發勤務者の方が書いた(そして現在讀めなくなつてゐる)記事では、原發での通常の作業(放射能のある區劃での作業は通常の作業ではない)がどのやうなものであるか、原發關係者がどれほど安全確保に氣を遣つてゐるか、あの「トンデモ」の記事とは違つて少しもセンセーショナルでない文章で書かれてゐました。あの文章だけでもどこかで讀めるやうにされても良いと思ふのですが。
原子炉の廃止作業は,既存技術又はその改良により対応できると考えられるが,作業者の安全性の一層の向上を図る等の観点から技術の向上を図ることとしている。/このため,科学技術庁では日本原子力研究所に委託し,1981年度から解体撤去のための技術開発を進め,解体技術,除染技術,遠隔操作技術等の総合的な技術開発を行った。なお,計画前半の技術開発の成果については,日本原子力研究所が外部専門家等からなる検討委員会に評価を依頼し,動力試験炉(JPDR)の解体実地試験の遂行に技術的見通しが得られたとの評価を受けている。また,1986年度からは,それらの技術を用いて同研究所のJPDRをモデルとして解体実地試験を実施している。/さらに,1990年度からは,これまで得られた成果等をもとに,原子炉解体高度化技術開発を進めている。とある通り、平井氏が生きてゐる頃にも既に原子爐解體・撤去の技術がちやんと存在したのは明かで、平井氏がそれを知らなかつたとしたら勉強不足であり、知つてゐて匿したのなら嘘を吐いた事になる。いや、平井氏は、
机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない 被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。と言つてゐる、原子力委員会の記事は机上の空論だ、と批判派は言ふかも知れないが、
ロボットが放射能で狂ってしまって等と書く筆者の主張を眞に受ける方がをかしい。それほど放射能が強烈なのに、事故の時以外には漏れ出さず、原子爐は10年も持つと言ふのである。と言ふか、放射能を浴びると鐵の原子爐がぼろぼろになるとか、胡散臭いことこの上ない。机上の空論は平井氏の方である。
面白いから読んでもらいたい、良い品だから買って欲しい本であり、
量より質の商品選擇の結果であるらしい。
2003-10-14 ウェブサイトをリニューアルし再出発。との事です。
試しに送信ボタン押してみた。との事ですが、メール、ちやんと屆いてますよ。
われわれはいふ。われわれは全くプロレタリアートの階級鬪爭の利益に從屬する。共産主義者にとつて、道徳は全く強固な統一された規律と、搾取者に對する自覺せる大衆の鬪爭から構成される、と述べ、
ありとあらゆる犠牲に同意し、必要あらばあらゆる種類の策略工作を用ゐ、遁辭や詭辯の非合法的方法に訴へ、そこに踏み止まり、どんな犠牲を拂つてもそこで共産主義活動を繼續せねばならない、とまで主張した。
自分のことを嫌っている人がいることがわかってる以上、それを知らないふりしてのうのうと参加するのもダメでしょう。
問題の本質を無視すれば、1日100アクセスのサイトを作るのは簡単です。
具体的には、こうです。まず書店に行き、似たようなハウツー本がたくさん出ているジャンルを探します。その中から適当に興味のあるテーマを選びます。そして気にいった本を数冊買ってきて、原稿用紙300枚相当の記事に再構成しましょう。これをサイトとして公開すれば、1日100アクセスは楽勝です。
それを自然言語のテキスト・ドキュメントのコンピュータによる解析みたいなSF的味付けをしてそれがさも直ちに実現可能な技術のように装って資金を集め研究を続けたい輩がマークアップに意味を持たせようと言っている。しかし、そんなことのために何十億もの個人ユーザーのHTMLの書式に文句をつけても無駄である。
僕がえばってるわけじゃなくて実際にそーいう事態が発生してるっていってるだけで…と言つてゐるんだし。
Intelは1985年に32ビット対応の80386プロセッサを発表したが、Microsoftが完全に32ビットのOS(Windows XP)を出荷したのはその15年ほど後のことだった。
なんでXPまで待つねん。
Windows NT 3.1(1993年)とか。Microsoftに限らなければ、OS/2 Ver2(1992年)とか。それより前にPC UNIXの部類で386BSDとか。Linuxも1991年だったっけ? UnixWareっていつからあったっけ。
あと忘れちゃいけないFM TOWNS。あれのT-OSは1989年にして32ビットOSだった。
要するに、天使すら「神の國」で反逆するならば、「人間の國」で人間がどのやうな行動をとるかについて、誰が確信をもてようか。
丹念に点検した由。
国内・海外とわず、リンク集サイトはけっこう危機的な状況にある。特に初期のころからあり、大規模なものほどメンテナンスが行き届いていない。
OSとしての性能も、Windowsよりずっと進んでいた。マイクロソフトが、16ビットのDOSの上に無理矢理不完全なGUI環境を構築したWindows3.1というOSを発表したとき、MacOSはすでに立派な32ビットGUI環境を持っていた。その後、Windows3.1の後継であるWindows 95が32ビットOSとして登場しても、メモリ管理などの点で弱点が多く、不安定なOSであることに変わりはなかった。